2005年3月2日水曜日

男はつらいよ 寅次郎 紅の花

この映画が作られた1995年、日本は未だかつて経験した事のない事件と、未曾有の災害に遭遇しました。

地下鉄サリン事件と、阪神大震災です。

10年経った今でも、テロとも呼べる事件の後遺症に苦しみ、地震で受けた心の傷に悩み続ける人が居ます。

この映画には、決して癒える事のないその苦しみを少しでも和らげる見えない「力」が感じられます。

さて、前回のコラムの最後で、「難しい事は抜きにして、笑って下さいね。」と書きましたが、ここで告白しなければなりません。

最初から最後まで笑おうと心に決めて見始めたのですが、主題歌の流れた直後から泣けてきてしまって、その誓いはいとも簡単に破られてしまいました。

渥美清さんが亡くなられてから、間もなく10年になります。

この「男はつらいよ」シリーズで、こぼれるような笑顔を見せてくれていた「寅さん」の新たなエピソードは、もう決してみる事が出来ない、そう思うと涙が溢れてきたのです。

私ぐらいの年になると、おじいさんやおばあさんが既に亡くなってしまった方も多いと思います。寅さんは、そんな私にとってもうひとりのおじいさんのようなものなのかも知れません。

・・・とは言うものの、私が寅さんを初めてスクリーンで観たのは、なんと遺作であるこの作品「寅次郎 紅の花」だったのです。

こんなに楽しくて、ちょっとほろ苦くて泣ける映画を、どうして今まで観なかったのだろうと悔やみました。

そして映画を観終えた後に、「次回作も絶対にスクリーンで!」と心に誓ったのでした。

しかし翌年の8月、渥美清さんは帰らぬ人となってしまい、そして寅さんは永遠に戻ってくる事のない旅に出てしまったのです。だから私の中では「永遠に結末を迎えられない映画」なのです。

でもそれは決して悲しい事ではありません。

あなたは、親しかった人が亡くなった事がありますか?

もしその人の死に目に会えず、そして葬式にも行けず、しばらく経ってから亡くなった事実を知った経験はありませんか?

私にはありますが、今でもその人は生きているのではないか?と錯覚してしまう事があるのです。

渥美清さんが亡くなったのは変えようもない事実ですが、結末を見せていない寅さんは、私の中では今も続いているのです。

きっと日本のどこかを旅しているんだ、と。


さて本編の紹介に入りましょう。

この映画はギネスブックも認めるシリーズ作品です。

しかしその記録は問題ではありません。

真の価値は、物語の奥底に秘められた「古き良き日本の姿」にあるのです。

例えばこんなシーン。

ふらりと旅から帰ってきた寅さんを囲んで、みんなで夕食後の団らんのひととき。

商売で語り慣れた寅さんは旅の思い出を面白おかしく話し、家族の心を惹きつけます。

何もかも忙しくなってしまった現代に、いつの間にか消えてしまった場面ではないでしょうか?

このシーンを観るたびに私は、今はこの世にいないおじいさんやおばあさんと共に夜食を食べながら色んな話を聞いた事を思い出します。

それからこんなシーンはどうでしょうか?

つまらない事から、身内であるおいちゃんやおばちゃん、隣の工場のタコ社長と取っ組み合いの喧嘩。

でも次に会う時には決して根に持つ事もなく、親しく語り合える。

素晴らしい絆だとは思いませんか?

喧嘩をするほど親しいという言い方もありますが、裏を返せば、喧嘩をしても壊れない絆を築くだけの付き合いが普段からあるという事なのです。

近所に住んでいる人の名前さえ知らない、そんな世の中になりつつある現代では、夢のような世界かも知れません。

だからこそ人は、この「男はつらいよ」に憧れ、笑い、涙するのでしょう。

「結末のない映画」になってしまいましたが、永遠に続きを観る事が出来ないのは、もっと辛い事かも知れません。

そんな私たちに出来る唯一の対処は、過去を振り返ってこの映画を見続ける事だと思うのです。

「あの頃はこんな時代だったな」とか「この場所にもう一度行ってみたいな」とか、そんな些細な事で構いません。そうする事によって、この映画の価値は素晴らしいものになるのです。

もちろん造られた時から素晴らしい映画であるのは事実です。しかし人々の心に永遠に残る事によって、最高の映画になると、私は思うのです。

「寅次郎 紅の花」はそれまでの作品と、ちょっと感じが違います。それは病気が進行して酷い体調にもかかわらずキャメラの前に立ち続けた渥美清さんがそう感じさせているのかも知れません。

しかし私はそれ以上に監督の「やさしさ」を感じるのです。

寅さんのマドンナ役は、浅丘ルリ子さん。男はつらいよでの出演は4回目となります。そして全て同じ役、準主役で登場します。どの作品でも、いいところまで行くのですが最後には別れてしまいます。

ひょっとしたら寅さんと結婚出来る唯一の存在だったのかも知れません。

ひょっとしたらこれが最後の作品になるかも知れない、監督の心の中でそう思っていたのかも知れません。

だからこそ、最後の作品のマドンナは浅丘ルリ子さん演じる「リリー」だったのではないのでしょうか?

一方で、寅さんの甥である満男の恋の行方も描かれています。

こちらの相手役は後藤久美子さん。この数年後、レーサーと結ばれて日本から離れてしまいました。

こちらの恋の行方もハッキリとした形にはなりませんでしたが、ひょっとすると渥美清さんが生きていたとしても満男と結婚するまでは描かれなかったかも知れませんね。

その両者の恋の行方を絡めて進む物語に、私は監督の「人としての温かさ」を感じるのです。

現に何度もこの「紅の花」を見ていると、寅や、リリーや、満男や、泉、それぞれの気持ちが痛いほど伝わってくるシーンが必ずあるのです。

そこで不覚にも涙を流してしまいます。

いや、「不覚にも」という表現は適切ではないですね。「寅さん」らしくありませんし。

定番で笑わせつつ、人情で涙する、そんなところに私は惚れています。そしてすっかり魅せられているのです。

それが「男はつらいよ」なのですから。


さて、3年ほど前にテレビ東京系で48作一挙放映という企画があり、約2年掛けて全ての作品を放映し終えましたので、久しぶりにご覧になった方も結構いらっしゃるのではないのでしょうか、そしてもしかしたら初めてそこで「寅さん」を知った方もいるのではないでしょうか?

久しぶりの方も、初めて観た方も、面白いと感じましたか?もしそう感じて頂けたなら、近所のレンタルビデオ店で構いませんので、他の作品にも目を通してみて下さい。

48作品の中に、きっとあなたの心に永遠に残る素晴らしい物語があるはずですよ。

ちなみに私は、渥美清さんが亡くなった直後、第1作目から順番に見始めて約3ヶ月かけて全作品を観終えました。もちろん、すっかりはまってしまって、中には10回近く観ている作品もあります。

お気に入りの作品についても書きたいのですが、それはいずれこのコラムでじっくりと。


最後に寅さんの豆知識を。

主要登場人物は全て同じ人が演じていると思われがちですが、実は違います。

例えばおいちゃん。下條正巳さんは3人目。森川信さん、松村達夫さんに継いで演じています。それぞれにそれぞれのおいちゃん像があり、どれも魅力的であります。

それから満男。吉岡秀隆さんは2代目。でもこちらはすっかり定番ですよね。出演当初小学生だった吉岡秀隆さんも今ではすっかり日本映画の顔。どこか頼りない雰囲気を見せながらも、日本人の良き姿を見事に演じています。

そうそう、忘れてはならないのは監督です。

全作品、山田洋次監督と思われがちですが、実は違うのです。

脚本に関しては全作品ですが、監督は46作品のみ。

3作目である「フーテンの寅」は森崎東監督。

4作目である「新・男はつらいよ」は小林俊一監督。

それを頭の隅に置いて観ると、ちょっと雰囲気が違う事に気づくでしょう。


今回はいつになく長くなってしまいました。

でもこれも「寅さん」に対する愛情の表れですので、動かご勘弁を。


さて次回ですが、最近のハリウッド映画の主流になりつつある「実話映画」の王道とも呼べる作品、

「ロレンツォのオイル」

をお贈りします。

映画自体はあまり有名ではありません。恐らくご覧になった方は少ないかと思います。

しかしその物語は、ここ最近もいくつかのTV番組で紹介された事もあるので、もしかしたら皆さんの心の隅に残っているかも知れませんね。

DVDは発売されましたが、期間限定出荷だったようで店頭在庫のみとなっています。レンタル店も大きな店でないと無いかも知れませんがレンタルビデオ・レンタルDVDともに過去に出荷されています。

非常に重たい内容ですが、きっと心洗われる秀作です。是非ご覧になって下さい。

それでは、また。


1995年日本映画 107分

原作・監督 山田洋次

音楽    山本直純 山本純ノ介

出演    渥美清 浅丘ルリ子 倍賞千恵子 吉岡秀隆 後藤久美子 下條正巳 三崎千恵子 夏木マリ