2006年12月31日日曜日

今年映画館で観た映画の紹介

とうとう2006年も終わりですね。皆さんにとって2006年はどんな年でしたか?


さて前回のコラムで「今年映画館で観た映画の紹介と採点」と案内しましたが、「採点」は私のコラムらしくないかな?と考え、タイトルから省くこととなりました。

既にDVDが発売されている作品も多いので、その辺りは、読んでいる皆さんにお任せするとします。


今年私が映画館で観た作品は、以下の通りです。


単騎、千里を走る。

ピーナッツ

日本沈没

M:I:3

ユナイテッド93

UDON

フラガール

夜のピクニック


私の住む街には映画館がないので、あまり頻繁に見ているとは言えないのですが、今年は私の中では多い方かもしれません。

自動車で20分程の街にシネコンが出来たおかげで、随分と観に行きやすくなりました。

と同時に、日本全国に言えることなのですが、シネコンの弊害もあるような気がします。

それは稼げる作品以外は上映期間が短い、と言うことです。そしてすぐに打ち切られてしまうものも少なくない、と言うとこも付け加えておきましょう。

そのせいで見逃してしまった作品もあります。

一方で、都心の単館系で人気を博した作品は、シネコン登場以前なら直接観に行くしか手がなかったのですが、多少遅れて上映期間が短くとも地方で観られるようになったとも言えます。

シネコンが出来て喜んでいたのですが、今年は良い面と悪い面を持ち合わせていることに気づかされました。

そして今後ですが、気になることもあります。

それは市場の飽和です。私は仕事の関係上、平日の初回上映を観ることが多いのですが、公開直後でも数人しかいないことが多々あります。

これでやって行けるのでしょうか?それだけではありません。「夜のピクニック」の初日舞台挨拶を近所のシネコンで観たのですが、客の入りは良くありませんでした。

地方で舞台挨拶がある等と思っていない人が多数を占めていると言う現状もあるのでしょうが、舞台挨拶の楽しみを知らない人が多いのかもしれませんね。

初日であるにもかかわらず客の入りが良くないと言うことは、イコール「儲からない」と言うことになるかと思います。

実際に、この映画の上映期間は短かったのです。

映画が面白かった、そして地元茨城県各所での撮影であるにも関わらず、残念な結果でした。

昔の映画館は客足の減少が廃館へと招いたのに、また同じ結果が待っている気がするのです。

もし、近所のシネコンが閉鎖されたら・・・それでも私は遠くまで見に行くかもしれませんが。

何を言いたいのかと言いますと、映画館での臨場感を是非味わって欲しいのです。

あなたのその行動が、これからの映画界を支えるのです。

DVDを買っても、肝心の映画館で客足が伸びなければ意味がありません。

もし観たい映画が会ったら、半日時間を作って是非映画館へ足を運んで下さい。

よろしくお願い致します。


余談ですが、観に行けなかった作品もここに記したいと思います。


上映終了作品

 ニューシネマパラダイス デジタルリマスター版

 子ぎつねヘレン

 太陽

 ワールドトレードセンター

 父親たちの星条旗

 椿山課長の七日間


現在上映中作品

 硫黄島からの手紙

 めぐみ-引き裂かれた家族の30年

 赤い鯨と白い蛇


話がだいぶそれてしまったので、本題に戻ることとします。

では、観た順番にそって簡単な紹介をしましょう。


「単騎、千里を走る。」 地元シネコンで鑑賞

高倉健さん主演の中国映画です。正確に言えば、日本のエピソードを日本人の有名監督がとられているので、合作に近い存在と言えるかもしれません。

死期の近い息子の為に、息子のやり残した仕事を確かめようと単身訪中した不器用な男の物語。

まさに、高倉健さんの為に造られた映画です。

そして役者「高倉健」に対する並々ならぬ愛情を感じる秀作です。

日本と中国。近くて遠い存在と言われていますが、それは双方の努力次第である、と考えさせられました。


「ピーナッツ」 渋谷で鑑賞

ウッチャンナンチャンのウッチャンこと、内村光良さんの初監督作品です。

映画学校で演技を学び、映画に憧れる仲間たちとふれあった経験が、見事に生かされています。

題材は地味ですが、映画に対する愛情がそこここに感じられます。

時々挟まれるギャグはご愛嬌。

この映画には、もうひとつ紹介したい点があります。

それは音楽です。担当されたのはロケットマン。誰?とお思いですよね。でも皆さん良くご存知の方です。あえてここでは明かしませんので、調べてみて下さい。ビックリしますよ。

今は違う道に進みながらも、幼い頃から学んでいたピアノがこの映画を盛り上げる「武器」となっているのです。


「日本沈没」 地元シネコンで鑑賞

日本映画史に残る名作のリメイクです。リメイクは前作を越えられない、と良く言われますが、私の率直な感想では、残念ながらその通りでした。

もとの映画にある、あの「重さ」が感じられなかったのが残念です。

ただ物語の中心が恋愛に置き換えられている点が女性を中心にうけているようで、性別によって感想が変わる映画とも言えます。もとの映画を知らない世代には、好評だったようですね。

この映画の特筆すべき点は、その特殊効果。ハリウッドに負けない素晴らしいレベルで造られています。

崩壊した大都市や、宇宙から見た沈みつつある日本の姿は圧巻です。

その迫力を感じる為にも、是非大きなテレビとサラウンドの整った環境でご覧になることをお勧めします。


「M:I:3」 地元シネコンで鑑賞

皆さんご存知の「ミッション・インポッシブル」シリーズの最新作。

このシリーズの素晴らしいところは、同じパターンの映画にならないところです。

1作目は、古いスパイ映画を意識したサスペンス重視の作品。

2作目は、ガラッと変わってアクションを中心に迫力で見せる作品。

そしてこの3作目は、スパイ映画に恋愛の要素を取り入れています。

と同時に、アメリカでTVシリーズものを中心に活躍されている監督の手法が、観る者に新鮮さを与えます。途中途中に登場する小物類も、スパイらしいスパイスを利かせて、効果的でした。

恋愛映画が嫌い!と言う人にも、これなら勧められるでしょう。

ただし、「スパイがこんなに派手にやっていいのか?」なんて思わないで下さい。

この映画は娯楽映画であって、リアリティーを追求している訳ではありませんから(笑)


「ユナイテッド93」 地元シネコンで鑑賞

つらかった。

その一言につきる映画です。

あの911テロで唯一、目標に特攻することを避けられた機体で起こったであろうドラマを描いています。

素晴らしい映画です。素晴らしいだけに、辛いのです。

決して助かる見込みがないと知っている私たちは、その悲劇的な最後に引き込まれて行きます。

最悪のエンディングなので後味は悪いのですが、その亡くなられた方達の勇気が、私たちに訴えてくる「強い何か」があります。

覚悟の上で、是非ご覧になっていただきたい作品です。


「UDON」 有楽町で鑑賞・初日舞台挨拶あり

本広克行監督10年目にして10作目の記念すべき映画は、地元香川県を描いた作品です。

人によって感想が様々ですが、私は後半号泣でした。

その泣きの仕掛けは、同じ本広監督の「サトラレ」に似ていると言えます。

言葉では言い表せない父と息子の確執と、その陰に隠れている幼い頃の思い出。

誰もが経験する「ほろ苦さ」を本広監督らしく、笑いを交えて描いています。

ちょっとばかり、気になる点もあるのですが・・・それは後半の涙で帳消しです。

皆さんがどう感じるか、最も知りたい作品のひとつですね。

そうそう、舞台挨拶は最高でした。笑いの絶えない20分でしたよ。


「フラガール」 地元シネコンで鑑賞

今年沢山の邦画が公開されましたが、私の中ではこの作品が文句なしの1位です。

実話、昭和、笑いを伴う涙。

ヒットの要素も整っています。

登場人物すべての役者、すべての演技が素晴らしい。

何よりも、最近のヒット映画の要素をしっかりと研究していることが伺える監督の手腕が素晴らしい!

この作品なら、アカデミー賞の外国語映画賞も狙えると思っています。

ここで、これからこの作品を見る方に、ひとつだけ忠告を。

南海キャンディーズのしずちゃんこと、山崎静代さんには気をつけて下さい。うっかりしているとやられますよ。


「夜のピクニック」 地元シネコンで鑑賞・初日舞台挨拶あり

実話が元になった小説が原作です。水戸を中心に茨城県の東部各所でロケが行われました。

その縁で、地元シネコン初の舞台挨拶。もちろん見逃す訳にはいきません。

短い時間でしたが、手作り感のある素晴らしい舞台挨拶でした。

そしてこんな地方に、わざわざ来ていただいたことが嬉しくてなりません。

一晩で80キロを歩く「歩行祭」を描いているのですが、沢山いる登場人物全てに個性があり、自分も一緒に歩いている気分にさせてくれる「あの頃に帰れる」映画でした。

ちょっと個性的な作品ですが、これについて来れたらあなたも若い証拠だと思います。

この映画を撮られた長澤監督のデビュー作「ココニイルコト」と言う映画もオススメです。


駆け足で今年見た映画の紹介をしてきましたが、いかがでしたでしょうか?

この中のいくつかの作品は、いずれコラムでご紹介することになると思いますので、気になる作品がありましたら、DVD発売の際には是非ご覧くださいませ。


最後に「ALWAYS三丁目の夕日」より、言葉を引用します。


「良いお年を!」


次回は・・・まだ決めていません。

近日中にアップ致しますので、それまでお待ちくださいませ。

2006年12月24日日曜日

バウンティフルへの旅

様々な人々の苦労のもと、せっかく世に生まれながら、消えて行くのみのものが沢山あります。

それは過疎の村の家であったり、乗客が少なくなって廃線になった鉄道。

人間がもの作りを始めてから、作られたものの大多数は圧倒的に消えて行き、そして豊かになった今現在でも、何処の国にも必ず存在しています。

それは大きな物体のみならず、映画等の文化的なものにも言えることです。

以前のコラムで何度かお話しした、映画からビデオと言う媒体に変化しながらも様々な制約に縛られ、DVDにはなれない作品が多々あります。

この作品は、その中でも特殊な存在。

アメリカでは既にDVD化されているにもかかわらず、日本では発売当時のビデオが中古で出回る程度。それもかなり古いの商品の為、ほとんど市場には残っていないのが現状です。

メジャー系の映画でないことと、国内での配給会社との絡みがそうさせているのかもしれませんが、DVDと言う形で再び世間に出回って欲しい名作だけに、残念でなりません。


さて、ネタバレしない為にも、短く物語をご紹介致しましょう。

アメリカが戦争に参戦した1940年代のヒューストン。

都会の狭い部屋に暮らすのは、後何年人生が残っているか分からない老女のワッツ。そしてその息子夫婦の3人。

しかしここでの生活は、狭い部屋だけでなく、常に息苦しかった。息子の嫁ジェシーとの諍いが耐えないのだ。今で言う、嫁姑問題に悩まされる毎日。

いつか、もう一度生まれ育った故郷へ戻る。耐えながらもそう誓い続けていたワッツは、ついに息子夫婦の目をかいくぐり、故郷へ向かうのであった。

鉄道からバスへと変わる時代、過疎化に悩む村、戦争での辛い別れ、その全てが、旅するワッツに現実として降り掛かり、彼女を一喜一憂させるのだった。

果たして彼女は、無事に故郷にたどり着けるのだろうか?


異色のロードムービーと言える内容です。

舞台が60年以上前のアメリカであるにも関わらず、そこに潜む問題は現在の日本にそのまま置き換えられます。

過疎化し消えて行く村、浪費社会に生きる若い世代と質素に生きる年寄りとの溝、世代によって違う故郷に対する思い等々。映画としての完成度の高さのみならず、現代に於いても学ぶことの多い作品です。


私がこの作品を好きな理由は、主役ワッツを演じるジェラルディン・ペイジの素晴らしい演技。実際にその演技は世に認められこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞されています。

そしてその芝居は「演技」と呼ぶよりは、主役になり切って、感情のままに表現していると言える程自然なのです。

要所要所で彼女を支える役者の演技もまた素晴らしい。

嫁ジェシーの嫌味な行動、旅を共にしバスで語り合う女性との情景を想像出来る程の熱い会話、役目を果たしつつも情に訴えかけられワッツに手を添える保安官。

決して多くはない登場人物全て(たった1行程の台詞しかない役柄まで!)にきちんとした役割があり、その言葉と行動が観る者に意味を与え、しかしその誰もが目立つこと無く、しっかりと彼女の「心の表現」を支えているのです。

私がこの映画に出会って以降はほとんど見ることもなく、でも心に残るものがあって、いつか再会したいと願っていたのですが、先日ついに再会を果たしました。

このコラムを書くにあたって再び映画を観ることとなったのですが、淡々と進んでいく一見退屈に思える物語はより深いものに変わっていました。いや変わったのは私の方ですね。

20年の間に死別した人、生きてはいるけど逢えない人、心にだけとどめておきたい人、そんな全ての人々との出会いと別れが、私に「涙」と言う感動をプレゼントしてくれました。

この映画の主人公ワッツと同じように、遥か昔の記憶を胸に秘めつつ、現代に生きる。そして私を支えてくれる一部は、過去にある、と言うことに気づかせてくれました。


そして偶然にも、ワッツと同じ20年ぶりの再会だったのです。


数回見ただけの映画なのに、記憶のままのワッツの泣き顔、困惑顔、そして笑顔。

今も生きていると信じて疑いたくない、自然体。

しかし残念なことに、そのワッツを演じたジェラルディン・ペイジの演技は、もう見ることが出来ません。

この映画が公開された2年後、帰らぬ人となったのです。

しかし彼女は生きています。

ワッツの記憶に残る「バウンティフル」の想い出のように、彼女の笑顔は今でも私の心に生きているのです。20年経っても記憶に残っていたその笑顔は、きっとこの後、作品が媒体から消えてしまってもきっと残り続けることでしょう。


そんな素晴らしい作品に出会い、再会出来る幸せに、再び巡り会えることを信じて・・・


さて次回は今年最後の更新となります。

何か締めくくりの作品を・・・と思ったのですが、ちょっと趣向を変えてみましょう。


「今年映画館で観た映画の紹介と採点」です。


ここで良かったと評価した作品は、いずれコラムで紹介することとなりますが、その前にあなたに時間があれば是非ご覧になって下さい。そして何度か観た後に私のコラムを読むと、また違った感動を味わえるかもしれませんよ。


それでは、また!


1985年アメリカ映画 108分

監督 ピーター・マスターソン

脚本 ホートン・フート

撮影 フレッド・マーティー

美術 ニール・スパイサック

音楽 J.A.Cレッドフォード

出演 ジェラルディン・ペイジ ジョン・ハード カーリン・グリン レベッカ・デ・モネイ ケヴィン・クーニー リチャード・ブラッドフォード

2006年12月17日日曜日

ウィズダム 夢のかけら

あなたは、エミリオ・エステベスを知っていますか?

と、問いかけると、前回のコラムを読まれた方には怒られそうですね。

そう、マーチン・シーンの息子であり、チャーリー・シーンの兄でもあります。まさに役者一家です。

そのような環境で育ったのだから、役者の道へ進んだのは当然と言えるでしょう。

デビューは1982年、マッド・ディロン主演の「テックス」。それからたった4年で、初めて監督を手がけるまでに至ります。

今回の「ウィズダム 夢のかけら」はその初監督作品です。

あらためて観ると荒削りな箇所は沢山ありますが、当時の映画と比べても遜色は無く、むしろ映画に対する熱意が伝わってくる秀作と言える作品です。

幼い頃から、父親の現場で観て学んで来ただけの事はあるのでしょう。

映画の内容は至って簡単。高校卒業後、たった1度の犯罪を犯した主人公が、一生懸命に働こうとしているのに、社会は過ちを見逃さない。学も知識も、資格もあるのに。

そして、一生懸命に働いているのにある日突然職や家を奪われてしまう人々が溢れかえるアメリカ。そんな不公平な世の中に、「金を奪わない強盗」として反旗を翻す。

何処かで聞いたような、何処にでもあるような、当たり前の物語です。映画の題材としては、今は使われないであろうほど、使い古された題材です。

しかし、この映画の真の魅力は、主役の2人にあるのです。

初めて監督を手がける事になったエミリオ・エステベス。そしてその恋人役であり、当時私生活でも恋仲であったデミ・ムーア。

2人の熱演が、初監督と言う技術的な未熟さの残るこの映画を、1本の作品として存在させていると言っても良いでしょう。

特に2人の掛け合いが多いこの映画では、私生活の恋と映画の恋がオーバーラップしているのか、演技を越える魅力を感じます。デミ・ムーアの涙は、「ゴースト ニューヨークの幻」に勝るとも劣りません。

そしてエミリオ・エステベスの冷めた目。この映画のテーマを、人間として示しているほどの存在感が、そこにあります。

さて、エミリオ・エステベスは現在に至るまでに30近い映画に出演しています。主演をつとめる事もしばしばありました。

その中には、脚本や監督を手がけたものもあります。

そして自らの映画資金を稼ぐ為に、予定に無い続編に出演した事もあります。

少ない監督作品ではありますが、着実に描きたいものへと向かっているのです。

そんな彼の最新作は「ボビー」

アメリカではまだ公開後間もなく、映画の評判はあまり聞こえてきませんが、「アカデミー賞」ノミネートも夢ではないと言われる程の映画と言われています。

出演者も豪華で、ジム・カヴィーゼル、アンソニー・ホプキンス、シャロン・ストーン、ヘレン・ハント、イライジャ・ウッド、ローレンス・フィッシュバーン、クリスチャン・スレーター、リンジー・ローハン、アシュトン・カッチャー等々。かつての恋人、デミ・ムーアの姿もそこにあります。

その名だたる出演陣に、映画俳優としての人望だけでなく監督として優れていると言う事も分かるでしょう。

日本ではあまり日の目を見ない役者ではありますが、これでやっと、日本人も認める監督&役者になれるかと思うと嬉しくてたまりません。

「アウトサイダー」で初めて出会い、「BAD」で惚れて、「ウィズダム」でぞっこんに。

その後「張り込み」ではコミカルな演技をこなし、「ヤングガン」ではビリーザ・キッドをシャープに演じ、「飛べないアヒル」シリーズでは演技の幅も広がり、短いながらも「ミッション・インポッシブル」に出演した時は、「やっと時代がついて来たか!」と喜んだものです。

残念ながらその後日本では活躍する姿はほとんど見られず、やきもきしていたのです。そんな私に、今回の大作映画は、心底嬉しい知らせです。

そして胸を張って、みなさんに紹介出来る事に、喜びも増しています。

だた残念な事に、役者としての日本での知名度が低い為、DVD化されている作品はそれほど多くはありません。

今回の「ウィズダム 夢のかけら」もそうです。ただ、この作品に関しては、アメリカでもDVD化されていない為、仕方の無い事かもしれませんが・・・


さて今回のコラムで、なぜこの作品を書く事になったのか?好きな俳優であると言う他に、もうひとつ理由があります。

それは今私が、ちょっとばかりハマっている出来事と関係しているのです。

それは・・・

中古ビデオを探す事、なのです。

映画市場は今、ビデオからDVDへと完全に入れ替わっています。それは販売作品だけでなく、レンタル作品にも言える事です。そして役目を終えたレンタル作品は、捨て値同然で売られているのが実情です。

しかしながら、以前何度かコラム内で紹介した通り、DVD化されていない作品が多々あるのです。

このコラムで紹介したものだけでも、「7月7日、晴れ」「河童」「ラストソング」「秋桜 コスモス」など、邦画だけでもかなりあります。

もちろん、これは洋画に関しても言える事で、紹介したくとも出来ない作品がかなりあるのです。

そんな「もう一度観たい」作品を、ついこの間偶然にも3つも見つけてしまったのです。

コラムを読んだみなさんが、その作品を必ず見られるかどうかは保証出来ませんが、少なくとも「探す事」が切っ掛けで「懐かしい作品に不意に出会うかもしれない」と言う私が感じた偶然をプレゼントする事が出来るかもしれません。

それが今回のコラムの切っ掛けなのです。

次回は、その時に見つけたもうひとつの作品「バウンティフルへの旅」をお贈りします。

こちらの作品はアメリカではDVD化されているのですが、日本では未だにされていません。それだけでなく、ビデオ自体も最初のリリース以降、発売もされていないようです。

素晴らしい演技に出会える秀作だと言うのに、残念な限りです。

今回と同じように、極力ネタバレを抑えて紹介して行きたいと思います。


それでは、また!


1986年アメリカ映画 110分

製作総指揮 ロバート・E・ワイズ

製作    バーナード・ウィリアムス

監督・脚本 エミリオ・エステベス

撮影    アダム・グリーンバーグ

編集    マイケル・カーン

音楽    ダニー・エルフマン

出演    エミリオ・エステベス デミ・ムーア トム・スケリット ベロニカ・カートライト ウィリアム・アレン・ヤング 他

2006年12月10日日曜日

恐怖のメロディ

前回のコラムでの最後の行とかぶるのですが、本来このコラムはkiyohikoのお気に入り映画を紹介するのが趣旨です。

なので今回は、その趣旨から外れる事をお断りしておきます。


さて、まずはなぜこの「恐怖のメロディ」を書く事になったかをお話ししなければなりませんね。

私の古い友人にSTONEと言う男がいます。もちろん本名ではありません。

彼との出会いや、再会、そして彼の型破りな人生の一部等を派手に紹介したのですが、それはこのコラムから外れてしまうのでやめておきましょう。外れない程度、紹介させて下さい。

彼は今現在、趣味でバンドを持っています。地元では知られた存在でもあります。

私がこのコラムを書くに到ったのは、そんな彼のおかげです。

「以前勤めていたレンタルビデオ店での経験を生かして俺のHPにコーナーを持ってくれないか?」

この言葉が切っ掛けでした。

当時の私は私生活で色々とあり、当初は断っていました。それでも諦めずに、彼は何度も声をかけてくれていたのです。今思えば、何があったのかを察し立ち直る切っ掛けを与えてくれたのかもしれません。

そしてこのコラムは、2004年の8月にスタートとなる訳です。

しかし、その前に彼は私との間に別の「切っ掛け」を持っているのです。

私は、彼に影響を与えた等とちっとも思っていなかったのですが、彼はどうやら違うようです。少なくとも私に出会っていなかったら歩んでいなかった、そう思っているようです。

それは彼の音楽人生についてです。

私たちが再会した頃、彼はある夢を持っていたのですが、ある程度まで近づいたその夢に挫折していました。

そんな時、彼に希望を与えてくれたのが音楽だったのです。

何が切っ掛けだったのかはもう覚えていないのですが、当時私に付合っていた女性がある楽団に所属していて、その縁で彼は少しずつその音楽に熱中していったのでした。

私も彼も、その楽団に関わる事で様々な経験を積みました。

彼と奥さんとの出会いもそうです。

残念ながら、今では私も彼もその楽団と関わりはありませんが、今の人生の一部になっていたのは間違いないでしょう。

だから私は思うのです。彼は、私を大切な友人と思ってくれていると。

さてそんな彼は当時、根っからの映画好きでした。

当時の印象から語ると、アクション映画好みだったと記憶しています。

スタローンの作品は片っ端から観ていた気がします。

そして彼のもうひとつのお気に入り俳優が、今回のコラムの主人公「クリント・イーストウッド」なのです。

当時の私は、あまり作品を観ていなかったせいか、イーストウッドと言う俳優をアクション映画のくくりでしか見ていませんでした。

ヒット作を見る限り、「ダーティーハリー」シリーズや、西部劇でのガンマン等。

今でこそ様々な作品に挑戦していてその才能を知る限りですが、残念ながら当時の私はちょっとした偏見を持っていたようです。

なので今回の「恐怖のメロディ」は未見でした。

もしかしたら観ていて忘れているだけかも?と思い観ましたが、やはり未見に間違いありませんでした。

そして観終えた後、ちょっとした後悔を覚えました。

この映画に出会う時間を間違えたな、と。

この映画は1971年の作品。私はまだ3歳。もちろん映画館と言う存在も知りませんでした。

いずれこのコラムで語る予定なのですが、私が映画館で初めて映画を観るのは幼稚園の年長時代。

その時期でもありませんでした。初めて観る映画がこれだったら、それはそれで衝撃的でしょうが、少なくとも彼と再会した時期にこの作品に出会いたかったな、と思ったのです。

35年前の作品ですから、古さは否めません。脚本や、色使い、編集、音楽の使い方、等など。

しかし、俳優の初監督作品には思えない程、洗練されているのです。

小道具の使い方や、ほんの数曲ながら観る者に印象を深く与える音楽の使い方、そしてヒッチコック作品を思わせるシンプルながらも効果的な見せ方等。

フィルムの色調や服装、そしてイーストウッドの若さを観る限り古さは否めないのですが、題材は今でも通じるストーカーものであり、リメイクしても新鮮に映る作品なのです。

もっとも既にそこに目を付けた映画人は沢山いるようで、リメイクとも思える程似ている「危険な情事」(実際に「恐怖のメロディ」が下敷きになっているようなコメントがメイキングに収録されています)や「ミザリー」など、大ヒットした作品が既に存在しているのですが・・・

そしてこの映画で私がさらに驚いたのは、当時の映画の基本に忠実ながらも実験的な試みもされている事です。

今でこそ当たり前に使われている、歌詞付きの歌をバックにイメージビデオのようなシーンを造ったりしています。もちろん、ただ単にイメージビデオにしている訳ではなく主人公と恋人の背景を無言で描き、後のシーンとの区切りになっているのです。

事実、私は説明的な前半にちょっと眠気を覚えたのですが、先程述べたシーンとジャズ祭のシーンがカンフル剤の役割を果たし、後半では吸い込まれるように見入っていました。

ここでジャズ祭のシーンにも触れなければなりませんね。

ジャズ祭のシーンと、人通り溢れる街中での会話シーンに、当時の空気がしっかりと感じられます。

なぜだろう?と思ったのですがメイキングを見て納得しました。

ジャズ祭のシーンは、実際に行われている祭りに潜入して撮影が行われたそうです。写っている人々はそれが映画である事を知らないでいるのです。恐らく町中のシーンもそうでしょう。

当然の事ですが、そこに写る人々が自然であり、タイムスリップしたかのように感じさせてくれるのです。

35年後の私がこう感じるのですから、当時の人も似たような感覚に教われたのでしょう。

「似た」と言うと語弊がありますが、それはきっとこの映画の現実度に影響を与えていると思われます。

ストーカーと言う言葉が存在しない当時に、その存在を知らしめ、その恐怖を知らしめる効果があったのだ、と私は思うのです。

今でこそ、この手の恐怖には慣れていて簡単には驚きませんが、当時の人にしてみれば、それは衝撃的だったに違いありません。言葉で伝えても、理解せず己の思うままに人を愛するのですから。

愛される側が迷惑がっていれば、これほど嫌な気分になる事はありません。その上、狂気が徐々に増して、最後は異常としか言いようが無い存在にまでなってしまうのですから。

なので、現在の切り口でリメイクしたこの映画を見てみたいと言う気にもなったのですが、それはどうやらないようです。

詳しくは特典映像で、監督自身の口で語られています。ご覧になって下さい。


ここまで書くと、私が結構この映画を楽しんだなと思われる方が多いでしょう。

でも実は、違います。そしてそれが自分のせいであると、後悔もしています。

未見の作品であるのに、筋が読めてしまったのです。

それには理由がありまして・・・先に特典映像を見てしまった事です。

驚く事に、メイキングだけで1時間近くの映像が収録されています。そしてその中で、物語の軸にそって裏話が語られていくのです。当然の事ながら、そのシーンを交えて・・・

失敗でした。明らかに失敗でした。

衝撃的なシーンも、ほとんどネタバレしてしまったのです。

でもこれもひとつの勉強ですね。

次からは、未見の作品は本編から見る事とします。


さて前回今回と古めの作品をお贈り致しましたが、もうしばらく古い作品でお付合いください。

次回とその次は、今私のハマっている事が絡んできます。

そして、みなさんの目にはなかなかお目にかかれない作品について語る事となります。

何にハマっているかは次回のお楽しみとして、作品名は紹介しましょう。

次回は、エミリオ・エステベス主演であり監督の「ウィズダム 夢のかけら」です。

作品名はおろか、主演の俳優を知らない方に、ちょっとだけまめ知識を。

エミリオ・エステベスはあの名優マーチン・シーンの息子であり、1980〜90年代の映画で大活躍したチャーリー・シーンの兄でもあります。

実際に親子競演や兄弟での競演作品も多々あります。

その彼は現在、「ボビー」と言う次回作で豪華俳優陣を相手に監督をしています。もちろん本人も出演しています。

そして「ウィズダム 夢のかけら」はその原点とも言える作品なのです。

これ以上語ると次回のネタが無くなってしまうので、今回はここまでにしておきましょうか。

その次にお贈りするのは「バウンティフルへの旅」です。いわゆるロードムービーのくくりで考えて良いかと思います。

これについては、そのコラムまでお待ちください。

どうしてもと言う方は、ネット上で作品等については調べがつくとは思いますが、残念ながら国内ではDVD化されていません。

私も、極力ネタバレしないように書きますので、どうかそれまでお待ちくださいませ。


それでは、また!


1971年アメリカ映画 102分

製作 ロバート・デイリー

監督 クリント・イーストウッド

脚本 ジョー・ヘイムズ/ディーン・リズナー

出演 クリント・イーストウッド ジェシカ・ウォルター ドナ・ミルズ ジョン・ラーチ ジャック・ギン アイリーン・ハーヴィー ジェームズ・マッキーチン クラリス・テイラー

2006年12月3日日曜日

ファイヤーフォックス

1982年と言えば、印象的で多種多様な映画の残る年です。

以前のコラムで紹介した「E.T.」「ランボー」や、アカデミー賞受賞の「炎のランナー」(製作国公開は1981年)など、偏らないジャンルでの傑作が多数輩出されました。

「E.T.」はSFでありながら感動ドラマ。「ランボー」はアクションの名を借りた社会派作品。「炎のランナー」は20世紀初頭に実在した人間ををもとに描いたドラマであるにも関わらず、それまでのオーケストラを多用した映画音楽とは違うシンセサイザーによる印象的なタイトル曲。

などなど、実験的ではないが新しい形に取り組んだ作品が数多く作られています。

この「ファイヤーフォックス」も、その中のひとつに数えても良い作品でしょう。

その理由は、物語の構成にあります。

前半は主人公がソビエトに潜入して、最新鋭機を奪取するまでを描いたスパイ映画的展開。

後半はその最新鋭機で敵地をかいくぐりながら、アメリカへ帰還させるアクション的な展開。

一見、相性の悪そうな組み合わせを描き切っているのです。

映画のタイトルにもなった通称「ファイヤーフォックス」ミグ31は実在しない機体なので、当然実機など存在しません。実物大はハリボテで空を飛ぶ事は出来ませんし、空中戦などのシーンではミニチュアが使われているのは、画像を見るからにも明らかです。

当時のVFX技術は「スターウォーズ」などが生み出した進化によって以前とは比べ物にならない程見応えのあるものでしたが、それは実在しないものを作るからリアルに見えるのであって、地球上の風景等とミニチュアの合成は、まだまだ技術的に難しい状況でした。

この映画で特殊効果を担当したのは「スターウォーズ」と同じ人であるにも関わらず、今その映像を見ると様々な違和感があるのは致し方ない事でしょう。

例えば、空中戦の最中に両機が見せる横方向の不自然な動き。

例えば、氷原の上を飛ぶ機体の色合いが違っている。

など、映画を見慣れていない人が見ても不自然と感じるレベルであります。

しかしそこに敢えて取り組み、緊張感のある空中戦を作り出した行動は賞賛に値します。

そしてこの時のVFXの苦労が、後のイーストウッド監督作品「スペースカウボーイ」にも反映されているのでしょう。

個人的に好きな作品なので、いつかこちらのコラムも書きたいとは思っています。

さて脱線してしまったので、元に戻します。

これから書く内容は、私が今回見直して初めて感じた事なので正しいと言えるかどうかは分かりませんが、

私なりに考えた事なので、どうか書く事をお許しください。

前もってお断りしますが、決して批判ではありません。

この映画が製作されて24年が経ちますが、その間に進化していった映画から感じ学んだ事なので、今リメイクが作られるとしたら、こうすると面白いのではと解釈して下さい。

私が特に気になったのは、前半と後半での見せ方の違いです。

前半はスパイ&サスペンス色が強いせいなのでしょうか、事象の説明に言葉を多用しています。

限りのある時間で説明するには致し方ないのでしょうが、これは工夫次第で見せる説明に代えられるはずです。

後半の空中戦とのバランスを考えると、「語る」のではなく「見せる」べきなのです。

空中戦を「語る」事では表現出来ませんよね?もし出来たとしても、その迫力は無いに等しくなってしまうでしょう。

私が感じたのはこの1点だけでしたが、あなたは他に何か感じた事はありましたか?

ここをこうしたら、この映画はもっと良くなるなんて考えると、また違った楽しみに出会えるかもしれませんよ。


同じ年に公開された「ブルーサンダー」と言う映画をご存知でしょうか?

簡単に紹介すると・・・

1984年のロサンゼルスオリンピックの為に開発された新型ヘリコプターと、その陰に潜む陰謀を描いた物語です。もちろん戦争映画ではないのですが、こちらも変わった組み合わせの映画と言えるのです。

新型ヘリコプター「ブルーサンダー」は、今で言うところのテロ等の暴動を鎮圧させる為の装備が満載された「兵器」なのです。現在を見越したような、市街地と兵器と言う組み合わせもさることながら、ヘリコプターでの空中戦も登場するなど、観る者を飽きさせない工夫がされています。

そしてこの映画で最も私が素晴らしいと感じたのは、実在しない機体ながら実在するヘリコプターを改造し、さも新型兵器のように造り上げた事です。

実際に飛ばす事が出来る為リアリティーは抜群ですし、ラスト近くの空中戦も迫力満点です。

これが「ファイヤーフォックス」には足りなかった点と言えるのではないでしょうか?

しかしその為に見えなくなってしまった事もあります。

それについては、みなさんに映画を観ていただいて判断するとしましょう。

なにせ、私ももう10年くらい「ブルーサンダー」を観ていませんので。

ちなみにDVDはリリースされています。


さてこの映画でのサスペンス色は、イーストウッド監督によって見事に描かれています。

例えば、視覚的に過去の傷を描いたオープニング。

例えば、主人公の緊張を色で表現した、緊迫感溢れるシャワーシーン等々。

ここまでに10本近くの作品で監督を務められただけの事はあります。

そして監督は、現在もその製作意欲が衰える事はありません。

今現在公開されている「父親たちの星条旗」と「硫黄島の手紙」はその究極とも言えるかもしれません。

いままで一方的な視点で描かれる事が多かった戦争映画を、それぞれの視点で描く事によって大きな意味を生み出す実験的な作品と、私は捉えています。

果たして欧米の人は、日本の視点から戦争を見てどう感じるのでしょうか?

非常に気になる事ではありますが、それはいずれ聞こえてくるでしょう。

出来ればその前に、私もアメリカの視点での戦争を知りたいと思います。


さて、来週は我が親友STONEオススメのイーストウッド監督作品「恐怖のメロディ」をお贈りしたいと思います。

私のコラムの趣旨からはちょっと外れるのですが、未見の作品を初めて観て感じたことを素直に書き記したいと思います。


それでは、また!


1982年アメリカ映画 124分

製作総指揮 フリッツ・メインズ

監督・製作 クリント・イーストウッド

原作    クレイグ・トーマス

音楽    モーリス・ジャール

出演    クリント・イーストウッド フレディー・ジョーンズ デヴィッド・ハフマン ウォーレン・クラーク 他

2006年11月19日日曜日

アイアンジャイアント

・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。


どうでしたか、この映画?

日本のロボットアニメとはひと味違う出来だったとは思いませんか?

もちろん日本のロボットアニメは素晴らしいと思いますが、この映画にはジャパニメーションとは違うアメリカらしさがしっかりと息づいていて、それでいて内に秘めた感情を大切にしている、愛情のこもった作品だと、私は思うのです。

例えば、決して格好良くはない「ジャイアント」

ひょろひょろな足とおなか、ウルトラマンのようにシンプルな顔立ちで、決して怖くは感じさせないデザイン。しかし物語の後半では武器として目覚め、様相を一気に変えるだけでなく、一見頼りない程のデザインが、実は武器として合理的である事を伺わせています。

そんな合理的な一面を覗かせるデザインでありながら、もう一方では、人間に安心を感じさせてもいます。

ジャイアントの表情は少ないパーツとは思えない程、多用で、怒りや喜び、迷いや苛立ちをしっかりと表現しています。

この映画では、ロボットが「ただのロボット」ではないのです。

最後まで分からない「ジャイアント」の正体ですが、これも映画製作者の愛情の現れでは無いでしょうか?

侵略者なのか、迷い込んだ兵器なのか、それとも独特な進化を遂げた宇宙人なのか。

結局明かされません。

そう、大切なのはこの物語が、少年に助けられたロボットが人間の感情を学んで、少年と共に成長して行く物語なのですから。


物語は1957年のアメリカの片田舎が舞台。

時代はまさに、冷戦のまっただ中。

平和が国民を覆い尽くしているように見える社会の裏で、実は同胞たちが平気に裏切りを行っていた悲しい時代です。

その考え方は、戦前を知っている政府のエージェントのやり方にも反映されています。

物語中盤で、主人公のホーガス少年を尋問するシーンを思い出して下さい。

実際に、こうして子供まで尋問したかどうかは定かではありませんが、「赤狩り」と称した罪も無い人々に因縁をつけて吊るし上げる行為が行われていた時代です。信憑性を感じさせてしまいます。

そして一方のホーガス少年は、戦争を知らない世代の代表として描かれています。

例えば、ジャイアントが兵器としての一端を臭わせ始めたシーン。

ホーガス少年はこう言います。

「事故だよ、彼は友達だ」

生き死にが蔓延していた時代を知らない少年らしい言葉とも言えるのではないでしょうか?

そのお人好しとも思える言葉の原因のひとつとして、嘘を教え込まれてる事が挙げられます。

核攻撃の脅威を描きながら、落ち着いて机の下に潜れば安全と映画での教育を受けて、他国の脅威だけを大げさに植え込み、本当の脅威は「核を持っている事実」と言う事から視点をそらしています。

日本人ならその当時既に核の脅威を知っていたのでそんな嘘にはだまされませんが、「攻撃」を受けた事が無い人々に取っては、政府の宣伝こそが真実と疑わなかったのは明らかです。なぜなら、「敵は全て悪」なのですから。

敵が存在する厳しい世界で生き抜くには、嘘は必要なのかもしれません。しかし、自分に正直である事がもっと大事、とこの映画は訴えているのではないでしょうか?

それは悲しいラストシーン(正確にはオチがあるのですが・・・)で、見ている人に痛い程伝わります。

武器であるジャイアントが、少年と交流を深めている間に学んだ「死の悲しみ」を繰り返さない為に、己の意思で核爆弾へと向かって行くシーンです。

このシーンは、何度観ても涙があふれます。

ミサイルに向かって行く、まさにその瞬間のジャイアントの表情は、どの名役者にも勝る程の表情です。

敢えて言葉に例えるなら、「ボク、ジュウジャナイ。ボク、ニンゲン。」でしょうか。

人間でさえも難しい「自己犠牲」を、子供から学んだ純粋な心を持ったロボットが実践するその姿には、何ものにも代え難い感動を覚えます。


さて、今回私は、この映画を観ながらふと気づいた事があります。

それは世界的大ヒット作との共通点が多い事です。

世の中に映画と呼べるものは星の数程あります。そして残念ながら、似通った作品も多々あるのも事実です。

しかし、それを「真似」とくくるだけで良いのでしょうか?

例えば、少年とジャイアントの出会いのシーン。

暗闇にひとりぼっちの少年は謎の物体の正体をつかむ為に、恐る恐る闇の中を歩いて行きます。

それから、このシーン。

謎の物体にもう一度出会いたいが為に、少年の取った行動は、至って簡単。

食べ物で罠を仕掛けるのです。

それから、これはどうでしょう?

言葉を知らないジャイアントが片言の英語を覚えながら少年と交流を深めて行き、別れの言葉は、たった数個の単語だけなのに、感動を誘う。

まさに「E.T.」そのままなのです。

でもよく考えてみて下さい。

映画としては似通っていますが、この行動は常に日常生活に潜んでいる行動では無いでしょうか?

小さい頃、暗闇に恐怖を抱きながらもその中へ身を投じたのはなぜでしょう。

鳥や犬、猫を捕まえる為に餌を置いたりしたの記憶はないですか?

家族とはぐれた時、もう会えないと思っていた両親に逢えた時に、長い言葉を発するでしょうか?

そう、そのどれもが、当たり前の行動なのです。

子供たちが感動する映画に必要なのは、嘘ではなく、日常に潜む行動なのでは無いでしょうか?

と同時に、大人が子供時代を振り返り涙する理由も、ここにあるのです。

大まかな筋は別として、細かなシーンや設定が似通うと言うのは、必ずしも真似事ではないとこが分かっていただけるかと思います。

必要だから似てしまうのです。


この映画のもうひとつ素晴らしい点を上げるとするならば、立派な映画として成り立つ要素のひとつ「音楽」が、決して手を抜かずにしっかりと作られ、的を射た使い方をしている点です。

恐怖を盛り上げるシーンでは心を震わせる激しい旋律を、驚きや笑いを演出し、そして感情の無いはずのロボットに感情移入させてしまう「心」を表現した音楽。

この映画を感動的に仕上げた、陰の主役とも言えるのではないでしょうか?


どうです?たまにはアニメを観るのもいいとは思いませんか?

「漫画」だから、と敬遠するのは損ですよ。

それを言ってしまったら、映画だって平らな長方形に写る「嘘」になってしまいますから。


これからも時々、アニメを紹介して行きたいと思います。

どうか、「またかよ」なんて思わずにお付合いください。


さて次回は、現在

太平洋戦争を描いた作品が公開中の、クリント・イーストウッド監督主演の「ファイヤーフォックス」をお贈りします。

現在を生きる私たちから観ると、今回の「アイアン・ジャイアント」と同じく過去の出来事を描いた作品になりますが、この映画が公開された当時はまさに冷戦が続いていた時代であり、ちょっとややこしいですが当時はまさに「今を」描いていた訳です。

過去を描くのと、今を描く違いが現れていて、作品の善し悪しとはまた違った意味で楽しめる作品でもあります。


それでは、また!


1999年アメリカ映画 87分

製作総指揮 ピート・タウンゼント

製作    アリソン・アーバーテ

監督・原案 ブラッド・バード

原作    テッド・ヒューズ「アイアン・マン」

声の出演  ジェニファー・アニストン ハリー・コニックJr ヴィン・ディーゼル イーライ・マリエンタール 他

2006年11月12日日曜日

ペイ・フォワード

・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。


この映画は、良い意味でアメリカ的な内容であり、でも今のアメリカに足りないものを描いています。

良い意味とは、内容に何処か楽観的に感じられる節があること。

楽観的と言う表現が適切ではないかもしれませんが、物語の中のエピソードを表面上だけであまり深く描いていません。

物語が成り立つ上での小さな出来事は別としても、大事なエピソードにもそれを感じられます。

物語が長過ぎないように削った結果かもしれませんが、浅いエピソードの積み重ねがこの映画を支えています。

例えば、麻薬中毒になりかけのホームレスの話。

少年が助け更生しかかったけれど、結局またクスリに溺れてしまいます。

そして忘れれかけていた頃に再び登場しますが、死のうとしている女性を見つけた時に、突然再び改心します。

その心が女性を助ける訳ですが、クスリに溺れるに至るホームレスに何があったのかは描かれていません。

主役ではないから必要ないと言われればそれまでの事なのかもしれませんが、少年に勇気を持たせる切っ掛けになった出来事なのに、もっと深く描く必要があるのでは?と思います。

それから、母親と祖母の間にあった過去。物語の中で触れられるのは終盤に差し掛かってから。しかも会話だけでしか描かれていません。短い会話の中だけなのに、それはそれは酷い過去のように感じ取れます。

酷い過去を、息子との約束を守ると言う為だけに振り切れるのでしょうか?答えは限りなくNOに近いでしょう。どれだけ愛情が深くても、憎しみはそれ以上である場合がほとんどなのです。

まわりから見てなぜ仲直りできない?と思える程くだらない事でも、その根底にあるのは長い間につもってしまった憎しみだったりします。

そんな下らない事、切り捨てちまえよ!他人ならその一言で解決できると思うでしょう。

でも実際はそうではありません。みなさんにも良くお分かりの事でしょう。

しかし、この映画の主人公は少年ならではの視点(言い換えれば世間知らず)で先生の過去と、母親の過ちについて、なんとかしようと努力しています。

学校の課題で思いついた事、だったからかもしれません。

でもそこに到るには、少年の心に何かつもるものがあった訳です。

話がそれてしまいましたが、浅いエピソードを描くには理由があるのでは、と私は思います。

今の私たちは、常に全体を見て生きているのではないでしょうか?

知らなくても良い情報まで簡単に手に出来て、しかもその情報はすぐに知る事が出来、物事の結果もすぐに分かってしまう。

今の時代、貧しい国でなければ何でも手に入る世の中なのです。

だから常に全体を見て動いている。エコロジーを考える人を例にすれば、よくわかるでしょう。

地球が大変な事になっているから、少しでも地球の負担を減らそうとしているではないでしょうか。

これがもし、自然環境破壊とか資源枯渇を知らなかったらどうでしょう?

恐らくほとんどの人は気にしないと思います。

与えられたものを、当たり前に消費したり、受け入れたりするはずです。

つまり何が言いたいのかと言うと、こう言う事です。

物事は全て、個々の出来事の何らかのつながりで成り立っています。私たちは全体を見ているつもりで、実はその個々に振り回され生きているのです。もちろん個々を見る事は大事です。でも決して的確な目で見ているとは言えないのも実情です。

浅く広く見る事が出来ないが為に、振り回されてしまう。浅く広く物事を見れば、細かな、そしてケチな理由に振り回されなくなるはず。

小さなエピソードの積み重ねで大きな意味を描くと言う映画のひとつの手法と、人間世界を絡めながら描いていると、私には思えるのです。

そしてもっと大事な事は、悲観的にならないこと。

悲観的ではないから楽観的とは限りませんが、悲観的でなければ悪い出来事も「良い」と思える切っ掛けをくれるはずです。

例えば、あなたが事故にあったとします。

あなたの乗っている愛車が廃車になるほどメチャメチャに壊れ、あなたも怪我をします。

どう思うでしょうか?

嫌な目にあった、とか、この後色々な処理があって面倒だ、とか、そう、誰もが思うのはついていなかった、等と考えるでしょう。

でもこう考えたらどうでしょうか?

これ以上ひどい怪我をしなくて良かった、とか、生きているからこそ出来るんだ、とか、究極は、死ななくて良かった、と。

どうです?同じ出来事、しかも悲劇的な内容も、考え方次第で明日への糧になり得るのです。

物語の小さな個々のエピソードは、どれも楽観的と取れます。新車のジャガーを差し出した男も、診察の順番を力づくで譲ろうとした彼も、その彼が警察に追われてるのを助けた祖母も、どれも浅いエピソードであるが故に、そんなことあるのだろうか?と思える程に楽観的な内容です。

でも決して下らないのではないのです。

困っている人からすれば、理由等関係ない訳だし、楽観的な理由だとしても善意は善意なのです。

自分に取ってはつまらない出来事や行動でも、それを必要としている人は必ず居るのです。


人間は細かい事にこだわり過ぎ、知りすぎたが為に世界を狭くしているのではないでしょうか?

今のアメリカに足りないのは、そこだと私は思います。

困っている人に、下らない小さな事でも手を差し伸べると言う行動が、世界の平和を守る為と言う理由より、遥かに優れているのです。

いや、優れているはずなのです。

私は、そう信じたいと思います。


少年の些細な行動は、静かに世界を動かして行きます。

もちろん少年も、そして「Pay it forward」に関わった全ての人たちもそんな事は気にしていなかったでしょう。

でも、些細な事でも、小さな積み重ねでも、それが確実に何かを変えて行く切っ掛けになりうるのです。

淡々と進む物語ですが、その奥に秘めた理由は、単純であり、とてつもなく大きなものです。

しかし、その単純な事を、今の私たちはしているでしょうか?

いや、していなくとも、する努力をしているでしょうか?


もう一度胸に手を当てて考えてみて下さい。

そして、今のあなたに出来る事を、もう一度見つめ直して下さい。


この映画のラストは衝撃的であり、感動的です。

果たして少年の死は必要だったのでしょうか?

私は声を大にして、Yesと言います。

死んで可哀想と思う方が多いでしょうが、それは違います。

少年は、死ぬかもしれないと結果を考えたのではなく、今すぐにするべき事を選択したのです。

今を悔やまない為に、そして大切な友達の為に、無我夢中に戦ったのです。

そしてその些細とも思える理由が、世界を動かす事になるとは、全く思わずに・・・


ラストシーンで、群衆が抱えるいくつもの小さなロウソクは、胸に残る名シーンです。

死後放送されたインタビューで、願いが叶わない理由を少年はこう語っています。

「遅すぎる。もうロウソクを吹き消したから。」

この言葉に、少年は大きな意味を秘めた訳ではありません。

でもこの言葉と、少年が死んでしまったと言う事実に、多くの人は心を動かされるのです。

少年は死んでも、願いは生きている。生き続けさせなければならない。

その象徴が、ロウソクの炎であり、永遠に絶やさなければ、いつまでも願いは叶い続けるはずなのです。

そんな意味があると思いながら、是非もう一度この映画をご覧ください。

ラストシーンの涙が、今まで以上に美しく流れる事でしょう。


さて、感動ものが続きましたが、もう1作お付合いください。

次回は、これまで50作近く書いてきた中で、ひとつも扱ってこなかったジャンルです。

それは「アニメ」です。

ただ紹介するのもつまらないので、ここはkiyohiko流に、良い映画だけどあまり知られていない作品を扱おうかと思います。

次回作は「アイアンジャイアント」です。

アニメなんて子供向けだろ?なんて思わずに是非見て下さい。

後悔しない作品ですから。


それでは、また!


2000年アメリカ映画 124分

監督 ミミ・レダー

脚本 レスリー・ディクソン

音楽 トーマス・ニューマン

出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント ケビン・スペイシー ヘレン・ハント 他

2006年11月4日土曜日

ショーシャンクの空に

・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。


まずは、一ヶ月も更新できなかった事をお許しください。

例年この時期、知り合いの参加する祭りのビデオ撮影と編集で忙しくなるのですが、今年は別の知り合いにもビデオ撮影と編集を頼まれ、その両方に手間取ってしまい、ここまで時間がかかってしまったのです。

長らくこちらを留守にしてしまい、申し訳ありませんでした。

そのビデオもほとんど完成しましたので、これからは毎週末こちらに専念出来ます。

遅れてしまったお詫びもかねて今週から年末まで、毎週更新を目指します。

どうぞよろしくお願い致します。


さて、密室系映画のオススメ、最後を飾るのはスティーブン・キング原作の「ショーシャンクの空に」です。

前回までのコラムで密室のあり方をいくつか紹介しましたが、今回はその究極とも言える形です。

物語の舞台が「刑務所」だからです。

そこは常に監視され、常に鬱積したものが渦巻いて、希望のない悪の巣窟でもあります。

罪を犯したものが償う為に閉じ込められる場所でありながら、すぐに出られるものもいれば一生出る事の出来ないものもいて、一見公平に見える服役囚にも世の中と同じようにバラツキや差別があります。

当然ながら、監視する側の人間にも悪に染まるものがいます。

「刑務所」と言うのは、多種多様の人生がそこに見え隠れし、人間ドラマを描くには好材料です。日本でも刑務所を題材にした映画やドラマが多数存在する事からも分かると思います。

しかし、この映画は他の刑務所映画とは明らかに違う点があります。

まずは主人公が「無実」である事です。

もっとも「無実」は途中から分かること。それまでは、犯人かもしれないと言う匂いを感じさせつつ物語が進んでいるのは、ご覧になった皆様にはお分かりでしょう。この事実がただの感動ドラマでは終わらない所以でもあります。

もうひとつは「希望を抱くな」と言う台詞を使いながらも物語が主人公の努力で数々の救いを生み出していると言うこと。

当初は仲間さえもいなかった主人公が、元銀行員の知識と知恵を生かし切っ掛けを作り、次第に打ち解け合い、刑務所ではあり得なかった出来事を次々と実現させて行きます。

映画と言う尺の中でいとも簡単に実現しているようですが、実際には何年もかかっている訳で、我慢と苦労の連続である事を忘れてはなりません。

たびたび暴行に遭っても、ひたすら我慢し、時を待つ。

図書館の本を増やすにも、毎週の努力の積み重ね。

所長の会計へ就く事も、それまでの刑務官への奉仕で得た信頼の賜物。

すべては、努力と苦労の上で成り立っているのです。

そう「希望」は、努力と苦労をしない人の上ではただの夢物語であり、主人公のように耐え忍び努力をする人間には、いつか成し遂げる事の出来る現実であるのです。

私は既に何度もこの映画を見てきましたが、あるシーンでいつも感じる事があります。

それは、所長が主人公に磨かせた靴を箱から取り出そうとする瞬間、サイレンの音が署内に鳴り響くシーンです。

この瞬間「すべては報われた!」そう思うのです。

なぜそう思うのかは、ここまで読まれた方はもうお分かりですよね?

主人公が与えた数々の「救い」が、己にかえってきた時の喜びです。

世の宗教もそうですが、何事にも見返りを求めてはいけません。それは欲と言う災いを連れてきます。

真犯人がいると言う事実を知った主人公は、一度その欲で失敗をしています。

今まで尽くしてきた所長なら自分を助けてくれるだろう、と言う欲です。

では主人公は全くの無欲だったのでしょうか?

私はそうは思いません。人間ですから、多少の見返りと計算はしていたでしょう。

でも生きる為、生き延びるために必死にあらゆる手を尽くしてきたのです。

最初にこの映画を見た時にはラスト30分の脱獄シーンが大逆転劇であり、その印象に映画の意味を見失っていました。

でも2度目からは、違いました。

どれだけ絶望の縁にいても、常に誰かのためになる事を続けなければならない。

もちろん見返りは期待するな。

でも信じる心があれば、いつか報われるはずだから。

そう感じるようになったのです。

人の死や裏切り、自殺等を描きながらも、この映画は純粋です。

映画を観た人すべてを、そんな気持ちにさせるほどの魅力の詰まった作品なのです。


最後にこれだけを付け加えさせて下さい。

私はいかなる宗教にも属していません。

でも霊や神様が居るかと言われたら、居るかもしれない、と答えるでしょう。

玉虫色だな・・・と言われるかもしれませんが、そうではありません。

大事なのは、そこに存在するのか?では無く、信じる気持ちだと思うのです。

私はこの映画でその大切さを学びました。

みなさんはどう感じましたか?


さて、まだまだ紹介したい作品はたくさんあるのですが、密室系映画の紹介はここで一度終わりにします。

次週は、「信じる気持ち」の大切さを訴えた作品、


「ペイ・フォワード」


をお贈りしたいと思います。

今回の「ショーシャンクの空に」で感動された方には、同様の感動を与えてくれる作品です。

未見の方はぜひ、ご覧ください。


それでは、また!


1994年アメリカ映画 142分

監督 フランク・ダラボン

脚本 フランク・ダラボン

音楽 トーマス・ニューマン

原作 スティーブン・キング

出演 ティム・ロビンス モーガン・フリーマン クランシー・ブラウン 他

2006年9月30日土曜日

デイライト

スタローンと言えば、誰もが思いつくのはアクション俳優。

そしてそのイメージが強いが為に、何かと苦労が多いのも事実。

ドラマをやっても評価されず、コメディをやっては貶されて、と散々。

独特の訛りと鼻づまりの声、筋肉隆々の体から想像する不器用なイメージが災いし、ほとんどに人に固定したイメージを植え付けてしまいます。

でも実は、自分から作品を開拓したり、脚本を書いたり、監督したり、と才能に溢れているのはこれまでの作品から見ても疑いようもない事実です。

そして私は、その悪いイメージを払拭してくれる魅力を持った3作品が特に好きで、そのうち2作品は今も時々思い出したように見ています。

1つ目は、以前のコラムで書いた「ランボー」。うちに秘めた悲しみが、淡々とした表情からにじみ出ている傑作で、アクションの仮面を冠った社会派な作品です。

そしてもうひとつの作品が、今回お贈りする「デイライト」。

この作品公開当時は、肉体的な問題もありこれが最後のアクション作品とされていました。

しかしこの映画は、パニックアクションでありながらもそこに登場する人物の背景がしっかりと生かされており、パニックドラマの位置づけが強いのです。

そう、アクションはあくまで脇役だ、と私は思います。


物語は、産廃業者の怪しげな会話から始まります。

よその州へ持ち出せばあとは知った事ではない、と取れるような会話が、嫌な予感を過らせます。

夢を追いかけてNYに来た女性は、戯曲の原稿が採用されず、恋人には妻子がいてその不倫にも終止符を打ちたいと願っていますが、追い討ちをかけるように恋人からの電話。そこから聞こえる家族の声に、怒り心頭。さらに追い討ちをかけたのは自身の住む劣悪な環境。

発作的に荷物をまとめて家を出ます。

向かった先は一つのトンネル。

いつも当たり前に使っていた、何十年も前からそこにあるトンネルでした。

そのトンネルには、これから起こる大惨事を想像さえしないであろう人々の乗る、多くの自動車が吸い込まれていきます。

娘一人と両親の家族連れ、実力と運でのし上がってきた会社経営のスポーツマン、犯罪を犯し送還中の少年少女、立派な犬を連れた一見幸せそうな老夫婦。そしてここを生業とする警備員。いつもと変わらない日常がそこにはありました。

そしてNYでは当たり前に起こるであろう一つの小さな強盗が、そこに居合わせた何百人の人生を狂わせる事となるのです・・・


この映画でのスタローンは、悩みもしますし、怖じ気づいたり、パニックを起こしそうになったりします。

過去の失敗に苦悩する姿は、それまでの「ヒーロー」ではなく、まさにごく普通の人間です。

そして主人公ではあるのですがさほど目立つ事なく、先ほど紹介した登場人物たちと同じ位置に描かれ、観客の感情移入を促しています。

パニック映画が心に残る理由の一つに、多くの登場人物の中に誰かしら自分に似た人物がいて、その人になりきったような感覚で映画を見ると言うものがあります。

その点でこの映画は、素晴らしいと思います。

登場人物は展開が分からなくなるほど多くもなく、偏りを生まないほど少なくもない。より多くの観客が感情移入しやすい環境になっているのです。

何事も成功させた運と実力の持ち主、10歳前後の少女と両親、罪を犯した不良少年少女、夢破れた女性、人生を楽しく生きているつもりがなに一つ生み出していない事に気づく警備員、心の闇を背負った老夫婦。

そして人を死なせてしまった事が今も心の傷となり苦悩する主人公。

自分自身に投影できなくても、身の回りの極親しい人に必ずいるであろう登場人物の設定が、上記の感覚を不自然な事なく観客へ植え付けるのです。

この映画の素晴らしい点はまだ他にもあります。それは物語の展開の良さです。

映画の前半は、序章、爆破の惨事、救出への決意と行動、を隙なく描き観客を一気に引き込んでくれます。

トンネルと言う密室に閉じ込められたと言う絶望感は、津波のように何度も押し寄せる障害によってさらに高まります。

トンネルの上には、零度の寒さの川。当然流れ込む水は人間の命を奪う凶器です。

限りある空間にある空気も当然限りがあり、しかし押し寄せる水は、人間の住む環境をこれでもかと狭めていきます。

ただでさえ息苦しく感じてしまうこの密室をさらに狭める危機が次々と押し寄せ、観客に休息を与えようとしません。

やがて生まれる犠牲者。物語の進行するにつれその登場人物の背景が観客にも分かっていき、その人が犠牲者になった時に、同情と言う悲しみの涙を誘うのです。

前回のコラムで紹介した「密室の中の密室」というシチュエーションが、この映画では形を変えて登場してします。

それは逃げ道の塞がれたトンネルにいくつか存在する逃げ道です。

1つ目は、無事に残るもう一方のトンネルへと通じる連絡通路。

これはあっけなく崩壊します。

2つ目は、対策中に知った情報の一つでかつての作業員たちが居住した区域の存在。犠牲者を出しながらもたどり着きますが、やがて迫りくる水に埋まっていきます。

3つ目は、その裏に隠されたもう一つの空間。

やっとの思いでたどり着きますが、そこには悲しい運命が・・・

次々に狭くなる空間は、迫りくる危機と相まって、絶望にも似た観客の気持ちを激しく揺さぶっていきます。生き延びたい!そんな気持ちさえ生まれてくるのです。


ハリウッド映画はハッピーエンドを好む。

ましてや、超一流のスターが主演なら死なない。


誰もが分かっている事実ですが、この映画には分かっていながらも引き込まれる上記のような魅力がたくさん詰まっているのです。


いかがでしたか?

密室ものとひとくくりにするにはもったいないほど、様々なバリエーションが存在する事をお分かりいただけたでしょうか?

次回のコラムは、そんな密室ものの「とりあえずの」締めくくりとして、「ショーシャンクの空に」をお贈りします。

無実の罪で刑務所に収監された男の、勇気と真実の物語です。

「こんな映画があったのか!」と感動していただけると幸いです。

ネタバレ全開で行きますので、ぜひご覧になってからこのコラムに挑んでください。


それでは、また!


1996年アメリカ映画 114分

監督 ロブ・コーエン

製作 ジョン・デイビス ジョゼフ・M・シンガー ディビッド・T・フレンドリー

脚本 レスリー・ボーエン

編集 ピーター・アマンドソン

音楽 ランディ・エデルマン

2006年9月23日土曜日

クリムゾン・タイド

いかがでしたか?2時間近い作品内で、銃撃戦や敵兵との直接対決もないのに、これだけの緊張感。

戦闘シーンと言えば、敵潜水艦との魚雷戦と、指揮権の奪い合いから起こった謀反での殴り合いくらい。

なのにこの迫力です。

私は断言します。1990年代の密室映画ナンバーワンです。

10年経った今でもその地位は揺るぎなく、何度も観て結末が分かっているにも関わらず、常に新鮮な緊張感を味あわせてくれる、極上級のアクションです。

なぜにこの映画は、そこまでの魅力を発するのでしょうか?

もちろん、主役2人の演技が最高なのは言うまでもありません。

副長を演じるデンゼルワシントンは、今でこそ映画好きの誰もが認める演技派ですが、この映画が公開された当時、映画俳優歴はまだ10年ちょっと。

一方、艦長を演じるデンゼルワシントンは、この当時既に映画俳優として30年以上も活躍し誰もが認めるベテランした。

俳優としての経歴と、役柄の経歴がだぶる設定からして、この2人の為に造られた作品と言ってもおかしくはないと思います。

その2人の演技と共に、この映画を盛り上げている重要な要素は、物語の5分の4を締める潜水艦内。

実物と見まごうほどの緊張感を生み出すセットの素晴らしさ(実際に前後左右と激しく揺れる!)もさることながら、潜水艦でなければ出来ない斬新なカメラワークも、緊張感を高める為に一役買っています。

潜水艦と言う兵器は、元々外界と隔離された密室であるにもかかわらず、この作品内では通信トラブルにより完全に遮断された状態になってしまいます。

この非常時に優先されるのは、「直近の命令」なのか、それとも「不明瞭である現時点での命令を再確認する事」、どちらなのか?


「世界が破滅するかもしれない」


法規上でも倫理上でも決着のつかない「攻撃か否か?」と言う究極の選択を迫られ、己の信念に従い行動する乗組員たちには、やがて大きな軋轢が生まれます。

この乗組員たちは、二転三転する展開をさらに重くする必要不可欠な要素です。

艦長、副長以外の乗組員は、常に命令を重視します。一度潜ると何ヶ月も海中生活を送る潜水艦内では、乗組員同士は家族以上のつながりを持っていると言えます。だから命令が軍規上誤っていても従うかもしれないと言う危険をはらんでいるのです。

この映画は、その危機を見事にえぐり出した問題作とも言えます。

劇中、艦長のこんな言葉があります。

「部下の前では、命令には従え。異を唱えれば、上官の意見が一致していない事で、乗組員たちに不安を与える」

この言葉だけで片付けられるものではないはずですが、実際の潜水艦内では、それが当たり前なのかもしれません。

長い潜水期間、一つでも大きな不安があれば、乗組員たちに与える精神的な影響は相当大きいはずですから。

しかし、それで本当に良いのでしょうか?

この映画で潜水艦アラバマの目的は、敵の先制攻撃を防ぐこと。しかし地上の様子が見えず、なおかつ、通信さえも出来ない状況になった時、艦長たった一人の人間の判断が間違っていないと、誰が言えるのでしょう?

映画のラストは、軍上層部による玉虫色の決着でした。

実際にこのようなトラブルが起きた時も、やはりこのような決着を見るでしょう。

でも私は、声を大にして言いたいのです。

この映画の中では、副長は間違っていない、と。

もちろん、ロシア軍の反乱が成功しアメリカに先制攻撃を仕掛けていたら話は別ですが、副長が起こした行動は、間違いなく国と世界を救っています。

「先制攻撃を抑える攻撃」は「先制攻撃」にもなりうる訳です。

その間違いは、正さなければなりません。

故に、攻撃されてしまうかもしれないという危険ははらんでいても、先に仕掛ける事はさけられるはずです。・・・実際に攻撃が始まってしまえば、どちらが先か?なんて意味はないかもしれませんが。

この映画の最後にある報告が載せられています。

「核攻撃の権限を潜水艦の艦長から大統領へと移行する」

映画が造られるよりも先に決まっていた事かもしれませんが、少なくともアメリカは戦争を回避する為の小さいながらも大事な選択に成功した、と言えるのではないでしょうか?

そして、私はふと思います。

先日、国連本部の会議でイラン大統領が言った言葉が、非常に気にかかっています。

「もう核兵器の時代ではない」

まさにその通りかもしれません。存在しなければ、破棄されてしまえば、「攻撃されるかもしれない」と言う危機感も生まれないし、その自衛策の為の核兵器も必要なくなるのですから。

そして、こうも思います。

核兵器を作った国は、発射されずとも重くのしかかる脅威を自ら生み出し、その恐怖におびえている、と。

私の言っている事は、ただの奇麗ごとかもしれません。

でも、少なくとも、攻撃された国だからこそ言える、大切な意見である事も確かなのではないでしょうか?


今回のコラムは短く終わります。

音楽を担当するハンス・ジマーの素晴らしい楽曲がもたらす効果等も書きたかったのですが、今回はそれ以上に大切なメッセージを伝えなければならないと思った為、短く終わる事をお許しください。

それに、作品の素晴らしさをいくら説いても、観る人の心がそれに同調していなければ駄作にもなりうる訳です。

この事実は、実生活での友との交流だけでなく、異文化や異民族が理解し合う為にも常に考えておかなければならない必要事項だと、私は思います。

時にその事実は、国益や己の命よりも大きな意味を持つ、と言う事も・・・


余談ですが、艦長の飼う犬は、別の映画でも活躍しています。その作品は何でしょう?

答えは次回お教え致しましょう。


次回は予告通り、アクションスターの代名詞であるシルベスター・スタローンが主演する、人間ドラマとアクションを織り交ぜた密室もの「デイライト」をお送りします。

既に何度もTV放映されている作品でありますし、現在1000円以下と言う低価格で発売されています。

ぜひぜひ、もう一度ご覧になってからコラムに挑んでください。

よろしくお願い致します。


それでは、また!


1995年アメリカ映画 116分

製作 ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマー

監督 トニー・スコット

脚本 マイケル・シファー

撮影 ダリウス・ウォルスキー

編集 クリス・レベンゾン

音楽 ハンス・ジマー

出演 デンゼル・ワシントン ジーン・ハックマン ジョージ・ダンザ ヴィゴ・モーテンセン 他