2009年5月27日水曜日

6月の予告

みなさま、こんにちは。

前回の最後に次回予告を書けなかったので、ここで6月分の予告として書き記したいと思います。

以前のコラムで国内でDVD化されていない作品をいくつか取り上げたのですが、今回はその延長線上とでも言う扱いの作品を取り上げたいと思います。


それは「DVD化されたのに廃盤で手に入らない作品」です。

そう言った境遇に置かれている作品は多々あるのですが、6月に私がお贈りするのはその中でも特にお気に入りの2作品です。


ひとつは原田眞人監督の「バウンス KO GALS」と言う作品です。

今はすっかり死後になってしまったコギャルと言う言葉ですが、この作品が造られたのは1997年。

コギャルと言うと「軽さ」を感じる方が多いかもしれませんが、良い意味でそれを裏切ってくれる、心に残る映画となっています。

観ていただきたいのですが、運が良ければレンタル店でビデオ在庫があるかもしれない位に稀にしかお目にかかれない作品なので、こちらはネタバレをしないように気をつけて書いて行こうかと思います。


もうひとつはテイラー・ハックフォード監督の「ブラッド・イン ブラッド・アウト」と言う作品です。

1993年の公開当時、日本でも劇場公開されているのですが、それほど話題に上らなかった「隠れた名作」です。

1970年代のロサンゼルス東部を舞台に、固い結束で育った兄弟同然の3人の若者がそれぞれの運命に翻弄され苦悩する姿を描いています。

こちらの作品はレンタル店もに出回っているようですが、もしお近くの店舗になければネットでのレンタルで扱っている所がありますので、探してみて下さい。

3時間に渡る作品ですが、長さを感じさせない素晴らしい映画ですので、是非ご覧いただきたいと思います。


それから最新作「スター・トレック」も観に行きたいと思いますので、紹介編としてお贈りしたいと思います。


それでは、また!

2009年5月23日土曜日

スタートレック シリーズあれこれ

宇宙を舞台にした映画は数多くありますが、その中でも特別な存在であるシリーズが2つあります。

共に共通するのは、その壮大な物語の存在が「語り継がれる伝説」に等しいこと。

そのひとつとは、映画としては完結してしまった「スターウォーズ」

善と悪の戦いに親子の運命を絡め、壮大な物語を紡ぎだしています。この作品を生み出したジョージルーカスは黒澤明監督とも親交があり、「スターウォーズ」は「隠し砦の三悪人」にヒントを得て作られたとも言われています。

そしてもうひとつは、1960年代に大ヒットしたTVシリーズ「宇宙大作戦」(原題STARTREK)を復活させた映画「スタートレック」(1979)です。

こちらは壮大な冒険物語。人類が未踏の宇宙を探査・開拓して行く話で、戦いはありますが善悪の戦いではなく異星人同士の戦いとなり、人間が種族間で争うのと似ていると言えるかもしれません。

このふたつ全く関係ないように見えますが、実はそうでもないのです。

そのヒントは公開された年にあります。

「スターウォーズ」で一番最初のエピソード4「新たなる希望」(公開時は副題なし)は1977年(日本では翌年)公開。一方の「スタートレック」は1979年(日本では翌年)公開。

それまでのSF映画とはスケールの違う大ヒットを記録した「スターウォーズ」に触発されて映画化されたと言う訳です。

「スタートレック」映画版はその後5作品作られました。

しかし物語はそこで終わりません。映画のヒットにより、その後の世界を舞台にした「新スタートレック」がTVシリーズとして製作されます。このシリーズはなんと7年間も続き、さらにその前後の世界もTVシリーズ化されるなど、アメリカでは18年に渡ってTV放映され続けました。

もちろんそれだけの大ヒットですから、「新スタートレック」も映画化されています。こちらは4本製作されました。その内2作品は、副長を演じたジョナサン・フレイクスが監督を務め、彼の監督としての力量を発揮させる切っ掛けを作ったとも言えます。(後に「サンダーバード」を実写映画化)

「スタートレック」シリーズ6作品は「宇宙大作戦」の出演者がそのまま登場し、「新スタートレック」4作品もTVシリーズと同じ出演者で造られていますが、間もなく日本でも公開になる「スタートレック」(2009)はそれまでのキャラクターを若手俳優が演じ、新たな物語として造られています。でもシリーズに含まれるのではなく、リメイクでもなく、新たなる創造「リ・イマジネーション」と言う位置づけに属することとなります。

今回の新作「スタートレック」(2009)の評価はアメリカでは絶大で、その結果が興行収入にも現れています。そして日本では、既にいくつかの試写会が行われていて、かなりの人気を博しているようです。

ここで心配なのが、オリジナルを知る人がどんな反応を示すか?なのですが、ネットでの批評を観ると意外にも知らない人も知る人も好評のようです。

幼い頃にTVの再放送で何度か観た「宇宙大作戦」、それから「スタートレック」(1979)、地上波で深夜放送していた「新スタートレック」(残念ながら全てが放送された訳ではないので中途半端にしか見ていませんが・・・)、そして「新スタートレック」の映画版と、全てではないものの観ている私にとって、今回の新作「スタートレック」(2009)は、製作されると言うニュースを耳にしてからずっと期待が膨らんでいるのですが、そのような人でも満足している内容なのだそうです。

否が応にも期待が膨らみます。ちなみに私のパソコンのデスクトップは3ヶ月程前から、アメリカ版の公式HPからダウンロードした壁紙が表示されています。


そんなスタートレックシリーズを語る上で欠かせないのはオリジナルである「宇宙大作戦」ですが、これに関してはネット上にいくつもあるファンのHPや公式HPを見ていただくとして、ここでは映画シリーズのいくつかを紹介して行きたいと思います。

まずは映画を語る前に、スタートレックを全く知らない人の為に簡単な紹介をしましょう。


時は23世紀。

科学技術は格段に進歩し、遠くはなれた場所へ人間などを移動可能とさせた転送装置や、光速以上の移動が可能な宇宙船のワープ航法などが発明、実用化されていた。もちろん戦闘兵器の技術も格段に進歩し、一瞬にして物質を消滅させることが可能なフェイザー(戦艦などの大型から人間が使用する小型の銃まで多種)や、光子魚雷なども使われるようになっていた。

地球上から飢えや争いをなくすことに成功した人類は、その持て余す力を飽くなき探究心へと向け、宇宙へと向かい、多くの生命体と惑星連邦を形成し、地球は繁栄を極めていた。

しかし宇宙では依然争いがあり、惑星連邦に敵対する戦闘種族クリンゴン人(後に平和協定が締結)や暴力的なロミュラン人などとはしばし戦闘が行われていた。


スタートレックシリーズには、個性的なクルーが登場します。

耳のとんがったスポックは何事も論理的に考えるバルカン人。熱血漢のカーク艦長との掛け合いはそれだけ見ていても面白いです。他にも偏屈もののドクターマッコイも人気のあるキャラクターのひとりです。

「新スタートレック」ではカークのような役割のライカー副長や、カウンセラーのトロイ、スポックのような役割を果たすアンドロイドのデータ、クリンゴン人でありながらエンタープライズの乗組員であるウォーフなど、魅力的なキャラクターが沢山登場し物語を盛り上げてくれます。

人間の魅力が発揮されているのも、このシリーズの大きな特徴です。

もうひとつの魅力と言えば、様々な夢のような道具の数々でしょう。

先ほど紹介した転送装置や、実態のようにそこに表示されるホログラム(これはただ表示されるだけでなくコンピュータと連動し人間のように喋ったりします)、さらには惑星さえ造り出してしまったりします(映画版第2・3作参照)。

その夢のような道具たちは、私たちがドラえもんに熱中したように観ている人々を魅了して行きます。

やがて、観て育った世代の大人たちが続く物語を作ったりしながら、このシリーズはアメリカでひとつの歴史のように存在しているのです。

面白い所では、スペースシャトルの試験機。その名前「エンタープライズ」は多くのスタートレックファンによる熱意が通じ、名付けられました。

以前紹介したTV「ヒーローズ」では、日本人のヒロがいつもバルカン人の挨拶をまねたり、ヒロの父親を演じるジョージ・タケイはスタートレックでヒカル・スルーと言う名のメインの乗組員を演じていますし、シーズン2では同じくメインの乗組員ウフーラを演じたニシェル・ニコルズなども重要な役柄で登場します。

日本ではそこまで有名とは言えないスタートレックシリーズですが熱心なファンは数多く居ますし、今回の新作「スタートレック」(2009)は、過去の作品に新たなファンを呼び込む切っ掛けとなりそうです。


続いて映画版第1作「スタートレック」を紹介しましょう。

惜しまれつつ「宇宙大作戦」が終了してからちょうど10年後、この作品は公開されました。

「宇宙大作戦」では5年の調査飛行が物語の核となりましたが、今回は未知の脅威に襲われるかもしれない地球を救うための任務を帯びて、謎の超巨大物体へ挑むと言うものです。

136分の上映時間は、大きく2つのパートに別れています。

ひとつは物語の前半、新たに改修された宇宙船エンタープライズ出航までを描きます。

もうひとつは惑星系を飲み込む程の超巨大物体を探査し、地球への脅威を避けるための必死の行動を描いています。

スタートレックを知らない人には、前半部分はちょっと長く感じるかもしれませんが、ここで描かれる雄大さがスタートレックの魅力のひとつでもあるので、是非注目していただきたい部分でもあります。

後半は、謎を解きながらその核心に迫って行く過程がSF映画の枠を超え、でもSFでなければ描くことのできないスケールで観客を魅了します。

さて続いて紹介するのはTV「新スタートレック」の映画版第1弾「ジェネレーションズ」です。

この映画の魅力はなんと言っても「新スタートレック」の初映画化でありますが、その物語には粋な計らいが隠されています。

それはエンタープライズの新・旧艦長の競演です。

「宇宙大作戦」と「新スタートレック」は登場人物こそ違いますが、その世界感は受け継がれていて、同じ歴史の線上に位置する物語なのです。

映画はまず、エンタープライズの進水式から始まります。これまでの戦いで何度となく破壊され、新しい船として復活したエンタープライズですが、初航海でいきなり重大な局面に出くわします。

ゲストとして呼ばれていたかつての船長カーク大佐は、SOS信号を発した船の救助を敢行、無事救出を果たしたものの、爆発に巻き込まれ行方不明となってしまいました。

時は経ち、24世紀。

ピカード艦長率いるエンタープライズDは、地球からの命令で救難信号を発している宇宙基地へ到着。

その基地内では乗組員たちが謎の死を遂げていました。唯一の生存者ソランを救出したのですが、それはこれから始まる惑星を巻き込むほどの悲劇の序章だったです・・・

先ほど紹介した「スタートレック」は、当時まだ実用には堪えうる程ではなかったCGを実験的に取り入れていましたが、TV「新スタートレック」では宇宙船や戦闘シーンなどで積極的に取り入れ、今作でも効果的に使われています。比べてみるとCGと特殊撮影の進歩の具合が見て取れて、面白いと思います。

さて最後に紹介するのは「新スタートレック」の映画版2作目「ファーストコンタクト」です。

この作品を語る上で欠かすことの出来ない存在が「新スタートレック」での最大の敵ボーグです。

簡単に説明すると全てがひとつの意思で動く機械と同化した生命体で、人間等もその一部に取り込んでしまうと言う恐ろしい敵なのです。

TVシリーズ中に一度、ピカード艦長は同化された経験を持ち身体の中にはまだその記憶が残っているようで、今作品では物語を進める上で大きな役割を果たします。

物語は、ついにボーグが地球へ侵攻する所から始まります。新造されたエンタープライズEは、なぜかそのボーグを止めるのではなく隙を狙ってくるであろうロミュラン人への警戒に当たらされます。

その理由はもちろん、ピカード艦長が過去にボーグに取り込まれたことが原因でした。

しかし戦闘に当たった他の艦隊はことごとく撃破、エンタープライズEは自身の判断で地球へ向かい、戦闘となります。

かつての経験を生かしボーグの破壊に成功するピカードでしたが、苦戦むなしくその一部が時間をさかのぼり歴史を変えてしまったのでした・・・

目のまでボーグの星と化してしまった地球を救うには、侵略を阻止するしかありません。

時空のゆがみの中、追いかけて辿り着いたのは第3次世界大戦で荒んだ地球。

ピカード艦長たちはボーグの撃破に成功するも、大変な歴史への干渉に出くわしてしまったのです。

それは2063年4月。人類が初めて他の種族との遭遇を果たす日の前日だったのです。ボーグはそのロケットが飛び立とうとする基地を攻撃していたのです。このままでは人類が未踏の宇宙へ飛び出すことは愚か、自分たちの帰るべき場所さえ失ってしまいます。

果たしてピカード艦長たちは歴史を歪ませることなく、人類にとって記念すべき「ファーストコンタクト」の日を迎えることが出来るのでしょうか?

そして忍び寄るボーグの生き残りたちを抹殺出来るのでしょうか?


かい摘んで紹介してきましたが、このシリーズの奥深さを語るにはまだまだ足りません。

でもこのコラムが、あなたが見始める切っ掛けとなれば幸いです。

観るまでもないけど気になる・・・と言う方は、ウィキペディアなどを調べてみると面白いかもしれません。その項目の多さから、どれだけ多くのファンが居るかが創造できます。


さて次回は何にしようか悩んでいます。

もし早めに観ることが出来るなら「スタートレック」(2009)を紹介したいと思いますが、まだ今の所未定です。

ですので詳細はいずれこちらでご報告したいと思います。


それでは、また!


2009年5月22日金曜日

太陽を盗んだ男

5月も終わりが近づき、だいぶ暑くなってきましたがみなさまはいかがお過ごしでしょうか?

私の住む鹿嶋は太平洋沿いの立地と言うのもあり、気温程の暑さを感じさせず、過ごしやすく感じます。

今年の夏はどうなるんでしょう。暑すぎも問題ですが、寒いのも良くありません。って人間のわがままで贅沢を言っちゃあ、いけませんね(笑)


さて今回お贈りするのは「太陽を盗んだ男」1979年の作品です。

メガホンを取るのは長谷川和彦監督。この映画を含めて、たった2作品しか映画監督をしていないと言う、異色の経歴の持ち主です。

主人公を演じるのは、当時歌やドラマで日本中を席巻した沢田研二さん。この作品でも、その魅力を存分に発揮しています。

そしてもう一人の主役である警部を演じるのは菅原文太さん。「仁義なき戦い」での圧倒的な存在感をこの作品でも発揮しています。

まずは、映画をご覧になったことの無い方の為、簡単にあらすじを紹介をしましょう。


城戸(沢田研二)はどこか冴えない中学校教師。

いつものように満員電車に揺られながらの通勤。教師であるにもかかわらず遅刻するなど無気力で、その緊張感のなさから生徒にはあまり相手にされないダメ人間。あだ名は「ふうせんガム」。

しかし彼には、生徒はおろか、誰も知らない秘密があった。

それは核爆弾を製造すること。その為、原子力発電所を襲う計画を立て、毎日のように身体を鍛え出勤前に偵察をしていたのだった。

いつものように生徒たちに教え帰宅する城戸だが、家に帰れば着実に計画を進めていた。

台所のテーブルに整然と並ぶ実験道具と、散らかった部屋。その壁には手書きの原子力発電所見取り図。

唯一の癒しである近所のネコと戯れるとき以外は、私生活さえない程、核爆弾製造計画のために没頭していた。

やがて彼は、老人に扮し交番の警官から拳銃を奪うことに成功。後は原子力発電所に乗り込み、プルトニウムを奪還するだけ。

そんな城戸に大きな転機が訪れる。それは修学旅行の帰り道、皇居で起こった。

戦争で心に病を追った老人が城戸たちの乗るバスをジャックしたのだ!

機関銃と手榴弾を胸に抱え、天皇に会わせろと要求する老人。その要求をのむふりをして車内に乗り込む警部、山下。老人を説得し生徒の解放に成功するが、戦争を生き抜いた老人も愚かではなかった。

男子生徒を人間の盾とし、皇居へと乗り込もうと歩き始めるのだった。

皇居前に集結する沢山の警官と機動隊。果たして城戸と生徒の運命は?そして身を挺して犯人確保に挑んだ山下の運命は?


戦争に負け2つの核爆弾を打ち込まれた世界唯一の被爆国日本で、この映画の登場はセンセーショナルでした。

核を持たないと宣言している国で、一市民が核爆弾を製造し日本を相手に無謀な戦いを挑むと言う内容。

タブーとも言える領域に踏み込んだ映画と言えます。

しかし観客の反応は、それを感じさせない程に好意的なものでした。公開当時、映画雑誌の読者選出第1位を取るなど、画期的と言える映画として迎え入れられたのです。

やがて時が経ち、2006年。長らく目にすることの無かったこの作品が、DVD化されました。


実は私、この映画が公開された当時は観ていません。危険な香り漂うその内容は、当時小学生の私には手の届かないものでした。しかしながらコマーシャルは何度か目にした記憶があり、ずっと気になっていたのです。

それが、ある日ネットで調べ物をしていてDVDが発売されているのを知り、購入するに至ったのです。

2008年7月のことでした。

それから何度となくこのDVDを観ていますが、その魅力は30年経った今でも色褪せること無く、むしろ混沌とした今の時代背景が30年前に重なり、より魅力を発揮しているようにさえ思えてなりません。

今でも映画雑誌の読者や映画関係者が選ぶベスト作品に何度も選出されるのは、ダテではありません。

もしご覧になったことが無いのでしたら、レンタルでもかまわないので是非ご覧になっていただきたいと思います。そしてその目で、この作品を判断していただけたら幸いです。


さてここから先は、既にこの作品をご覧になったみなさまの為に、ネタバレを含んだ紹介をしていきたいと思います。

ですのでまだご覧になっていない方は、是非ご覧になるまでこの先は読まないようにお願いいたします。

それでも読みたいと言う方に、無理は言いません。内容を知ってしまっても、失うことのない程魅力的な映画なので問題ないとは思いますが、それでもやはり、知らない方が本来の楽しさを味わえますからね(笑)


いきなりですが、この映画の魅力は何でしょう?


私は、リアルと虚構の境界線がだんだんと麻痺し、その世界にのめり込んでしまう所にあると思います。

核爆弾を個人が造ることは、おそらく今の科学でも無理だと思います。

原材料の入手や、精製、放射線など、いくつもの問題があるからです。

だから個人が核爆弾を造ると言うのは「虚構」になります。

でもこの映画はまず最初に、科学の知識を持つ中学校教師を主人公にすることによって、観客に「ひょっとして?」と思わせることに成功しているのです。しかもその主人公を演じるのは、当時知らない人が居ない程に有名だった沢田研二さん。日本レコード大賞を受賞したり、「8時だョ!全員集合」に何度も出演されるなど、すっかりお茶の間に浸透している人が演じることによって、よりリアルに磨きをかけています。

そしてそれを迎え撃つ警部は、菅原文太さん。任侠映画やアクション映画に主演し日本中に知れ渡っていた俳優です。その存在感故に、実際にやくざと思っていた人が居た程です(この当時そう言う勘違いは多々ありましたが)。

この2人の存在が、あり得ない内容に「リアル」と言う魔法をかけているのです。

それだけではありません。

中学生を人質に取った老人は、戦争の痛みを引きずる世代。公開当時、終結から30年以上が過ぎたとは言え、戦争を経験したことがない世代の人間にとっても身内に必ず居たであろう世代の人間です。

だからこの老人の行動は、決して嘘では片付けられないと言えるでしょう。実際、この頃東京の駅前などでは戦争で身体を失った人々が軍服を着てまだ街頭活動をしていたりしますし、私も何度か目にしたことがあります。

それから物語中盤から登場するラジオ番組も、リアルに磨きをかけています。

テレビが全盛期とは言え、ラジオを聞いている人の存在も圧倒的で、私たちには生活の一部でした。

あなたは電波の向こうから、自分の送ったはがきが読まれたりした記憶はありませんか?

そのドキドキは、素晴らしいものでしたよね?

だから、核爆弾を持ってしまった男がラジオを味方につけ日本中を巻き込むと言うのも説得力があります。

こうして普段私たちが何気なく接していたものを、うまく味方に付けたのがこの映画の魅力を引立てた要因と言っても過言ではないでしょう。


過激な内容だけが騒がれているように思えるこの映画ですが、実はビジュアル的にも見所が満載です。

例えば、城戸が原子力発電所に乗り込むシーン。

ただその過程を描くのではなく、時々ストップモーションにしたり、ミュージカルのような動きで城戸を追う無機質な職員や、ゲーム感覚で脱出していく過程(インベーダーのピコピコ音など)など、本来なら良心の痛みを伴うシーンをポップに見せ、その痛みを取ることに成功しています。

核爆弾製造の様子もそうです。団地の一室、いつもの生活の空間に、見慣れない機材の数々。絶対にあり得ないであろう製造過程を、当時はやっていた音楽をバックに絡ませ、ガイガーカウンターをマイク代わりに歌うなど、さながらミュージカルのようです。

他にもあります。

オープニングは、その代表でしょう。

昇る朝日に照らされる、城戸と原子力発電所。そこに現れるタイトル「太陽を盗んだ男」

白い文字が黄色から赤へと変色していく様は、まるで核反応をシンプルに表しているようです。

バックに流れる井上堯之さんの音楽も、カッコいいことこの上ありません。

それと同じようなシーンは他にもあります。私が一番素晴らしいと思ったのは、国会議事堂のシーンです。とは言っても、城戸が女装して乗り込むシーンではありません。その前に数秒だけ映る、朝日をバックにした国会議事堂のシルエットです。

核反応を起こす太陽と城戸の持つ原爆をだぶらせてイメージし、国会議事堂の上に昇ろうとする様は、これから起こる国をも揺るがす事件を象徴しています。ここでもやはり、井上堯之さんの音楽がうまく引立てていますね。


さて主人公の城戸は、なんとか核爆弾を造ることに成功する訳ですが、その目的は殺人ではありません。

ネコにガスをかけ一見残酷に思える行動ですが、そのネコは後のシーンで再び登場しますし、同じくガスをかけられた警官も、後の新聞を見る限りでは眠らされただけのようです。原子力発電所のシーンでは、職員が燃やされたり飛ばされたりしていますが、これも医療施設が整っているはずである原子力発電所だから出来る訳であって、城戸は人を殺そうなどとは思っていなかったはずなのです。

つまりプルトニウムを奪ったけれど、その行動は愉快犯だった訳です。

しかしその城戸に、皇居以来2度目の転機が訪れます。

それは、ネコの死です。

自分の不注意から、ネコを殺してしまうのです。直接ではありませんが、自分の造ったモノで死に至らしめてしまった訳ですから、殺したも同然でしょう。

転機だったことは、学校での行動からも読み取れます。生徒が観ている目の前で、ターザンの真似事をしていましたよね?この行動は、それまで押さえつけていた何かが壊れてしまった象徴でしょう。


核爆弾を持った城戸に待ち受ける運命は「死」です。たとえ爆発しなくても、それまでに大量に浴びてしまった放射線の影響は、死に至るものだったはずです。

しかし、その放射能を浴びていない2人の死を忘れてはいけません。

ひとりはDJの沢井。「核爆弾を持ったら何をしたい?」と言う問いかけから巻き込まれ、物語終盤では城戸の逃走を手助けします。しかし、その目的を達する前に、山下の銃弾に倒れ命を落としてしまいます。

それからもうひとりは、核を奪い返そうと必死で奮闘する山下警部。最後は城戸を巻き込んで壮絶な死を迎えます。

2人とも城戸に関わったがために命を落としました。

ではこの死は何を意味してるのでしょうか?

ちょっと考えてみました。そしてひとつの答えを見つけました。


それは国家間の争いに例えられるんじゃないかと。


現在核兵器を所有している国は、残念ながらこの作品が公開された当時より増えています。

そしてその核を所有するほとんどの国では、未だに軍事行動で死者が出ています。もちろん核を持っていない国でも死者は出ていますが、本来核兵器は使う為でなく抑止の為に存在するはず。

なのに、結局は戦争に近い行為が行われ、命が奪われているのです。

核兵器を造れる高度な技術と経済力を持っていても、愚かな行為で奪われる命を救えない。

その力を別の方向に向ければ争いは防げるはずなのに、核兵器を所有してしまったが為になされない。

なんて無益なんでしょう・・・

核兵器に関わったが為に死人が出てしまうと言う悪循環。城戸に関わったが為に命を落とす2人。

自らを9番と呼んだ城戸と、後に発する「一体何がしたいんだ?」と言う台詞から、それを読み取れる気がします。


そう言う視点で見ると、非常に重いメッセージを放っている社会派作品と思われがちですが、そうではありません。前述のような意味も含まれているはずですが、やはりこれは娯楽作品です。

物語終盤の、メーデーでの群衆シーンや、息をもつかせぬデパートでの攻防。そしてカーチェイスに、ヘリを使った必死のアクション。

どれを取っても、未だに見応えのあるシーンです。

それは、観客を魅了することに心血を注いでいるからこそ出来たシーンである訳で、観客を本気で楽しませる「心意気」を感じさせます。

社会派作品には、そこまで必要とは思えません。しかしながら、その影にはしっかりとメッセージが込められている。だからこそ後世まで語り継がれる映画になれたのではないでしょうか?


この映画が公開されてから、間もなく30年が経とうとしています。

そして残念ながら、長谷川和彦監督はこの後、映画を撮っていません。

監督は現在63歳。引退にはまだ早すぎます。

ぜひとも、新しい作品を見てみたいものです。

昨今好調な邦画ですから、「太陽を盗んだ男」が公開された後の冬の時代と比べれば撮りやすい環境になっているのは明らかです。撮影に協力するフィルムコミッションの存在も、それを後押ししてくれるでしょう。

未だに人気があるこの作品を生んだ長谷川監督の最新作を望んでいる人は、決して少なくないはずですから。


さてここから先は、ちょっとした願いを込めて書き進んでみたいと思います。

この映画が撮られた1979年は、第2次オイルショックのまっただ中。日々の生活に追われ、夢を忘れてしまう程深刻な影響が私たちの生活を襲っていました。

そして今、第3次オイルショック後の世界的恐慌に見舞われ、人々の生活はまさに30年前と同じ様相を呈しています。日々を生き抜くのに疲れ果て、夢を描くことが困難な世の中になりつつあると言えます。

そんな時代だからこそ、長谷川和彦監督の破天荒とも言える映画を、観客は求めているのではないでしょうか?

リメイクである必要はないですが、私はやはり同じ題材を元にした映画を観てみたいと感じます。

その作品で城戸を主人公にするのは無理があります。映画のラストでは生きていますが、放射線の影響ですぐに死んでしまったと推測出来るからです。余談ですが、ラストは核爆発をイメージさせますが、私は爆発していないと思っています。加えて城戸を犯人として特定出来ずに時効を迎えていると。

ネコを大切にしたように、城戸は人を殺すような人間ではないはずですし、沢井と山下以外は城戸の顔を見ていません。そして何より、大量生産の時代に物証から割り出すのは難しいでしょう。だから城戸は人知れず死んでしまったのではないかと思うのです。

核爆弾を造った後は、家もきれいに片付けていたのですから、城戸が行方不明になっても誰も疑わないでしょう(学校で核兵器の講義をしたことは不安要素ではありますがラジオで話題になっていたから疑われずに済むかもしれません)

でも放射性物質を一般家庭に持ち込んだのですから、近隣の家庭には少なからず影響はあった訳で、そこに着目して物語を膨らませたら、面白い作品が造れるのではないかと思うのです。

「悪くないのに巻き込まれてしまった市民の暴走」

放射能汚染のせいとは思いもせずに、余命幾ばくもない自分の最後の悪あがき。

幼い頃耳にしたラジオの「核爆弾騒ぎ」にヒントを得て、一人黙々と核兵器を造り、国を相手に戦いを挑む。

どうです?なんだか面白そうな作品がとれそうな気がしませんか?

もし問題があるとすれば、やはりその題材でしょう。

地下鉄サリン事件で多くの被害が出た日本はもとより、911テロで多くの死者が出たアメリカも、この題材に敏感に反応するのは目に見えています。おそらく1979年よりも、激しい拒絶反応が起こるでしょう。

でも、だからこそ、そう言う映画が必要だと、私は思うのです。

そして一娯楽作品としてだけでなく、核を持たないと宣言している日本だからこそ出来るメッセージを発信出来るはずなのです。


映画製作者のみなさま!誰か長谷川和彦監督を迎えて映画を撮ってくれませんか?


今回は特に好きな作品の為、いつもよりも熱く、長くなってしまいましたが、そろそろ終わりにしたいと思います。本当はもっと書きたいことがあるのですが、それはまたいつか。


さて次回は5月29日より公開の「スタートレック」にちなんで、過去のスタートレック作品をまとめて紹介したいと思います。


それでは、また!

2009年5月1日金曜日

レ・ミゼラブル 輝く光の中で

今回のコラムはなかなか手に入りにくい作品と言う特性上、2部構成で挑みたいと思います。

まずはこの作品をご覧になったことが無い方の為、作品の紹介と簡単なあらすじを。

次に、ご覧になった方の為にネタバレをしつつ、この映画の良さを引き出しと行こうかと思います。


ではまずは、未見の方の為の第1部を・・・


映画には多くの場合原作が存在します。そして多かれ少なかれ、原作とは違う登場人物や展開がなされ、オリジナルの要素を含んできます。

しかし今回お贈りする「レ・ミゼラブル 輝く光の中で」(以下、オリジナルと区別する為「輝く光の中で」と記載)は、それとは違うアプローチで造られた作品です。

物語の元となるのは有名な文学作品「レ・ミゼラブル」

何度も映画化や舞台化がなされ、日本ではアニメ化もされ多くの人々に感動を与え続けた作品です。

最近ではリーアム・ニーソン主演で1998年に映画化されています。

「レ・ミゼラブル」では激動の19世紀フランスが舞台でしたが、「輝く光の中で」は、そのほぼ100年後の20世紀初頭から世界大戦後までの約50年を描いています。

しかしながら、物語の進行はオリジナルを踏襲し、歴史の違いをうまく取り込みつつ見せているので、「レ・ミゼラブル」を知らない人だけでなく、知っている人にも受け入れられるよう造られています。

実は私は、映画で「レ・ミゼラブル」を観たことはあるのですが、原作は読んだことはありません。

なのでここから先は、前者の立場でコラムを書いて行くことをお許しくださいませ。


物語は「レ・ミゼラブル」の主人公であるジャン・バル・ジャンの悲しげな表情から始まります。

何かを後悔し、叫びながら懺悔を乞うような表情がしばらく続きます。

場面は代わり、19世紀の終焉と20世紀の幕開けを祝う舞踏会。貴族たちが華やかな衣装に身を包み、集っています。

その会場へ、慌てた様子の男が入り込んできます。彼の名はアンリ・フォルタン。ある貴族の運転手を務めていました。

貴族は、アンリの言葉で舞踏会を去ることを決めます。なぜなら彼は偽物の貴族だからなのです。

帰路の途中、山間の道路でアンリの運転する自動車はパンクし、そこでこともあろうに突然主は拳銃自殺を図り、運悪くアンリに殺害の容疑がかけられてしまいます。

しかしながら文盲のアンリは裁判で一方的に負け、投獄されます。

それでも愛する妻と子供に会うことを信じ頑張るアンリなのですが・・・


物語の紹介は、ここまでにしておきましょう。

ずいぶん語ったんじゃないか?とご心配のみなさま、どうかご安心ください。

175分ある作品の、冒頭15分だけのあらすじです。


この作品は日本ではあまり知名度がないようで、発売当時置いているレンタル店もそれほど多くなかったと記憶しています。

当時レンタル店で店長をしていた私は、発売前にサンプルを手に入れその内容に心揺さぶられ、すぐに入荷を決めましたが、残念ながら商業的には厳しい結果でした。

今現在、流通しているのはほとんどがレンタル上がりの商品で、長いテープを使用している都合上、程度もあまり良くないのが現状です。現に私が入手した中古も、途中に数カ所傷がありました。

海外ではどうかと言うと、本国フランスではDVDが4年前にリリースされ今現在も入手可能のようです。

アメリカでも入手出来るようですが、リージョンコードが日本とは違うので観られません。いずれにしても日本国内のDVDプレーヤーでは再生出来ないので(パソコンやリージョンフリーのプレーヤー等を使用すれば観る方法もありますがこちらは自己責任で)、どうしても観たい場合は、やはり中古ビデオしか手がないようです。

海外での発売時期を考えると、この先日本国内でDVDが発売される可能性は低いと思われますので、もし興味を持った方がいらっしゃいましたら、アマゾンのマーケットプレイスなどを利用して手に入れることをお勧めします。おそらく金額的には安いと思われますので。

しかし今回、この調べものをしていて驚きました。

アメリカのアマゾンで、かなり高い評価を得ているんですね。なぜ、これほどの名作を日本が放っておくのか不思議でなりません。

ちなみに発売当初のビデオと廉価版は、フランス作品であるにも関わらずワーナーからでした。発売されない理由は、そこにもあるのかもしれません。


さて、作品紹介はここまでにして、これから先はご覧になった方と共に感動を分かち合うネタバレ編にしましょう。

まだご覧になっていない方は、ここからは読まないことをお勧めします。

感動が半減してしまいます。

是非、入手してご覧になってください。決して損の無い作品ですから。


では、ネタバレ編です。


あなたはこの作品のどこが気に入りましたか?


私は、親子二代に渡る長い年月を描き、なおかつ歴史上の事件を織り交ぜているにもかかわらず、決して本質であるドラマがかすんでいないこと。むしろ、歴史上の事件と相まって、大きな感動を生み出していることです。

それはビデオのパッケージからも読み取れます。

裏面に記載されているあらすじには、息子であるアンリの物語しか書かれていません。

なぜでしょう?

メーカー側としては、ビデオを手に取った人に対してその物語を売り込みたかったからではないでしょうか?

それだけ感動的な部分であると言えると思うのです。

特に第2次世界大戦に入ってからの展開は、凄まじいものがあります。

ユダヤ人である為に、国を追われるように逃げ出す家族と、それに巻き込まれてしまったアンリ。

この4人の物語が交互に展開され、長編映画ではありがちなダレてしまう後半部分を、前半よりも短い時間の感覚で観させてくれています。

 生き延びる為、親元から離れ寄宿学校へ入った娘。

 ナチスの娼婦として囚われの身になったジマン婦人。

 瀕死の重傷を負いながらも、親切な農夫に助けられ、でも金と一方通行の愛に阻まれ世界から隔離されてしまったジマン。

 そんな3人を守ろうと、どんな責め苦にも負けずに耐え、生き抜く為に盗みまで働くアンリ。

戦争と言う残虐行為を生き抜こうとする人間の勇気が、言葉にするとたった4行の展開の中に、全て託されています。

それ故に、ノルマンディー上陸作戦と絡むことによって大きな感動を生むのです。

ただ残念なことに、日本で発売されたビデオはトリミングされ、TVサイズに変更されています。

もしオリジナルのシネマスコープサイズだったら、更なる感動を生んでくれたと思うのですが・・・こればかりはDVDかブルーレイで発売されるのを願うばかりです。


私がもうひとつ気に入ったのは、どんな逆境にもくじけず自分を信じるアンリの生き様です。

義理を忘れず、たとえ自分が不利になろうとも信じる正義を貫くその姿勢は、簡単に真似の出来るものではありません。

そして、文盲であってもそれを不幸と思わず、常に前向きに生きる姿には、この作品と出会って12年経った今でも勇気をもらいます。

今回のコラムを書く為約10年ぶりに見たのですが、改めて作品の奥深さを感じラスト15分は涙しました。当時、泣いた記憶が無かったので、私もそれだけ歳を重ねたと言うことでしょうか・・・

そして、以前観た時には気づかなかった発見が、いくつかありました。

その中でも特に大切だと思ったことがあります。

それは、この作品がビクトル・ユーゴーへのオマージュであるとともに、映画と言う発明へのオマージュでもあると言うこと。

それに気づいたのは、物語序盤での貴族とアンリの会話からです。

「子供はいくつになるんだ?」との貴族の問いに、

「5歳です、映画と同じ」と言う答えを返します。

このシーンは世紀越えの舞踏会後なので、数えるとアンリの子供(後のアンリ)は1894~5年生まれと言うことになります。

そのアンリが生まれた年には、エジソンの発明に大いなる影響を受けたリュミエール兄弟が商業映画を完成させ上映を始めています。

母とともにノルマンディーの酒場で働いていたアンリの息子が目にし、衝撃を受けるのは映画でした。

物語の終盤が近づき、仲間と一緒に入ったのも映画館でした。

そして共に上映作品は、「レ・ミゼラブル」を題材にした作品であったのです。

一見すると、作者に対しての敬意を払っているだけに思えますが、実はそうでもないようです。

物語がたどる約50年の月日の中で、「レ・ミゼラブル」と言う本だけを絡めて行けば済むはずの内容に、なぜ映画を絡めたのでしょう?そしてなぜ、アンリはその年に生まれた設定なのでしょう?

その秘密は、この作品が造られた年にあります。


1995年。


つまり、リミュエール兄弟が映画を発明した年から数えてちょうど100年目だったのです。

これを単なる偶然ととらえてしまってはいけないと思います。

初めて映画を観たアンリ少年のあのまなざしは、文字を読めるようになって本を読んでいる50年後のアンリと、何ら変わらないのです。

つまり、本を読み想像力を膨らませるのと同じ感動を、映画は与えてくれると言うことを表現したかったんだと思います。


この「レ・ミゼラブル 輝く光の中で」では、他にももっと語りたい要素があるのですが、今回はここまでとしましょう。

全て話してしまっては、改めて観直そうとされている方々の感動を半減させかねませんから・・・


この続きは、ひょっとしたら発売されるかもしれないDVDに運命を託しましょうか。


さて次回は、予告通り「太陽を盗んだ男」をお贈りいたします。

こちらの作品はDVDが発売されていますので、みなさまもご覧になる機会があるかもしれませんね。

なるべく早いうちに更新したいと思いますので、それまで作品をご覧になるなどしてお待ちくださいませ。


それでは、また!



映画データ


1995年フランス映画 175分


製作・監督・脚本 クロード・ルルーシュ

美術       ジャック・ブノワール

音楽       フランシス・レイ ミシェル・ルグラン

出演       ジャン=ポール・ベルモント ミシェル・ブシュナー アレサンドラ・マルティンス 他

もうひとつのリニューアル

「レ・ミゼラブル 輝く光の中で」のコラムはただいま執筆中です。
本日中にアップ出来ますので、しばしお待ちくださいませ。

さて今回、こちらのブログを移転しリニューアルしたわけですが、実はもうひとつのホームページもリニューアル作業中で、先ほどやっと完成致しました。

そのホームページは「きまぐれ写真館」です。
アドレスは、


になります。

以前から「極私的感涙映画評」をご覧頂いている方は既にご存知かとは思いますが、「きまぐれ写真館」は私が撮り溜めた写真を中心に構成されているホームページです。
リニューアル内容は見ていただくこととして、ここでは簡単な紹介をさせていただきたいと思います。
実は、「極私的感涙映画評」を移転したのには「きまぐれ写真館」が密接に関係していて、更新の簡素化を目指した為なのです。
私が以前から使用しているホームページ作成ソフトはDIGITALSTAGEと言うメーカーのIDforWEBLIFEとBINDforWEBLIFEと言う2本のソフトなのですが、今回BINDforWEBLIFEがバージョン2.5となり、Googleのサービスをうまく取り込む仕様になったのです。
分かりやすく言うと、GoogleのサービスであるブログサービスBloggerをBINDのサイト内に融合させられるようになったのです。
同じ内容の2つのサイトを同時に更新していた煩わしさから解放される訳で、これを利用しない手はありません。

そこで今回のリニューアルとなった訳です。

両ソフトとも、難しい知識が無くても簡単に美しいホームページが造れますので、これを機会にみなさまも是非お試しになってはいかがでしょうか?
どちらのソフトも14日間フルに使える体験版がダウンロード出来ます。

さて、それでは続いて「レ・ミゼラブル 輝く光の中で」をお贈りしたいと思います。