2007年10月7日日曜日

M:I:3(ミッション:インポッシブル3)

10月に入って、やっと秋らしくなってきましたね。皆さん、体調はいかがですか?

私は風邪を引く事もなく、絶好調。ちょっと腰が痛いですが、これは職業病みたいなものと思っています。

さて、先々週に続いて土曜日の予定も大幅に狂ってしまい、結局本広監督の舞台は観に行けませんでした。

そのチケットは映画に詳しい知人に譲ったので、ひょっとするとそちらで作品を紹介していただけるかもしれません。その際にはこちらのHPでお知らせ致しますので、よろしくお願い致します。


この直前の「おしらせ」からずいぶんと時間が空いてしまったのには理由があります。

勘の鋭い方は、空いた時間から推理して既にお気づきかもしれませんね。

そうです。昨晩「フラガール」が地上波初放映されたのです。

既に10回以上見ているにもかかわらず、結局最初から最後まで観るはめになってしまいました。

途中に何度もCMを挟んで、感動の度合いが薄れるかな?と心配していたのですが、無駄でしたね(笑)

いつもの場面で、涙がポロポロ。

そしてラストでまた幸せな気分を味わう事が出来ました。

ところで皆さんは、「フラガール」のどの場面で泣きますか?

私は山程あります。

まず早苗とガールズとの別れの場面。まどか先生の一見素っ気ない態度が逆に涙腺を刺激して、早苗の台詞でポロポロこぼれてしまいます。

それからその直後、紀美子と早苗の「じゃぁな!」だけの別れの場面。分かり合う親友はこれで成立してしまうんだな、と思いつつも涙。

次は小百合の父の訃報を知らされる場面。

自分の父ではないと言い聞かせる為に、手鏡を見ながら必死に笑顔を作ろうとしている複雑な表情。

あの演技にはすっかり引き込まれてしまいました。

次に「踊らせてくんちぇ」の台詞。手鏡に続いてのダブルパンチで、もうボロボロです。

それから七坑区世話所に戻って、父の死を聞かされた直後の小百合の絶叫に近い嗚咽。

ダメですねぇ・・・思い出しただけでも涙が出てきそうで。

えっ?小百合ばっかり?しずちゃんに恋をしているのか?って?


そうかもしれませんね(笑)


それはともかく、しずちゃんの演技は素晴らしいと思います。そしてほぼ素人に近い彼女を起用し、ここまで引立てた監督に敬意を表します。

最後は「ストーブ、貸してくんちぇ」の台詞。なんででしょうね、なぜだか涙が溢れるんです。

母娘の計り知れない愛情と言うか、一山一家の絆の強さを感じると言うか・・・

そのロケ地を訪れた事を差し引いても、ここはかなりのお気に入りのシーンです。


だいぶ脱線してしまいましたね。そろそろ本題に戻りましょうか。


今回お贈りする「ミッション:インポッシブル3」(以下 M:I:3)は世界各国で大ヒットを記録しているシリーズ作品の第3弾です。前2作はTV放映もされているので既にご存知だとは思いますが、ここで簡単に前2作の紹介を。

1作目は巨匠ブライアン・デ・パルマを監督に迎え、それまでのスパイ映画に敬意を払いつつも迫力あるアクションシーンを取り入れた正統派スパイ映画。

2作目はハリウッドで大成功をおさめた監督ジョン・ウーの映画への美学を取り入れ、それまでとは180度違った切り口のアクション大作。「それじゃスパイじゃないだろう?」と言う突っ込みも多くありました。けれど私は、アクション娯楽作品として非常に好きな作品です。

両作品でのスパイの描かれ方があまりにも違いすぎる為に、1作目は好きだが2作目は嫌い、と言う拒絶反応を生んでしまった原因でもあります。このあたりは国によって違いますが、「M:I:3」の各国での興行収入にも影響していると思われます。

でも、どれが好きかと聞かれると、私はやはり1作目です。サントラの使われ方が特に気に入っていますが、他にもいくつか理由があります。あえてひとつだけ挙げると、私の好きな俳優が出演していると言うところでしょうか?


それは誰かって?


こちらをご覧下さい。


両作が世界各国で大成功をおさめ、当然ながら次回作への期待が高まります。

そして何度か監督候補が噂(その中にはジョン・ウーの名も)に流れた後、「M:I:3」が誕生します。


M:I:3」の監督はJJ・エイブラムス。TVでのめざましい活躍を買われ、今回が映画初監督です。

私は未見ですが「ロスト」や「エイリアス」と言う大ヒットシリーズで監督を務めています。

今回、突然この作品をお贈りする事となったので物語の紹介は省きますが、この作品は映画や小説で時々使われる面白い手法を取っています。

これは「現役を引退した主人公」と言う設定が大きく影響していると思われるのですが、オープニングがオープニングではないのです。

まずクライマックスに近いシーンを見せているのです。

思わせぶりな始まりです。と同時に、オープニングで興味を引きつける為にこの映画としては最適だったとも言えます。

アクションがどれだけ派手でも、この作品はあくまでスパイ映画です。例えば、オープニングのあのシーンをカットして、いきなりホームパーティーから始まったとします。それでは全く緊張感に欠けてしまいます。

では、他の大きな事件を持ってくるのは?本編と関係ないシーンは時間の無駄ですよね。

故に、必然的に生まれたオープニングと言えるのではないでしょうか?

もちろん、あれだけの迫力を見せつけられたら、その後の展開が気になって仕方がありません。それだけではありません。そのシーンに到達したとき「そうだったのか!」と言う発見も生まれるのです。

どうです?実に良く考え抜いたオープニングだとは思いませんか?

1時間と言う限られた時間に出来るだけ多くの要素を詰め込むTVで鍛えられた監督が、前2作を意識して、それとは全く違うインパクトを与えたと言っても過言ではありません。


その後は、スパイ映画のタブーとも言える部分に取り組んでいます。

愛のある二重生活です。

愛する人を護りたいが為につく嘘ですが、それが主人公に次々と苦悩を与えます。

「スパイとはクール」と言う昔ながらの図式に挑戦して、スパイを一般人と同じ愛情を持つ人間として描いているのです。

愛がファッションに近い「007」とは対極を成しています。

この恋愛が、物語の最後まで大切な鍵となる訳ですが、と同時にこの映画をつまらないと感じてしまった人へ与えてしまった「隙」でもあるのです。


でもここでよく考えてみてください。

あなたは本当のスパイを見た事がありますか?

もちろん、私はありませんし、皆さんもないはずです。

つまり、スパイ映画に正解はないと言う事です。

あくまでも映画であって、娯楽なのです。

だから、心や愛情は普通の人間として描いていても、決しておかしい事ではないのです。

だからこの「M:I:3」の監督は、それまであまり触れたがらなかったタブーに、あえて挑戦したわけですね。


どうです?


そう思うと、この映画への見方が変わってきませんか?


しばらく前の話になりますが、ある国の諜報機関が職員をネット上で一般公募と言う快挙に出て話題になった事があります。

それまでの「日陰」の存在を否定しかねないインパクトがありました。

様々な番組でその新聞記事へのコメントを放送していましたが、どのコメントにも言えるのは「時代が変わった」と言う内容でした。

侍と時代劇や、ガンマンと西部劇など、過去に存在したものへの印象は変えようがありません。

しかしスパイは今も存在し、現在も世界のどこかでひっそりと活躍しているのです。


となれば、JJ・エイブラムス監督の、恋愛を主軸に追いたスパイ映画も「あり」だとは思えませんか?

ひょっとしたら、主人公イーサン・ハントの様に恋愛に苦悩するスパイが実在するかもしれませんよ・・・


きっとまだまだ続くであろうこの「ミッションインポッシブル」シリーズですが、ひとつ不安な要素があります。

それはトム・クルーズと映画会社の契約の問題です。

これまで強力なタッグを組んで造り上げてきたのですが、様々な問題から契約を更新しなかったのです。

つまり「ミッションインポッシブル」の次回作にトム・クルーズが登場しない可能性が非常に高いのです。

別の映画会社と契約した為に、そちらで造れるかはかなり難しいと言わざるを得ません。

でも私は、必ず次回作は造られると信じています。

トム・クルーズがこの作品の映画化権を取らなければ、シリーズはあり得なかった訳ですし、それ以降の彼の成功もここまで輝かしいものにはならなかったはずです。

だから私は信じたいと思います。

でも、これだけは言えるかもしれません。

出演出来れば、まさにミッションインポッシブルかも?


さて次回は日本映画史に残るSF大作をお贈りしたいと思います。

その作品名は「復活の日」。

原作はSF小説の大御所、小松左京さん。

監督は、今は亡き深作欣二さん。

角川映画が世界を意識して造り上げた、超大作です。

残念ながらこの映画が公開されて27年経つ今でも、同じ脅威が世界を包んでいるのが事実です。

そのあたりを、他の「世界を脅かす脅威」を描いた作品と比較しながら、お贈りして行きたいと思います。


来週には間違いなく更新出来るはずですので、お楽しみに!


それでは、また!!



映画データ


2006年アメリカ映画 125分


製作 トム・クルーズ ポーラ・ワグナー

監督 JJ・エイブラムス

脚本 アレックス・カーツマン ロベルト・オーチー JJ・エイブラムス

音楽 マイケル・ジアッキノ

出演 トム・クルーズ フィリップ・シーモア・ホフマン ミシェル・モナハン ヴィング・レイムス ジョナサン・リス・マイヤーズ マギー・Q ローレンス・フィッシュバーン 他

2007年9月30日日曜日

サイレント・ボイス 愛を虹にのせて

この映画は、一人の少年が起こした行動が世界を変えて行く、と言う物語です。

以前お贈りした「ペイ・フォワード」にも似た作品と言えます。


ご覧になった方が少ないと思われますので、ネタバレをなるべく避け、ご紹介したいと思います。


アメリカのとある地方に住む少年チャックはリトルリーグのエース。彼が投げれば勝利は確実。

彼の父は予備役の軍人で戦闘機のパイロット。チャックはそんな父が大好きで、空に憧れています。

ある日、チャックの友達と父の仲間と共に、手づくりのロケットを打ち上げます。結果は成功。

そのご褒美にと、軍人である父の知人が町に存在する核サイロへと招待してくれます。

期待で胸を膨らませる少年たち。しかし現物を見たチャックは、表情が暗くなります。

「もし人間が正常でなかったらどうなってしまうのだろう?」

その日以来、チャックは不安でたまりません。もし近くで核爆発があったら、人間はあっという間に蒸発。

それが愛する両親や妹だったら・・・

そしてチャックは行動を起こします。

大切な野球の試合で、突然投げる事を辞めてしまったのです。

「核兵器が無くなるまで、ぼくは投げない」と。

周囲は大混乱。しかしそれはほんの始まりに過ぎませんでした。

偶然、新聞の記事を目にしたプロバスケットボールプレーヤーのアメージングは、彼の勇気に賛同します。

アメージングも選手である事を辞めたのです。

そして小さな行動は、やがて世界を巻き込む大きな事件となって広がりを見せて行きます。

はたして、チャックとアメージングの行動の行く末は?


私がこの作品にであったのはレンタル店で働き始めたごく初期の頃だったと思います。

たぶん発売後それほど経たない時期だったはずです。

はずです、と言うのには理由がありまして、実はいつ見たのか記憶が無いのです。

見た事だけは覚えていました。もちろん内容もです。

当時の私に取ってこの作品はきっと、沢山ある映画のうちのひとつだったのでしょう。

「こんな事があったら素晴らしいだろうな」その程度の認識だったのです。

しかし再びこの作品を観終えた今、考えは変わりました。

どんなに難しい事でも行動を起こさなければ始まらない。

どんなに成功する確率が低いと思われる「困難」も、始まりが無ければ「成功」がない、と言う事です。

主人公の少年チャックは「結果がどうなるか分からない」と思いつつも、行動する事を続けました。親友となった選手アメージングもそんな彼を優しく見守りながらも、共に行動する事を続けました。

その姿勢が大切なのです。

時に挫けて、諦める事があるかもしれません。でも、行動を起こす事に意味があるのです。


この映画を既にご覧になった方は、「現代の寓話」と捉える方が多いと思います。

しかし寓話で片付けてしまって良いのでしょうか?

この映画が公開された1987年以降、世界では武器が絡んだ悲しい事件が沢山起きています。

民族紛争から、国同士の戦争、正義の名の下に先進国からの一方的な攻撃、果ては神の名を大儀に掲げ無差別なテロ。

そして悲しいかな、核兵器は未だに無くならず、かえってここ数年で広がりを見せる始末。

この映画が公開された時点で「この映画を現実として捉えよう」と言う心が多ければ、ひょっとすると映画と同じことが起こったかもしれません。

残念ながら、現代の人類は「核兵器の拡散」を止める事が出来ていません。

そればかりでなく、相変わらず国益の駆け引き道具として使っています。

20年間、進歩が無いのです。

それだけでない。

テロリストが台頭する今、かえってマズい状況に陥っているとさえ言えます。

以前紹介した「ピースメーカー」の様な事件さえ、現実に起こりえる可能性が高まっています。


では私たちに、何が出来るのでしょう?


依然とあるTVで、こんな事が紹介されていました。

世界で唯一核攻撃をしたアメリカに、攻撃を受け全身に傷の残る被爆者が、核の恐ろしさを訴えるため各地を回っていると言う内容でした。

以前のアメリカでは、そのような運動を認める程寛容ではなかったようです。非難さえ起こるくらいに拒絶反応を示したようです。

しかしこの数年で、その態度に大きな違いが現れていると言うのです。

ここまで読んだみなさまは、既にお気づきだと思います。

そう「911」のテロが切っ掛けなのです。

それまでの「大義名分」を全て信じ国の行動を疑わなかった人々が、起きてしまってからではありますが、真剣に考え、疑いを持つようになったのです。

そのTVで映し出されたアメリカの学生たちは、目に涙を浮かべ、初めてその残虐さを知ったように見受けられました。きっと、攻撃の正当性は歴史で習ったけれど、その裏側は知らされていなかったのでしょう。


そして私は思いました。

その日感じた気持ちを忘れなければ、きっと残虐な兵器は無くなってくれるはず、と。

例えば、学校でのいじめもそうです。

いじめの切っ掛けはなんであれ、苦しんでいる立場の気持ちを考えて、ほんの少しの勇気を持てば、なくせるはずなのです。


ひょっとすると、まずはそんな小さな事から始めて行かなければならないのかもしれませんね。

私は無宗教ですが、人間はもっと優しくなるべきと常日頃考えています。

時に余計なおせっかいになろうとも、親切等、行動を起こすようにしています。

そして地球上に住む人々の全てが、と行かないまでも、多くの人々がその気持ちを持っていれば、宗教や人種を越え、もっと優しい地球になれると信じています。


どうですか?

あなたはどうおもいますか?


その答えを知る為にも、ぜひこの「サイレント・ボイス 愛を虹にのせて」をご覧になっていただきたいと思います。

と同時に、「ペイフォワード」もご覧いただければ、より深い答えが見つかるかもしれません。


えっ?観るのが面倒くさい?


それじゃ、だめですよ。

全ては行動する事から始まるのですから・・・


さて来週は実際にアメリカで起きた事件を描いた「ユナイテッド93」をお贈りしたいと思います。

多くは語りません。

悲劇の物語です。これほどまでに悲しく、そして勇気とは何かを教えてくれる作品は今まで見た事がありません。

それが実話である事を差し引いても、この作品には観るべき価値があると私は思います。

最近、このコラムでは「紹介編」と「ネタバレ編」に分ける形が多かったので、今回に倣って次回も一回だけのコラムとしてお贈りしたいと思います。

ただ、ネタバレは避けられないと思いますので、是非是非レンタルで構いませんのでご覧下さいませ。

よろしくお願い致します。


それでは、また!



映画データ


1987年アメリカ映画 110分


製作総指揮 ロジャー・M・ロススタイン

脚本・製作 ディビッド・フィールド

監督    マイク・ニューウェル

音楽    エルマー・バーンスタイン

出演    ジョシュア・ゼルキー アレックス・イングリッシュ ウィリアム・ピーターセン ジェイミー・リー・カーチス グレゴリー・ペック 他

2007年9月23日日曜日

秋桜〜コスモス〜(ネタバレ編)

今年の夏は暑かったですね。そして9月もあと一週間となった今日はさすがに平年並みに戻りそうですが、週間予報ではまだ暑い日がありそうな気配。

鹿嶋と言う土地は海に面しているため、この季節になると結構涼しいはずなんですが、日中に眠る生活をしている私は、今年は何度もエアコンのお世話になりました。

しかしさすがにもうすぐ10月。たぶん、この暑さも、後数日の我慢でしょう。


天気次第ですが9月27日~29日の予定で、バイクの旅に出ます。

私はバイクが好きであちこち出かけますが、実はほとんどが日帰り。しかも走りっぱなしが多いのです。

今回の旅の目的は、長年抱いてきた「目標」への序曲。

いつかなうか分かりませんが、私の目標はバイクでの日本一周。しかも原付で。高校時代からずっと思い続けています。

働き続けないと生きて行けない現状では、まとまった時間は無理ですが、こうして一歩ずつ進めていつか目標を達成しようと頑張り続けます。

今回の旅は、以前10日間で本州、四国、九州の最南端を訪れた旅の続きとも言える内容です。

目指すのは、本州の最東端と最北端。岩手県の魹ヶ崎と、青森県の本間です。その後は日本海に抜けてから帰宅するつもりです。

貧乏旅行なので、テントと寝袋、そして自炊用具を積んでの旅となります。

無事に終われば、何らかの形で旅日記を公開するつもりでいますので、お楽しみに。


今回お贈りする「秋桜 ~コスモス~」は、福島県のほぼ中央に位置する町が舞台となります。

造るに至った経緯は前回のコラムで触れているのでここでは割愛しますが、舞台となる本宮町(現在は本宮市)は、安達太良山と阿武隈川に挟まれ、自然と親しくふれあえる土地です。そんな風土が、人々のつながりとこの映画を生み出した、と言っても過言ではありません。

オープニングに登場する公園は、安達太良川と阿武隈川の交わるすぐ近くにあるみずいろ公園と言う施設で、実際に画面に写っている様子そのままに今も親子が楽しく触れ合っている、そんな場所です。

劇中に登場する祭りも、手づくりいかだでの川下りも、行事として住民に親しまれています。

そしてこの映画では、登場する場所や行事だけでなく、商店や高校、病院名等、ほとんど全てが実名で登場しています。

「エイズを巡る周囲の冷やかな反応」と言う、一見すれば敬遠されがちな実名使用も、地域住民みんなが映画のテーマを理解しているからこそ、出来た事なのではないでしょうか?

実際、この映画に出資した人々や企業の数はエンドロール後を観ていただければ分かりますが、その熱意は尊敬に値します。

それだけではありません。

撮影中、映画製作スタッフとキャストは、町民たちが確保した宿泊場所(アパートや空き家、店舗2階の居住部分等)に寝泊まりし、撮影場所の手配や、車両調達、様々な交渉、果ては食事の炊き出し等、スタッフ、キャストを家族のようにもてなしたと言うのです。

まさに、地域住民が一致団結している、素晴らしい町なのです。


この映画には、何度観ても泣けるシーンが3つあります。

一つは、コントを観終え、メロンを切っているシーン。

母の辛さが、演技の枠を越えて伝わってきます。

二つ目は、松下恵さん演じる、園田明子の親友山倉夏実がたった一人で訴える明子の実情。

そのけなげさに、胸を打たれます。

そして三つ目は、明子の死後、病院の廊下で抑える事無く感情を剥き出しに泣く園田清美の姿。

このシーンに関しては、余計な言葉はいらないでしょう。

そして私にとって、この作品は忘れられない名作です。

その理由は先ほどの「地域住民の一致団結」等いくつかありますが、あえてひとつ説明するとすれば「後味」だと思います。

「死」が待ち受ける重いテーマの映画であるのに、観終えた後の後味は決して悪くないのです。

それだけではありません。

明日への活力を貰える、と言えば分かりやすいでしょうか?


それはなぜでしょう?


恐らく、オープニングで見せる主人公、園田明子の笑顔だと思います。

偏見と差別が待ち受けているのが分かっているのに、不安ではなく、常に前を向いて、しっかり生きて行こうとするその姿勢に、心打たれたのです。

そして、そう生きる事に決めた娘を甲斐甲斐しく支える母、園田清美の圧倒的な存在感です。

園田清美を演じるのは、映画だけでなく演劇や歌手等幅広く活躍する夏木マリさん。

この映画では、片親ながらも重病の娘を一生懸命に支え、決して弱音をはかない気丈な母親を演じています。

とにかく、夏木マリさんの存在感がこの映画の全てを調和していると思えるくらいに圧倒的なのです。

そしてその存在感が、観客の思考と化学反応をおこし、涙を誘います。


私の好きな映画のパターンに「笑いと涙の両立」があります。

一見するとこの映画もそれに当てはまるような気がしますが、ちょっと違います。

コントのシーン等は笑わせる事を意識した内容ではありません。重いテーマの中和剤の役割を果たしています。

それからこれはあくまで私の解釈ですが、ひた向きに死と向き合い一生懸命今を生きようとした明子の人生は、観客を笑わせる短い時間の為だけにひたすら極める漫才やコントに似ていると思えるのです。

その意味を、知らしめる為に必要な「笑いのシーン」だったのではないでしょうか?


私がこの映画を初めて観たのは、今は無き「シネ・ヴィヴァン六本木」。1999年に閉館となりましたが、ミニシアターでは老舗だったと聞きます。

なぜ観る事になったのかと言いますと・・・

私の大切な友人がこの映画の少し前、小田茜さんの舞台に出演していたのです。

それまではあまり良く知らなかった女優さんでしたが、その舞台を切っ掛けにちょっとだけ意識して気にするようにしていたのです。

その時、この映画「秋桜 ~コスモス~」のTVCMを偶然目にします。

それが、忘れられない印象的なCMだったのです。

おそらく、日本国内でDVD化されない限りそのCMを観る事は不可能かと思いますが、はかなくも美しい予告だったのです。


映画を観終えた方には、きっとどのシーンか分かると思います。

そう、降りしきる雨の中、明子が訴えるシーンです。

私は今でも、このシーンに勝る美しさを放つ映画を見た事がありません。


終盤の文化祭はクライマックスです。

明子は具合を悪くし参加出来ず、夏実も誹謗中傷に傷つき本来の目的は果たせませんでしたが、夏実の心からの訴えに、観客全ての心が一つになる、と言う忘れられないシーンです。

しかし、実際にこのような状況に面した場合、どうでしょうか?

私は、現代はそこまで美しくないと思っています。

でも、この映画を観た人全てが、他人の辛さと自分の立場を天秤にかけても、他人の辛さを理解し共に涙してくれる、そう信じて疑いません。


さて、中途半端ではありますが、今回のコラムはここで終わります。

この映画に関しては、やはり観ていただかなければ真価を発揮しません。

そして、余計な言葉等で表現しては、かえって映画の価値を下げてしまう気がします。

前回のコラムでも書いた通り、入手が難しい作品ではありますが、ぜひぜひ購入してでもご覧になって下さい。

それだけの価値がある作品だ、と自信を持って言えます。


文頭でも書いた通り、来週末は旅に出ます。

そして再来週末は、本広克行監督が手がける舞台「FABRICA[12.0.1]」を鑑賞するため上京します。

なので2週続けてお休みとなります。

その後のコラムで何を取上げるか、今の段階で決めかねているので、2週間のうちにこのブログ上でお知らせしたいと思います。


それでは、また!



映画データ


1997年日本映画 103分


企画   社団法人もとみや青年会議所

製作   映画「秋桜」製作委員会

     フィルムヴォイス

     日本テレビ放送網

     もとみや青年会議所

     オフォス・マインド

     フォーラム運営委員会

     バップ

監督   すずきじゅんいち

原作   すずきじゅんいち

脚本   すずきじゅんいち

     小杉哲大

撮影監督 田中一成

撮影   奈良一彦

照明   安河内央之

録音   久保田幸雄

美術   稲垣尚夫

音楽   佐村河内守

編集   掛須秀一

助監督  永岡久明

医事監修 山口剛

出演   小田茜 松下恵 夏木マリ 宍戸開 石井愃一 藤田敏八 川内民夫 榊原るみ 宍戸錠 山岡久乃 他

2007年9月16日日曜日

秋桜〜コスモス〜(紹介編)

なかなか涼しい想いをさせてくれない今年の秋ですが、みなさまお元気でしょうか?

私は今月末の2泊3日ツーリングへ向けて体調は万全ですが、相変わらず懐は寒いままです(笑)


さて、泣ける映画に弱い私ですが、先週のコラムがさらに火をつけてしまったようです。

先週書き上げた後に、2回も見返してしまい、もっともっと書きたい事がある事に気づきました。

当然、涙・涙・涙でした。

好きな映画は、何度観ても泣けるんだな、と改めて気づかされました。

この書き足りない部分は、DVD発売後にでも再び「ネタバレ編」としてお贈りしたいと思います。


今週紹介する「秋桜~コスモス~」も、そんな私のお気に入りで、泣ける映画の一つです。


今から40年程前、当時としては画期的とも言えるある手法で撮られた映画が劇場公開されました。

作品名は「こころの山脈(やまなみ)」

出演者には、今は亡き山岡久乃さんや、宇野重吉さん等、日本でも屈指の俳優を配し、製作はあの新藤兼人さんでした。

残念ながら私の手元には全く資料がないので詳しい内容はご紹介出来ませんし、ビデオも存在しないようなので、私も未見の作品です。

その映画は、次の世代を担う子供たちへ母親たちからのメッセージを込めて作られた作品だと聞きます。

「当時としては画期的」と言う表現で文頭に記しましたが、実は現在でもこのような形の映画は珍しく、40年前としては、本当の意味で画期的であり、冒険的であったと言えるでしょう。

その手法とは・・・住民自らの手で資金を集め、地元で映画を撮る事です。

一見するとフィルムコミッションに似ていますが、根本的な部分が違っています。

フィルムコミッションは映画の製作を無償で手伝う活動の事であり、基本的に作品は選べませんが、この手法は自らの手で資金を調達し、望む映画を撮って行くのです。

この手法は「もとみや方式」と呼ばれています。

「もとみや」とは、その映画を作った町の名前。福島県のほぼ中央に位置し、阿武隈川と安達太良山に囲まれた豊かな土地です。現在は合併し本宮市となりました。

なぜこのような説明をするのかと言うと、この「秋桜~コスモス~」がこの町で、しかも同じ方式で撮られた映画だからなのです。

もとみや青年会議所が活動の中心となり、協賛していただける町民や商店の手を借り、ひとつの映画を造った、その結果が「秋桜~コスモス~」なのであります。

この映画は、母親たちの手で造られた「こころの山脈」への答えとも言えるでしょう。

親子の絆が希薄とも言われている現代ですが、このように形として、そして心に訴える作品として、永遠に残り続けるものを造った人々の行動力をうらやましく思い、そして尊敬しています。


ここで簡単に物語の紹介を。

母と共に、祖母のいる本宮町に帰ってきた園田明子には、町を揺るがすある大きな事実がありました。

以前住んでいた南米で、父を失う交通事故にあっていたのですが、その際助かった明子は輸血によりエイズに感染、発病していたのです。

その事実を知っていた親友であり幼なじみの夏実は、再会した時に複雑な心境でした。

小さな町では、情報はすぐに伝わります。

偏見や差別はもちろん。しかし明子と母はめげません。

やがて、常に明るく振る舞う明子の心の影を知った夏実は、その偏見に立ち向かうようになりますが・・・


メガホンを取るのは「マリリンに逢いたい」で一躍有名になったすずきじゅんいち監督。最近は活動の拠点をアメリカに移し、日本とアメリカの架け橋の役割を果たされています。

出演者は、小田茜さん、松下恵さん、先生役の宍戸開さんを始め、夏木マリさん、宍戸錠さん、川地民夫さん、藤田敏八さん、等、日本の映画界を支えてきた名優がそろっています。

そして忘れてはならないのが、「こころの山脈」で主演を務めた山岡久乃さん。主人公、明子の祖母として、この映画の意味をより深く描く為に一躍かっています。


小さな町から始まったひとつの映画の波は、監督や俳優陣だけでなく、放送局まで動かしました。

日本テレビが製作に加わったのです。

小規模ながら、全国での劇場公開にもこぎ着けました。

そして、エイズと共に生きる人々を描く重い内容の為か、口コミでその良さが広がり、劇場公開後も日本各地の公民館や学校等でも上映されたそうです。

「母親たちへの答」だった映画は、こうして全国の人々の胸を揺るがすまでに至ったのです。


今現在この作品を観るには、方法が限られてきます。

手っ取り早いのは、ビデオ販売元であるバップのHPからの購入ですが、在庫は希少のようです。

国内でDVDは販売されていませんが、すずき監督の活動拠点であるアメリカではDVDが発売されていて、海外の通販を利用すれば購入可能です。私もこのDVDを所有しています。

ただ残念な事に、国内販売のビデオを元に映像をおこしているようでDVD画質ではありません。

おまけに海外向けなので、英語字幕が表示されたままなのです。

出来る事なら、国内流通のビデオをお進めします。

もう一つの方法は、借りる事です。

レンタル店での在庫は期待出来ませんが、ひょっとすると図書館等で所蔵している場合があるかもしれません。

いずれにしても、全ての人が観やすい、と言う状況ではありません。

素晴らしい映画だけに残念です。


来週はネタバレ編として紹介致しますので、もし未見の方がいらっしゃいましたら、探すのは大変でしょうが是非作品を観てからご覧下さい。


それでは、また。

2007年9月9日日曜日

河童〜KAPPA〜(ネタバレ編)

みなさま、お久しぶりです。そして、毎度のことながら更新が遅れてしまったこと、申し訳ございません。

例年、8月末から9月にかけては、知り合いが多数関わっている祭りのビデオ撮影をしている為に、私の休日はそちらに関わってしまい、なかなか長い時間を取ることが出来ません。

分かっていながらもなんとか時間を取って更新を・・・と考えていたのですが、私が特に愛する映画の紹介は思った以上にこだわってしまい時間がかかってしまいました。

直前に作品を観直して一気に書き上げる、そのスタイルも崩せないので、こんなに時間がかかってしまいました。

しかしビデオ撮影は無事終了。これから編集作業に入るのですが、これは時間をかけて取り組めるので、今回からは定期的に更新出来そうです。


さて、前回追加情報としてこの作品がとうとうDVD化されることを書きました。

一部のサイトでは予約受付も始まり発売日も価格も決定した模様です。愛する作品が、こうしてみなさまの目に触れる日が近づいたことを、心より嬉しく思っています。

まだ未見の方は、レンタル店でビデオを探しても恐らく在庫を持っている店はかなり少ないと思われますので、今回のネタバレ編は12月5日発売予定のDVDを手にしてからお読みくださいませ。

そして既にご覧になっている方はこのコラムで内容を思い出し、再会出来る年末に、涙するシーンを思い出しつつ、備えて下さい。


では、ストーリー紹介です。


物語はとある写真展から始まります。

世界的に有名な報道写真家の鈴森雄太(以下、雄太)の個展が15年ぶりに日本で開かれます。

世界各国の紛争によって引き起こされる人間の悲劇を撮り続けた集大成である個展。集まる人々と報道陣。

静かな雰囲気の中、主役である雄太がスポットライトに照らされ登場します。

しかしその雰囲気をぶちこわす、わざとらしく響き渡るたった1人の拍手。

拍手の主は戸田勇(以下、勇)。長年離れて暮らしている雄太の息子だったのです。

捨てられた怒りをぶつける勇。事情を把握出来ていない関係者は勇を取り押さえようとしますが、それをなだめる雄太。

と、突然、雄太は苦しみだし倒れてしまいます。

運ばれた病院の病室で、雄太は勇に奇妙なことを言うのです。

「俺は子供の頃な、そこで河童を見たんだ。」

差し出したなぞの球体が、二人を過去へ誘い時は昭和28年へ・・・


少年時代の雄太は、父の故郷であるのに父と共に東京から引っ越してきた為に馴染めずいじめられていました。

父の名は鈴森勇吉(以下、勇吉)。村でただ1人の警察官。親しみを込めて駐在さんと呼ばれていますが、やはりよそ者扱い。それでも頑張る父の姿に、雄太は素直になれません。

二人と共に住むのは勇吉の父、喜助。男ばかりの3人暮らしの為、勇吉は家事を全て行っているので、まわりからのあだ名は女駐在。雄太はそれが気に食わないのです。

でも喜助はなだめます。雄太もじいちゃんである喜助が大好きなので、しぶしぶ従っています。

そんな喜助の話は、雄太も興味津々。特に村にある天神沼の話は。その沼には河童さまがいて村を護ってくれているのだとか。

いじめられている雄太にも、たった1人の親友がいます。克次は村の有力者の息子。

どこへ行くにも2人は一緒ですが、やはりいじめは影を落とします。肝心な時に、克次は助けてくれないのです。それでも2人は親友です。

ある日、村に映画がやってきました。妖怪の映画です。怖がりながらも2人は河童に興味を魅かれて、日が暮れるまで絵を描いていました。喜助の言葉に慌てる克次に雄太はバットを差し出します。

喜助は「守り神だから悪さはしない」と言うのですが、妖怪映画で怖いと思い込んだ克次は、それを自転車に差し込んで帰って行ったのです。

これが悲劇の始まりとも知らずに・・・


物語の紹介はここで終わりますが、これ以降は要所要所を紹介するので、観られた方は恐らく思い出していただけると思います。


この作品「河童」は、私が好む映画の要素を満たしています。

一つは笑いと涙の共存。

以前いくつかの映画で紹介してきたので詳細は省きますが、私はこの手法が泣ける映画での重要な点だと思っています。

親子の絆を描く物語なので主役が直接笑わせる方法はとっていませんが、物語中盤まではちょこちょこっと笑わせてくれています。

例えば坂上二郎演じる村長のしぐさ。天神沼の土手を自転車で走るシーンでの鼻歌や、沼に落ちた時のリアクションは、さすがコメディアンです。

他にも、映画鑑賞中のカップルの仕草等。小ネタ的に登場しています。

二つは音楽とのシンクロ。これはミュージシャンであるカールスモーキー石井と、芸術家である石井竜也の両方を併せ持つからこそ成せる技です。

そのこだわりは随所に溢れていています。

中でも私が特に好きなのは、喜助の亡くなるシーン。そして勇吉が雄太を助ける為に天神沼へ向けてただひたすら走り続けるシーンです。

喜助の亡くなるシーンに使われているのは「ひだまり」と言う楽曲。主題歌「手紙」のシングルにカップリングとして歌詞をつけて収録されていますが、この曲はファンの間でも名曲とされています。

私もこの曲が大好きで「手紙」よりもこちらの方が好きです。それは何度観ても涙するこのシーンが好きだからです。

勇吉が走るシーンには、長い楽曲が使用されています。曲名はズバリそのまま「勇吉、走る」なんと16分弱もあります。普段映画を観る時に音楽にこだわって聞く人は少ないと思われますが、この曲の使い方はとある映画に似ています。

以前紹介したことがありますが、「E.T.」のラストシーンでの曲の使用方法です。

E.T.」では、画面上で起こる出来事と音楽がぴったりとシンクロし、観る者に緊張感を与えています。そして抑揚もつけて、更なる緊張を誘っています。

物語自体も「E.T.」に似ていると言われますが、それは何気なく聴いている音楽の影響もあってのことでしょう。それだけ、映画での音楽とは重要な存在なのです。


音楽のこだわりは映画の隅々まで行き届いていて素晴らしいのですが、それを上回る程に素晴らしいのが、カメラワークへのこだわりです。

ここでは代表的な3つの事象を紹介します。

まずは、空間を意識した構図。

オープニングでの個展の重苦しい空気は、天井から始まり全体を写すカメラの流れが一役買っています。モノクロに近い色使いも、その俯瞰構図を引き立てています。

それから、喜助の死後に事件が続きいらだっている勇吉が、酔いに任せて雄太を叱りつけた後のシーン。

ふて寝をする勇吉から離れるように遠ざかり家の上に広がる夜空を写す流れは、勇吉の孤独と後悔を感じさせます。

次は、光と影へのこだわり。

その前に一つ触れなければなりません。それはこの映画の最大の難点です。

パンフレットに書かれているのですが、当時の技術での暗闇の表現に問題があったのです。

映画館で観る分には分かるとしても、ビデオ化された時にきちんと見えるのか?と言う問題です。

石井竜也監督は「映画館で観る人をまず重要視して下さい」と答えたそうです。

映画への並々ならぬ愛情と共に、あくまでもイメージをそのまま届けようとすることへのこだわりが感じられます。

その結果は、いくつものシーンに繁栄しています。

クマ狩りに出かけるシーン。右手に見える薮を、その後ろからの強烈な光によって引き立て、通り過ぎる村民や勇吉の心情を描き出しています。

天神沼の家事のシーンでは、燃え盛る炎に浮かび上がる芦原の影と雄太の影が、雄太の心細さを描き出しています。

そしてこれは私の最も好きなシーンですが、老人に「村を助けてやってくれ」と言われ縄を解かれた後勇吉が、駆け下りる階段のシーンです。

祭りならではの幻想的な炎の使い方が、村人のいなくなった異様な光景と相まって、勇吉の覚悟を描き出しています。

他にも随所にその光と影へのこだわりが散りばめられていますので、是非DVDを手に入れた際には確認してみて下さい。

そして最後は心情を表すカメラアングルです。

途中に何度か、緩やかに斜めになっているシーンがあったのを覚えているでしょうか?

克次が帰ってこないことを勇吉と話した後の母親のアップ。

天神沼でガキ大将にはり倒された雄太のアップ。

取り壊される家に居座る老人を、無心で写真に収める雄太。

河童し洞爆破に胸躍らせ天神沼に集まった村民たちの遠景。

そして、40年後の再会でのTENと雄太のアップ。

それぞれに、不安や期待、使命感や感動などの心の揺らぎを表現しています。

一見不自然井思われる斜めのカメラアングルにも、こうして意味を込めているのです。

石井竜也監督が、どれだけ沢山の映画を見て、どれだけ多大な影響を受け、どれだけ学んできたのかが、この3つでお分かりいただけるかと思います。


さてこの映画に登場する河童は妖怪ではありません。恐らくは宇宙からやって来た異星人と言う設定でしょう。

波紋のような特殊な能力で、人と交流したりする程の高度な技術を持っています。

しかしその生き様は、約束をきちんと守る義理堅さだけでなく、命を守る為に今手近にあるものだけで装置を作ってしまう等、現代のエコロジーに通じるものがあり、人間よりも遥かに優れた生物であることを物語っています。

悲しいことに人間とはおろかな生き物で、未知の生物には動物の本能以上の恐怖を抱きます。

そうして分かり合う道を閉ざしているのです。

雄太がバットを渡したことも、そんな恐怖心の現れ。

そのバットがTENの母親を傷つけ死へと追いやり、村を襲う奇怪な事件の発端となっているのです。

雄太は、幼少期にその愚かさを学んだからこそ、人間への戒めとして世界で起こる悲劇を人間に見せつける為、写真に収めていたのではないでしょうか?

悲劇を繰り返しては行けない、それを人間に分かってもらう、ただそれだけの為に。


話は逸れますが、個展会場で最初に写る天井は波紋をイメージしています。

最初はTENたちが使う特殊な能力の波紋かと思っていたのですが、どうやら違うようです。

ラストシーンで再会する河童し洞の天井と同じなのです。

恐らく雄太は自身の最後と再会を予感し、幼少期の記憶をたどってその原点である河童し洞をイメージしたのです。

覚悟の現れであるデザインだったのです。


人間の狂気を使命として描き続けた雄太ですが、息子である勇とは長年疎遠でした。

突然の日本への帰郷は、なぜだったのでしょう?

それはこの映画のもうひとつの主題である「約束」に関係してくるのです。

「また会いにくるからな。約束だ。約束だぞ。」そう言い残してTENと別れた雄太は、その約束を果たす為に、命の危険を顧みず故郷の北川村に戻ってきたのですが、そこにはもう一つの意味があるです。

「大切なことを大切な人に言えなかった・・・ごめんね」

この台詞は、雄太からTENに発せられた言葉。

人生を左右する程の大きな事件、河童の秘密を喜助や勇吉に言いそびれたことと重ねているのは当然のことなのですが、実は勇へも関係しているのです。

突然の別れと長い別離には意味があってのこと。それを勇へ伝えたかったのです。

そして、死を持ってまでしても果たさねばならない約束の重さを、勇は理解しTENと雄太と永遠の別れを迎えるのです。


この映画は、感動だけでなく一つの警鐘を鳴らしています。


「旧きを大切にする日本人の心が失われつつある」


老いた母を無理矢理連れ出し破壊される家のシーン。原ひさ子さんの曲がった背中が印象的でした。

河童を見つけたと大騒ぎして、伝統である祭りさえおろそかにしてしまう村民。

そして殉職警官の碑さえ、開発の名の下に壊してしまう。

心があればそんなことは出来ないはずなのに、悲しいかな現代の人間は分かっていながらも欲や誘惑に負けてしまいます。

日本人が、日本人である理由を自ら奪っている、そう訴えているのです。


その警鐘を現実にしない為には何が必要でしょうか?

人が人と触れあうこと。

相手を思いやること。

何があっても約束は守ること。

そのどれもが大切です。

この映画は、親子の絆を描きつつ、「日本人とはどうあるべきなのか?」

そう訴えているのではないでしょうか?


どのように感じるかは、全てはあなた次第です。

しかし、この映画があなたの心に「大切なもの」を残してくれるでしょう。

私はそう信じて疑いません。


さて、今回のコラム、いかがだったでしょうか?

ここ1ヶ月ですが、私のコラムへ「河童」を検索して訪ねてくる人が増えています。

石井竜也監督のDVD化の発表によって、心の片隅に眠っていた感動が甦った方が多いのでしょう。

あと3ヶ月弱の我慢です。

再びあなたの心に、感動の波紋が広がる日を、心待ちにして下さい。


次回は以前の予告の通り。すずきじゅんいち監督作品「秋桜」をお贈り致します。

入手が困難な作品ですので、「紹介編」と「ネタバレ編」の2回に分けたいと思います。


ではまた来週。

それでは、また!



映画データ


1994年日本映画 118分


監督              石井竜也

エグゼクティブ・プロデューサー 岡本朝生

プロデュース          河井真也

脚本              末谷真澄

撮影              長谷川元吉

美術              部谷京子

音楽              金子隆博

照明              森谷清彦

録音              中村淳

編集              富田功

SFXスーパーバイザー      秋山貴彦

SFXCGI プロデューサー    杉村真之

クリーチャーデザイン      石井竜也

出演              陣内孝則 船越圭佑 原田龍二 今福将雄 坂上二郎 苅谷俊介 木の葉のこ ジェームス小野田 浜村純 大河内浩 車だん吉 原ひさ子 南野陽子 中村雅俊(友情出演) 藤竜也 他

2007年8月12日日曜日

河童〜KAPPA〜(紹介編)

映画好きな人が、映画と違う道へと進み、やがて夢を叶える為に映画を撮った。

ちょっとドラマチックな展開は、映画の中の世界。なんて思っていませんか?


邦画がかつてない程に活況を得た今日では、映画に憧れていた芸能人が映画監督と言うもう一つの仕事を経験するには、またとない好環境にあると言えるでしょう。

それは北野武監督等、芸能人でありながら世界に通じる作品を撮る監督が積み上げて来た実績が大きく影響しているのですが、今回お贈りする映画「河童~KAPPA~」が造られた時代にはそのような実績等ほとんどなく、ひとつの賭けに近いものがありました。

この作品には、4年の製作準備と10億円の資金が投入されています。

大きな苦労を伴う石井竜也さんの夢が、音楽での大成功によって現実になったわけです。

そして、今回お贈りする「河童~KAPPA~」を語る上で避けては通れないのは、監督である石井竜也さんのそれまでの軌跡です。


1959年、茨城県北茨城市生まれ。その名前が示す通り茨城県の北端に位置し、隣り合わせているのは映画「フラガール」で有名ないわき市です。

今でこそ茨城県の北側は人口減少等で寂れていますが、監督が生まれた前後の時代は豊富な海と山の恵みに加えて、炭坑等の収入で潤っていました。

映画のパンフレットに記載されているのですが、幼き日の石井竜也さんは父親と共に良く映画を観に行っていたそうです。

映画から世界各国の様々な風景や人間を見、現実の世界では故郷の自然に育まれた少年時代を過ごしていたのではないでしょうか?

小さな頃から父親の影響で絵画を始めた少年はやがて、大学へと進みます。

この頃には日展に入選し、絵画の実力は既に証明済みでした。

時を同じくし、大学のサークルは映画研究会に所属します。このサークルが後の「米米クラブ」へと繋がるわけです。

米米クラブの成功は、皆さんご存知の通りなのでここでは省かせていただきますが、音楽だけでなく複合的なアーティストとしての活躍は、バブルの日本では象徴的な存在だったと言えます。

この華々しい成功が「河童~KAPPA~」の製作へと繋がって行く訳です。


石井竜也さんは以前とある番組で、面白いエピソードを語っていたことがあります。

それは所蔵している映画についてのことです。

あまりに沢山の数のビデオやレーザーディスクがある為に、メンバーに貸す時はノートにつけている、と笑いを交えて語っていたのです。

ノートにつけたかどうかは定かではありませんが、それだけ沢山の作品を所蔵していることは確かです。

実際に映画のパンフレットには5000近い作品を持っていることが書かれていますが、これは劇場公開前、つまり今から13年前の話です。

いったい、今はどれだけの作品を所蔵しているのでしょうね。

それだけ沢山の作品を、目に焼き付けて来た訳ですから、おのずと映画の手法等は習得しています。

実際に「河童~KAPPA~」の中では、映像の撮り方や音楽の合わせ方等で様々なテクニックを駆使しています。

私は現在、本広克行監督と山崎貴監督が好きで、これからも個人的に応援して行こうと思っているのですが、今思えば石井竜也監督の映画と出会っていたから、本広克行監督の作品へと流れて行くことが出来たのかもしれません。

どちらの監督も、映画へのこだわりと、過去の作品への愛情が感じられると言う共通点を持っています。


憧れた映画があれば、当然その作品に似た手法や物語になる場合もある訳で、この「河童~KAPPA~」もスピルバーグ監督の「E.T.」に物語が似ていると言われています。

(石井竜也監督が「E.T.」を好きなのかどうかは不明ですが・・・)

しかし、それはあくまで大まかに似ているだけで、映画の筋は大きく異なっています。

詳細な物語の紹介は次回へと譲りますが、親子3代に渡る親子愛を描いた作品である、と言うことだけは付け加えさせて下さい。


私がこの映画で特に気に入っているのは、音楽の使い方です。

音楽を手がけるのは金子隆博さん。個人的な活動や別ユニット等でも活躍されていますが、米米クラブのメンバーとしても有名です。

同じグループのメンバーであるからこそ、しっかりとした意思の疎通が出来、それが完成度に結びついているのはまぎれもない事実でしょう。

その音楽は、米米クラブのそれとは全く違い、オーケストラでの壮大なスケールで表現されています。

私が特に好きなのは、映画の後半で使用される組曲です。(この部分も「E.T.」に似ている所以です)

場面展開に会わせた様々な曲調が延々と続き、まさに映画のクライマックスと一体となり観る者の目と耳から、直接感情に訴えかけてきます。

この後半は、撮影や編集だけでなく、特に音とのシンクロにこだわって、綿密な打ち合わせが行われていたのでは?と思わせる程に素晴らしい仕上がりである、と私は思います。

既に廃盤となってしまいましたが、この映画のサントラは聴いているだけで、それぞれの場面が思い浮かびます。

それに一役買っているのは、「台詞」と言うおまけが曲の合間にあるからでしょう。

この台詞付きのサントラと言うのも、映画好きならではの発想と、過去の映画音楽へのオマージュが感じられます。


さて、かっぱと言えば日本では特に有名な妖怪です。東北地方等では今でもその伝説が残っています。

ただ残念なことに、実在の動物であると言う証拠はなく、あくまでも架空の存在。

でも、愛されるべくキャラクターであることは、何度も「かっぱ」を題材にした映画が造られていることから証明出来るでしょう。

この夏も、かっぱを主人公にアニメ映画が造られています。

話がそれてしまいましたが、映画に登場するかっぱにはとある秘密があります。

ここで明かすと未見の方の楽しみが半減してしまうので明かしませんが、様々な映画を観た監督ならではの設定であることは確かです。

そしてそのキャラクターは、それまでのかっぱ像とは違う風貌で、驚かされることでしょう。

子供のかっぱ「TEN」は愛くるしいキャラクターですが、その父母は妖怪と呼ぶにも違うし、当然愛らしいものでもありません。

この辺りに、デザイナーとしての石井竜也監督のこだわりが感じられます。


さて、これ以上語ると大切なネタをバラしてしまいそうなので、今回はここまでとします。

次回は、約1年ぶりに「河童~KAPPA~」を観て、ネタバレ編として大いに語りたいと思います。

以前にも書いたことですが、この作品は私の中では邦画BEST3に入ります。

それは今でも変わりありません。

それだけ丁寧に造られ、愛情のこもった作品であると、最後に言わせて下さい。

この映画は過去に2度程ビデオ化になり、レーザーディスクも発売されましたが、現在どれもが廃盤であり、新品を手に入れることは出来ません。

レンタルビデオも、古い作品なので在庫を持っていない店が多いかもしれません。

その代わりに、当時活況であったレンタルビデオの在庫落ちが、中古として出回っています。

しかしながら、こちらも「幻の作品」になりつつあると言う現状を知った方々によって買われていて、なかなかお目にかかることが出来ないかもしれません。

なので、もし手に入らなければ、ネタバレ編を読むのは控えた方がいいかもしれませんね。

いつか「河童~KAPPA~」を手にし観ることが出来た時に、読んでいただければ、私はそれで構いません。


次回は19日の更新を予定しています。


それでは、また!

2007年8月5日日曜日

UDON(ネタバレ編)

一週間のご無沙汰です。

今年、関東地方の梅雨は長く、やっとあけたかと思えば台風の影響で異常な程に蒸し暑い日々が続いています。みなさま、お元気でしょうか?


先日どうしても気になる事があり、ネットで調べものをしました。

それは私の生まれ故郷、千葉県銚子市で何が上映されているか、です。

1月29日のコラムでも述べた通り、銚子市では2006年に2館が閉館となり最後の1館のみの営業となっていたのです。

そう「なっていたのです」なのです。

残された最後の1館も、私の知らぬ間に閉館となってしまっていたのです。

歴史ある映画の火が、とうとう街から消えてしまいました。

最後に閉館となったのは銚子セントラルと言う映画館。

私が1月29日のコラムで触れた、生まれて初めて見た映画「ビューティフルピープル」と「シンドバット」を上映した映画館でもあります。

驚いた事に閉館したのはそのコラムを書いた日から数えてわずか4日目、2月2日。

ひょっとしたら虫の知らせだったのでしょうか。

さらに驚いたのは、2月4日に行われた最終無料上映。最後の作品は「男はつらいよ 寅次郎紅の花」、言わずと知れた渥美清さんの遺作です。

この作品は、私と寅さんの映画館での初めての出会いであっただけでなく、故郷銚子で最後に見た邦画でもあるのです。

これだけの偶然が重なると、映画と私の運命のようなものを感じます。

銚子市の映画館は無くなってしまいましたが、現在大きなショッピングセンターの建設が計画されており、もしかするとその中にシネコンのような形で復活するのでは?と淡い期待を抱いています。

もしそうなれば、これからは故郷の為に足を運ぼうかと思います。

間もなく着工との噂なので、どうなるかは近日中に分かるでしょう。


さて今回お贈りする映画は本広克行監督、映画10年目にして10作目の集大成、故郷の為の故郷による、故郷の映画です。

故郷への並々ならぬ愛情を感じると共に、映画への溢れんばかりの愛情を感じる作品となっています。

どこにそれが込められているかは後ほど述べるとして、まずはストーリーの大まかな紹介です。


ここからはネタバレになりますから、まだご覧になっていない方は是非、レンタルでも構いませんのでご覧になってからお越し下さいませ。


主人公、松井香助はアメリカで夢を追っていました。しかし鳴かず飛ばずの日々は心の空回りと共に僅かな稼ぎをも奪い、失意の中で帰国します。

彼の故郷は、日本一小さな県、四国の香川。

街を歩けば製麺所に当たると言われる程にうどん作りが盛んな街で、彼の実家もそんな製麺所の一つでした。

名前は松井製麺所。

彼は家業が嫌いでした。そして違う道を歩もうと飛び出したのですが、突然の帰国にも姉夫婦や仲間たちは暖かく迎えてくれました。ただ1人を除いて・・・

手先は器用だが、人生には不器用な父、拓富。

息子である香助が、家を飛び出す際に放った言葉を、香助へとつき返し、戒めるのです。

香助は、昔からの仲間の助けのもと一生懸命に動き始めますが、そんな息子は関係なしとばかりに拓富はほとんど会話もしません。

香助が就職したタウン情報誌は香助と仲間たちの思いつきから始まったうどん巡礼記がヒットし、売り上げはうなぎ上り。日本一小さな県は、日本で一番にぎやかなうどんブームの渦中へとはまって行きます。

そしてブームは、小さな影を落とし、その影は徐々に大きくなり・・・

香助はやっと拓富に向き合う決意をしますが、そんな息子の心からの言葉も聞けず拓富は人知れず作業場で他界してしまいます。

たった一人の職人を失った松井製麺所の運命は?そして香助の決意は?


途中に様々な遊びや新たな試みが含まれていますが、決して複雑な要素は含んでいないシンプルな物語です。

あなたはこの映画の後半を、どう感じましたか?

分かり合えない父と息子、と言うシチュエーションは私にはヒットしました。

小さな出来事が一つ描かれるたびに、涙が溢れました。その一つ一つが実話であると聞き、2回目の鑑賞では違った涙が溢れました。

姿を現さない主人への励ましの書き込み、幼き日の回想、香助の前に現れた父の幽霊とのやり取り、そして子供たちの笑顔に満足して去って行く拓富の笑顔と後ろ姿。そのどれもが、からだと心で人間の暖かさ感じ、涙を溢れさせました。

あなたは、涙のある映画についてどう思われますか?

以前「サトラレ」でも述べた事ですが、笑いがあって初めて成り立つものだと私は思います。

ユースケサンタマリアさん演じる香助と、トータス松本さん演じる庄介との絶妙な掛け合いが誘う笑い。その笑いには以前から共演経験がある2人だから成し得たもの。小西真奈美さん演じる恭子は、ちょっと強烈になりがちな2人のコンビに添えた華一輪。薬味のようなもの。

そして涙を流させる上で大切なもうひとつは、物語そのものがシンプルであること。

そう、この映画の大切な題材であるうどんと似ているのです。


造り上げるには長い時間の手間と苦労をともなう、がしかし、味付けは至ってシンプルな方がおいしい。


どうですか?

映画の製作過程では様々な手間と苦労を伴います。しかし、その映画を良いと感じる人の心が純粋な程、その感動は大きなものになります。

一見ベタな人情劇ですが、本広監督流の変化球でちょっとだけ味付けをし、感動的な音楽と言う器をまとった、分かりやすい物語に仕上がっているのです。

謎解きやミステリー等ではなく、常に人を心から楽しませる為の映画造りを心がけている監督ならではの一球勝負です。

そして、この分かりやすさを受け入れられるかどうかが、この映画を面白いと感じるかどうかの境目だと私は思うのです。


私はコラムを書く時はいつも、直前に作品を観ます。

そして感じた事を観ながら要点だけ書き記し、観終えた後にそこから文章を組み立てて行くのですが、今回はとても全てをここに記せそうもありません。かと言って、何回ものコラムに分けたのでは伝わりづらいとも思います。

なのでここから先は、ある一つの考察に絞って、長めに記して行こうかと思います。

どうかお許しください。

いずれまた、本広監督作品を取上げる際には、ちょっとづつ触れてゆきますので。


コラム冒頭でも述べた通り、この映画には本広監督の故郷への愛情と共に、邦画への愛情を感じるのです。

まずは、香助が家族に黙って帰宅する際のやり取り。

どこかで見覚えがありませんか?

そう、「男はつらいよ」でお約束の寅さん帰宅場面です。

香助のリアクションは、帰りづらくてすっとぼける寅さんそのもの。

お遍路さんの後ろから、ひょこっと出てくる姿も、寅さんを彷彿とさせます。

家族と仲間たちの見て見ぬ振り、と言う一見冷たさを感じる対応も、実は愛情の現れ。玄関を開けて入ってくる香助に対してするわざとらしいリアクションも、とらや(くるまや)御一行と全く同じ。

それだけではありません。

「男はつらいよ」では定番となった夢落ちまであります(オープニングではないですが・・・)。

食べ物を扱う店が主人公の実家と言う設定も、近所の人が集う店と言う設定。

そしてそのどれもが「男はつらいよ」へのオマージュである、と私は思うのです。

監督がどうしてこのような設定にしたのか私には分かりませんが、少なくとも自分に影響を与えた多くの映画への愛情が、そうさせた、と言えるのではないでしょうか。

監督の過去の作品にも、八千草薫さんや金田龍之介さんなど邦画に貢献した役者が出演している事からも、伺えるかと思います。

そしてもう一つ、決定的な証拠と私が位置づけている事があります。

それは本広監督おなじみの手法、作品をまたいで登場するお約束キャラクターの数々です。

この映画にも沢山出演しています。

「サマータイムマシンブルース」のズッコケ3人組ことZ3は印象的でしたが、実は目立たずに出演している数多くの中の1人に、その鍵があるのです。

役名は、坂下。

「踊る大捜査線 THE MOVIE」で、警視庁副総監を誘拐した主犯。

UDON」ではきちんとした設定があるようで、「踊る大捜査線 THE MOVIE」当時少年だった坂下は短い期間で少年院を退院。その償いのため四国八十八ヶ所巡礼の旅に出たが、いつしかうどんにはまってしまい、うどん巡礼の旅になってしまった。と言う事らしいです。

しかし私が注目したのはその設定ではなく、坂下を演じている役者の事です。役者に鍵があるのです。

どこかで見覚えがありませんか?

そう、くるまやの従業員三平ちゃんこと、北山雅康さん。

「男はつらいよ」シリーズ40作目以降出演されていた役者なのです。

どうです?本広監督作品にいくつか出演していた事は抜きにしても、単なる偶然とは違う気がしませんか?


「男はつらいよ」は日本の国民行事にも等しい存在でした。言い換えれば毎年必ずあるお祭りみたいなもの。

そのお祭りが失われて、はや10年以上。

ひょっとしたら、本広監督は故郷への恩返しとして、香川県のお祭りになる映画を作ろうとしたのではないでしょうか?

そして劇中の台詞「けど、終わらん祭りはないから」が最後でひっくり返されるのと同じように、この映画「UDON」が故郷香川にとって、時代を超えても愛される終わらない祭りになってくれる映画を目指したのではないでしょうか?


いつか本広監督に会えたなら、ぜひこの事を聞いてみたいと思います。


いかがでしたか?今回のコラムは。


さて次回紹介する作品と、その次の作品も、故郷への愛情が沢山詰まった映画です。

残念ながらどちらの作品も現在は入手が難しいので、「紹介編」と「ネタバレ編」に分けて紹介したいと思います。

そのどちらの作品も、私の愛する映画(「覚え書き」参照)です。

次週は石井竜也監督作品「河童」、その次はすずきじゅんいち監督作品「秋桜 ~コスモス~」をお贈り致します。


来週には間違いなく更新致しますので、お楽しみに!!


それでは、また!



映画データ


2006年日本映画 134分

監督            本広克行

製作            亀山千広

プロデューサー       織田正彦

              前田久閑

              安藤親広

              村上公一

脚本            戸田山雅司

音楽            渡辺俊幸

撮影            佐光朗

照明            加瀬弘行

録音            伊藤裕規

美術            相馬直樹

装飾            田中宏

編集            田口拓也

アソシエイトプロデューサー 小出真佐樹

VFXスーパーバイザー    石井教雄

VFXディレクター      山本雅之

監督補           波多野貴文

助監督           藤本周

製作担当          巣立恭平

キャスティング       明石直弓

出演            ユースケサンタマリア 小西真奈美 トータス松本 升毅 要潤 片桐仁 永野宗典 小日向文世 木場勝己 鈴木京香 他

2007年7月29日日曜日

UDON(あらためて紹介編)

みなさま、だいぶご無沙汰してしまいましたが、ようやく復活致します。

楽しみにしている方には、ここ3ヶ月程大変ご迷惑をおかけ致しました。これからの頻繁な更新に変えて、どうかお許しくださいませ。


リニューアル後の初コラムと言う事なので、あらためてこの「極私的感涙映画評」の特徴をご紹介させていただきます。


基本的に「ネタバレ」です。

過去にビデオやDVD、スクリーンで観て好きになったり泣けたりした作品を、自分なりのチョイスで

紹介して行きます。

特に気に入っていたり多くを語りたい作品は、「紹介編」「ネタバレ編」とに分けています。

中には基本から外れたりする場合も多々ありますが・・・


先ほど、これまでどれだけの作品を紹介して来たのか気になって、ふと数えてみました。

一回のコラムで、別タイトル複数作品を紹介しているものを除くと、現在までに59作品を取上げていました。

と言う事で、今回は晴れて60作品のご紹介!!

と、言いたいところですが、今回紹介する「UDON」は昨年夏の終わりに「紹介&初日舞台挨拶編」と言う形で、主に初日舞台挨拶を紹介させていただいたので、初めてではないのです。

つまり60作品目は次回、です。

その記念に何を紹介するかは・・・次回のコラム、最後のお楽しみと言う事で。


人間は、決して目立たない人でも、その人間性に魅かれて多くの仲間が集まります。

私は、本広克行監督はその最たる例ではないか、と思うのです。

ヒット作を沢山生み出す映画監督が同じ仲間と共に作品を造り上げる事が多いのは、監督の人間性も少なからず影響していますが、本広監督はまさにその代表例だと私は思うのです。

作品をひとつ生み出すごとにその仲間は膨れ上がり、次の作品ではそれまで不可能だった事を可能にしてしまうのです。

分かり合った仲間が、監督の意思を感じながら己の技術のすべてをつぎ込む、そう例えれば分かりやすいでしょうか?

この「UDON」でも、監督の意思を感じた仲間たちが、素晴らしい仕事を見せています。

主人公の父親が営む「松井製麺所」は、貯水池の横に何十年も前から建っているように見えますが、実はそこに建てられたオープンセットです。

しかしながらそのセットは普通に家として機能するばかりか、建築上も耐えうる設計がされているそうです。

まだ映画をご覧になっていない方には分からないかもしれませんが、家の形から、そのたたずまいまで、まるで違和感が無いのです。

言われなければ、セットとは全く分からない程に完成度が高いのです。

見えるところさえきちんと造られていれば完成度は問題じゃない、と言う方もいるかもしれませんが、私は違うと思います。

役者にとっても、演技の空気を造る為に必要不可欠な要素では無いでしょうか?

この家にこだわりをつぎ込んだのは、美術の相馬直樹さんです。

以前紹介した「交渉人真下正義」のクモや「サマータイムマシーンブルース」のタイムマシンを設計製作された方です。

あのクモやタイムマシンを観れば、まだ「UDON」をご覧になっていない方にもその完成度が想像出来るのではないでしょうか。

本広監督の大切な仲間の仕事は、形として目に見えるものだけではありません。裏方でも最も裏方でありあまり紹介される事が無いのに、映画命を生み出し、輝かせる仕事「編集」もそうです。今までに何度か紹介している田口拓也さんの存在は、これまでの作品以上にかなり大きいと言えるでしょう。

UDON」の中ではマルチ画面が時折使われます。それが物語の進行上必要不可欠なのは、観ていただければ分かるのですが、映画ではあまり使われないテレビ的な手法です。詰め込む情報量の多さにそのような選択になったのでしょうが、これには相当苦労されていると思われます。

何せ、一画面に4~5個と言うレベルでは終わらないのですから・・・

加えて本広映画では良く行われる「ダイナミック」な時間の操作も、今回は多用されています。

「サトラレ」でクライマックスに使われたスローモーションと普通の動きのリニアな変化は今回も健在なばかりか、印象的に何度も使用されています。

そしてシナリオ通りに造ると3時間を越すと言う内容量は、その下準備から含めるとかなりの労力を要したに違いありません。

それも、これまでほとんどの本広映画で編集をされていた田口さんだからこそ出来た技、と言えます。

他にも触れたい本広監督の仲間が沢山いるのですが、今回はネタバレ厳禁なので次回や次の本広監督作品に譲りたいと思います。


さてこの映画を紹介する上で、もっとも触れなければならないのはその舞台となる場所です。

香川県。

どこ?と言う方も少なからずいるはずです。関西以西ならいざ知らず、関東以北には馴染みの無い場所です。

四国でまず思い浮かぶのは?と知り合いに聞いたところ、多くの知り合いは高知を挙げています。香川を挙げた人はごく僅かでした。

歴史上に名を残す人物、坂本龍馬がいるから高知を挙げるのは仕方が無いにしても、愛媛のみかん、徳島の阿波踊りに比べれば、香川には目立つものが無いと思われがちなのです。

それもそのはずです。実は、さりげなく生活に忍び寄っているのですから。

通信販売で有名なセシールは、香川に本拠地を置きます。それから冷凍食品で全国的に有名な加ト吉もそうです。

目立つ事よりも役立ちたい、そんな精神が垣間見える気がするのは私だけでしょうか?

香川県は47都道府県でもっとも小さな自治体です。それゆえに人口も少なく、埼玉県の県庁所在地であるさいたま市をも下回るのです。

しかしながらそこに存在するうどん店は・・・


おっとこれは映画のオープニングで、シンプルかつ分かりやすく紹介しているので、触れないでおきましょう。

以前の「紹介&初日舞台挨拶編」でも紹介済みですが、香川県は本広監督の故郷です。

故郷を舞台にするからには、その気合いは半端ではありません。

東京から香川に何度も訪れ、まずはプロデューサーを説得し、その後もシナリオハンティングや、ロケーションハンティング、そしてうどん巡礼もかねて(笑)、最終的には映画に登場するシーンのほとんどを香川でロケしています。(一部CGシーンやセット内もありますがロケ比率はかなり高いと言えます)

実際に存在する店が登場するだけではなく、本物の店主が役者と演技をし、リアルと嘘の境目を消す事にも成功しています。

故郷に貢献した映画、それが「UDON」なのです。

実際、香川県では観客動員の記録等を塗り替えた、香川県の記念的作品になりました。

それも、本広監督の、故郷への溢れんばかりの愛情が生み出した結果と言えるでしょう。


さて、これ以上書くとネタバレになる事が必至なので、今回のコラムはここまでとし次回の「ネタバレ編」に譲りたいと思います。


次回の更新は8月5日を予定しています。


それでは、また!