2006年7月29日土曜日

アイコ十六歳

その時代をリアルに映す映画は、観ている者に共感を与えます。

原作や役者、音楽、舞台になる町など、大事な要素は沢山ありますが、その幾つかが揃っていれば、ヒットするのは当然と言えるでしょう。

この「アイコ十六歳」は、そのどれにも恵まれています。

原作は、1981年に当時史上最年少の17歳で受賞した堀田あけみさんの「1980アイコ十六歳」。女子高校生の視点で描かれた内容は、気持ちのありのままを隠すことなく見事に表現し、多くの共感を誘いました。

長らく手に入らなかったのですが、今年の1月に新装されて入所可能となりましたので、気になる方は読まれる事をお薦めします。映画を観る前に読むのはネタバレで嫌だ、と言う方は、まず映画を観る事をお薦めします。

なぜなら、原作に忠実だからなのです。

一言一句とまでは行きませんが要所要所の台詞や、物語の展開、主人公の性格、そして登場人物達の雰囲気まで、映画ではしっかりと描かれていると私は思います。

演じる役者は、主人公達高校生をオーディションで選び、富田靖子さんを始め、同級生には「ココリコミラクルタイプ」や「大奥」で有名な松下由紀さん(本名の松下幸枝で出演)、映画ビーバップ・ハイスクールの三原山順子を演じた宮崎ますみさん(本名の宮崎眞純で出演)などがこの映画からデビューしています。

オーディションに応募した人の総数は12万7千人。いかに多くの少年少女達が、原作に憧れていたかが良く分かるかと思います。余談ですが、九州地区のオーデイションで富田靖子さんと争った人に花村博美さんと言う方がいます。誰?と思いますよね。その名前は本名で、今は芸名で活躍されています。あえて誰かは書きませんが、この人がアイコ役だったら、もっと原作のイメージに近づいていたんじゃないかな?と私は思います。(もちろん富田靖子さんも充分に魅力を発揮していますよ)

脇を固める役者陣は、母親役に藤田弓子さん、父親役に犬塚弘さん、学校の先生には岸部シローさんや紺野美沙子さんなど、個性派や実力派が揃い、まだ初々しさの残る高校生達をしっかりと支えています。

ちなみにちょい役で有名な方が二人出演されているのですが、甘味屋のおばさんを演じた正司花江さんはいい味を出していますよ。この時代には何処にでも居た、ちょっと世話焼きなおばさん。現代にもいて欲しいと思える大切な役柄です。

もう一人は観てのお楽しみにしておきましょう。今も変わらぬその姿と醸し出す雰囲気、笑いを誘うかも知れません。

音楽監督を務めるのは斎藤誠さん。

名前を知る人は少ないと思いますが、音楽好きな人ならきっとTVやライブでその姿を見ているはずです。

ここ数年、サザン・オールスターズのサポートとしてギターを弾き、桑田佳祐さんの横で見事なテクニックを披露しています。目印は、スキンヘッドに、見るたび違うおしゃれな帽子を被る細身な人です。

この方は他にも、あの福山雅治さんが有名になった頃サポートとして活躍されていました。やはり同じようにTVに映っていた事があります。

他にもサザンや原由子さんの曲が物語の重要な位置でかかり、音楽映画としての一面も垣間見えています。

特にサザンの「Never Fall in Love Again」のかかるシーンは、映像と一体となり当時の空気をしっかりと伝えてくれています。

物語の舞台となるのは愛知県の名古屋。原作そのままの世界です。

主人公達の所属する弓道部という設定も、名古屋だからこそ生きていると私は思います。

さて、時代背景はどうでしょう?

日本がバブルへと足を踏み入れる直前です。変化の激しい1980年代ですが、古いものと新しいものが共存している時代であるとも言えるでしょう。

アイコの住む町は、ちょっと田舎で昔ながらの格子戸を構えた商店などが建ち並び、網と虫かごを持った子供達が走り回り、近所には今では珍しくなったトタン屋根の家など、風景を見ているだけでも懐かしく思えます。

私は違いましたが、この当時の男子高校生はバイクに憧れていた人も多かったと記憶しています。

アイコの(元?)彼氏(劇中では声のみ登場)もバイクを乗り回しているし、物語終盤の暴走族なども嘘でなく、そのものをしっかりと描いています。

肝心の映画としての出来は、今初めて観る方には満足がいかないかも知れません。

それは演じている高校生達の演技や、今の映画とは違う「間」が原因かも知れませんが、その年代の映画はどれも、今初めて観る方には殆どがそう写るものだと思います。

あなたがもし今、30代から40代を生きているなら、一度は観て欲しい作品です。

そして、不況が終わり(本当かどうかはこれからの時代が決める事ですが・・・)好況へと向かうかも知れない現代だからこそ、今を今として描いたこの作品を、過去を今として描く作品として、リメイクして欲しいと願います。

どれだけ多くの人々に、当時の気持ちを甦らせてくれるでしょうか?

それは未知数ですが、この10年で荒んだ心に、きっと「光」を見出してくれると、私は信じて疑いません。


さてこの映画に関係して、一点だけ残念なことがあります。

それは監督の起こした事件です。

映画とは直接関係がないので本来は載せるべきではないのでしょうが、この映画でデビューして以降、描くそのスタイルに共通していると思える事なので、あえて触れる事をお許し下さい。

罪状は「強姦」と「児童買春」。

おそらく今は刑務所も出て、普通の生活に戻っているはずです。

持田真紀さんと加藤晴彦さん主演で、当時まだ無名に近い浜崎あゆみさんの出演されていた映画や、モーニング娘。の映画やTVなど、数多くを手掛け立派に活躍されていただけに残念でなりません。

今後また、映画界で活躍されるかどうかは判りませんし、芸能界が犯罪に対してどれだけ敏感かにもよりますが、少女から大人へと変わる「ういういしさ」を描ける数少ない監督の一人だと私は思っているので、もう二度と同じ犯罪に手を染めない事を誓って復活される事を望んでいます。


前回のコラムの最後で述べた「繋がり」ですが、次回で詳しくお話しする事とします。

勘の良い方は、既に気付かれたかも知れませんが・・・


今回はネタバレを避ける為に、短いコラムである事をお許し下さい。


さて次回はシルベスター・スタローン主演の大ヒット作であり、アクション映画突出のヒーローものの第1作「ランボー」をお贈りします。

ネタバレ必須ですよ! 

是非是非ご覧になってから、お読み下さいませ。


それでは、また!


1983年日本映画 99分

製作総指揮 大林宣彦

製作    大里洋吉

原作    「1980アイコ十六歳」堀田あけみ

音楽監督  斎藤誠

音楽    原由子 サザン・オールスターズ ウェストウッド 斎藤誠

出演    富田靖子 河合美佐 伊神さかえ 松下由樹 三次令子 浅野由美 岡達也 波方清 森勇治 他

2006年7月22日土曜日

A.I.

唐突ですが、近未来を描くSFドラマに観客が望む「物語」とは何でしょう?

殆どの人は、「夢が拡がる世界」や「果てしなく大きな物語」、そして「希望に満ちた世界」を望むでしょう。

実際にヒットした映画から見られる傾向は、上記に近い物語だったりします。

でもこの映画「A.I.」は違うのです。

人間の勝手が生み出した「地球温暖化」によって、壊滅的な打撃を受けた未来の物語です。

しかしそこに生きる人々に危機感はなく、ただ環境だけが悪化している、そのようにしか見えません。

事実、ディビットの父と母が住む家は上流階級のように優雅で、沈み行く世界の危機感を全く感じさせません。

この描写は、現在の地球を表していると言えるでしょう。

現在の地球は確実に破壊されているのに、そこに生きる人類にはその危機感がない。全員が、とは言いませんが、限りなく100パーセントに近い人が、危機感を感じていないのが事実です。

この未来世界観は、映画の企画者であるスタンリー・キューブリック監督の訴えたかったひとつの題材であるのではないでしょうか。

さてこの映画は、スタンリー・キューブリック監督が永年温めてきた企画を、死後にスティーブン・スピルバーグ監督が映画化した作品です。

要所要所にキューブリック色を見せながら、全体はスピルバーグ映画としてまとまっています。

込められたメッセージはキューブリック色、醸し出される世界観と心の鼓動はスピルバーグ色と言い換えれば、分かりやすいかと思います。

劇場公開当時販売されたパンフレットには、映画化権を取得してから映画が完成するまでの事細かな経緯が記されていますが、その中でスピルバーグはこう述べています。

「この作品はキューブリックのコンセプト、アプローチ、そして哲学自身をキューブリックがまとめ上げ、それを私が具現化した、と言えるだろうね。」

本人がそのように語っているのだから間違いはないのでしょうが、私にはスピルバーグの訴えたかった事もこの映画には反映されている気がしてならないのです。

それは「人種差別」です。

スピルバーグと言えば一般的に知られているのは夢のある娯楽作品ですが、ここ最近はその色が薄れ、自身の「生」を形成する上で重要な出来事である、人類の過去の過ちを描く事が多くなっています。

日本で今年公開になった「ミュンヘン」等は、その集大成とも言われています。

それ以前にも幾つかの作品で、多くの観客を涙させる手腕を見せ、メッセージを発しています。「カラーパープル」や「シンドラーのリスト」等は、特に有名と言えるしょう。

この「A.I.」の中では、人類の過去の過ちであり今も世界を悩ませている「人種差別」が形を変えて横行しています。

ロボットを嫌う人間達の姿が、残酷なまでに描かれているのです。

それは私たちが映画の中で沢山観てきた、色の違いから起こる人種差別よりも遙かに酷く、普段は人間の為にこき使っているのに、数が増えるとその存在を否定し、破壊行為を起こしているのです。

自分たちで生み出しておいて、です。

何と勝手な行動でしょう。

必要だからと生み出しておいて、疎ましく思うから破壊する。

まるで、責任も持てないのにペットを飼って捨てるのと同じです。

共存する道はあるはずなのに、それを探さずに、胆略的な行為に走っている。

愛情を持つメカを造るまで至ったのに、肝心の人間自身は、まるで進化していません。

この描写は、スピルバーグが観客にどうしても訴えたかったもう一つの主題に思えるのです。

生涯秘密主義を貫いたキューブリック監督ですから、私たちのような人間が、どのような事を訴えたかったのかを知る事は出来ません。だから実際に人種差別というテーマをキューブリック監督自身が含ませていたのかも知れません。

しかし私は、断言します。

スピルバーグ監督の映画となった事で、その意味合いは強くなったと。


さて、違う事に目を向けてみましょう。

劇中のある台詞を思い出して下さい。

「人を愛せるなら、憎む事も出来るはず」

父が、ディビットの「あまりにも人間的な行動」に一種の不安を抱いた台詞です。

でもこの台詞は、ただの不安を描いただけではありません。

人間の愚かさを描いているのです。

話し合いが争いの最良の解決手段と言われる現在でも、人々は武器を手にとって戦います。

一方の民族からすれば、戦う相手は野蛮人だから、と短絡的な感情に流されている人も多い事でしょう。もちろん、そのような風潮にさせてしまうマスコミなどにも責任はあるのでしょうが、人間の思いこみがあるからこそ、そのようになってしまうのです。

そう、ディビットの父は、幾つか起こった事件の「表」だけしか見ていなく、「なぜディビットがそのような行動を取ったのか?」という「裏」を見ていなかったのです。

ディビットの異常とも見える行動の裏にある真実を見ようとしない姿勢が、この未来世界の人類の姿でもあり、映画の結末で描かれる人間の絶滅を招いたのだと言えるのです。

そしてその姿勢は、すでに映画の序盤でも既に描かれています。

一見、優秀な人類だけが残った理想の未来に見えますが、実は過去の過ちを見ず、同じ事を繰り返して荒廃して行く未来なのです。

いったい現在の地球に済む私たちの、どれだけの人々が気付いているのでしょうか?

残念ながら、上記の「破壊されている地球」と同じく、数パーセントしかいないのが事実だと思います。

夢のある未来は、本当の夢物語です。

少なくとも、私たちがその生き方を変えない限りは・・・


スピルバーグ映画と言えば、欠かせない大切な要素のひとつに音楽があります。

その音楽の作曲者、ジョン・ウィリアムスがいなければ、この映画は成り立たなかったと言っても過言ではないでしょう。

スピルバーグ監督の代表作と言えば、「E.T.」ですが、この「A.I.」も同じくジョンウィリアムスが担当しています。

しかし、その位置づけは「E.T.」の、時に胸躍らせ、時に悲しみを煽り、時に勇気を与える賑やかな音楽ではなく、登場人物の揺れる心情を見事に演出するという裏方に徹しているのです。

例えば、愛をインプットされる前のディビットとの日常を描いたシーン(DVDのチャプター4)。

まだ学習段階であるディビットの、家にある物への感心を音楽で表現したり、少しずつディビットを欲する欲に傾いてくる母親の心情を、静かに、しかし印象的に表現しています。

捨てられるシーン(DVDのチャプター13)での音楽は、母親に置いて行かれるという計り知れない寂しさと不安を、ルージュシティへ入るシーン(DVDのチャプター19)は、その自動車に乗り合わせた人間とメカ全ての、期待への胸の高まりを、などです。

CD単体を聞くサントラとしてはかなり地味ですが、映画と一体となった音楽としては素晴らしい仕上がりであると言えます。

ジョン・ウィリアムスについては私の大好きな作曲者でもあります。いずれ他のコラムで語る事もあるかと思いますので、音楽に関してはこれで終わりにしておきましょう。

音楽とは関係ない余談ですが、ルージュシティでの「憎まれる理由」を語るジョーの発言は、的を射ていると思いませんか?冷静に物事を判断出来るメカだからこそ見出せる結論ですが、それはこの映画の中に描かれる未来ではまさに的中しています。

現在の地球が、そうならない事を、私は切に願います。


親に愛をインプットされてから、日増しに豊かになるディビットの表情は、教授の部屋を見つけた時に絶頂に達します。演じるハーレイ・ジョエル・オスメントの演技が光り輝く瞬間でもあるのです。

しかしその後に待ち受けていた事実は何と残酷でしょう。

やはりディビットは人間にはなれないのです。限りなく近づく事は出来ても・・・

おそらく人間のように「頭が真っ白」になったに違いありません。

一人待たされるデイビットは、日増しに増大していく好奇心に駆り立てられ、隣の部屋へと足を運びます。

何を期待してと言うわけでもなく、人間と同じく、おそらくただ意味もなくその行動を生んだのだと思います。

そこに並んていたのは、幾つもの「ディビット」。

その衝撃は、人間でありたいと願うディビットの頭に釘を打ち付けたに違いありません。

しかしそれだけでは終わらないのです。

記憶の彼方に潜む、生まれた瞬間の映像が目の前に広がり、そして置いたままの顔の面が見据えている向こうをのぞき見、衝撃を受けるのです。

僅かの望みを持って信じていた自分は、人間ではなくロボットだったのです。愛してもらえる「特別な存在」ではなく、幾つもある中の、たったひとつに過ぎなかったのです。

そんなディビットに追い打ちを掛けるように、沢山並ぶ商品の箱と、シルエット。

ディビットのショックはここで頂点に達し、逃げるように部屋を後にします。

愛情を得ようとする事しか知らないメカにとって、認めざるをえない自身の出生の秘密はあまりにも衝撃的で、生きる意味さえも失わせるものでありました。そして、生み出した博士は愛情を持つ事がそこまで人間的にさせてしまうと予期していなかったのです。

ビルの上で一人しゃがみ込むディビットの表情は、愛をインプットされる前の無表情に近いものですが、うっすらと絶望の感情を覗かせています。このシーンの演技は、忘れられない演技のひとつです。

ついにディビットは、ポツリと呟き、海へと落ちて行きます。

一度プールの底に沈んだ経験を持つディビットが、自ら海へと落ちるという事は死を意味します。すなわち「自殺」。愛を得たメカは、怒りも得、ついには自ら命を絶とうとする選択までもを得たのです。

多くの人々は、この作品を「人間になりたいピノキオの物語」と例えていますが、ピノキオは最後は人間になります。しかしこの映画では、衝撃的な人類の未来と共に、永遠に絶える事のない母親の愛情を、独り占めする事で幕を閉じます。

あまりにも悲しすぎる最後ですが、血の通わないメカなのにあまりにも人間味に溢れ、最後の最後まで母を信じ、逢いたいと願う純粋さが、優しい涙を誘います。

最後の最後まで、愛を貫いたメカの物語なのです。

そう、ディビットはロボットでなく、サイボーグでもなく、アンドロイドでもない。

限りなく人間に近づいた「メカ」なのです。

優しさに包まれた夢を見続けるようにと眠るディビットの最後の姿には、キューブリックの死が重なって見えます。

死因である就寝中の心臓発作は、どんな体験なのか判りません。

しかし、きっと大好きな映画の事を夢見ながら安らかに旅だって行ったに違いない、そう願っているスピルバーグ監督の人間としての限りない優しさを感じずにはいられません。


さて今回のコラムはいかがでしたか?

前回からだいぶ時間が空いてしまい、申し訳ありませんでした。

そのお詫びと言ってはなんですが、来週再来週と2週続けて更新する予定でいます。

まず来週の作品は、当時史上最年少で文藝賞を受賞し話題になった作品の映画化である「アイコ十六歳」をお贈りします。

この作品に関しては2003年12月にDVDが発売されていますが、製作が1984年と古い作品である為にレンタルで探すのは非常に難しいと思われます。

しかし税込み2625円という、邦画としては良心的な値段なため、もしコラムを読んで気になった方は、是非是非ご購入ください。ネット上では、少ないですが中古も出回っているようです。

見られない方が多い事を考慮に入れて、次回のコラムはネタバレをしないよう気を付けます。

そしてその翌週の作品は、スタローンのもう一つの出世作であり来年いよいよ4作目が製作される「ランボー」です。

この作品に関しては、誰もが知っている作品ですので、ネタバレ全開で行きます(笑)

この2作品には何の繋がりもありませんが、私にとっては意味のある作品であり、繋がりのある作品なのです。

そのヒントの鍵は、以前紹介した「スターシップトゥルーパーズ」にあります。

それは・・・と、この辺りで終わりにしましょうか?

続きは来週のお楽しみ、と言う事で!


それでは、また!!


2001年アメリカ映画 146分

製作・脚本・監督 スティーブン・スピルバーグ

製作       ボニー・カーティス キャスリーン・ケネディ

原案       スタンリー・キューブリック

音楽       ジョン・ウィリアムス

出演       ハーレイ・ジョエル・オスメント ジュード・ロウ フランシス・オコーナー ウィリアム・ハート

2006年6月30日金曜日

ALWAYS三丁目の夕日

この物語は二つの家族を中心に、取り巻く近隣住民の物語を絡めて描く、最近ではあまり見かけなくなった「ベタ」な人情物語です。

「ベタ」と言うと聞こえは悪いですが、これはこの映画が成功した上での重要な鍵であると私は思います。

どこにでもありがちで、しかも今までにも使い古された手法を取っている事は、この映画と同じ時代をリアルタイムで見てきた人にとっては、欠かせない要素なのです。

似たような映画を沢山観て、ここでこうなると判っていてもついつい笑ったり、涙してしまう。最近の映画では、過激なシーンだけでなく必要のない刺激ばかりが強いCGの使われ方など、心の伴っていない部分が、特に大作には多いと思います。

しかしこの映画は、ベタな物語をあえて使い、それを補助する役割としてCGが多用されているのです。

私は、この映画の監督山崎貴さんのファンでありますが、それを差し引いても日本で一番CGや合成などのVFXを上手く使いこなせる人だと思っています。

それだけの実力を持った人が、あえて物語のメインではなく、脇役としてこれだけ沢山のVFXを惜しみなく使っている事に、感動すら覚えます。

そして年配の方々にとっては、本物とCGの区別さえ付かない程よくできた街並みに、遠慮無く心を預ける事が出来るのです。

実際に、この映画の中では今も現存する街並みでのロケ、屋外での大がかりなセット、スタジオ内のセットを上手く使い分け、全く違和感なく、夕日町というひとつの町を再現しています。

詳しくは是非、豪華版を購入して、メイキングをご覧になって下さい。

「えっ?ここはスタジオ内だったの?」とか「これはスタジオじゃなかったの?」とか「こんな町が今でもあるんだ!」と驚く事間違いナシですよ。

そうして舞台裏を知る事によって、さらに映画への愛着が増すはずです。

メイキング内で触れられている内容は、今回のコラムでは極力省くつもりではいるのですが、若干触れる事をお許し下さい。

特にこれははずせない!と思える事があるのです。

多分この映画で最初に引き込まれたシーンは、誰もがオープニングだったのではと思うのですが、いかがでしょう?

実は良〜く観ないと気付かない些細な事なのですが、オープニングの4分間は一切切れ目がないのです。

ラジオから始まり、掃除する母、子供達の帰宅、テレビのやり取り、遊びに行く子供達、飛行機を飛ばす姿、飛んでいく飛行機、そして東京の大通り、この全てが1つのカットに収まっているのです。

これを1回で撮り切るのは無理なのですが、飛行機が飛ぶまでのシーンは実際に切れ目が無く、何度も取り直したそうです。

何度も取り直す。それだけでも相当な苦労が伴うのですが、実はこのシーンの本当の苦労その後にあります。何があったのかは・・・豪華版に含まれるメイキングをご覧になって下さい。

VFX職人でもある「山崎貴」と言う人物のこだわりと、監督としての立場の苦労が、手に取るように判りますよ。

そして、映画というのはたった数分の為にもこれだけの労力と苦労が伴っているという事が、良く判ります。


さてストーリー展開は詳しくは書かないとして、この映画は沢山の涙のポイントがあります。

もちろん涙を誘う為には、まず立派な脚本があり、素晴らしい演技があり、心を揺るがす旋律が必要です。

この映画の素晴らしいところは、その3つがきちんと揃っている上に、どれかが目立ち抜きん出ているわけでない、と言うところだと思います。

バランスがよいのです。

脚本は実際に読んだわけではないので(月刊シナリオ2006年1月号に掲載 現在入手不可)、ここで詳しく述べる事は出来ないのですが、いずれ何らかの形で読む事が出来た時、あらためてコラムに記したいと思います。

以前のコラムでも述べた事があるのですが、笑いと涙のバランスは、感動する映画での重要な要素です。

この映画のシナリオには、それが上手く活用されています。

全部の例を挙げるとかなり長くなってしまうので、あえて例えるなら、笑い・笑い・笑い・ちょっと涙・笑い・笑い・涙・笑い・涙・涙・涙・涙・笑顔って感じでしょうか。

おっと、充分長かったですね(笑)

中でも私が時に気に入っている二つのシーンをここで紹介させて下さい。

迷子の二人が戻ってきた直後、六子が突然お腹を抱えて倒れます。

私は初めて観た時、年頃だから初潮を迎えてみんなで温かく見守ると言う展開を期待していたのです。

実際はどうでしょう?

腐ったシュークリームを食べての食あたりでした。

見事に期待を裏切られました。

しかし、この「裏切り」が心地良い笑いをもたらすのです。

次は、詫間先生の家庭の話。

酔った詫間先生がお土産を抱えての帰宅。温かい家庭がそこにあったと思いきや空き地で爆睡。映画館ではちょっとした笑いが起きました。

そして帰り着いた家はもぬけの殻。一人の寂しい暮らしが待っている。で、さっきまで一緒に呑んでいた夕日町の住人がポツリと呟くのです。

「もはや戦後ではないか・・・」

そう、家族は空襲で焼け死んで、とうに亡くなっていたのです。

ちょっと可哀想になった人はここで涙しますが、実はこのシーンが後の伏線になっています。

サンタクロースが淳之介にプレゼントを持って来るシーンは印象的でしたね。淳之介は地球がひっくり返る程の大喜び。

その後、一杯飲み屋で茶川が落ち合ったのは詫間先生でした。そう、サンタは詫間先生だったのです。

自分の子供へは永遠にプレゼントをあげる事が出来ない、詫間先生が、です。

人の為に尽くすその姿に、私は熱いものが込み上げました。

現代の世の中に足りない「優しさ」を見せつけられた気がします。


さて次は演技です。私が注目しているのは3人。

まず主人公である茶川を演じた吉岡秀隆さん。

頼りなさと情けなさを見せながらも、時に真剣に、時にコミカルに、人間の感情の起伏を上手く表現していると思います。

中でも、一見大げさに見えるリアクションは特筆すべき事柄です。

吉岡秀隆さんは、幼少の頃から様々な映画・ドラマで活躍されているのですが、その長い俳優活動で、殆どを一緒に過ごした(競演した)人がいるのです。

そう、日本人の誰もが知っている、あの寅さんです。

この映画の中では、その寅さんである俳優「渥美清」へのオマージュが多々感じられるのです。

これは単に私が感じているだけでなく、実際に吉岡秀隆さんとお付き合いのある方も言っておられました。

そして私には、この映画が俳優「吉岡秀隆」の大きな分岐点になるのではないか?と期待しています。

それからもう一つ気になる事があるのですが・・・山崎貴監督が、どうやってこの映画の出演を口説いたのか、です。

実はここに、この演技の大きな秘密がある気がしてならないのですが・・・

さて残りの2人は脇を固める女性陣です。鈴木オートの社長夫人(笑)を演じた薬師丸ひろ子さんと、青森から上京した六子を演じる堀北真希さんです。

薬師丸ひろ子さんと言えば、私たちの世代が知っているのはアイドルとしてでした。

女優をしながら歌もこなす、そんな姿を見て育ったからです。

しかしこの映画ではどうでしょう!母親の暖かい心を、表情と仕草で見事に演じきっています。

私が観た映画館では、薬師丸さんの演技が特に笑いを誘っていました。

初日の1回目、しかも舞台挨拶がついたプレミアものの上映だったのですが、そこに薬師丸ひろ子さんの姿はありませんでした。

もしここにいたら・・・初めてテレビを囲むシーンで全ての住人の熱中し感動する姿が、映画のスクリーンを観る人に置き換えて薬師丸さんに見てもらえたかも知れないのに・・・残念でなりません。

話がちょっと逸れてしまいましたね(笑)

堀北真希さんと言えば、シリアスな役や、ホラー映画など、どちらかと言えば暗い役ばかりが目立っています。「野ブタ。をプロデュース」の小谷信子役などの印象が特に強いからかも知れません。

でもこの映画ではどうでしょう?

実にコミカルなのです。コメディエンヌなのです。

集団就職で1人上京したと言う暗い背景があるのに、前半の各シーンではしっかりと笑いを誘っています。

襖越しの喧嘩のあとでさえ、です。

これはもう、演技の枠を越えた彼女の魅力のひとつではないでしょうか?

実は先日、とある深夜番組を観ていてたまたま堀北真希さんがゲストだったのですが、これが面白かった!

バラエティ番組にも通用する、そんな魅力が十分発揮されていました。

しかし基本である演技がしっかりしているから、その魅力が発揮されるわけで、大晦日に鈴木家の前で見せる涙を堪えるシーンでは、演技の基本がしっかり出来ていることを見事に証明しています。


さて、最後の要素、音楽ですが、この映画の音楽は佐藤直紀さんという方が手掛けられています。

名前はあまり知られていませんが、代表作を挙げると、実は身近に聞いていたと言う事が分かるかと思います。

TVでは「ウォーターボーイズ」「H2」「海猿」最近では「トップキャスター」

アニメでは「交響詩編エウレカセブン」「ふたりはプリキュア」等々。

CM音楽も多々手掛けています。

私は音楽や映画を学校で学んだわけではないので、詳しい解説は出来ませんが、このサントラは幾つかの主な旋律のアレンジを変えて各シーンの音楽としています。

そしてひとつの手法として、すり込みが行われている、と私は思います。

ラスト45分の展開を例に取ると、判りやすいでしょう。

ある旋律を「涙」のシーンに持ってきます。

ここで涙するわけですが、その後の重要なシーンで、大きな展開が起こる前に同じ旋律が流れる事によって、その涙を身体が覚えているわけですね。

「指輪」のシーン、涙した人も多かったでしょう。ここで流れる旋律は、後に、六子が母親の手紙を抱きしめるシーン、淳之介の手紙を読んで涙する茶川、そして東京タワーを眺めるラストシーンに使われています。(実は最初の4分間もそうなのですが・・・)

どうです?言われないと気付かない些細な事ですが、こうした手法を用いて映画を盛り上げているのです。

あなたも見事に、はまりませんでしたか?

恐らくラスト30分は、涙に継ぐ涙だったのではないでしょうか?


この映画の印象的なラストシーンは、茨城県のとある河川敷で撮影されています。

撮影はこの日しかない、と言う状況の中、あの夕焼けは奇跡的に取られました。

幾つかの背景を消すという手直しはありましたが、あの夕焼けは本物の夕焼けなのです。

私は何とかこの場所を探して、これまでに3度程訪れたのですが、未だにあの夕日には出会していません。

いかにこのシーンの撮影が奇跡的で、運命に導かれていたか、私は身をもって体験しました。

そしてこの奇跡と運命が、沢山の技術や演技の苦労、そして製作に携わった全ての人の努力を、後押しして、空前の大ヒットを生み出したと、私は信じて疑いません。


まだまだ書き足りない事が山程あるのですが、既に相当長くなってしまったので、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

いずれまた、シナリオを読んだ後で続きを書く、という事でお許し下さい。


さて次回は、最近賛否両論のスピルバーグ監督「A.I.」をお贈りしたいと思います。

なるべく早く書くよう努力しますが、多少の遅れはお許し下さい。


それでは、また!


2005年 日本映画133分

監督・VFX          山崎貴

エグゼクティブ・プロデューサー 阿部秀司 奥田誠治

プロデューサー         安藤親広 高橋望 守屋圭一郎

ライン・プロデューサー     竹内勝一

原作              西岸良平「三丁目の夕日」

脚本              山崎貴 古沢良太

音楽              佐藤直紀

主題歌             D-51「ALWAYS」

撮影              柴崎幸三

照明              水野研一

録音              鶴巻仁

美術              上條安里

装飾              龍田哲児

VFXディレクター       渋谷紀世子

編集              宮島竜治

音響効果            柴崎憲治

助監督             川村直紀

制作担当            金子堅太郎

出演 吉岡秀隆 堤真一 小雪 堀北真希 もたいまさこ 三浦友和(特別出演) 薬師丸ひろ子

2006年6月16日金曜日

スターシップ・トゥルーパーズ

いかがでしたか?この映画。

単なるSF戦争物の娯楽映画として捉えると、非常に良くできて面白い作品として観られると思います。

現に日本国内での興行収入は約11億円。「タイタニック」の大ヒットに湧き、ほぼ同時期に「エイリアン4」が上映されていたことを考慮しても、健闘した部類に入ります。

しかし私は、この作品を面白いと思いながらも、心の奥底では否定しています。

その理由を語る上で重要なのは、原作の存在。

「宇宙の戦士」

本国アメリカでは1959年に刊行、日本国内ではハヤカワ文庫から現在も発売されている400ページ強の小説。

軍に所属した経験がないものは、正式な市民権を与えられない未来の地球。戦争という大きな過ちを繰り返した上で地球人類が選んだ道は、人種や性別の差別はないが、社会主義が勝利し世界を統一した世界。

主人公リコは、参政権などを持つ市民より格下の一般市民である両親の反対を押し切り志願。様々な戦闘と修羅場をくぐり抜け成長していく過程を、主人公の視点から描いた異色青春もの。

戦争肯定の作品と思われがちですが事実は違うところにあると私は思います。

「戦わなければ平和は守れない」のです。人を傷つけたり、血を流さなければ、襲い来る敵の恐怖をはね除けることは無理なのです。

映画でも共通していることですが、戦いという行動でしか示さない相手は全て敵であり、戦いに勝利しなければ平和は守れないし、死を意味しています。

このテーマは小説が書かれた当時だけでなく、人類が知恵を持った時から今現在に至るまで人間を苦しめている大きな問題とも言えます。

この小説を私が初めて読んだのは中学生の時。

戦闘時の孤独の激しさや心の高ぶり、残酷な描写、異性物との戦いはショッキングであり、この小説が訴えようとしていた事柄よりもそちらが優っていたのは事実です。と書きながらも、今現在もこの小説の主題は私には判りません。相変わらず「争うことを避けている」からです。

問題を大きくしない為なら自己犠牲も仕方ない、そんな考えが私を支配していると言えるかも知れません。

ただ、そうは考えながらも、許せないために闘志が込み上げてくることも多々あります。

今の私は、そのバランスの上で成り立っているようです。

書かれてから約50年経った今の世界も、同じバランスの上で成り立っています。

そして「それ」は、常に非常に危うい状態にあるとも言えます。

世界の平和を守っていると思われがちのアメリカも、別の側の視点に立てば敵です。

アメリカがイラクに侵攻してから(世界的には平和の為に戦ったとされていますが、第3者の視点で見れば侵攻が妥当だと思えるのでこの表記になったことをお許し下さい)、今もまだイラクから争いが絶えないのは根本にある問題が解決されていないからでしょう。

その根本の問題とは?

文化や宗教の違い?

それだけではない気がします。

利権の為にテロという言い訳を付けた戦いだから?

それがこの戦争の隠れた大義に思えるのですが、それだけでもないようです。

根本的な問題は、理解し合っていない、理解しようとしない事にあるのでは?と私は思います。

ただこれも、綺麗事かも知れません。

でも今の私は、例えそれが綺麗事でも信じようと思います。

そう、全ては相手を信じなければ始まらないのですから。


さてこの映画「スターシップ・トゥルーパーズ」は、タイトルを始め登場人物、描かれる物語など、原作にかなり忠実に描かれています。特に台詞などは意識してそのまま使用している箇所が多いようです。

主人公リコの恩師であり、後の小隊長であるラズチャックを演じるマイケル・アイアンサイドは、まさに原作イメージ通りの配役であるでしょう。

ここまで書くと、原作に忠実な映画化と思えます。

しかし原作を知るものとしては、見逃せない大切な「もの」が足りないのです。

そのせいで、映画と小説は全くの別物となり、小説を愛する人間にとっては映画が侮辱しているとも思わせてしまうのです。

「パワードスーツ」

人間が機械の鎧を着ることで、単身で戦車部隊をも破壊できるという兵器の名称。

映画の主人公リコが歩兵という設定であるのも、この武器の存在が大きいのです。

話が少し逸れますが、日本でこの小説が刊行されたのは1977年。その際に「スタジオぬえ」の描く挿絵が使用されたのですが、ここで描かれたパワードスーツが今も日本アニメ界に大きな影響を与えています。

この絵こそが、今も派生作品が次々と生み出される、あの「機動戦士ガンダム」のモビルスーツの原点なのです。

私が小説に興味を示し読む切っ掛けとなったのも、実はガンダムの存在でした。

このパワードスーツに包まれた人間の孤独感と恐怖心が小説の重みを増し、戦うことの意味を考えさせる大きな存在になっているから、なのです。

この映画は、その存在を否定していると、私には思えます。

映像化が技術的に無理だったのでは?と思う方も多いでしょうが、それは違います。

巨大なハサミを武器に持つあのバグの映像を見たら判るでしょう。

数百という大群を、さもそこにいるかのように見事に描いているではありませんか。

宇宙での艦隊の雄姿はどうでしょう?

あの巨大な宇宙船を、無数の艦隊で描き、その重量感で緊張をも感じさせられるのです。

人型の兵器が、造れないわけがありません。

では、なぜ描かれなかったのでしょうか?

残念ながら私には判りませんし、知る術もありません。

ただ、そのキーワードは監督にある気がして止みません。


ポール・バーホーベン


主な作品は全て大ヒットして、それこそハリウッドには欠かせない監督とも言えるでしょう。

「ロボ・コップ」「トータル・リコール」「氷の微笑」「ショーガール」

どれも衝撃的な内容で、その当時物議を醸し出したものばかりです。

娯楽を追求しながらも、その影に潜む問題をより鮮明に打ち出し、観る者へと伝えようとする社会派の監督と言えるのではないでしょうか?

原作である小説が書かれた当時アメリカは、冷戦の真っ只中。そして時代はベトナム戦争へと向かいつつありました。

この映画が造られたのは1997年。その企画自体がスタートしたは1991年(パンフレットに記載)。

まさに湾岸戦争が始まったその時だったのです。

弱者を責める国を各国と連合して守るのは正義と言えるでしょう。

しかし正義に名の下に戦争をしたとしても、それは許されるものではありません。

では冷戦はどうだったでしょうか?

ベトナム戦争はどうだったでしょうか?

結局、末端であればある程多くの悲劇と憎しみを生み、負の遺産しか残らなかったとは言えないでしょうか?

オランダ人である監督は、自らもナチスドイツに支配された国に育つ経験があり、その痛みは良く判っているのです。

小説を読んだものにとって、この映画は一見すると原作のテーマと世界観を台無しにした作品に思われるかも知れません。

でも果たしてそうでしょうか?

それだけで片づけていいのでしょうか?


いつでも戦いに走る世界に、「本当にそれでいいのか?」と訴えるその姿勢は、小説にも映画にも共通しているように思うのですが・・・


この判断は、映画を観、小説を読んだその方だけに託したいと思います。

私もこのコラムを書きながら、もう一度読み返そうと引っ張り出してきました。

本はすっかり赤茶けてしまいましたが、その内容は今現在も決して色褪せていないはずです。

多忙な中、何ヶ月かかるか判りませんが、じっくりと読んでみようかと思います。


さて、次回のコラムは前回の予告通り、「ALWAYS 三丁目の夕日」をお贈りします。

映画の内容にも踏み込んで紹介したいので、是非是非ご覧になってからお読み下さい。

現在、絶賛発売中&大好評レンタル中です。

未見の方、買っても損のない映画ですよ!!


それでは、また!

1997年 アメリカ映画128分

監督 ポール・バーホーベン

製作 アラン・マーシャル

脚本 エド・ニューマイヤー

音楽 バジル・ポールドゥリス

出演 キャスパー・ヴァン・ディーン デニース・リチャーズ ディナ・メイヤー マイケル・アイアンサイド 他

スターシップ・トゥルーパーズ

いかがでしたか?この映画。

単なるSF戦争物の娯楽映画として捉えると、非常に良くできて面白い作品として観られると思います。

現に日本国内での興行収入は約11億円。「タイタニック」の大ヒットに湧き、ほぼ同時期に「エイリアン4」が上映されていたことを考慮しても、健闘した部類に入ります。

しかし私は、この作品を面白いと思いながらも、心の奥底では否定しています。

その理由を語る上で重要なのは、原作の存在。

「宇宙の戦士」

本国アメリカでは1959年に刊行、日本国内ではハヤカワ文庫から現在も発売されている400ページ強の小説。

軍に所属した経験がないものは、正式な市民権を与えられない未来の地球。戦争という大きな過ちを繰り返した上で地球人類が選んだ道は、人種や性別の差別はないが、社会主義が勝利し世界を統一した世界。

主人公リコは、参政権などを持つ市民より格下の一般市民である両親の反対を押し切り志願。様々な戦闘と修羅場をくぐり抜け成長していく過程を、主人公の視点から描いた異色青春もの。

戦争肯定の作品と思われがちですが事実は違うところにあると私は思います。

「戦わなければ平和は守れない」のです。人を傷つけたり、血を流さなければ、襲い来る敵の恐怖をはね除けることは無理なのです。

映画でも共通していることですが、戦いという行動でしか示さない相手は全て敵であり、戦いに勝利しなければ平和は守れないし、死を意味しています。

このテーマは小説が書かれた当時だけでなく、人類が知恵を持った時から今現在に至るまで人間を苦しめている大きな問題とも言えます。

この小説を私が初めて読んだのは中学生の時。

戦闘時の孤独の激しさや心の高ぶり、残酷な描写、異性物との戦いはショッキングであり、この小説が訴えようとしていた事柄よりもそちらが優っていたのは事実です。と書きながらも、今現在もこの小説の主題は私には判りません。相変わらず「争うことを避けている」からです。

問題を大きくしない為なら自己犠牲も仕方ない、そんな考えが私を支配していると言えるかも知れません。

ただ、そうは考えながらも、許せないために闘志が込み上げてくることも多々あります。

今の私は、そのバランスの上で成り立っているようです。

書かれてから約50年経った今の世界も、同じバランスの上で成り立っています。

そして「それ」は、常に非常に危うい状態にあるとも言えます。

世界の平和を守っていると思われがちのアメリカも、別の側の視点に立てば敵です。

アメリカがイラクに侵攻してから(世界的には平和の為に戦ったとされていますが、第3者の視点で見れば侵攻が妥当だと思えるのでこの表記になったことをお許し下さい)、今もまだイラクから争いが絶えないのは根本にある問題が解決されていないからでしょう。

その根本の問題とは?

文化や宗教の違い?

それだけではない気がします。

利権の為にテロという言い訳を付けた戦いだから?

それがこの戦争の隠れた大義に思えるのですが、それだけでもないようです。

根本的な問題は、理解し合っていない、理解しようとしない事にあるのでは?と私は思います。

ただこれも、綺麗事かも知れません。

でも今の私は、例えそれが綺麗事でも信じようと思います。

そう、全ては相手を信じなければ始まらないのですから。


さてこの映画「スターシップ・トゥルーパーズ」は、タイトルを始め登場人物、描かれる物語など、原作にかなり忠実に描かれています。特に台詞などは意識してそのまま使用している箇所が多いようです。

主人公リコの恩師であり、後の小隊長であるラズチャックを演じるマイケル・アイアンサイドは、まさに原作イメージ通りの配役であるでしょう。

ここまで書くと、原作に忠実な映画化と思えます。

しかし原作を知るものとしては、見逃せない大切な「もの」が足りないのです。

そのせいで、映画と小説は全くの別物となり、小説を愛する人間にとっては映画が侮辱しているとも思わせてしまうのです。

「パワードスーツ」

人間が機械の鎧を着ることで、単身で戦車部隊をも破壊できるという兵器の名称。

映画の主人公リコが歩兵という設定であるのも、この武器の存在が大きいのです。

話が少し逸れますが、日本でこの小説が刊行されたのは1977年。その際に「スタジオぬえ」の描く挿絵が使用されたのですが、ここで描かれたパワードスーツが今も日本アニメ界に大きな影響を与えています。

この絵こそが、今も派生作品が次々と生み出される、あの「機動戦士ガンダム」のモビルスーツの原点なのです。

私が小説に興味を示し読む切っ掛けとなったのも、実はガンダムの存在でした。

このパワードスーツに包まれた人間の孤独感と恐怖心が小説の重みを増し、戦うことの意味を考えさせる大きな存在になっているから、なのです。

この映画は、その存在を否定していると、私には思えます。

映像化が技術的に無理だったのでは?と思う方も多いでしょうが、それは違います。

巨大なハサミを武器に持つあのバグの映像を見たら判るでしょう。

数百という大群を、さもそこにいるかのように見事に描いているではありませんか。

宇宙での艦隊の雄姿はどうでしょう?

あの巨大な宇宙船を、無数の艦隊で描き、その重量感で緊張をも感じさせられるのです。

人型の兵器が、造れないわけがありません。

では、なぜ描かれなかったのでしょうか?

残念ながら私には判りませんし、知る術もありません。

ただ、そのキーワードは監督にある気がして止みません。


ポール・バーホーベン


主な作品は全て大ヒットして、それこそハリウッドには欠かせない監督とも言えるでしょう。

「ロボ・コップ」「トータル・リコール」「氷の微笑」「ショーガール」

どれも衝撃的な内容で、その当時物議を醸し出したものばかりです。

娯楽を追求しながらも、その影に潜む問題をより鮮明に打ち出し、観る者へと伝えようとする社会派の監督と言えるのではないでしょうか?

原作である小説が書かれた当時アメリカは、冷戦の真っ只中。そして時代はベトナム戦争へと向かいつつありました。

この映画が造られたのは1997年。その企画自体がスタートしたは1991年(パンフレットに記載)。

まさに湾岸戦争が始まったその時だったのです。

弱者を責める国を各国と連合して守るのは正義と言えるでしょう。

しかし正義に名の下に戦争をしたとしても、それは許されるものではありません。

では冷戦はどうだったでしょうか?

ベトナム戦争はどうだったでしょうか?

結局、末端であればある程多くの悲劇と憎しみを生み、負の遺産しか残らなかったとは言えないでしょうか?

オランダ人である監督は、自らもナチスドイツに支配された国に育つ経験があり、その痛みは良く判っているのです。

小説を読んだものにとって、この映画は一見すると原作のテーマと世界観を台無しにした作品に思われるかも知れません。

でも果たしてそうでしょうか?

それだけで片づけていいのでしょうか?


いつでも戦いに走る世界に、「本当にそれでいいのか?」と訴えるその姿勢は、小説にも映画にも共通しているように思うのですが・・・


この判断は、映画を観、小説を読んだその方だけに託したいと思います。

私もこのコラムを書きながら、もう一度読み返そうと引っ張り出してきました。

本はすっかり赤茶けてしまいましたが、その内容は今現在も決して色褪せていないはずです。

多忙な中、何ヶ月かかるか判りませんが、じっくりと読んでみようかと思います。


さて、次回のコラムは前回の予告通り、「ALWAYS 三丁目の夕日」をお贈りします。

映画の内容にも踏み込んで紹介したいので、是非是非ご覧になってからお読み下さい。

現在、絶賛発売中&大好評レンタル中です。

未見の方、買っても損のない映画ですよ!!


それでは、また!


1997年 アメリカ映画128分

監督 ポール・バーホーベン

製作 アラン・マーシャル

脚本 エド・ニューマイヤー

音楽 バジル・ポールドゥリス

出演 キャスパー・ヴァン・ディーン デニース・リチャーズ ディナ・メイヤー マイケル・アイアンサイド 他

2006年6月8日木曜日

スターウォーズ エピソード4・5・6

まずは前々回のコラム「覚え書き」で紹介した、すずきじゅんいち監督作品「秋桜」ですが、発売元のvapの通販サイトに僅かながら在庫があります。もし興味のある方は、お早めにご購入ください。税込3980円となっております。

保存などを考えると本来ならDVDが良いのですが、アメリカからの通販となってしまい購入時の英文等の面倒臭さがあるのと、ビデオと画質が変わらない(むしろビデオの方が良いかも知れません)のでビデオの方をお薦めします。


ここでひとつお断りがあります。

なるべく正確を期する為に、当時の記憶を元にネットや書籍等で調べながら以下のコラムを書いたのですが、一部不正確な記述があるかも知れません。

もしお気づきの方は、コメントの方でご指摘頂けると幸いです。

それではコラム本編に入りましょう。

今回はいっぺんに3作品、しかも後に公開となった特別編も加えると膨大な数の情報量となるので、映画データーは監督・製作・脚本・音楽・主要登場人物だけの紹介とさせて下さい。

詳しいデーターをお知りになりたい方は、ネット上で豊富に出回っているのでそちらを参考になさることをお薦めします。

またストーリーに関しては、知らない人がいない程有名な作品ですので、それぞれの大まかな流れのみを紹介したいと思います。

まずはクラシック3部作の1番目、作品中の歴史順で行くと4番目の作品「新たなる希望」

砂漠の惑星に伯父伯母と共に住むルーク青年が、憧れの宇宙へ飛び立ち活躍・成長していくという物語です。

次の作品は「帝国の逆襲」

劇的勝利を収めた共和国軍が、帝国軍の反逆を受け、一進一退を繰り返しながらそれぞれの運命の歯車が狂っていく様子を描いた物語です。

最後の作品は「ジェダイの復讐」

この副題に関してはちょっとした経緯があるのですが、それは後程DVDの解説を行う時に説明しましょう。

離ればなれになった仲間達がルークを中心に集まり、敵の銀河帝国皇帝とダースベイダーを倒す為、最後の戦いをするという物語。ここには師匠と弟子、そして父と息子の宿命と葛藤が描かれ、クラシック3部作の本題とも言える「絆の物語」を見事に締めくくっています。

ちょっと逸れた話題になってしまいますが、日本で最初にTV放映された「新たなる希望」は私にとって忘れられない内容でした。

今でこそ当たり前に行われている、吹替に有名芸能人を起用すると言う画期的な試みが行われたのです。もちろん、スターウォーズ好きの間では、かなりの不評でした。

それなりに上手く吹替をしていたので、ここでその方達の名前に触れるのは気がひけます。気になる方は検索をしてみてください。ファンの間ではあまりにも有名な出来事なので、きっと見つかると思いますよ。


さてこのシリーズには、ある特徴があります。

それは全6作品の中で、一番最初に公開されたのが4番目の作品であると言うこと。

もちろん本来なら1番目を最初に持って来たかったのでしょうが、1977年当時の技術で制作でき、尚かつ単体でも判りやすい内容のものが4番目の作品であったと言うことから一番最初になったようです。

しかしやはり妥協して諦めた映像なども多かったようで、これが後の「特別編」に繋がります。

ややこしくなる前に、ここでこの映画のいくつか有るバージョンを紹介したいと思います。

まずは最初に公開された3部作。(ただしリバイバル上映時から初作には「a new hope(新たなる希望)」の副題が付きます)

何度かのビデオ・LD化を経て、THX版が発売。これは以前「E.T.」で触れた通り、痛みのあるオリジナルフィルムをデジタル処理し、音声も含めて綺麗にしたものです。

そして1番目の作品(ファントムメナス)の製作決定後、クラシック3部作と呼ばれる4〜6番目の作品に、当時の技術では出来なかったシーンの追加や音声・台詞の変更、新3部作に必要なシーンの付け足しを施した「特別編3部作」が制作されます。

1・2作目()が公開され、3作目(シスの逆襲)の製作も佳境に入った頃、DVDが製作されます。

このDVDの基本は「特別編」なのですが、若干の修正が施されています。

特に有名なのは、6作目「ジェダイの復讐」のラストシーン。フォースになったオビ・ワンとヨーダの隣に立つアナキン・スカイウォーカー(ダースベーダー)が、新3部作の役者に置き換わっているということでしょう。

それからこれは日本だけに該当する事なのですが、6作目の副題が変更されています。

「ジェダイの復讐」から「ジェダイの帰還」に変更になっているのです。

この副題、6作目の製作に入る前に発表された次回作の副題を直訳したものなのですが、その副題がジェダイの騎士にそぐわないという声を受けて、本国などでは発表直後に変更されていたのです。しかし日本では、「復讐」と言う言葉である方が一般ウケするなどの理由でそのままになってしまったとのことです。

ですから、本国では当初の副題「Revenge of the JEDI」のポスターが希少価値も手伝い、かなりの高価格で取引されていたようです。

次に、これは他の大作にも見られるものなのですが、DVDのみの面白い仕掛けがあります。

このシリーズの代表的な特徴として、オープニングでそれまでに至る経緯を流れる字幕で紹介しているのですが、何と吹替版は、ここが日本語に変わるのです。

新3部作の1作目公開当時から劇場やDVDではそのような形になっていたのですが、これは子供達が見ても判りやすい工夫と言えますね。

余談ですが、DVDが普及し始めた頃から、吹替版の上映館数も徐々に増え、無視出来ない存在となっています。

私は時々、吹替版で見たりするのですが、映像に集中出来る利点は見逃せませんね。

吹替に抵抗のある方も、一度ご覧になることをお薦めします。


この映画と、監督ジョージ・ルーカスは、日本と深い関わりを持っています。

まず、監督のジョージ・ルーカスと言えば、コッポラ監督やスピルバーグと共に後期の黒澤映画を支えた人物です。その縁かどうかは判りませんが、オビ・ワンの当初の配役は三船敏郎さんだったのです。

この映画の中にも、日本の影響が色濃く反映されています。

まず、主人公ルークの着ている服装は、空手着によく似ています。ライトセーバーも、西洋の刀と言うよりは日本刀に近い印象を受けます。ダース・ベーダーや敵兵のストームトルーパー(白い兵隊)のマスクや衣装も戦国時代の武将達の鎧甲に似ています。

ルークの師匠ヨーダの名前は、日本映画の脚本を書かれていた依田義賢さんと言う方の名字を取ったと言われています(これに関しては監督は否定しているようですが、接点はあったようです)

そして忘れてはいけないのが、共和国の騎士「ジェダイ」の由来。「時代劇」から取ったという説もあるのです。

もう一つ忘れていました。

物語自体が、黒澤監督の「隠し砦の三悪人」からヒントを経たとも言われていますね。

どうです?かなり日本と深い関わりがあると言うことが、ここで判ったでしょうか?


この映画が公開された1977年から1983年と言えば、まだCGが映画には使用されていなかった時代。

(「トロン」と言う例外はありますが・・・)

当然、実在しないものは実物大のセットを造ったり、ミニチュアを造ったりと、かなり手間のかかっていました。

手間がかかったのはそれだけではなく、例えばものを浮かせる為に合成などが施されるのですが、その合成も今から比べると決して満足の出来るものではありませんでした。後の特別編で合成が修正されていることからも伺えます。

それ故の「苦労」のシーンも多々発見することができます。

例えば、小型の宇宙船がゆっくりと浮上するシーンなどはその宇宙船をが画面からはみ出すような枠で写されています。これは恐らく、横からフォークリフトのようなもので持ち上げているのでしょう。

「帝国の逆襲」の雪の中での戦いに出て来た四足歩行の兵器は、コマ撮りです。

とてつもない時間と手間がかかっているおかげで重量感のある仕上がりを見せていますが、これも今なら間違いなくCGでしょう。

しかし面白いもので、それらの欠点を「味」として生かせるものは、後の特別編でもそのままの素材で使用されています。

四足歩行の兵器や、ヨーダなどのパペット類などがその代表です。


そんな様々な苦労と制約の上で成り立っていたスターウォーズシリーズですが、新3部作では状況が変わります。

潤沢な製作資金と、ルーカスの映画で育ち、望んで集まった才能ある様々な人材、技術の進歩。

ほぼ全編に渡ってCGが使われ、役者は何もないスタジオで見えるように演技するという弊害も生まれましたが、とにかくその完成度たるや、最高と言っても過言ではありません。

一方、そんな新3部作をアニメーション映画と揶揄する人も居ますが、私はそうは思いません。

現実では存在しないものを、さもそこにあるかのように見せて、実在する人物と合成しているのですから、人間以外がCGだとしても、それは実写映画だと言えると思います。

新3部作のオープニングでも前シリーズ同様、配給会社20世紀FOXのロゴが表示されますが、これは「配給」しているだけと言うのも意外と知られていない事実です。

実は、クラシック3部作1作目の撮影前に、ある契約をルーカスは交わしていたのです。

「続編の権利と商品化・出版権の取得」

これは先見の明があったと言えます。

この莫大な売り上げがルーカスの会社を潤し、膨大な予算のかかるはずである新3部作の映画製作資金になったのですから。

そう、スターウォーズ・シリーズは、世界最大・最高ヒットのインディーズ映画なのです。


この映画で忘れてはならない、もう一人の存在があります。

それは、全6作に渡って音楽を造った作曲家ジョン・ウィリアムスです。

名前を知らなくても、絶対にどこかでその音楽を耳にしたことがある程、有名な作曲家です。

「ジョーズ」「スーパーマン(旧シリーズ)」「未知との遭遇」「E.T.」等々。

映画以外でもオリンピックのテーマ曲なども書かれています。

そしてジョン・ウィリアムスの名を、映画音楽を気にしない一般人にまで知らしめたのがこのスターウォーズだと言うことも見逃せません。

それまで映画音楽と言えば、映画のおまけのような存在でしかなく、時々盛り上げる為の飾りでした。

しかしスターウォーズは違います。

主人公の気持ちを表したり、激しい戦いを気持ちまでも助長するような荒々しい旋律だったり、コミカルな動きに対しては優しさの漂う旋律だったり。

映画を見るものの気持ちを音楽で表現し、観る者の心を操っているのです。

スターウォーズ以降、映画音楽の扱いが変わったと言えます。

私が個人的にこのスターウォーズの音楽が好きな理由のひとつに、エンドロールに流れる組曲があります。

皆さんはミュージカルなどの舞台をご覧になったことはありますでしょうか?

終わった直後に、その興奮を冷めさせないような賑やかな旋律で始まり、登場人物の紹介をしながら、全編で使用された音楽をつなぎ合わせ、様々なシーンを思い起こさてる手法です。カーテンコールと言われるものですね。

そして最後に壮大な終わり方をして、興奮そのままに後への期待を繋ぐ効果をももたらしています。

画面に出てくるのは文字だけですが、観客の心の中には、ミュージカルのカーテンコールのように登場人物が浮かんでくるのです。


さてあなたは、クラシック3部作の中ではどれがお気に入りでしょうか?

私は2作目である「帝国の逆襲」です。

物語の合間という難しい位置にありながら、登場人物それぞれの苦悩を表現し、どん底まで描きながら、次への期待を匂わせている、そんなところに惚れています。

同様に、新3部作も2作目が好きです。

あなたはどれがお気に入りですか?


さてさて、他にも書きたいことは山程あるのですが、いずれ新3部作を紹介する時まで取っておくこととします。


さて次回は、異色SF映画「スターシップ・トゥルーパーズ」を、原作との違いにこだわって紹介したいと思います。

それから、その次の予告もここでしておきます。

昨年の邦画の大ヒット作「Always 三丁目の夕日」です。

この作品に関しては、6月9日に発売&レンタル開始となります。

様々なネタバレを含んで書きたいと思いますので、是非是非ご覧になってから望んで下さい。


それでは、また!!


スターウォーズ エピソード4 新たなる希望

1977年(特別編は1997年) アメリカ映画121分(特別編は126分)

監督・製作・脚本 ジョージ・ルーカス


スターウォーズ エピソード5 帝国の逆襲

1980年(特別編は1997年) アメリカ映画124分(特別編は129分)

監督 アービン・カーシュナー

製作 ゲイリー・カーツ

脚本 リー・ブラケット ローレンス・カズダン


スターウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還(初版・特別版劇場公開時邦題は「ジェダイの復讐」)

1983年(特別編は1997年) アメリカ映画132分(特別編は136分)

監督 リチャード・マーカンド

製作 ハワード・カザンシャン

脚本 ジョージ・ルーカス ローレンス・カズダン


音楽 ジョン・ウィリアムス

出演 マーク・ハミル ハリソン・フォード キャリー・フィッシャー アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー フランク・オズ アレック・ギネス ピーター・メイヒュー イアン・マクダミード ビリー・ディー・ウィリアムス 他

2006年5月28日日曜日

グランブルー(グレートブルー完全版)

海の近くに住んでいながら、実は海のことを殆ど分かっていない私にとって、この映画は癒しでした。

海の映像は、それは居心地が良く、最初の数回は途中で寝てしまい結末が分からなかった程です。

眠ってしまったと言っても、つまらないと訳ではないですよ。

宝石のように美しい海の映像と、ゆっくりと進む物語にすっかり癒されてしまったと言うことです。

海は、それ程までに疲れを癒し、ひとの心を優しくしてくれるのですね。


物語は主人公ジャックとエンゾの少年時代から始まります。

ギリシャの海は、ジャックの父の働く場所であり、ジャックにとって海は当たり前の存在でした。

無口な海の男に一人で育てられ、同じ血が流れているジャックは、もちろん言葉少な。

貧しい生活に慣れた彼は欲もなく、人と争うことは望んでいません。

一方、そんな彼の前に表れたエンゾは、親分肌。常に自分が一番で、ライバルが出現すれば実力でのし上がろうとする少年。

ある日の出来事です。海に沈む硬貨を見つけたジャックを制し、エンゾは俺が取ってくると潜り、ほんの数秒で取って上がってきたのです。

エンゾはジャックにも硬貨を貰う権利があると言い、俺より早く取ってこれれば譲ろうと潜ることを勧めるのですが、ジャックは「君が一番」と消極的。

鼻高々に、少年達を連れてその場を去っていくエンゾの姿。一方のジャックは、海に潜り、海を楽しむことを日課としていました。


そんなある日、不幸は突然訪れます。

父の漁を手伝うジャックの前で、潜水用具の不具合から父は溺れて死んでしまいます。

偶然近くに居合わせたエンゾにとってもショックでした。


それから時は流れ、いつしか二人は大人へ。


エンゾは相変わらず海を生業として活躍。しかも潜水の世界選手権のチャンピオンとなっていました。

幼い日々のライバル心は、どん欲にも健在だったのです。

解体作業中の事故で傾いたタンカーから人を見事に救出し1万ドルを手に入れますが、生活は至ってシンプル。オンボロの車に乗って、弟を子分のようにいつも連れて歩いています。

そしてチャンピオンになった彼には、やるべき事が残っていました。

少年の日に、叶わなかったライバルとの勝負の決着、行方の知れないジャックを探すことです。

それは、自分が真のチャンピオンになる為に絶対不可欠なことだったのです。


やがてジャックの前に突然表れるエンゾ。

そしてジャックを追いかけるように転がり込んできたジョアンナとの、友情と愛情の入り組んだ、でも雄大な海に抱かれ静かに流れる時が始まります。


さてここから先は大いにネタバレしながら物語の説明をしますので、映画をご覧になっていない方は読まれないようお願い致します。


物語の中盤から、ジャックとジョアンナの恋が始まります。

初めは純粋な恋愛でした。

好きである表現が、不器用ながらも素直に表れ、普段は口数の少ないジャックがエンゾに怒るなど、明らかに変化も伴っていました。

でも、変化のない海と共に生きるジャックにとって、己の感情の揺らぎは不安でもあり、日々の平穏は時に崩れたりします。

それでも愛するジョアンナ。ジョアンナを愛する気持ちをストレートに感じ、何とか応えようとするジャック。

ジョアンナの愛と、ジャックの愛は、ゆっくりながらも上手くいっているように見えました。

そう、見えただけだったのです。


自由奔放に生きる男達は、わがままで、時に気紛れで、でも一生懸命で、男を愛する女は、自分を捨ててまでも、海のように深い深い愛情で接しなければバランスが取れないのでしょう。


ジョアンナは、一緒になりたいと願っていました。子供と友に、落ち着いた暮らしを望んでいます。

それは、誰にとっても当たり前のことでしょうし、当然の考えです。

でも夢や生きがいを持つ男にとって、時にそれは大きな障害にもなり得ます。

愛に悩むジャック。

それでも海は、優しく向かえてくれる。

一方のジョアンナはジャックに愛を確かめたくなって何度も行動を起こしますが、答を求める時ジャックはいつも海へと消えていきます。

それは逃げているのではないのです。

いつもながらの、当たり前の行動をしているに過ぎないのです。でもジョアンナにはそれが理解出来ない。

エンゾがジョアンナへ忠告したことは、嘘ではなかったのです。

ライバルでもあり、親友でもあるエンゾには、誰よりも分かっていたのです。

ジャックという男の不器用さが。


先行きへの不安が取り巻き始めた生活、それでもジョアンナは彼の元を去ろうとしません。

一度離れて、その辛さを知っていたからでしょう。

一方のエンゾは恋人を連れて故郷へとやってきます。さり気なくですが、実はこれもライバル心の表れなのでしょう。


故郷で記録を樹立し実質チャンピオンになったようなもののジャック。

そして、その記録を何としてでも破ろうとするエンゾ。

そんな2人の近くにいながらも、自分に対する愛情を確かめることしかできないジョアンナ。

3人の経験する2度目の世界選手権は、3人の関係に大きな変化をもたらすこととなります。


無謀なまでのエンゾの行動に、他の挑戦者は失神の連続。

しかしジャックはいとも容易く、その記録を打ち破ります。

これがジャックの真価なのです。

そしてついにエンゾの無謀な挑戦がピリオドを向かえることとなります。


これ以上の競技続行は無理と判断した博士の提言で、競技が中止へと追い込まれるのです。

エンゾは、今まさに練習で潜ろうと構えている瞬間だと言うのに。

エンゾを止められるのはジャックしか居ないと知っている主催者は、ジャックをエンゾの元へと行かせます。

しかしエンゾを良く知るジャックは競技の中止を伝えても、潜っていくエンゾを止めようとしませんでした。

人一倍強いプライドとライバル心を持って、それを生きがいとするエンゾを止めることは絶対に出来ない、ジャックは痛い程そのことを良く知っていたからなのです。

争いたくなくても、エンゾに応える為に大会へ参加したし、記録も塗り替えたのです。

まさに男の友情、です。


沈み行くエンゾにオーバーラップする父の死。

不安は的中し、ジャックは水中へ。

溺れるエンゾを助け上げます。

虫の息のエンゾを救命しようとする人々を払いのけるジャックには、きっとエンゾの人生の終わりが見えていたのでしょう。

ジャックの目を見つめ、微かな声でエンゾは言います。

「俺を沈めてくれ」と。

言葉にはしなかったけれど、エンゾはジャックに近づきたいと、ずっと思っていたのでしょう。その超人的な能力は、自分には備わっていないと分かっていながらも・・・

そう、ただライバル心だけでで潜っていた訳ではなかったのです。

死に瀕する状態になって、初めて海の良さが分かったエンゾは、ジャックにこう伝えたかったのかも知れません。


「深い、深い海の、良さがやっと分かった。お前を越えることは出来なかったけれど、せめてお前の近くにいさせてくれ。」と。


では、エンゾの頼みを涙で断るジャックは、なぜ沈めにいったのでしょうか?


人付き合いの苦手なジャックが、唯一心を許した親友の「最後の」願いを叶える為。

綺麗な言葉で片づけたくはない友情物語ですが、きっとそうだったと思います。


エンゾを沈めた後、瀕死で助けれらたジャックはイルカの夢をみます。

物語序盤、突然襲ってくる父の死も知らずに、ジャックに人魚の話をする男の会話を覚えていますか?

ここでは語られませんが、恐らく、人魚の正体は、死に瀕した時、最後に見える愛する者の姿なのでしょう。

ジャックは一命を取り留めますが、その後も死の恐怖は襲ってきます。

ベットで出血し気絶していたジャックは、ジョアンナに助けられますが、それでも海へ行こうとします。

これ以上の潜水に待ち受けるのは「死」だけなのに・・・


きっと、ジョアンナとの愛に悩むジャックは、本当に愛する者が誰なのかを確かめる為に潜ったのでしょう。

そしてその結末は観ての通りですが、そんな男を許す女の深い深い愛はこういうものだと言いたかったのでしょう。


「私の愛をみてきて」と言う最後の台詞の意味が、この映画と出会って10年目で、やっと分かった気がします。


さて、リュック・ベッソン監督と言えばアクション大作のイメージが強いのですが、実はこの映画のように精細な心を描く作品もあるのです。

そして、私の中では、この作品がベッソン作品のNo.1です。

時が経っても、忘れ去られないベッソン作品は、きっとこの「グランブルー」だと断言出来ます。


今回のコラムは物語の進行に沿って、ネタバレと感想を含んでみましたが、いかがでしょう?

私はジャックのように変化をあまり望みませんが、やはり同じ様な文章ばかりでは皆さんにとって退屈になるかも知れませんしね。

これからも、皆さんを飽きさせないような企画を色々と考えていますので、どうぞお楽しみに!!


さて毎週更新のコラムは今回でいったん終了です。

次回は6月の第2週週末更新を予定しています。

それにはちょっと理由がありまして・・・

次回はあまりにも有名なスターウォーズシリーズより、クラシック3部作と呼ばれるエピソード4〜6を紹介したいと思います。合わせて7時間弱には、やはり時間が必要なのです。

当然コラムにネタバレは必須ですし、いつになく熱い内容にしたいので、まだご覧になっていない方も、過去にビデオで見たよと言う方も、是非是非レンタルDVD等でご覧になって下さい。

よろしくお願い致します。


それでは、また!


1988年フランス映画

監督    リュック・ベッソン

製作    パトリス・ルドゥ

原案・脚本 リュック・ベッソン

撮影    カルロ・ヴァリーニ

音楽    エリック・セラ

出演    ジャン・マルク・パール ジャン・レノ ロザンナ・アークェット 他