2010年12月21日火曜日

夕日町三丁目を探して その二

いよいよエキストラを動員した大掛かりな撮影日です。私は少しの残業後、すぐに愛車に乗って現場へ向かいました。気分はこの上なく良かったことを覚えています。念願だった撮影がいよいよ見られるのですから。

しかしそこに行くまでにトラブルがあっては気分も落ち込むというもの。だから慎重な運転を心掛けました。そしてその慎重な運転が、貴重な偶然に巡り合わせてくれたのです。

それはロケ現場から1キロほど離れた、とある十字路を右折した時のこと。私の後ろに対向車線から左折してきた東京方面ナンバーのマイクロバスが続きました。
私は何の気にも留めることなくそのまま現場へと向かったのですが、そのバスはずっと私の後ろを走り、なんと直接ロケ場所に入って行き、そして数人が降りてきたのです。マイクロバスに数人と、通常のスタッフの方とは明らかに違う待遇です。

そうです。おそらくそのバスにはプロデューサーの方々、そしてひょっとしたら山崎貴監督も乗っていたのかもしれません。確かめる術はありませんが、きっとそうだったと信じています。

のっけからの偶然に私は興奮しました。

その興奮をかみしめながら、ロケ現場が見渡せる場所への移動です。
樹木の垣根に覆われた先ほどの場所とは違い、そこから見える風景は昨日までとは全く違うものでした。

「ALWAYS 三丁目の夕日」で見なれたクラシックカーの数々が、ブルーバックの横に整然と並んで待機していたのです。その姿を見ただけで、私の気分はどんどんと高まります。

しばらくは放心状態のまま、その風景を目に焼き付けていました。

しかし3月とはいえ、まだまだ十分な寒さ。
それにそんなに早朝から撮影が行われるわけはなく、そこから2時間程は寒さとの戦いでした。
寒いからと言って車内に居ては、ロケ現場の動きは見えません。かと言って温かい飲み物ばかり飲んでいてはトイレが近くなり、その場から離れる機会が増えてしまいます。なのでその両方を適度に切り替えながらの長い待ち時間でした。


やがて少しではありますが、暖かさが感じられる時間になった頃です。

壁にもたれかかって休んでいた私の耳にバラバラバラと突然、爆音が飛び込んできます。あわてて立ち上がりロケ現場を見渡すのですが、姿が見えません。音だけ静かな冬空のもと、響いているのです。
もしやと思い、先ほど私が走ってきた道路を注視すると、彼方に驚きの光景がありました。

そこに居たのは黄色いボンネットバス。
ゆっくり、堂々と自走してきたのです。
そしてそのバスがロケ現場に入ったとたん、場の空気が一気に昭和へと変わりました。

あの空気はきっと、一生忘れないでしょう。それほど、目にも、耳にも強烈でした。ロケから間もなく4年が経つ今でも、ハッキリとその光景を思い出します。


そこからは待つことが全く苦でありませんでした。それは僅かながら上がり始めた気温のせいだけではなく、もうひとつの私の決心から来る頭の中の、考えの堂々巡りから来るものでした。


それは「差し入れを渡す」と言うことです。

前日の夕方、悩みに悩んだ挙句選んだものを持参してのロケ現場だったのです。
そして渡すという行為がいよいよ現実味を帯びてきて、どうやって渡せばいいだろうか?とか、何をしゃべったらいいのだろうか?と私の心は落ち着かなくなっていたのです。

そんなことを何度も考えていると、時間などあっという間です。

やがてすこしづつスタッフが増え、クラシックカーの持ち主と思われる人が集まり始め、とうとうエキストラを乗せたバスがやってきます。
エキストラの方々はすぐに、控室代わりななっていた隣の建物に消えてゆき、また静寂が戻りました。

これからエキストラの方々の服装や髪形の準備が始まると言うことは、撮影までまだ時間があると言うことを意味します。しかし私はもう満足でした。たとえ撮影が見られなくても、これだけの空気を肌で感じ、目に焼き付けたのですから。
昼まで待って撮影が始まらなくても、それでもいい、と思うようになりました。


それからどれほど待ったでしょうか?

待機していたクラシックカーや、ボンネットバス、バイクなどがブルーバックスクリーンの前に並び始めます。
やがてそれぞれがゆっくりと動き始め、行ったり来たりを繰り返します。
それぞれが同じ動きを繰り返し、戻っては繰り返しと、入念なリハーサルが始まりました。

ロケ現場にはアスファルトと、歩道のコンクリーと、ブルーバックと、自動車しかありませんでしたが、もう私の眼には、おぼろげな銀座の街並みに見えていました。


三輪トラック、スバル360、名を知らないクラシックカー、そしてサイドカーに大きな荷物を乗せた古いバイク。
どれも年代物なのに、頑張って走っています。なんのトラブルもなく・・・と思ったら、どうもバイクが調子悪いようで、ときどきエンストしてはエンジンをかけて、を繰り返していました。これはご愛嬌ですね(笑)


やがてすべての動きが止まりました。


さあ、いよいよ撮影開始だ!

そう思って身を乗り出したのですが・・・なんとエキストラも、運転手たちも、テントに向かって歩き始めてしまったのです。
そうです、時計を覗けばすでにお昼。
昼食休憩です。
そして私がここに居られるのももうリミット。

残念ながら撮影本番を観ることは叶いませんでした。

でももう十分満足です。これだけの空気を肌で感じ、そして貴重な体験が出来たのですから・・・あと私に残された仕事は差し入れを渡すだけ。そして帰るだけです。


しかしここでも大きな偶然が待っていたのです。

それは差し入れを持ってロケ現場の前で若いスタッフの方を待って声をかけた時のこと。

「○○さんは、今日はいらっしゃっていますか?」

○○さんとはブログを更新していたスタッフの方の名前ですがここでは伏せておきます。もし何かの形で、ご迷惑がかかると行けませんので。でも、当時ブログを覗いていた方はご存知でしょうね(笑)

その問いに、やさしく答えてくれる若いスタッフ。

居るとのことに、ホッとした私。

ブログにコメントを書き込んでいる者ですと事情を話し、渡してもらおうと差し入れを差し出しました。
しかし次の瞬間、スタッフが驚きの言葉を発したのです。

「今、呼んできますから待っていてください。」

私は撮影の邪魔になってはいけないと思い「渡していただければいいですから」と答えたのですが「休憩中ですから大丈夫ですよ」と告げ、奥へと消えてしまったのでした。


これは全く予想もしていませんでした。もちろん心臓はバクバクです。

ほんの1分程の待ち時間が、どれだけ長く感じたことか・・・


そして、白いダウンジャケットを着たその方が私の前に現れたのです。

長い時間が過ぎたような気がしました。
しかし実際はほんの5分程。
話した内容は今でも覚えています。
でもここには書くべきではないでしょう。
とにかく最高の体験をしたのでした。
丁寧にお辞儀をして別れると、その方は気さくな笑顔で見送ってくれました。

私は、使命を果たした高揚感と、これまで見たことのない規模の撮影を間近に見られた満足感で、最高の気分のまま、その場を離れたのです。


後日、この日には堀北真希さんと、その同級生役の森林永理奈さん、中浜奈美子さんが撮影に参加したことを知りました。
今思えば、徹夜(昼夜逆転生活なので表現がおかしいですが 笑)してでも観ておけばよかったな、と、ちょっと後悔しています。


翌13日も僅かな期待を抱き現場に行きますが、テントが畳まれたままで人の気配もありません。
その日の夜、ブログで準備日だったことを知りました。
しかし翌日は難解な撮影をするとの予告が・・・
もちろん私は、仕事後に向かいました。


おとといの待ち時間に慣れた私にはもう、数時間が苦ではありませんでした。
待っていれば良いことがあると分かっていたからです。

そしてそのブログでの予告は、予期していなかった展開を見せたのです。


既にそこに座ってから数時間が経っていました。
ボウっと現場を見ていると、一台の立派な外車が入ってきました。

そこから降りてきたのは背の高い女性。しかも付き人らしい人が傘を差し、日焼けしないように気を使っているようです。
これは間違いなく、主役級の女優と言うことです。しかし少しばかり距離が離れていたので、誰だかはわかりませんでした。ただ、明らかにオーラが違って見えた気がしました。

やがてその女優は控室に消えて行きました。


それからどのくらい待ったでしょうか?

現場が急に慌ただしくなります。スタッフや、クラシックカーの運転手、みんなが慌ただしく動き、スタンバイを始めています。


そう、いよいよです。


傘を差す付き人と一緒に女優が現れ、ブルーバックのスクリーン横に移動し、(おそらく)監督と打ち合わせを始めたようです。その様に見えました。

そして私は確信したのです。


そう、その女優は、小雪さんでした。


やがて撮影が始まります。

ブルーバックの前を自動車が通り過ぎ、その合間を縫って小雪さんがスクリーンに向かって歩いて行きます。
すこし動きを変ながら、何度も何度も繰り返していました。

何をしているのか?何のシーンなのか?全く見当がつきませんでしたが、劇場でこのシーンを見て、驚かされたのです。


映画後半で、ヒロミが特急に乗るために東京駅に向かい道を横切るシーン。
その撮影だったのです。ブルーバックは、東京駅に置き換わっていました。

時間にして、それは経った数秒のシーン。

それだけの為に、入念なリハーサルをし、撮影していたのです。
これには感動しました。映画撮影現場の真剣さと緻密さを垣間見た気がしました。

そしてその日も興奮のうちに帰宅しました。


それから数日間、何度か現場に行ったのですがブルーバックスクリーンは縮小し、歩道のコンクリーは取り払われ、撮影が行われる気配もありませんでした。

もうこの場所も終わりなんだな・・・

なんだかしみじみしてしまいました。

嵐が去って行ったあとのような寂しさ。


でも、それで終わりではなかったのです。


3月22日、再びクラシックカーが集結したのです。

もちろんロケ現場を観に行ったのですが、残念ながら時間の制約で撮影を見ることはできませんでした。しかしその帰り道、貴重な経験をしたのです。

当時ブログをご覧になっていた方はご存知かもしれませんが、私は帰り道でモーリスマイナーと言う名前のクラシックカーとすれ違ったのです。

その存在感は、明らかに他のものとは違いました。
すれ違いのほんの数秒間、重厚感に圧倒されたのを今でも思い出します。


そして奇跡はそれだけでは終わりませんでした。


それは20日のブログに掲載された、夕焼けをバックに物思いにふける監督の写真を見たときのこと。

何となく見覚えのある風景と手すりにピンと来ました。


そうそこは、私がロケ現場を探した時に偶然辿りついた湖の畔の公園だったのです。


あの時には、何もなかったのに・・・

しかもここでの撮影は、貴重な機材を使った日本橋のシーン。
いつの間に大掛かりなセットが組まれたのだろう、と不思議な気分になりました。


もちろん私はすぐに行動を起こしました。
夜勤明けにまたしても向かいます。


あいにくの曇り空ながら、現場は慌ただしく動いていました。日本橋のセットが人の背丈ほどの足場の上に組まれていたのです。それだけではありません。川へと降りる階段のセットも並んでいました。

しかし残念ながら、駐車場を占拠して行われる撮影だったため、駐車できるスペースがなく、その日は諦めることとなりました。


日本橋と言えば、続編のテーマとも言えるエピソード。当初は実際の日本橋を使うことが検討されていたようですが、諸事情でこの場所での撮影となったようです。

そして日本橋のシーンは、映画の中盤とラストを飾る重要なシーン。


後日知ったのですが、ここではたったの3日間に、吉岡秀隆さんや小雪さん、須賀健太さん、薬師丸ひろ子さんや上川隆也さん、そして小清水一輝さん、小池彩夢さん、とそうそうたるメンバーが入れ替わりで訪れ、撮影が行われていたのです。


翌日、その場所を訪れてみると・・・どうやら撮影休止のようで、セットの管理をする人が数人だけ車内に待機していました。

私は一人、真っ青な空の下、ゆっくりと日本橋を眺めることが叶ったのです。


もう撮影を見られなくても満足でした。

これだけたくさんの現場に出くわし、クラシックカーや女優、そして日本橋のロケセットまで見ることが出来たのですから・・・


その公園は、数日後に訪れた時にはもう日本橋の跡形もありませんでした。

またいつもの公園に戻っていたのです。


やがて最初の現場も、使用期限を迎える前にすべての機材が取り払われてしまいました。
そう、ここでの撮影は、完全に終わったのでした。

でも寂しさはありませんでした。

私の胸は、満足感でいっぱいでした。


それからの私は、公開が待ち遠しくて仕方ありませんでした。
これほど愛着の湧いた映画も、初めてのことです。

やがて時は経ち、冬になり、11月3日の公開日を迎えました。
残念ながら公開初日は休めず、初日舞台挨拶を見ることはできませんでしたが、後日大ヒット御礼舞台挨拶が行われ、そちらで貴重なお土産をいただきました。
そのお土産は今でも大切に取っておいてあります。

そしてそのお土産には今も、私の一つの願いがかけられています。


それは「もし3作目となる続編が公開されたら、これで酒を飲む。」と言うことです。


そう、お土産と言うのは、その舞台挨拶で行われた乾杯に用意された升だったのです。

「祝 大ヒット! ALWAYS 続・三丁目の夕日」と焼印の押された升。
おそらくこれを持っているのはその場に居合わせた1000人程ではないでしょうか?
その貴重な升で酒を飲みたいのです。


どうでしょう?


私はあると信じています。
願い続ければ、きっと叶うはずですから。


思えば、技術的な制約やロケの制約など、様々な困難を乗り越えて造られた映画ですから、もう不可能なんてないでしょう。


そして、いずれ答えはわかるでしょう。




最後になりましたが、なぜ今までこの事実を封印してきたのか?その理由を述べたいと思います。

それは、地元での撮影に迷惑をかけたくない、その思いからだったのです。

ロケ撮影は、製作側と、場所を提供する側の信頼関係で成り立っています。
それはもちろん、互いの利益を損ねない関係と言うことです。

製作側は借りた場所に対して責任を持ち、原状回復で返す。
場所を提供する側は、事前に情報を漏らさず撮影に対する安全を提供する。

その関係が重要なのです。

だから、事前にロケ情報が漏れたりして撮影に大きな支障が起これば、信頼は失われ、その場所での撮影は二度とないかもしれません。

だから私はこの事実を書くタイミングをはかっていたのですが、いつしか時を逸してしまい、今に至ったのです。



最後ですが、もしあなたの身近にフィルムコミッションがあって、もしも撮影が行われ、その場に運良く居合わせたら、決して邪魔にならないよう心がけてください。

撮影場所への侵入や、俳優へサインを求めるなど、決してしないようお願いします。

撮影期間中に、その様子をブログに書くなどはもっての外です。

今はネットで、簡単に情報が手に入ります。
情報はあっという間に伝わり、撮影現場がパニックになることも予想されます。
そうなったら、その場所での撮影は二度とないでしょう。


一人がルールを無視すれば、モラルが崩壊するのは簡単なこと。
そうならない為のあなたの行動が、その地域の為になるのです。


撮影から4年近く経ちましたが私はあえて今回、ロケ現場の市町村、具体的な地名等は伏せました。
それはもちろん、先ほど書いたことを守るためです。

その地域と、製作側の良い関係を保ってほしいとの願いからなのです。

実際、その場所は「ALWAYS 続・三丁目の夕日」以降、いくつかの作品のロケが行われました。これは信頼関係の賜物と言えるでしょう。

今回ここに書いた撮影場所に行ってみたいと思われた方、どうかその点をご理解ください。



さて今回はこれでお終いです。
色々と書くことがあって長くなってしまいましたが、これでも書くのを控えた部分がいくつかあります。
たった3週間強の出来事でしたが、それだけ濃い日々だったのです。


あなたの身近でも、このような奇跡が起きますように・・・

それでは、また!

2010年12月17日金曜日

夕日町三丁目を探して その一

前回の記事から日が浅いのですが、今回はどうしても今書きたいことがあるので、お贈りすることとなりました。そして長い文章となる予定ですので、2回に分けてお届けいたします。
「その二」はしばらく開けての投稿となるとは思いますが、それまでの間、この文章を読んで想像をしてください。そして私が感じた空気を味わっていただければ嬉しい限りです。

それでは・・・

先日、このブログを整理していてふと気付いたことがあります。

それは私の好きな作品、山崎貴監督の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」に触れていないこと。

実はある理由があって封印していたんです。正確に言うと、ある理由で書くタイミングを失ってしまっていたのですが、今日はその理由をここで明かし、いつもとはちょっと違った切り口で語って行きたいと思います。

みなさまは映画を観て感動し、そのロケ地を探し、行ったことはありますか?
このブログを長く読んでいただいている方はすでにご存じかと思いますが、私は何度かネットで情報を調べ行ったことがあります。
この醍醐味は行った人にしか分かりませんが(そもそも余程好きでないと行きませんが 笑)、そこで味わえるのはあくまで「ここで映画が撮影された」という空気と「シーンを思い返すこと」だけです。その場所に役者はおろか大道具も小道具もありません。あくまでも目に飛び込んできた実際の風景と映画のシーンを、頭の中で混ぜ合わせて想像することだけなんです。
その映画が大好きな人にはそれだけでも十分満足で、よりその場所と映画に愛着がわくのです。

でも、それに満足できなくなったら?

やはり実際の撮影現場を見るに限るでしょう。

しかしそうそう簡単に撮影現場を見つけることはできません。なぜなら撮影が行われるのは通常、映画の情報が製作発表記者会見などで公になる前、しかもほとんどのシーンを東京などの撮影所だけで済ませてしまう場合さえあります。
その場合、私たち一般人は撮影所に入れないので、現場を見ることは実質不可能です。

ただそんな私たちにも僅かなチャンスがあります。

それはロケ撮影が行われる場合です。昔と違いオールロケーション作品と言うのは色々な制約があるようでほとんど見られませんが、それでもイメージに合った現場があればロケが行われることは多いのです。しかもここ10年でフィルムコミッションと言うものが発展し、日本各地の自治体などが映画やテレビ撮影の手助けをすることが増えました。昔と比べ、ロケがしやすい環境になったわけです。

つまり以前よりはロケ現場を知るチャンスが増えたのです。

ただ撮影自体は極秘に行われることが多いので、映画のエンドロールで知ることはできても、事前に知ることはかなり難しいと言えます。
もしも運良く近くでロケが行われ、しかも数日に渡っていれば、情報が入ってくることがあるかもしれません。

これはなかなか確率の低いことですが、それでも全くないことではありません。

あなたの近隣市町村に、ひょっとしたらフィルムコミッションはありませんか?

もしあれば他の地域よりも撮影隊を受け入れる体制が整っているので、確率は高くなります。過去に大作が撮影されれば、実績があるので確率も上がります。
そして行われる撮影が大規模ならば、エキストラを地元から募集することもあるのです。そうなれば、あなたの目や耳に事前に情報が入ってくる可能性も高くなります。

実は「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、そのフィルムコミッションのエキストラ募集で事前にロケ情報を知ることが出来たのです。

いくつかの偶然が重なったとはいえ、これは思ってもいないチャンスでした。

私は以前、レンタルビデオの仕入れで「ジュブナイル」と言う作品と出合い、山崎貴監督の存在を知りました。そして同時に、その映画が私の生まれ故郷とその隣町で撮影されたことも知ったのです。既に劇場公開後1年近くたっていたので、もちろん撮影現場に居合わせることは不可能でした。

しかしこの事をいとこに話すと「撮影見に行ったよ」と言うではありませんか!
これは悔しかったです。またとないチャンスを逃したのですから。そうそう簡単に出くわすことはないので、悔やんでも悔やみきれませんでした。
そしてあろうことに、この失敗をもう一度繰り返してしまったのです。

それは山崎貴監督の2作目。「リターナー」が発売された時のこと。
なんとこの作品も「ジュブナイル」でロケの行われたすぐ近くの場所と、今私の住む町の隣町で、少しながらロケが行われたのです。
事前に知ることはできなくとも、少なくとも映画館で観たかったと後悔しました。
「山崎貴監督の2作目は劇場で観る」そう決めていたのに、この作品が公開された頃私はある理由で映画を観に行くことから遠ざかっていました。それを悔やんだのです。
だから山崎貴監督の3作目が製作に入ったと聞いた時には「絶対映画館で観る」と心に誓い、それを実行しました。そして以後、山崎貴監督作品はすべて映画館で観ています。

その3作目があの有名な「ALWAYS 三丁目の夕日」です。

私はチケットを取り、初日舞台挨拶を観に行きました。あの時の一体感は今でも忘れません。暖かい空気に包まれた劇場でした。

この作品のオープンセットは群馬県にある個人所有の飛行場跡に建設されました。その情報は後から知ったのですが、この場所も探しあて、後に2度行きました。
今現在は別の建物が建ち面影さえありません。その場所を2度と見ることが出来なくなってしまったのです。
ロケ地巡りのだいご味はこんなところにもあります。

さて話は逸れてしまいましたが、その後4作目が「ALWAYS 続・三丁目の夕日」に決まったのを知り待ち遠しい日々が続いたのです。もちろん完成を待って、の期待ですが。

しかし、そんな私に大きな偶然が舞い込んできたのです。
それは2007年の2月の終わり。何気なく覗くようにしていた茨城県のフィルムコミッションのページ。

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」のエキストラ募集の文字が飛び込み、しかも場所は私の住む町の隣。
期日は3月12日。撮影内容は「銀座の街」でエキストラは通行者役。

その頃の私は夜勤だったのでエキストラ参加は無理でしたが、せめて撮影現場を見てみたいとの思いを募らせました。
しかしエキストラに参加しない人間に場所を知る手だてはありません。つまり自分の足で探すしかないのです。

それから毎日、夜勤明けにロケ場所探しの日々が続きました。
ヒントになるのは映画の撮影状況を知らせるブログに載った写真のみ。
その写真から得られるヒントは皆無に等しいのです。当然ですよね。撮影現場を分かるように公表してしまったら、撮影に支障が出ますから。
それに必ずしもその写真の現場が隣町とは限りません。これは大きな賭けでした。

しかし私にはやるしかありません。
動かなければ、探さなければ、見つかる可能性はゼロですから・・・

迷わず探すことを決め、すぐに行動を起こしました。

写真で唯一ヒントになるのは特撮用ブルーバックの後ろに移る高圧線。それだけ。
「なんだ、簡単じゃないか」と思った方も多いでしょう。でもそうじゃないんです。私の住む町は関東地方でも有数の臨海工業地帯。そこには当然発電所もあり、そこからあちこちへと給電されているのです。高圧線はそれこそ海のある東以外、あちこちへと張り巡らされているわけです。

つまり沢山のルートをしらみつぶしにあたるしかなかったのです。

夜勤明け、ある程度空が明るくなるのを待って、高圧線巡りの日々が続きました。

その時の私の推測はこうです。
「音や人などで撮影に支障がないよう、森の中にある大きな空き地でロケが行われているのでは?」

これに沿って探し始めました。隣町は南部の平地と、北部の森林地帯とに分かれていたので、主に北部を探すことにしました。
高圧線に近い道路を、それこそしらみつぶしに走り、近くに道がなければ遠回りしてその先へ向かう日々です。
気付けば境を越え、町を出てしまうこともしばしば。ある時などは、森を縦断し、さらに隣の町へ抜けてしまい、湖の畔の公園に出てしまったことも。

数日かけてすべての高圧線を巡ったのですが、一向に見つかる気配がありませんでした。
ロケ日も近いし、諦めるしかない。

そう思ったある日のこと・・・いや3月6日です。忘れもしません。

噂が広がって迷惑をかけてはいけないと人には聞かなかったのですが、思い切って作品名を伏せ、隣町に住む知人に「映画を撮っているらしいんですが噂を聞きませんでした?」と聞いたのです。
撮影に迷惑をかけられないから、聞くのもこの人だけかな・・・とあきらめムードでした。

しかし、しかし、ここで大きな偶然が起きたのです!

知人は「あの場所かなぁ?」と口にしたのです。

「役場の人が、映画の撮影で使えなくなるからよろしくお願いします。って尋ねてきましたよ。」と教えてくれたのです。もちろん撮影前なので作品名は伏せられたままですが、同じ時期に2つの作品が撮影しにくることはあり得ません。間違いありませんでした。

そして場所を聞いて耳を疑ったのです。

なんとそこは森の中ではなく、町のど真ん中。北部ばかり探していた私の推測は見事に外れていたのです。見つかるわけがないはずです。

さっそく翌日行こうと思ったのですがあいにくの雨あがり。その日は諦め、翌日の夜勤明けにその場所へ行きました。

そして見つけたのです。
目の前には雨除けのためか、沢山のビニールに覆われた、横50mはあろうかと思われる巨大なブルーバックスクリーン。
それに大きな足場の上に組まれたデッキのようなセット。

ブログの写真と、目の前の写真がリンクした瞬間でした。

何かが込み上げてくるのが分かりました。もちろん感動以外の何物でもありません。

まだ夜明け間もない寒空の下、ひとりしみじみとその場に立ち尽くすのでした。
後に映画パンフレットとDVD特典の小冊子を見て知るのですが、大きな足場のセットは羽田空港の送迎デッキで、前日に吉岡秀隆さんと小日向文世さん、そして小木茂光さんが撮影に訪れていたのです。

それからその場所へ通う毎日が続きます。
仕事に支障がないよう、そこに居るのは昼までと決め、毎日通い詰めました。

しかし残念なことに撮影に出くわすことはなく、12日を迎えるのでした。

「その二」へつづく・・・

2010年12月14日火曜日

俳優 竹内力について考えてみた

気温が上がったり下がったりの繰り返しで体力的にかなりきつい天候ですが、みなさまはどう過ごされていますか?風邪などひかれてはいないでしょうか?

さて今回は、今までとちょっと趣を変えてみました。これまでは好きな映画を紹介するコラムがほとんどでしたが、今回は一人の俳優にスポットを当て、いろいろと考察し紹介していこうかと思います。


私は常日頃、新聞を読みません。ネットがそれにとってかわったからです。新聞よりも早く、より詳しい情報が手に入るからです。必ずしもそれが正しい情報と限らない場合もありますが、見極める目も身につきつつあります。

そんな私は今日、ちょっと気になる記事があったのでいつもの調子でさらっと読んでいたのです。
しかし読み終えた後、何か違和感を感じたんです。

その記事とは「竹内力 初のコメディー映画主演」

良く読んでみたら竹内力さんではなく、竹野内豊さんだったのですが水川あさみさんとの共演でコメディー映画が製作され来年公開されるというもの。


竹野内豊さんならば初めてのことなのでニュースなのですが、竹内力さんと勘違いしていた私には「コメディー映画」という括りがどうも引っかかったのです。


竹内力さんと言えばミナミの帝王や任侠映画で有名な俳優で、一時はVシネの帝王と呼ばれ、哀川翔さんとともにレンタルビデオ業界を引っ張った根っからの役者です。

レンタルビデオを沢山ご覧になった方なら分かると思うのですが、一般の人が抱く竹内力さんのイメージとは違い、彼は数え切れないほどの作品を経験し様々な役柄に挑戦している「器用な」俳優なのです。

どんな作品があるかと言いますと、例えばナインティーナインが初主演を果たした「岸和田少年愚連隊」シリーズ。彼らの主演はそれだけでしたが、その後沢山の続編が造られました。そのひとつ「カオルちゃん最強伝説」に竹内力さんは主演しました。シリーズ内でも有名な作品です。
本作で彼は、その姿を見ているだけで吹き出してしまいそうな怪演をしています。それは彼の演じる主人公が15歳の中学生と言うかなり無理のある設定のせいもあるのですが、それを何となく納得させてしまう演技力を見せてくれているのです。
その怪演のおかげで当初はシリーズの外伝的な作品だった本作はシリーズ化され2007年までに8作も造られました。

それ以外にも私の好きなシリーズ「全国制覇 テキ屋魂」等も忘れてはいけない作品でしょう。
この作品はネットなどの紹介では、彼に植え付けられたイメージを重視してか「任侠もの」扱いになっていますが、どちらかと言えばテキ屋で生きる男たちの友情を面白おかしく描いた「人情喜劇」の部類に入ります。

余談になりますが、日本各地を渡り歩くテキ屋という商売は祭とは切っても切れない縁。日本人には絶対に必要な存在です。それは世界に誇れる日本映画「男はつらいよ」でも証明されています。どこかに忘れていって言ってしまった日本人の義理人情を、感じさせてくれる存在であるからでしょう。
私はひそかに期待をしていたのですが、この「全国制覇 テキ屋魂」も寅さんのように長く続いてくれれば、と願っていたのです。
残念ながらレンタルビデオブームの終焉とともに、たった2作で終了してしまいました。

つまり俳優竹内力は、一般人の抱く「コメディー映画」のジャンルに含まれる喜劇的な作品をすでに何作も主演・出演されているのです。先ほどの「全国制覇 テキ屋魂」に関して言えばVシネ扱いになっているので、映画ではないと言われる方もいるかもしれませんが、Vシネ全盛期とは時代が違うから当てはまらないと、私は考えます。

それはなぜかと言いますと、Vシネマ(一般化した名称ですが元は東映の造った言葉です)と呼ばれた作品は当初、完全にビデオレンタルのみでしか扱われない作品でした。
しかしビデオレンタルが徐々に衰退し始め製作本数が減るにつれ、いつしか顧客への訴求力のためレンタル直前に全国で数館のみ劇場上映をし「劇場公開作品」の冠をつけた作品も出てくるようになったのです。

あいまいなのはその例だけではありません。シネコンが全国的に普及し増えたスクリーンのおかげで、一昔前ならVシネ扱いであろう作品が、今現在は劇場で上映される作品として造られる機会も増えているのです。

つまり時代が替わると共に、作品を映画かVシネかと区別することに意味がなくなってしまっていたのです。

他にも彼が出演を果たした中で、忘れてはいけない大切な作品があります。
それは「釣りバカ日誌」第19作。この作品で彼は、念願だった故郷を舞台に、国民的シリーズに出演を果たしました。
この作品も喜劇作品の部類に入りますね。

だから、その記事に対して「コメディー映画」と言う括りで表現してほしくなかったな、という感想を持ったのです。(今思えば大きな勘違いなので、どうでもよいことになってしまいますが・・・)

それにVシネの帝王と言う顔を知らない人でも、ここ数年彼が出演したTVなどを見ていれば、かなりコミカルな才能を持った人だと言うことが分かるでしょう。

その代表格が歌手RIKIです。竹内力の弟(誰がどう見ても本人ですが)で、竹中直人さんを彷彿とするはじけっぷりを見せつけていましたね。

そんなコミカルな部分が強調されている昨今ですが、実は彼は他にも才能を持っています。


それはビジネスです。と言っても何か大きな商売や副業をしているという意味ではなく、ビジネス的な部分の才能があると言うことなのです。

彼は自身の設立した事務所「RIKIプロジェクト」に所属しています。いわゆる個人事務所と思われがちですが、本人を含め10人(うち1人はRIKI)の個性派俳優と歌手を擁しているのです。
この事務所では他にも、映画などの企画制作も手掛けています。つまり彼は、所属する役者を自社企画の作品などに出演させることもできる立場にいるのです。他にもファッションブランドも手掛け、ミナミの帝王等ではそのブランドを身につけ出演・販売に結び付け、商売人としての才能も発揮しているのです。

彼は俳優竹内力であると共に、商売人竹内力、プロデューサー竹内力、と幾つもの顔を持っているわけです。
ビジネスで成功している社長たちはTVに頻繁に出演されますが、彼はあまり目立った露出はしていないので、この地位を生み出した幾つもの顔の存在は、意外な一面ですよね。

もちろん、今の地位を築くまでの苦労は沢山あったと思います。
それは彼の出演した作品遍歴を見ると分かるでしょう。

彼は大林宣彦監督の「彼のオートバイ、彼女の島」で主役デビューを果たしました。
その後も劇場公開作品を中心にTVドラマ等でも二枚目俳優としての地位を築きつつあったのですが、折からのレンタルビデオブームに乗って活躍の場をVシネマに移し、やがて「やくざの顔」としての地位を持つ俳優へと変貌していったのです。

私の手元に資料がないので詳しいことはわかりませんが、そういった時代の流れを肌で感じ取って、結果辿りついたのが自身の事務所設立に結びついたのだと思われます。

そんな彼はここ数年、コミカルな一面を見せ、以前はあまり出演しなかったTVにも顔を見せ始めています。


これは何を意味するのでしょうか?


日本はバブルがはじけて以来、アリ地獄から抜け出せずにいます。そして日本人の気質でもある「耐えること」が当たり前になって、まだ不況を抜け出していない事実さえ見失っています。


日本人は知らず知らずのうちに、笑顔を忘れてしまっているのです。

心の底から笑えることに飢えてしまっているのです。


彼は、演じることによって、そんな日本人を応援しようとしているのではないでしょうか?
一見バカバカしく見えさえする歌手RIKIの存在を笑い飛ばして見てしまう、いや、見させてしまう彼の演技力で、日本を救おうとしているのではないでしょうか?

私にはそう思えてなりません。

Vシネマという言葉が過去のものになってしまった今、俳優竹内力は新たな局面に向かおうとしていると私は信じています。それがどんな形かは分かりませんが、今以上に大きな存在で俳優界に居続けるでしょう。あわせて、皆様に「笑い」を届けるだけでなく「勇気」を与えてくれる存在になることも。

そして「人間 竹内力」の魅力を振りまいてくれるでしょう。

きっとこれから、私たちの目に嫌がおうにも留まるほどの活躍を見せてくれるはずです。


さて、勘違いから始まったとはいえ、今回は今までと趣向を変えて一人の役者について考察してみました。
たまにこのような形で俳優を取り上げていこうかと思いますので、どうぞご期待くださいませ。

それでは、また!

(12月15日AM4:00 内容一部修正)

2010年12月4日土曜日

SPACE BATTLESHIP ヤマト(ネタバレ編)

ちょっと時間がかかってしまいましたが、ようやく文章が完成しました。お待ちいただいた皆様に、思いが届くことを願って・・・

さて今回は激しくネタバレしていますので、まだご覧になっていない方は絶対に読まないことをお勧めします。興味本位でちょっとだけ覗いてみようと言う方も止めておくことをお勧めします。
なぜならこの作品を本気で楽しみたいのなら、事前に情報を全く入れなければ、最初から最後まで色々な部分で楽しめるからです。原作である「宇宙戦艦ヤマト」シリーズを観ている人も、全く知らない人も、それぞれに楽しめるツボがあちこちに散りばめられているのです。
ちなみに私は、テレビで放映されたメイキングと、SMAP×SMAPで放映されたオープニング・ヤマトの浮上シーンを観てしまっていたのですが、それでも映画館での浮上シーンでは涙があふれました。すでに観ていたのに、です。とにかく凄い迫力です。
おっと、これ以上語るとポロリと漏らしてしまいそうなので、ここまでにしておきましょう。
では、ネタバレ編のスタートです!













先ほどオープニングと浮上シーンを観た、と書きましたが、この番組は視聴率が高いのでご覧になった方も多いと思うのですが、皆様はいかがでした?
観てしまいましたか?
観ていたのに、数倍楽しめたとは思いませんか?
私にはピンときました。
あえて見せる方法を選んだな、と。これは以前、トムクルーズ主演「ワルキューレ」でアメリカで実際にあった宣伝方法です。私は実際にこの映像をネットで見てから映画館に行ったのですが、それでも十分に面白かったのを記憶しています。

では、なぜ面白く感じたのでしょうか?

テレビはどんなに大画面でも、あくまでもテレビ。本格的な映画館のような音響を持っている人はかなりの少数派。テレビで映した部分だけでは、このシーンの本当の魅力を伝えきれていないんです。
映画は映像と音響のバランスが大切です。その両方が揃ってこそ、魅力が増すわけです。
だから映画館で浮上シーンを観たときは、まるで別物のように感じました。
映画館で観たオープニングの戦闘シーンでは、より緊迫感が増し、浮上シーンでは腹の底に響くほどの地響きが、さも私がそこにいるかのような錯覚に陥らせ、身ぶるいと涙を与えてくれました。

やはりこの作品は、まず映画館で見るべき作品ですね。

よく映画の評判を気にして、面白そうでないからDVDまで待とう、なんてことを考える人がいますが、この作品は食わず嫌いではいけないのです。
面白いかどうかは、あくまで個人の感受性で決まる問題ですので、観終わった後にどう思うかを前もって気にせず、映画館に足を運ぶべき作品だと思うのです。
それは最終的に、次の映画へとつながる商業活動にもなります。

もしあなたの身近に、上記のような考えで見ないという方がいらっしゃいましたら「絶対映画館に行くべき」と勧めてください。よろしくお願いします。
そして見終えたその人と、熱く語ってください。

オープニングは火星域での艦隊戦でしたが、私はその映像にいきなり驚かされました。
日本映画では、よく技術的な部分が「ハリウッドに近づいた」とか「ハリウッドに迫る」とか表現されることがありますが、このオープニングの映像は「ハリウッドそのもの」と言っても過言のないレベルでしたよね。
細部まで緻密に描きこまれたガミラス艦は映画館の大画面で観ても全く隙がありませんでした。しかもこのようなCGの部分は、ほぼ全編にわたって使われているので、ここまで作り上げる労力は並大抵のものではないはずです。
実写部分の撮影終了から完成までは、わずか10カ月。たったそれだけの期間でこの膨大なVFX(分かりやすく言うと視覚効果)を処理したわけです。

尊敬に値する仕事を見事に終えたのは、山崎貴監督が所属する「白組」です。

その会社名を知らなくても「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズで昭和の風景を再現したと言えばお分かりでしょうか?そうです、あの昭和の街と東京タワーを作った人たちです。

CGと実写の合成はさじ加減が難しいようで、ちょっとでも不自然なCGだと素人の私たちでも違和感を感じ、映画そのものの質を疑ってしまうのです。
しかしこの「白組」の造ったヤマト全編のCGとVFXは、どこをとっても隙がありませんでした。
それだけではありません。
明らかにCGでなければできないと分かっているシーンは、誰でもCGと気付くと思います。しかし本作では、CGじゃないと思っていたシーンが実は・・・という部分が結構多かったのにも驚かされました。その仕事の素晴らしさを感じさせてくれたのです。

皆様は、ガミラス兵が大挙して押し寄せてくるシーンで装甲車が走っていたのを覚えていますか?

あの装甲車、実は人の乗っている荷台部分だけが実写で、他はすべてCGなんです。

一昔前の映画では、張りぼてでも実物を作ってしまうのが当たり前だったので、このシーンはかなり驚かされました。しかも何の違和感も感じさせずに、見せてしまうなんて。
でもこの方法、考えてみると合理的なんですよね。
実物とCG、どちらの方が予算が少なく済むか?と考えた上で、選択したのでしょう。限られた予算を効率よく、無駄なく使う、日本映画界が抱えるそんな苦労が垣間見える部分です。

パンフレットを読んでいると、他にも面白いエピソードが書かれています。

戦闘デッキは実は○○(たぶん私はそこに行ったことがあります)だったとか、ヤマトが建造中のドックが実は○○だったとか、書きたいのは山々ですが、これは直接読んでもらう方が良いですね。
インタビューや製作裏話が満載なパンフレットなので、ぜひ読み潰す用と保存用に2冊お買い求めください(笑)



デジタルをデジタルと感じさせず、アナログをアナログと感じさせない。
理想的な言葉ですが、この映画ではまさにそれが再現されたと言えます。

デジタルと言えば、この映画ではそれに頼らなければ表現できなかったシーンがいくつもあります。
たとえばコスモタイガーやコスモゼロなどの戦闘機。これも一昔前なら、一機丸ごと造ってしまうのですが、これもコクピット以外はCGだったのです。
しかし臨場感を出す工夫は忘れていません。
メイキングでその秘密が明かされていますが、なんとそのコクピットは動くんです。だから左右へロールする時の役者の演技は、本当の反応も交じっているので演技の枠を超えた臨場感が生まれるのです。

余談ですが、私はこのコクピットを見て思わずうなってしまいました。

実は山崎監督の作品にこのシステムが登場したのは、初めてじゃないんです。
山崎監督の過去作品にそんなものを使うシーンってあったっけ?と思ったあなた、大切なシーンを忘れていますよ!

それは「ALWAYS 続・三丁目の夕日」のオープニング、ゴジラの登場した場面です。

この映画の象徴ともいえるミゼットが、まるでマンガのように飛んだり跳ねたりしたのを覚えていませんか?
このシーン、本物のミゼットのボディーを例のシステムの上に載せ、ガッチャンガッチャンと動かして撮影しているのです。この装置はメイキングで観られますので、興味を持ったらぜひ「ALWAYS 続・三丁目の夕日」豪華版DVDをご覧ください。その場合は、レンタルではないので買うこととなりますが・・・

デジタルと言えば、デスラーもその一つです。

意識の集合体のようなガミラスが人間の前に現れる方法として、電波の揺れのような波を伴った液状の物質として現れます。
どのような形でデスラーが登場するか?と楽しみにしていたのですが、これは良い意味で裏切られましたね。まったく「あり」だと思います。

まさにタイムリーな話題ですが、NASAの発表で生命体の構成に関して今までの常識が通用しない発見がありました。作品内のガミラスの設定が、現実にもありうるかもしれないと言うことが、偶然にも証明されてしまったのです。

これにはちょっと驚きました。

そしてこれは絶対に語らなければならない、というものがあの「アナライザー」の存在。
原作を知っている自分にとって声が同じなのは嬉しかったのですが、ただのAIとしてしか登場しないアナライザーはちょっと寂しかったのです。

しかし、しかし、しかし・・・

コスモゼロに搭載されると、まるでスターウォーズのXウイングに積載されたR2-D2のように(このあたりはスターウォーズが大好きな山崎監督らしいですね)おなじみの赤い頭が!しかもそれだけではありません。

ガミラスに潜入した古代たちを守るために、なんとアナライザーが巨大ロボットになるではないですか!これには思わずガッツポーズしてしまいました。
まさに山崎監督らしい仕掛けです。

ご覧になっていない方が多いかと思いますが、山崎監督の初監督作品「ジュブナイル」ではテトラという小さなロボットが登場します。物語が進むにつれ、このテトラは主人公の少年の相棒のような存在になります。
ヤマトでの古代とアナライザーの関係が、まさにこの関係と同じなんです。これに関してはもう少し踏み込んで書きたいのですが、「ジュブナイル」をご覧になっていない方のためにさし控えておこうと思います。私の感動のツボは、ここに書かなかった部分にありますので・・・

それから戦うアナライザーを見て改めて感じたことがあります。
それは、山崎監督の作品に共通するテーマです。
山崎監督作品は、すべてがバディ(相棒)ムービーであること。相棒との心の触れ合いや友情が、常に中心にあるということです。
そう考えたら、次の映画がどのような形で相棒を見せてくれるのか、ますます楽しみになってきました。きっと近い将来(個人的な勘ですが来年末かな?)、形になって私たちの前に現れてくれるでしょう。

山崎監督は「スターウォーズ」と「未知との遭遇」に衝撃を受けてこの世界を目指すことになったのだそうです。

そんな山崎監督の愛が、この映画の中には登場します。

先ほどのアナライザーもそうですが、他にもいくつかあります。

コスモタイガーやコスモゼロのデザインやドッグファイトシーン、そして艦橋内や廊下の武骨さはきっとテレビシリーズ「ギャラクティカ」へのオマージュでしょう。

ガミラスとイスカンダルの意識の集合体という考えは、おそらくテレビシリーズ「スタートレック ネクストジェネレーション」のボーグやQの存在が大きかったと思います。

それからガミラスへ突入するために自由落下するシーンでは、アメリカに負けてないぞと言わんばかりの迫力を見せてくれましたが、これに関しては「スタートレック」2009年版映画をかなり意識したのではないでしょうか?
確かにこのシーンは「スタートレック」と比べても全く遜色がありませんでした。最高の出来だと思います。そして監督のドヤ顔が見えた気がしました(笑)

それぞれのシーンを「パクリじゃない?」と思う人がいるかもしれませんが、そうじゃないです。以上のシーンの数々は、それぞれの作品を本当に愛しているからこそ生まれたオマージュなんです。
気になった方は、ぜひ上記の作品をご覧になってください。どの作品も一味違う面白さのあるSFなので、見て損はないと思います。

そんな愛情あふれるシーンの数々ですが、この「SPACE BATTLESHIP ヤマト」では作品全体がその愛をどう感じさせてくれるか?が映画が成功するかどうかの一つの大きな壁になっています。

そう原作であるオリジナルの「宇宙戦艦ヤマト」に設定やストーリーがどれだけ近付けるか、ということです。

愛があればこそ、なるべく忠実に造りたくなるのは当然です。でもそれではオリジナルにはなりません。しかも36年前の設定ですから、今の常識ではかなり不自然になる部分も当然あるでしょう。
でも全く違う設定ではしらけてしまいます。
しかしこの映画では、その辺りのバランスを絶妙なサジ加減で実現しています。

まず先ほども書いたガミラスの設定。オリジナルでの、隣り合った星に住む種族の容姿がなぜかまるで違うと言う違和感を解消していると思います。

それからいくつも登場する「宇宙戦艦ヤマト」各シリーズの名場面や、感動のセリフなど、うまく取り入れていますよね。私がツボだったのは、地表で波動砲を発射し安否不明だったヤマトが、爆煙の切れ間から浮上するシーン。

うぁ~やったよ、実写で!と叫びたくなりましたね、ここは。

他にも最後のガミラス戦でヤマトの波動砲を封じたミサイルは、回転こそしないもののドリルミサイル、まさにそのもの。ここで使ったか!と感動しました。

それだけではありません。この作品では、原作の声優にも敬意を払っています。
アナライザーの声の緒方賢一さん、デスラーの伊武雅刀さん、オリジナルではスターシャやテレサの声を担当された上田みゆきさんはまさにスターシャと言えるイスカンダル役、などなど。
すでに亡くなってしまった方がいらっしゃるオリジナルなだけに、これはかなり嬉しい配役と言えますね。

そうそう、ナレーションのささきいさおさんもそうです。誰もが知る有名な主題歌を歌っていたので、この配役も大きなサプライズでした。

愛情は、そのような設定や声優だけではありません。セリフにも溢れています。

私は沖田館長の「バカめ」には身震いしました。
映画の情報が錯綜している段階で沖田館長を西田敏行さんが演じるというデマ(これはこれで容姿がそっくりなので観てみたい気がします)が流れましたが、このセリフに関しては山崎努さんだからこそ表現できたと言っていいと思います。

そう、役者と言えば、キャスティングも素晴らしいですよね。原作に近いイメージで、かつ有名な役者をよくここまで集めたな、と。
なかでも特筆すべきは、真田を演じる柳葉敏郎さんと、徳川機関長を演じる西田敏行さん。頭が禿げていない西田さんは容姿こそだいぶ違いますが、その存在感は徳川機関長そのもの。そして柳葉さん演じる真田に関しては、もう完璧としか言いようがありません。しかも柳葉さんは、この映画のオファーを受けた時、自分の役柄を当てたのだそうです。まさに運命だった、と言えるエピソードですね。

他にも佐渡酒蔵改め佐渡先生を演じた高島礼子さん。最初にそのキャスティングを聞いた時にはかなり不安を覚えたのですが、実際にスクリーンで見たら、これはこれでまたいい味を出しているんですよ。ちゃんと酒瓶と猫を抱えているし(笑)

それから、島を演じた緒方直人さん、森雪の黒木メイサさん、古代守役の堤真一さんや、藤堂平九朗役の橋爪功さんなどなど、かなり多くのキャスティングが絶妙でした。

皆さんはどう思われましたか?
私にはかなり満足なキャスティングだったと思います。

そして忘れてはいけない主人公、古代進。
演じるは老若男女知らない人がいないスーパースター、木村拓哉さん。
映画公開前、彼が演じることに不満を抱くファンが多かったのですが、映画を見た後には納得するファンが続出したそうです。それも納得ですね。
私に言わせれば、たぶんこの映画は木村拓哉さんいなくては成立しなかったでしょう。その演技、容姿、感じさせる佇まい、すべてがまさに古代進でした。

登場人物の多い映画では、時間的な制約でそれぞれの個性を発揮できないことが多いのですが、この映画では各役者の個性が、それを上回る個性で木村拓哉さんが演じたことによって、見事にひきたったのではないかと思います。

それほどまでに、木村拓哉さんの存在が大きかったと言えます。

そして、これを語らずには終われないのが、音楽の存在です。

この映画で音楽を担当されたのは佐藤直紀さん。山崎監督の「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズや「BALLAD 名もなき恋のうた」を担当されていますが、最も話題になったのはあの「龍馬伝」ではないでしょうか。

いまや日本を代表する作曲家です。

そんな作曲家にも、大きな苦悩があったと思われるのが、テーマ曲の存在です。
それは、原作を見ている人なら誰もが口ずさめるテーマ曲。
あまりに有名過ぎて、無視できない存在。この曲でなければヤマトではない、と言われてしまうほどに大きい。
しかしやはり、さまざまな映画の音楽を手掛けているだけあって、見事に解決していました。
誰もが知るそのテーマ曲と、原作の名場面で使われたスコアをうまく取り入れた音楽が、随所に散りばめられているのです。

音楽だけ聞いても損はない、それほど素晴らしい出来栄えです。

さて、先ほど記した原作に似た役者の存在と同じくらい重要だったのが、このテーマ曲の作曲家の存在です。

私はヤマトの浮上シーンでそのテーマ曲が聴け、嬉しく思い、同時にそのテーマ曲を書かれた宮川泰さんの存在の大きさを、改めて知りました。
古代進を演じた富山敬さんと同じく、すでにこの世にいらっしゃらないのが残念でなりません。もし生きていたら、この映画を見てどう感じたのか知りたいと思ったのは、私だけではないと思います。

原作から36年という月日。この二人の死だけでも、どれだけ長かったのかと感じてしまいます。
しかし36年もたったからこそ実現できた企画だったのも確かです。
あの壮大な世界観は、10年前はおろか、数年前でも表現できなかったでしょう。
だから、まさに、造られるべくして造られた映画、なのだと思います。

さてかなり熱く語ってしまいましたが、ここから先は私の個人的な欲望を書き記してみたいと思います。お読みになった皆様がどう感じるかはわかりませんが、自分に置き換えて考えてみると、案外楽しいかもしれませんよ。

それは自分ならこう描く、と言うことです。素人の私ですから実現は絶対にあり得ないので、せめてここだけの発言としてお許しくださいませ(笑)

私が一番感じたのは、映画がかなり短く感じたこと。実際は2時間18分もあるのですが、勢いよく描いた展開が時間を全く感じさせませんでした。しかしそれゆえに感じる物足りなさもあるわけで。
原作の物量を考えると3時間くらいが丁度良いのではないかと感じました。
もっとも3時間となると、上映する側からすれば一日の上映回数が減り収益にも影響するので、無理な話なのでしょう。
でもこれだけ好調な滑り出しがそのまま続いて記録を打ち立てれば、追加撮影して完全版・・・なんてこともあり得るかな?などと思ったりしています。そのときはもちろん、映画館に足を運びますよ!
おっと、これは妄想でした。いけないいけない。

他には、見せ方で感じたこともあります。

最後にヤマトは地球上空で自爆しますが、このシーンでは映像が固定されていましたよね。私は爆発後にどんどん引いた絵になり、最後は地球全体が写されたら最高!と思いました。
「これが古代の守った地球なんだよ」って感じられる気がして。

さて色々と書き連ねてまいりましたが、最後にこの映画を見終えて感じたことをここに記し、終わりにしたいと思います。

それは「機動戦士ガンダム」の実写が観てみたくなったと言うこと。以前から見てみたいとは思っていたのですが、今回は本気でそう感じました。

実写化までは色々な問題があるでしょうが、予算さえ何とかなれば実現できる、と感じずにはいられなかったのです。

その際には私の大好きな作品を撮り続けるお二人の監督、本広克行さんと山崎貴さん、そして原作者でもある富野由悠季さんが手を組んでくれたら嬉しいな、と・・・それぞれドラマパートの監督、VFXの監督、そして総監督と。あくまでも妄想なんですけど、なぜだか実現しそうな気がしてならないのです。
どうでしょうね?近い将来起こってくれたら嬉しいのですが・・・

そう言えばこれだけ物量のある仕事を指揮された山崎貴監督、次回作は何なのでしょうね?
私はひそかに「あれ」を期待しています。
「あれ」って何?ですかって?それは言わないでおきましょう。私の勘は案外鋭いので(笑)

今回は、大変長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。

久しぶりだからどこまで書けるかと心配していたのですが、映画同様熱くなってしまい、気付けばこんなに長く書いてしまいました。

私の文章を読んで、そこは違うとか、俺ならこうだ、とか思うところも沢山あるのではないかと思います。もしよろしければ、短文でもコメントいただけると幸いです。

それでは、また!




2010年日本映画 138分

監督・VFX      山崎貴
脚本         佐藤嗣麻子
編集         宮島竜治
撮影         柴崎幸三
美術         上條安里
VFXディレクター  渋谷紀世子
音響効果      柴崎憲治
キャスティング   北田由利子
助監督        山本透
製作担当      金子堅太郎
VFXプロダクション 白組
企画プロダクション セディックインターナショナル
制作プロダクション ROBOT
エンディング曲   スティーヴン・タイラー -「LOVE LIVES」
音楽         佐藤直紀
出演         木村拓哉 黒木メイサ 柳葉敏郎 緒方直人 堤真一 高島礼子 橋爪功 西田敏行 池内博之 マイコ 矢柴俊博 波岡一喜 斎藤工 三浦貴大 浅利陽介 山崎努 他

2010年12月1日水曜日

SPACE BATTLESHIP ヤマト(紹介編)

皆様、大変ご無沙汰してしまいました。私は色々とあって、見ることは多くてもネットに書き込むことはほとんどなくこの1年を過ごしていました。
皆様にとってこの2010年はいかがでしたでしょうか?
私には「どん底」の1年だったかもしれません。いまだ見えない出口を探し、日々苦悩しています。行動する勇気さえ失いつつある最近でしたが、この作品に出会って、変われる気がしてきました。もう少し頑張ってみよう、そう思わせてくれる作品です。

今回お贈りする作品名は「SPACE BATTLESHIP ヤマト」

その名が示す通り、日本のアニメ界で輝かし栄光を持つあの作品「宇宙戦艦ヤマト」のリメイクであり、そして初の実写版です。
これだけ偉大な原作を実写化する道のりには相当な苦労があったでしょう。
実際、苦労の末に製作が決まってからも、監督予定者の変更や決まっていたキャストの一部変更など、ここ数年話題にも事欠きませんでした。
実写版は、まさに原作が辿った道のように困難な道のりを克服して生まれた作品と言えます。
36年前TV放送された、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」の原作である「宇宙戦艦ヤマト」は放映当時画期的と言える作品でした。それは子供をターゲットにしていなかったからです。舞台が宇宙空間という設定、宇宙戦艦などの細かなディテール、似て非なる異星人とその星の世界観、そして当時失われつつあった戦争の記憶と記録、その全てを兼ね備えた、まさに大人に向けて造られたと言える内容が、アニメに新しい風を吹き込んだのです。
しかし1974年当時、まだ「大人の鑑賞に耐えうるアニメ」と言うジャンルは確立されておらず、人気絶頂の裏番組に苦しめられ、あの「機動戦士ガンダム」同様に当初の予定を縮めての放映終了を迎えることとなりました。先を行く者の試練とでもいえるでしょうか。
そんな「宇宙戦艦ヤマト」が脚光を浴びたのは、再放送からでした。
その後TV版を再編集し映画化、大ヒットとなるのですが、当時小学生の私でさえ再放送にくぎ付けで、母親に頼んで映画館に連れて行ってもらった程、と言えば、どれだけ大きなブームとなったのか分っていただけるでしょうか?
実写版で主役を演じた木村拓哉さんも、そんな私たちと同様に映画館へ行ったことをインタビュー等で話されています。彼は「宇宙戦艦ヤマト」が初めて映画館で観た映画だそうで、オファーを受けた時の気分はまさに「夢」のようだったでしょうね。

さて原作の「宇宙戦艦ヤマト」ですが、映画の大ヒットによりTV版の続編、TVスペシャル版、そしてオリジナル映画と、約10年にわたってアニメ界をけん引してゆきました。
やがて少し遅れて一大ブームとなった「機動戦士ガンダム」にバトンを渡すかのように、最前線から姿を消すこととなります。

その後の「宇宙戦艦ヤマト」が辿った道は、イスカンダルへ向かうTVシリーズのヤマトのように、苦難の連続でした。
折からのレンタルビデオブームに乗ってオリジナルビデオでの復活を試みるも、アニメを制作していた会社の倒産により未完のまま終了。他にも生みの親であるプロデューサーが起こした不祥事や、「宇宙戦艦ヤマト」の商標や著作に関する裁判の連続など、浮上しようとしてもがいている状態が長く続きました。

しかしヤマトは、戦艦大和が地球の危機に瀕し宇宙戦艦ヤマトとなって復活したように、再び最前線へと戻ってきたのです。

それは今からちょうど1年前、完結編として一度終了した作品のその後を描く劇場版「宇宙戦艦ヤマト 復活編」として帰ってきました。
オリジナルで古代進の声優だった富山敬さんが亡くなってすでに4年。古代進は山寺幸一さんへと引き継がれ、登場人物の多くも世代交代し、その息子たちに引き継がれました。この設定だけを見ても、どれだけ時が過ぎたのか分かるでしょう。
残念ながら映画は興行的に成功したとは言えませんでしたが、私たちと同世代には大きな話題となって歓迎されたのです。

その「宇宙戦艦ヤマト 復活編」が製作されているころ、極秘裏に実写版プロジェクトが進行していました。業界人ではない私にも時々噂レベルでその存在が漏れ聞こえることはありましたが、噂では大きなニュースになることもなく、原作のファンを含め多くの人々には知られていませんでした。
しかし2009年、ついにその製作が発表され、私たちの目にとまることとなるのです。

近年、日本のCGやVFXのレベルは格段に進歩しています。存在するはずのない世界を違和感なく描き、観客の心をそこへ導くほどに成長しています。しかし海外の作品のように潤沢な予算があるとは言えない状況なのも確かです。
その構図は、日本が敗戦から復活し世界に通じる国になった経緯に似ていると言えるかもしれません。工夫と努力が結果を生む、そんな表現が似合うでしょうか。

壮大な宇宙や艦隊戦を映像化するため莫大な制作費がかかると予想された「宇宙戦艦ヤマト」の実写は、近年の日本映画界の盛況が後押ししたと言っても過言ではなありません。そしてテレビ局が製作をし、他の業種を巻き込む形式が完成された今日だから、可能になったとも言えるでしょう。
この作品も近年の大作映画と同様にテレビ局がその中心の役割を担っています。
テレビ局が製作に関わるのが嫌だ、とか、そのシステムが映画をダメにしているという映画ファンが多数いるのも事実ですが、アメリカのように潤沢な予算が見込めない日本では必須のシステムです。この方法がなくして、日本の映画界は活性化しない、と断言できます。
それにテレビ局が参加するメリットは他にもあります。
どれだけ素晴らしい出来の映画でも、宣伝が伴わなければ劇場でのヒットはあり得ません。シネコンのスクリーンを上回るペースで作られる数多くの映画の中では、そのような体制だと日本各地のスクリーンにかかることは事実上不可能で、最終的には資金の回収ができず、映画製作者の意欲をそぐ結果に終わってしまいます。

そう、テレビ局が関わることで、効果的に宣伝に力を入れることが出来るのです。

以前、大ヒットした映画「フラガール」はテレビ局が関わらず資金を得、製作するという新たな方法で成功しました。しかし残念なことにその後のヒットに恵まれず、あれだけの成功を生みだした製作会社の解散へと至ってしまったのでした。

少し話が逸れてしまいましたが、この「SPACE BATTLESHIP ヤマト」のようにそれまでの映画とはケタの違うスケールの作品では、今のこのご時世、テレビ局の後押しがなければ日本では造ることが不可能なのです。

そんな方式にもデメリットはあります。

それは製作に加わったテレビ局以外では、極端に露出が少なくなるということです。今、民法各局ではそれぞれが独自に映画製作に乗り出しています。つまり他局はライバルとして存在するのです。
しかし今回は、作品に対する期待の大きさの表れでしょうか、通常は関わったテレビ局以外ではあまり扱われないことがなかった宣伝活動が、他局を巻き込む勢いで進行しています。
実際、製作のTBSではない局でオープニングをノーカット放映したり、映画のキャストが集結した番組が他局にもありました。もっともこの宣伝に関してはあるキャストの所属事務所の力が大きかったと言った方がいいかもしれませんね。

テレビでの膨大な宣伝活動より少し前に行われた完成披露試写会は、10万人もの応募があったと聞きます。作品に対する期待の大きさがうかがえるエピソードです。
しかし残念なことに、試写が行われるまでは実写に対してのネガティブな記事が多く、映画もヒットしないという意見が多かったのです。
おそらく過去に行われた実写化作品の失敗や、「なんで今さら」と言う考えが多かったのでしょう。すべてがそうとは言えませんが、実際、元ネタとなる作品が古ければ古いほど、海外でも日本でもリメイク作品は当たらない傾向にあると私は感じています。
リメイクに対する不安要素は容易に想像がつきます。原作である「宇宙戦艦ヤマト」からすでに36年も経っています。当時熱狂したファンたちはすでに40~50歳代。しかもここ10年の停滞が災いし、それ以降の年代にはほとんど知られていません。
でも試写会で実写版を観た人々の声は、そんな不安を打ち消すものでした。
「宇宙戦艦ヤマト」を知らなくても楽しめ、知っている人にも喜んでもらえる、そんな作品が完成したのです。

その作品を作り上げた監督の名は山崎貴。

名前を聞いても知らない方が多いと思いますが、「ジュブナイル」で劇場映画初監督、その後「リターナー」を経て、「ALWAYS 三丁目の夕日」とその続編を監督した、と言えばお分かりいただけるでしょう。
VFXを武器に、泣ける脚本で観客を虜にする監督です。当初の2作品はオリジナルの物語でしたが、「ALWAYS 三丁目の夕日」以降は漫画やアニメの実写化が続いています。今回の監督起用は、そんな実績が呼び込んだ結果なのでしょう。前作の「BALLAD 名もなき恋のうた」は、タイトルだけではピンときませんが、これもアニメが原作となります。日本では知らない人がいないほど有名なアニメです。その原作が何か・・・知らない方はぜひ調べてみてください。
ちょっと驚くかもしれませんよ。

監督曰く、「SPACE BATTLESHIP ヤマト」は「駄目かもしれないけど頑張ると言う気持ちを感じてほしい」つまり、あきらめない勇気を描いた作品とのこと。バブル崩壊から抜け出せない今の日本に必要な、大切な気持ちをあなたにも感じさせてくれるかもしれません。私はこの作品から勇気をもらいました。

さて他にもこの実写版には多くの有名な俳優が関わっていますが、それに関してはネタバレ編の方で紹介したいと思います。
ネタバレ編では激しくネタバレをし、思うことを語ってゆきたいと考えていますので、ご覧になった方は期待してお待ちくださいね。

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」は本日12月1日、ついに公開されました。「映画の日」に公開となりかなりの混雑が予想されますが、その混雑はまだまだ続きそうな予感がします。
これだけの製作陣とキャストに恵まれたこの映画。もしかしたら大きな記録を打ち立てるかもしれません。

もし映画はDVDだけでいいやと思う方がいたら、ぜひ本作は映画館で観ることをお勧めします。なぜなら「体感する」と言うことが、この映画の本当の良さを実感する一つの方法と感じたからです。

以前私が体感する映画と感じたのは、あの「タイタニック」です。

恋愛映画と思われがちですが、あの映画の本当の良さは同じスクリーンを見つめ同じ音響に包まれ、沈没を体感し、映画の観客がタイタニック号乗客の一部となり、それぞれの感情が涙や嗚咽となり、他の観客の耳に入る。そんな一体感で「体感する」ことにあるのです。
残念ながら今、「タイタニック」は映画館で観ることはできません。そう、それが味わえるのは劇場公開中だけだからなのです。
「SPACE BATTLESHIP ヤマト」がどれだけの期間映画館で上映されるかはわかりませんが、体感するからこそ味わえる興奮や感動は、これを逃すと味わえません。だからぜひ、騙されたと思って劇場に足を運んでみてください。
きっとあなたも乗組員と一緒に宇宙へ飛び出した気持ちになることと思います。
私が観た回では、「タイタニック」の時と同じく、終盤のとあるシーンで起こる静寂の中、「ある」音が聞こえ、他の観客と一体感を感じることができました。

劇場へ足を運び、もしこの映画を気に入っていただけたら、こちらにコメントを頂けると幸いです。
そしてあなたが、私と同じように多くの感動を味わえることを願っています。

続けてネタバレ編をお贈りしたいと思うのですが、どうやら久々の文章作成には時間がかかりそうです。この文章も下書きを含めて数時間かかっています。なので、今しばらくお待ちください。
あれもこれも書きたいと、沢山の思考を巡らせている最中ですので・・・

それでは、また!