2006年6月30日金曜日

ALWAYS三丁目の夕日

この物語は二つの家族を中心に、取り巻く近隣住民の物語を絡めて描く、最近ではあまり見かけなくなった「ベタ」な人情物語です。

「ベタ」と言うと聞こえは悪いですが、これはこの映画が成功した上での重要な鍵であると私は思います。

どこにでもありがちで、しかも今までにも使い古された手法を取っている事は、この映画と同じ時代をリアルタイムで見てきた人にとっては、欠かせない要素なのです。

似たような映画を沢山観て、ここでこうなると判っていてもついつい笑ったり、涙してしまう。最近の映画では、過激なシーンだけでなく必要のない刺激ばかりが強いCGの使われ方など、心の伴っていない部分が、特に大作には多いと思います。

しかしこの映画は、ベタな物語をあえて使い、それを補助する役割としてCGが多用されているのです。

私は、この映画の監督山崎貴さんのファンでありますが、それを差し引いても日本で一番CGや合成などのVFXを上手く使いこなせる人だと思っています。

それだけの実力を持った人が、あえて物語のメインではなく、脇役としてこれだけ沢山のVFXを惜しみなく使っている事に、感動すら覚えます。

そして年配の方々にとっては、本物とCGの区別さえ付かない程よくできた街並みに、遠慮無く心を預ける事が出来るのです。

実際に、この映画の中では今も現存する街並みでのロケ、屋外での大がかりなセット、スタジオ内のセットを上手く使い分け、全く違和感なく、夕日町というひとつの町を再現しています。

詳しくは是非、豪華版を購入して、メイキングをご覧になって下さい。

「えっ?ここはスタジオ内だったの?」とか「これはスタジオじゃなかったの?」とか「こんな町が今でもあるんだ!」と驚く事間違いナシですよ。

そうして舞台裏を知る事によって、さらに映画への愛着が増すはずです。

メイキング内で触れられている内容は、今回のコラムでは極力省くつもりではいるのですが、若干触れる事をお許し下さい。

特にこれははずせない!と思える事があるのです。

多分この映画で最初に引き込まれたシーンは、誰もがオープニングだったのではと思うのですが、いかがでしょう?

実は良〜く観ないと気付かない些細な事なのですが、オープニングの4分間は一切切れ目がないのです。

ラジオから始まり、掃除する母、子供達の帰宅、テレビのやり取り、遊びに行く子供達、飛行機を飛ばす姿、飛んでいく飛行機、そして東京の大通り、この全てが1つのカットに収まっているのです。

これを1回で撮り切るのは無理なのですが、飛行機が飛ぶまでのシーンは実際に切れ目が無く、何度も取り直したそうです。

何度も取り直す。それだけでも相当な苦労が伴うのですが、実はこのシーンの本当の苦労その後にあります。何があったのかは・・・豪華版に含まれるメイキングをご覧になって下さい。

VFX職人でもある「山崎貴」と言う人物のこだわりと、監督としての立場の苦労が、手に取るように判りますよ。

そして、映画というのはたった数分の為にもこれだけの労力と苦労が伴っているという事が、良く判ります。


さてストーリー展開は詳しくは書かないとして、この映画は沢山の涙のポイントがあります。

もちろん涙を誘う為には、まず立派な脚本があり、素晴らしい演技があり、心を揺るがす旋律が必要です。

この映画の素晴らしいところは、その3つがきちんと揃っている上に、どれかが目立ち抜きん出ているわけでない、と言うところだと思います。

バランスがよいのです。

脚本は実際に読んだわけではないので(月刊シナリオ2006年1月号に掲載 現在入手不可)、ここで詳しく述べる事は出来ないのですが、いずれ何らかの形で読む事が出来た時、あらためてコラムに記したいと思います。

以前のコラムでも述べた事があるのですが、笑いと涙のバランスは、感動する映画での重要な要素です。

この映画のシナリオには、それが上手く活用されています。

全部の例を挙げるとかなり長くなってしまうので、あえて例えるなら、笑い・笑い・笑い・ちょっと涙・笑い・笑い・涙・笑い・涙・涙・涙・涙・笑顔って感じでしょうか。

おっと、充分長かったですね(笑)

中でも私が時に気に入っている二つのシーンをここで紹介させて下さい。

迷子の二人が戻ってきた直後、六子が突然お腹を抱えて倒れます。

私は初めて観た時、年頃だから初潮を迎えてみんなで温かく見守ると言う展開を期待していたのです。

実際はどうでしょう?

腐ったシュークリームを食べての食あたりでした。

見事に期待を裏切られました。

しかし、この「裏切り」が心地良い笑いをもたらすのです。

次は、詫間先生の家庭の話。

酔った詫間先生がお土産を抱えての帰宅。温かい家庭がそこにあったと思いきや空き地で爆睡。映画館ではちょっとした笑いが起きました。

そして帰り着いた家はもぬけの殻。一人の寂しい暮らしが待っている。で、さっきまで一緒に呑んでいた夕日町の住人がポツリと呟くのです。

「もはや戦後ではないか・・・」

そう、家族は空襲で焼け死んで、とうに亡くなっていたのです。

ちょっと可哀想になった人はここで涙しますが、実はこのシーンが後の伏線になっています。

サンタクロースが淳之介にプレゼントを持って来るシーンは印象的でしたね。淳之介は地球がひっくり返る程の大喜び。

その後、一杯飲み屋で茶川が落ち合ったのは詫間先生でした。そう、サンタは詫間先生だったのです。

自分の子供へは永遠にプレゼントをあげる事が出来ない、詫間先生が、です。

人の為に尽くすその姿に、私は熱いものが込み上げました。

現代の世の中に足りない「優しさ」を見せつけられた気がします。


さて次は演技です。私が注目しているのは3人。

まず主人公である茶川を演じた吉岡秀隆さん。

頼りなさと情けなさを見せながらも、時に真剣に、時にコミカルに、人間の感情の起伏を上手く表現していると思います。

中でも、一見大げさに見えるリアクションは特筆すべき事柄です。

吉岡秀隆さんは、幼少の頃から様々な映画・ドラマで活躍されているのですが、その長い俳優活動で、殆どを一緒に過ごした(競演した)人がいるのです。

そう、日本人の誰もが知っている、あの寅さんです。

この映画の中では、その寅さんである俳優「渥美清」へのオマージュが多々感じられるのです。

これは単に私が感じているだけでなく、実際に吉岡秀隆さんとお付き合いのある方も言っておられました。

そして私には、この映画が俳優「吉岡秀隆」の大きな分岐点になるのではないか?と期待しています。

それからもう一つ気になる事があるのですが・・・山崎貴監督が、どうやってこの映画の出演を口説いたのか、です。

実はここに、この演技の大きな秘密がある気がしてならないのですが・・・

さて残りの2人は脇を固める女性陣です。鈴木オートの社長夫人(笑)を演じた薬師丸ひろ子さんと、青森から上京した六子を演じる堀北真希さんです。

薬師丸ひろ子さんと言えば、私たちの世代が知っているのはアイドルとしてでした。

女優をしながら歌もこなす、そんな姿を見て育ったからです。

しかしこの映画ではどうでしょう!母親の暖かい心を、表情と仕草で見事に演じきっています。

私が観た映画館では、薬師丸さんの演技が特に笑いを誘っていました。

初日の1回目、しかも舞台挨拶がついたプレミアものの上映だったのですが、そこに薬師丸ひろ子さんの姿はありませんでした。

もしここにいたら・・・初めてテレビを囲むシーンで全ての住人の熱中し感動する姿が、映画のスクリーンを観る人に置き換えて薬師丸さんに見てもらえたかも知れないのに・・・残念でなりません。

話がちょっと逸れてしまいましたね(笑)

堀北真希さんと言えば、シリアスな役や、ホラー映画など、どちらかと言えば暗い役ばかりが目立っています。「野ブタ。をプロデュース」の小谷信子役などの印象が特に強いからかも知れません。

でもこの映画ではどうでしょう?

実にコミカルなのです。コメディエンヌなのです。

集団就職で1人上京したと言う暗い背景があるのに、前半の各シーンではしっかりと笑いを誘っています。

襖越しの喧嘩のあとでさえ、です。

これはもう、演技の枠を越えた彼女の魅力のひとつではないでしょうか?

実は先日、とある深夜番組を観ていてたまたま堀北真希さんがゲストだったのですが、これが面白かった!

バラエティ番組にも通用する、そんな魅力が十分発揮されていました。

しかし基本である演技がしっかりしているから、その魅力が発揮されるわけで、大晦日に鈴木家の前で見せる涙を堪えるシーンでは、演技の基本がしっかり出来ていることを見事に証明しています。


さて、最後の要素、音楽ですが、この映画の音楽は佐藤直紀さんという方が手掛けられています。

名前はあまり知られていませんが、代表作を挙げると、実は身近に聞いていたと言う事が分かるかと思います。

TVでは「ウォーターボーイズ」「H2」「海猿」最近では「トップキャスター」

アニメでは「交響詩編エウレカセブン」「ふたりはプリキュア」等々。

CM音楽も多々手掛けています。

私は音楽や映画を学校で学んだわけではないので、詳しい解説は出来ませんが、このサントラは幾つかの主な旋律のアレンジを変えて各シーンの音楽としています。

そしてひとつの手法として、すり込みが行われている、と私は思います。

ラスト45分の展開を例に取ると、判りやすいでしょう。

ある旋律を「涙」のシーンに持ってきます。

ここで涙するわけですが、その後の重要なシーンで、大きな展開が起こる前に同じ旋律が流れる事によって、その涙を身体が覚えているわけですね。

「指輪」のシーン、涙した人も多かったでしょう。ここで流れる旋律は、後に、六子が母親の手紙を抱きしめるシーン、淳之介の手紙を読んで涙する茶川、そして東京タワーを眺めるラストシーンに使われています。(実は最初の4分間もそうなのですが・・・)

どうです?言われないと気付かない些細な事ですが、こうした手法を用いて映画を盛り上げているのです。

あなたも見事に、はまりませんでしたか?

恐らくラスト30分は、涙に継ぐ涙だったのではないでしょうか?


この映画の印象的なラストシーンは、茨城県のとある河川敷で撮影されています。

撮影はこの日しかない、と言う状況の中、あの夕焼けは奇跡的に取られました。

幾つかの背景を消すという手直しはありましたが、あの夕焼けは本物の夕焼けなのです。

私は何とかこの場所を探して、これまでに3度程訪れたのですが、未だにあの夕日には出会していません。

いかにこのシーンの撮影が奇跡的で、運命に導かれていたか、私は身をもって体験しました。

そしてこの奇跡と運命が、沢山の技術や演技の苦労、そして製作に携わった全ての人の努力を、後押しして、空前の大ヒットを生み出したと、私は信じて疑いません。


まだまだ書き足りない事が山程あるのですが、既に相当長くなってしまったので、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

いずれまた、シナリオを読んだ後で続きを書く、という事でお許し下さい。


さて次回は、最近賛否両論のスピルバーグ監督「A.I.」をお贈りしたいと思います。

なるべく早く書くよう努力しますが、多少の遅れはお許し下さい。


それでは、また!


2005年 日本映画133分

監督・VFX          山崎貴

エグゼクティブ・プロデューサー 阿部秀司 奥田誠治

プロデューサー         安藤親広 高橋望 守屋圭一郎

ライン・プロデューサー     竹内勝一

原作              西岸良平「三丁目の夕日」

脚本              山崎貴 古沢良太

音楽              佐藤直紀

主題歌             D-51「ALWAYS」

撮影              柴崎幸三

照明              水野研一

録音              鶴巻仁

美術              上條安里

装飾              龍田哲児

VFXディレクター       渋谷紀世子

編集              宮島竜治

音響効果            柴崎憲治

助監督             川村直紀

制作担当            金子堅太郎

出演 吉岡秀隆 堤真一 小雪 堀北真希 もたいまさこ 三浦友和(特別出演) 薬師丸ひろ子

2006年6月16日金曜日

スターシップ・トゥルーパーズ

いかがでしたか?この映画。

単なるSF戦争物の娯楽映画として捉えると、非常に良くできて面白い作品として観られると思います。

現に日本国内での興行収入は約11億円。「タイタニック」の大ヒットに湧き、ほぼ同時期に「エイリアン4」が上映されていたことを考慮しても、健闘した部類に入ります。

しかし私は、この作品を面白いと思いながらも、心の奥底では否定しています。

その理由を語る上で重要なのは、原作の存在。

「宇宙の戦士」

本国アメリカでは1959年に刊行、日本国内ではハヤカワ文庫から現在も発売されている400ページ強の小説。

軍に所属した経験がないものは、正式な市民権を与えられない未来の地球。戦争という大きな過ちを繰り返した上で地球人類が選んだ道は、人種や性別の差別はないが、社会主義が勝利し世界を統一した世界。

主人公リコは、参政権などを持つ市民より格下の一般市民である両親の反対を押し切り志願。様々な戦闘と修羅場をくぐり抜け成長していく過程を、主人公の視点から描いた異色青春もの。

戦争肯定の作品と思われがちですが事実は違うところにあると私は思います。

「戦わなければ平和は守れない」のです。人を傷つけたり、血を流さなければ、襲い来る敵の恐怖をはね除けることは無理なのです。

映画でも共通していることですが、戦いという行動でしか示さない相手は全て敵であり、戦いに勝利しなければ平和は守れないし、死を意味しています。

このテーマは小説が書かれた当時だけでなく、人類が知恵を持った時から今現在に至るまで人間を苦しめている大きな問題とも言えます。

この小説を私が初めて読んだのは中学生の時。

戦闘時の孤独の激しさや心の高ぶり、残酷な描写、異性物との戦いはショッキングであり、この小説が訴えようとしていた事柄よりもそちらが優っていたのは事実です。と書きながらも、今現在もこの小説の主題は私には判りません。相変わらず「争うことを避けている」からです。

問題を大きくしない為なら自己犠牲も仕方ない、そんな考えが私を支配していると言えるかも知れません。

ただ、そうは考えながらも、許せないために闘志が込み上げてくることも多々あります。

今の私は、そのバランスの上で成り立っているようです。

書かれてから約50年経った今の世界も、同じバランスの上で成り立っています。

そして「それ」は、常に非常に危うい状態にあるとも言えます。

世界の平和を守っていると思われがちのアメリカも、別の側の視点に立てば敵です。

アメリカがイラクに侵攻してから(世界的には平和の為に戦ったとされていますが、第3者の視点で見れば侵攻が妥当だと思えるのでこの表記になったことをお許し下さい)、今もまだイラクから争いが絶えないのは根本にある問題が解決されていないからでしょう。

その根本の問題とは?

文化や宗教の違い?

それだけではない気がします。

利権の為にテロという言い訳を付けた戦いだから?

それがこの戦争の隠れた大義に思えるのですが、それだけでもないようです。

根本的な問題は、理解し合っていない、理解しようとしない事にあるのでは?と私は思います。

ただこれも、綺麗事かも知れません。

でも今の私は、例えそれが綺麗事でも信じようと思います。

そう、全ては相手を信じなければ始まらないのですから。


さてこの映画「スターシップ・トゥルーパーズ」は、タイトルを始め登場人物、描かれる物語など、原作にかなり忠実に描かれています。特に台詞などは意識してそのまま使用している箇所が多いようです。

主人公リコの恩師であり、後の小隊長であるラズチャックを演じるマイケル・アイアンサイドは、まさに原作イメージ通りの配役であるでしょう。

ここまで書くと、原作に忠実な映画化と思えます。

しかし原作を知るものとしては、見逃せない大切な「もの」が足りないのです。

そのせいで、映画と小説は全くの別物となり、小説を愛する人間にとっては映画が侮辱しているとも思わせてしまうのです。

「パワードスーツ」

人間が機械の鎧を着ることで、単身で戦車部隊をも破壊できるという兵器の名称。

映画の主人公リコが歩兵という設定であるのも、この武器の存在が大きいのです。

話が少し逸れますが、日本でこの小説が刊行されたのは1977年。その際に「スタジオぬえ」の描く挿絵が使用されたのですが、ここで描かれたパワードスーツが今も日本アニメ界に大きな影響を与えています。

この絵こそが、今も派生作品が次々と生み出される、あの「機動戦士ガンダム」のモビルスーツの原点なのです。

私が小説に興味を示し読む切っ掛けとなったのも、実はガンダムの存在でした。

このパワードスーツに包まれた人間の孤独感と恐怖心が小説の重みを増し、戦うことの意味を考えさせる大きな存在になっているから、なのです。

この映画は、その存在を否定していると、私には思えます。

映像化が技術的に無理だったのでは?と思う方も多いでしょうが、それは違います。

巨大なハサミを武器に持つあのバグの映像を見たら判るでしょう。

数百という大群を、さもそこにいるかのように見事に描いているではありませんか。

宇宙での艦隊の雄姿はどうでしょう?

あの巨大な宇宙船を、無数の艦隊で描き、その重量感で緊張をも感じさせられるのです。

人型の兵器が、造れないわけがありません。

では、なぜ描かれなかったのでしょうか?

残念ながら私には判りませんし、知る術もありません。

ただ、そのキーワードは監督にある気がして止みません。


ポール・バーホーベン


主な作品は全て大ヒットして、それこそハリウッドには欠かせない監督とも言えるでしょう。

「ロボ・コップ」「トータル・リコール」「氷の微笑」「ショーガール」

どれも衝撃的な内容で、その当時物議を醸し出したものばかりです。

娯楽を追求しながらも、その影に潜む問題をより鮮明に打ち出し、観る者へと伝えようとする社会派の監督と言えるのではないでしょうか?

原作である小説が書かれた当時アメリカは、冷戦の真っ只中。そして時代はベトナム戦争へと向かいつつありました。

この映画が造られたのは1997年。その企画自体がスタートしたは1991年(パンフレットに記載)。

まさに湾岸戦争が始まったその時だったのです。

弱者を責める国を各国と連合して守るのは正義と言えるでしょう。

しかし正義に名の下に戦争をしたとしても、それは許されるものではありません。

では冷戦はどうだったでしょうか?

ベトナム戦争はどうだったでしょうか?

結局、末端であればある程多くの悲劇と憎しみを生み、負の遺産しか残らなかったとは言えないでしょうか?

オランダ人である監督は、自らもナチスドイツに支配された国に育つ経験があり、その痛みは良く判っているのです。

小説を読んだものにとって、この映画は一見すると原作のテーマと世界観を台無しにした作品に思われるかも知れません。

でも果たしてそうでしょうか?

それだけで片づけていいのでしょうか?


いつでも戦いに走る世界に、「本当にそれでいいのか?」と訴えるその姿勢は、小説にも映画にも共通しているように思うのですが・・・


この判断は、映画を観、小説を読んだその方だけに託したいと思います。

私もこのコラムを書きながら、もう一度読み返そうと引っ張り出してきました。

本はすっかり赤茶けてしまいましたが、その内容は今現在も決して色褪せていないはずです。

多忙な中、何ヶ月かかるか判りませんが、じっくりと読んでみようかと思います。


さて、次回のコラムは前回の予告通り、「ALWAYS 三丁目の夕日」をお贈りします。

映画の内容にも踏み込んで紹介したいので、是非是非ご覧になってからお読み下さい。

現在、絶賛発売中&大好評レンタル中です。

未見の方、買っても損のない映画ですよ!!


それでは、また!

1997年 アメリカ映画128分

監督 ポール・バーホーベン

製作 アラン・マーシャル

脚本 エド・ニューマイヤー

音楽 バジル・ポールドゥリス

出演 キャスパー・ヴァン・ディーン デニース・リチャーズ ディナ・メイヤー マイケル・アイアンサイド 他

スターシップ・トゥルーパーズ

いかがでしたか?この映画。

単なるSF戦争物の娯楽映画として捉えると、非常に良くできて面白い作品として観られると思います。

現に日本国内での興行収入は約11億円。「タイタニック」の大ヒットに湧き、ほぼ同時期に「エイリアン4」が上映されていたことを考慮しても、健闘した部類に入ります。

しかし私は、この作品を面白いと思いながらも、心の奥底では否定しています。

その理由を語る上で重要なのは、原作の存在。

「宇宙の戦士」

本国アメリカでは1959年に刊行、日本国内ではハヤカワ文庫から現在も発売されている400ページ強の小説。

軍に所属した経験がないものは、正式な市民権を与えられない未来の地球。戦争という大きな過ちを繰り返した上で地球人類が選んだ道は、人種や性別の差別はないが、社会主義が勝利し世界を統一した世界。

主人公リコは、参政権などを持つ市民より格下の一般市民である両親の反対を押し切り志願。様々な戦闘と修羅場をくぐり抜け成長していく過程を、主人公の視点から描いた異色青春もの。

戦争肯定の作品と思われがちですが事実は違うところにあると私は思います。

「戦わなければ平和は守れない」のです。人を傷つけたり、血を流さなければ、襲い来る敵の恐怖をはね除けることは無理なのです。

映画でも共通していることですが、戦いという行動でしか示さない相手は全て敵であり、戦いに勝利しなければ平和は守れないし、死を意味しています。

このテーマは小説が書かれた当時だけでなく、人類が知恵を持った時から今現在に至るまで人間を苦しめている大きな問題とも言えます。

この小説を私が初めて読んだのは中学生の時。

戦闘時の孤独の激しさや心の高ぶり、残酷な描写、異性物との戦いはショッキングであり、この小説が訴えようとしていた事柄よりもそちらが優っていたのは事実です。と書きながらも、今現在もこの小説の主題は私には判りません。相変わらず「争うことを避けている」からです。

問題を大きくしない為なら自己犠牲も仕方ない、そんな考えが私を支配していると言えるかも知れません。

ただ、そうは考えながらも、許せないために闘志が込み上げてくることも多々あります。

今の私は、そのバランスの上で成り立っているようです。

書かれてから約50年経った今の世界も、同じバランスの上で成り立っています。

そして「それ」は、常に非常に危うい状態にあるとも言えます。

世界の平和を守っていると思われがちのアメリカも、別の側の視点に立てば敵です。

アメリカがイラクに侵攻してから(世界的には平和の為に戦ったとされていますが、第3者の視点で見れば侵攻が妥当だと思えるのでこの表記になったことをお許し下さい)、今もまだイラクから争いが絶えないのは根本にある問題が解決されていないからでしょう。

その根本の問題とは?

文化や宗教の違い?

それだけではない気がします。

利権の為にテロという言い訳を付けた戦いだから?

それがこの戦争の隠れた大義に思えるのですが、それだけでもないようです。

根本的な問題は、理解し合っていない、理解しようとしない事にあるのでは?と私は思います。

ただこれも、綺麗事かも知れません。

でも今の私は、例えそれが綺麗事でも信じようと思います。

そう、全ては相手を信じなければ始まらないのですから。


さてこの映画「スターシップ・トゥルーパーズ」は、タイトルを始め登場人物、描かれる物語など、原作にかなり忠実に描かれています。特に台詞などは意識してそのまま使用している箇所が多いようです。

主人公リコの恩師であり、後の小隊長であるラズチャックを演じるマイケル・アイアンサイドは、まさに原作イメージ通りの配役であるでしょう。

ここまで書くと、原作に忠実な映画化と思えます。

しかし原作を知るものとしては、見逃せない大切な「もの」が足りないのです。

そのせいで、映画と小説は全くの別物となり、小説を愛する人間にとっては映画が侮辱しているとも思わせてしまうのです。

「パワードスーツ」

人間が機械の鎧を着ることで、単身で戦車部隊をも破壊できるという兵器の名称。

映画の主人公リコが歩兵という設定であるのも、この武器の存在が大きいのです。

話が少し逸れますが、日本でこの小説が刊行されたのは1977年。その際に「スタジオぬえ」の描く挿絵が使用されたのですが、ここで描かれたパワードスーツが今も日本アニメ界に大きな影響を与えています。

この絵こそが、今も派生作品が次々と生み出される、あの「機動戦士ガンダム」のモビルスーツの原点なのです。

私が小説に興味を示し読む切っ掛けとなったのも、実はガンダムの存在でした。

このパワードスーツに包まれた人間の孤独感と恐怖心が小説の重みを増し、戦うことの意味を考えさせる大きな存在になっているから、なのです。

この映画は、その存在を否定していると、私には思えます。

映像化が技術的に無理だったのでは?と思う方も多いでしょうが、それは違います。

巨大なハサミを武器に持つあのバグの映像を見たら判るでしょう。

数百という大群を、さもそこにいるかのように見事に描いているではありませんか。

宇宙での艦隊の雄姿はどうでしょう?

あの巨大な宇宙船を、無数の艦隊で描き、その重量感で緊張をも感じさせられるのです。

人型の兵器が、造れないわけがありません。

では、なぜ描かれなかったのでしょうか?

残念ながら私には判りませんし、知る術もありません。

ただ、そのキーワードは監督にある気がして止みません。


ポール・バーホーベン


主な作品は全て大ヒットして、それこそハリウッドには欠かせない監督とも言えるでしょう。

「ロボ・コップ」「トータル・リコール」「氷の微笑」「ショーガール」

どれも衝撃的な内容で、その当時物議を醸し出したものばかりです。

娯楽を追求しながらも、その影に潜む問題をより鮮明に打ち出し、観る者へと伝えようとする社会派の監督と言えるのではないでしょうか?

原作である小説が書かれた当時アメリカは、冷戦の真っ只中。そして時代はベトナム戦争へと向かいつつありました。

この映画が造られたのは1997年。その企画自体がスタートしたは1991年(パンフレットに記載)。

まさに湾岸戦争が始まったその時だったのです。

弱者を責める国を各国と連合して守るのは正義と言えるでしょう。

しかし正義に名の下に戦争をしたとしても、それは許されるものではありません。

では冷戦はどうだったでしょうか?

ベトナム戦争はどうだったでしょうか?

結局、末端であればある程多くの悲劇と憎しみを生み、負の遺産しか残らなかったとは言えないでしょうか?

オランダ人である監督は、自らもナチスドイツに支配された国に育つ経験があり、その痛みは良く判っているのです。

小説を読んだものにとって、この映画は一見すると原作のテーマと世界観を台無しにした作品に思われるかも知れません。

でも果たしてそうでしょうか?

それだけで片づけていいのでしょうか?


いつでも戦いに走る世界に、「本当にそれでいいのか?」と訴えるその姿勢は、小説にも映画にも共通しているように思うのですが・・・


この判断は、映画を観、小説を読んだその方だけに託したいと思います。

私もこのコラムを書きながら、もう一度読み返そうと引っ張り出してきました。

本はすっかり赤茶けてしまいましたが、その内容は今現在も決して色褪せていないはずです。

多忙な中、何ヶ月かかるか判りませんが、じっくりと読んでみようかと思います。


さて、次回のコラムは前回の予告通り、「ALWAYS 三丁目の夕日」をお贈りします。

映画の内容にも踏み込んで紹介したいので、是非是非ご覧になってからお読み下さい。

現在、絶賛発売中&大好評レンタル中です。

未見の方、買っても損のない映画ですよ!!


それでは、また!


1997年 アメリカ映画128分

監督 ポール・バーホーベン

製作 アラン・マーシャル

脚本 エド・ニューマイヤー

音楽 バジル・ポールドゥリス

出演 キャスパー・ヴァン・ディーン デニース・リチャーズ ディナ・メイヤー マイケル・アイアンサイド 他

2006年6月8日木曜日

スターウォーズ エピソード4・5・6

まずは前々回のコラム「覚え書き」で紹介した、すずきじゅんいち監督作品「秋桜」ですが、発売元のvapの通販サイトに僅かながら在庫があります。もし興味のある方は、お早めにご購入ください。税込3980円となっております。

保存などを考えると本来ならDVDが良いのですが、アメリカからの通販となってしまい購入時の英文等の面倒臭さがあるのと、ビデオと画質が変わらない(むしろビデオの方が良いかも知れません)のでビデオの方をお薦めします。


ここでひとつお断りがあります。

なるべく正確を期する為に、当時の記憶を元にネットや書籍等で調べながら以下のコラムを書いたのですが、一部不正確な記述があるかも知れません。

もしお気づきの方は、コメントの方でご指摘頂けると幸いです。

それではコラム本編に入りましょう。

今回はいっぺんに3作品、しかも後に公開となった特別編も加えると膨大な数の情報量となるので、映画データーは監督・製作・脚本・音楽・主要登場人物だけの紹介とさせて下さい。

詳しいデーターをお知りになりたい方は、ネット上で豊富に出回っているのでそちらを参考になさることをお薦めします。

またストーリーに関しては、知らない人がいない程有名な作品ですので、それぞれの大まかな流れのみを紹介したいと思います。

まずはクラシック3部作の1番目、作品中の歴史順で行くと4番目の作品「新たなる希望」

砂漠の惑星に伯父伯母と共に住むルーク青年が、憧れの宇宙へ飛び立ち活躍・成長していくという物語です。

次の作品は「帝国の逆襲」

劇的勝利を収めた共和国軍が、帝国軍の反逆を受け、一進一退を繰り返しながらそれぞれの運命の歯車が狂っていく様子を描いた物語です。

最後の作品は「ジェダイの復讐」

この副題に関してはちょっとした経緯があるのですが、それは後程DVDの解説を行う時に説明しましょう。

離ればなれになった仲間達がルークを中心に集まり、敵の銀河帝国皇帝とダースベイダーを倒す為、最後の戦いをするという物語。ここには師匠と弟子、そして父と息子の宿命と葛藤が描かれ、クラシック3部作の本題とも言える「絆の物語」を見事に締めくくっています。

ちょっと逸れた話題になってしまいますが、日本で最初にTV放映された「新たなる希望」は私にとって忘れられない内容でした。

今でこそ当たり前に行われている、吹替に有名芸能人を起用すると言う画期的な試みが行われたのです。もちろん、スターウォーズ好きの間では、かなりの不評でした。

それなりに上手く吹替をしていたので、ここでその方達の名前に触れるのは気がひけます。気になる方は検索をしてみてください。ファンの間ではあまりにも有名な出来事なので、きっと見つかると思いますよ。


さてこのシリーズには、ある特徴があります。

それは全6作品の中で、一番最初に公開されたのが4番目の作品であると言うこと。

もちろん本来なら1番目を最初に持って来たかったのでしょうが、1977年当時の技術で制作でき、尚かつ単体でも判りやすい内容のものが4番目の作品であったと言うことから一番最初になったようです。

しかしやはり妥協して諦めた映像なども多かったようで、これが後の「特別編」に繋がります。

ややこしくなる前に、ここでこの映画のいくつか有るバージョンを紹介したいと思います。

まずは最初に公開された3部作。(ただしリバイバル上映時から初作には「a new hope(新たなる希望)」の副題が付きます)

何度かのビデオ・LD化を経て、THX版が発売。これは以前「E.T.」で触れた通り、痛みのあるオリジナルフィルムをデジタル処理し、音声も含めて綺麗にしたものです。

そして1番目の作品(ファントムメナス)の製作決定後、クラシック3部作と呼ばれる4〜6番目の作品に、当時の技術では出来なかったシーンの追加や音声・台詞の変更、新3部作に必要なシーンの付け足しを施した「特別編3部作」が制作されます。

1・2作目()が公開され、3作目(シスの逆襲)の製作も佳境に入った頃、DVDが製作されます。

このDVDの基本は「特別編」なのですが、若干の修正が施されています。

特に有名なのは、6作目「ジェダイの復讐」のラストシーン。フォースになったオビ・ワンとヨーダの隣に立つアナキン・スカイウォーカー(ダースベーダー)が、新3部作の役者に置き換わっているということでしょう。

それからこれは日本だけに該当する事なのですが、6作目の副題が変更されています。

「ジェダイの復讐」から「ジェダイの帰還」に変更になっているのです。

この副題、6作目の製作に入る前に発表された次回作の副題を直訳したものなのですが、その副題がジェダイの騎士にそぐわないという声を受けて、本国などでは発表直後に変更されていたのです。しかし日本では、「復讐」と言う言葉である方が一般ウケするなどの理由でそのままになってしまったとのことです。

ですから、本国では当初の副題「Revenge of the JEDI」のポスターが希少価値も手伝い、かなりの高価格で取引されていたようです。

次に、これは他の大作にも見られるものなのですが、DVDのみの面白い仕掛けがあります。

このシリーズの代表的な特徴として、オープニングでそれまでに至る経緯を流れる字幕で紹介しているのですが、何と吹替版は、ここが日本語に変わるのです。

新3部作の1作目公開当時から劇場やDVDではそのような形になっていたのですが、これは子供達が見ても判りやすい工夫と言えますね。

余談ですが、DVDが普及し始めた頃から、吹替版の上映館数も徐々に増え、無視出来ない存在となっています。

私は時々、吹替版で見たりするのですが、映像に集中出来る利点は見逃せませんね。

吹替に抵抗のある方も、一度ご覧になることをお薦めします。


この映画と、監督ジョージ・ルーカスは、日本と深い関わりを持っています。

まず、監督のジョージ・ルーカスと言えば、コッポラ監督やスピルバーグと共に後期の黒澤映画を支えた人物です。その縁かどうかは判りませんが、オビ・ワンの当初の配役は三船敏郎さんだったのです。

この映画の中にも、日本の影響が色濃く反映されています。

まず、主人公ルークの着ている服装は、空手着によく似ています。ライトセーバーも、西洋の刀と言うよりは日本刀に近い印象を受けます。ダース・ベーダーや敵兵のストームトルーパー(白い兵隊)のマスクや衣装も戦国時代の武将達の鎧甲に似ています。

ルークの師匠ヨーダの名前は、日本映画の脚本を書かれていた依田義賢さんと言う方の名字を取ったと言われています(これに関しては監督は否定しているようですが、接点はあったようです)

そして忘れてはいけないのが、共和国の騎士「ジェダイ」の由来。「時代劇」から取ったという説もあるのです。

もう一つ忘れていました。

物語自体が、黒澤監督の「隠し砦の三悪人」からヒントを経たとも言われていますね。

どうです?かなり日本と深い関わりがあると言うことが、ここで判ったでしょうか?


この映画が公開された1977年から1983年と言えば、まだCGが映画には使用されていなかった時代。

(「トロン」と言う例外はありますが・・・)

当然、実在しないものは実物大のセットを造ったり、ミニチュアを造ったりと、かなり手間のかかっていました。

手間がかかったのはそれだけではなく、例えばものを浮かせる為に合成などが施されるのですが、その合成も今から比べると決して満足の出来るものではありませんでした。後の特別編で合成が修正されていることからも伺えます。

それ故の「苦労」のシーンも多々発見することができます。

例えば、小型の宇宙船がゆっくりと浮上するシーンなどはその宇宙船をが画面からはみ出すような枠で写されています。これは恐らく、横からフォークリフトのようなもので持ち上げているのでしょう。

「帝国の逆襲」の雪の中での戦いに出て来た四足歩行の兵器は、コマ撮りです。

とてつもない時間と手間がかかっているおかげで重量感のある仕上がりを見せていますが、これも今なら間違いなくCGでしょう。

しかし面白いもので、それらの欠点を「味」として生かせるものは、後の特別編でもそのままの素材で使用されています。

四足歩行の兵器や、ヨーダなどのパペット類などがその代表です。


そんな様々な苦労と制約の上で成り立っていたスターウォーズシリーズですが、新3部作では状況が変わります。

潤沢な製作資金と、ルーカスの映画で育ち、望んで集まった才能ある様々な人材、技術の進歩。

ほぼ全編に渡ってCGが使われ、役者は何もないスタジオで見えるように演技するという弊害も生まれましたが、とにかくその完成度たるや、最高と言っても過言ではありません。

一方、そんな新3部作をアニメーション映画と揶揄する人も居ますが、私はそうは思いません。

現実では存在しないものを、さもそこにあるかのように見せて、実在する人物と合成しているのですから、人間以外がCGだとしても、それは実写映画だと言えると思います。

新3部作のオープニングでも前シリーズ同様、配給会社20世紀FOXのロゴが表示されますが、これは「配給」しているだけと言うのも意外と知られていない事実です。

実は、クラシック3部作1作目の撮影前に、ある契約をルーカスは交わしていたのです。

「続編の権利と商品化・出版権の取得」

これは先見の明があったと言えます。

この莫大な売り上げがルーカスの会社を潤し、膨大な予算のかかるはずである新3部作の映画製作資金になったのですから。

そう、スターウォーズ・シリーズは、世界最大・最高ヒットのインディーズ映画なのです。


この映画で忘れてはならない、もう一人の存在があります。

それは、全6作に渡って音楽を造った作曲家ジョン・ウィリアムスです。

名前を知らなくても、絶対にどこかでその音楽を耳にしたことがある程、有名な作曲家です。

「ジョーズ」「スーパーマン(旧シリーズ)」「未知との遭遇」「E.T.」等々。

映画以外でもオリンピックのテーマ曲なども書かれています。

そしてジョン・ウィリアムスの名を、映画音楽を気にしない一般人にまで知らしめたのがこのスターウォーズだと言うことも見逃せません。

それまで映画音楽と言えば、映画のおまけのような存在でしかなく、時々盛り上げる為の飾りでした。

しかしスターウォーズは違います。

主人公の気持ちを表したり、激しい戦いを気持ちまでも助長するような荒々しい旋律だったり、コミカルな動きに対しては優しさの漂う旋律だったり。

映画を見るものの気持ちを音楽で表現し、観る者の心を操っているのです。

スターウォーズ以降、映画音楽の扱いが変わったと言えます。

私が個人的にこのスターウォーズの音楽が好きな理由のひとつに、エンドロールに流れる組曲があります。

皆さんはミュージカルなどの舞台をご覧になったことはありますでしょうか?

終わった直後に、その興奮を冷めさせないような賑やかな旋律で始まり、登場人物の紹介をしながら、全編で使用された音楽をつなぎ合わせ、様々なシーンを思い起こさてる手法です。カーテンコールと言われるものですね。

そして最後に壮大な終わり方をして、興奮そのままに後への期待を繋ぐ効果をももたらしています。

画面に出てくるのは文字だけですが、観客の心の中には、ミュージカルのカーテンコールのように登場人物が浮かんでくるのです。


さてあなたは、クラシック3部作の中ではどれがお気に入りでしょうか?

私は2作目である「帝国の逆襲」です。

物語の合間という難しい位置にありながら、登場人物それぞれの苦悩を表現し、どん底まで描きながら、次への期待を匂わせている、そんなところに惚れています。

同様に、新3部作も2作目が好きです。

あなたはどれがお気に入りですか?


さてさて、他にも書きたいことは山程あるのですが、いずれ新3部作を紹介する時まで取っておくこととします。


さて次回は、異色SF映画「スターシップ・トゥルーパーズ」を、原作との違いにこだわって紹介したいと思います。

それから、その次の予告もここでしておきます。

昨年の邦画の大ヒット作「Always 三丁目の夕日」です。

この作品に関しては、6月9日に発売&レンタル開始となります。

様々なネタバレを含んで書きたいと思いますので、是非是非ご覧になってから望んで下さい。


それでは、また!!


スターウォーズ エピソード4 新たなる希望

1977年(特別編は1997年) アメリカ映画121分(特別編は126分)

監督・製作・脚本 ジョージ・ルーカス


スターウォーズ エピソード5 帝国の逆襲

1980年(特別編は1997年) アメリカ映画124分(特別編は129分)

監督 アービン・カーシュナー

製作 ゲイリー・カーツ

脚本 リー・ブラケット ローレンス・カズダン


スターウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還(初版・特別版劇場公開時邦題は「ジェダイの復讐」)

1983年(特別編は1997年) アメリカ映画132分(特別編は136分)

監督 リチャード・マーカンド

製作 ハワード・カザンシャン

脚本 ジョージ・ルーカス ローレンス・カズダン


音楽 ジョン・ウィリアムス

出演 マーク・ハミル ハリソン・フォード キャリー・フィッシャー アンソニー・ダニエルズ ケニー・ベイカー フランク・オズ アレック・ギネス ピーター・メイヒュー イアン・マクダミード ビリー・ディー・ウィリアムス 他