2006年5月28日日曜日

グランブルー(グレートブルー完全版)

海の近くに住んでいながら、実は海のことを殆ど分かっていない私にとって、この映画は癒しでした。

海の映像は、それは居心地が良く、最初の数回は途中で寝てしまい結末が分からなかった程です。

眠ってしまったと言っても、つまらないと訳ではないですよ。

宝石のように美しい海の映像と、ゆっくりと進む物語にすっかり癒されてしまったと言うことです。

海は、それ程までに疲れを癒し、ひとの心を優しくしてくれるのですね。


物語は主人公ジャックとエンゾの少年時代から始まります。

ギリシャの海は、ジャックの父の働く場所であり、ジャックにとって海は当たり前の存在でした。

無口な海の男に一人で育てられ、同じ血が流れているジャックは、もちろん言葉少な。

貧しい生活に慣れた彼は欲もなく、人と争うことは望んでいません。

一方、そんな彼の前に表れたエンゾは、親分肌。常に自分が一番で、ライバルが出現すれば実力でのし上がろうとする少年。

ある日の出来事です。海に沈む硬貨を見つけたジャックを制し、エンゾは俺が取ってくると潜り、ほんの数秒で取って上がってきたのです。

エンゾはジャックにも硬貨を貰う権利があると言い、俺より早く取ってこれれば譲ろうと潜ることを勧めるのですが、ジャックは「君が一番」と消極的。

鼻高々に、少年達を連れてその場を去っていくエンゾの姿。一方のジャックは、海に潜り、海を楽しむことを日課としていました。


そんなある日、不幸は突然訪れます。

父の漁を手伝うジャックの前で、潜水用具の不具合から父は溺れて死んでしまいます。

偶然近くに居合わせたエンゾにとってもショックでした。


それから時は流れ、いつしか二人は大人へ。


エンゾは相変わらず海を生業として活躍。しかも潜水の世界選手権のチャンピオンとなっていました。

幼い日々のライバル心は、どん欲にも健在だったのです。

解体作業中の事故で傾いたタンカーから人を見事に救出し1万ドルを手に入れますが、生活は至ってシンプル。オンボロの車に乗って、弟を子分のようにいつも連れて歩いています。

そしてチャンピオンになった彼には、やるべき事が残っていました。

少年の日に、叶わなかったライバルとの勝負の決着、行方の知れないジャックを探すことです。

それは、自分が真のチャンピオンになる為に絶対不可欠なことだったのです。


やがてジャックの前に突然表れるエンゾ。

そしてジャックを追いかけるように転がり込んできたジョアンナとの、友情と愛情の入り組んだ、でも雄大な海に抱かれ静かに流れる時が始まります。


さてここから先は大いにネタバレしながら物語の説明をしますので、映画をご覧になっていない方は読まれないようお願い致します。


物語の中盤から、ジャックとジョアンナの恋が始まります。

初めは純粋な恋愛でした。

好きである表現が、不器用ながらも素直に表れ、普段は口数の少ないジャックがエンゾに怒るなど、明らかに変化も伴っていました。

でも、変化のない海と共に生きるジャックにとって、己の感情の揺らぎは不安でもあり、日々の平穏は時に崩れたりします。

それでも愛するジョアンナ。ジョアンナを愛する気持ちをストレートに感じ、何とか応えようとするジャック。

ジョアンナの愛と、ジャックの愛は、ゆっくりながらも上手くいっているように見えました。

そう、見えただけだったのです。


自由奔放に生きる男達は、わがままで、時に気紛れで、でも一生懸命で、男を愛する女は、自分を捨ててまでも、海のように深い深い愛情で接しなければバランスが取れないのでしょう。


ジョアンナは、一緒になりたいと願っていました。子供と友に、落ち着いた暮らしを望んでいます。

それは、誰にとっても当たり前のことでしょうし、当然の考えです。

でも夢や生きがいを持つ男にとって、時にそれは大きな障害にもなり得ます。

愛に悩むジャック。

それでも海は、優しく向かえてくれる。

一方のジョアンナはジャックに愛を確かめたくなって何度も行動を起こしますが、答を求める時ジャックはいつも海へと消えていきます。

それは逃げているのではないのです。

いつもながらの、当たり前の行動をしているに過ぎないのです。でもジョアンナにはそれが理解出来ない。

エンゾがジョアンナへ忠告したことは、嘘ではなかったのです。

ライバルでもあり、親友でもあるエンゾには、誰よりも分かっていたのです。

ジャックという男の不器用さが。


先行きへの不安が取り巻き始めた生活、それでもジョアンナは彼の元を去ろうとしません。

一度離れて、その辛さを知っていたからでしょう。

一方のエンゾは恋人を連れて故郷へとやってきます。さり気なくですが、実はこれもライバル心の表れなのでしょう。


故郷で記録を樹立し実質チャンピオンになったようなもののジャック。

そして、その記録を何としてでも破ろうとするエンゾ。

そんな2人の近くにいながらも、自分に対する愛情を確かめることしかできないジョアンナ。

3人の経験する2度目の世界選手権は、3人の関係に大きな変化をもたらすこととなります。


無謀なまでのエンゾの行動に、他の挑戦者は失神の連続。

しかしジャックはいとも容易く、その記録を打ち破ります。

これがジャックの真価なのです。

そしてついにエンゾの無謀な挑戦がピリオドを向かえることとなります。


これ以上の競技続行は無理と判断した博士の提言で、競技が中止へと追い込まれるのです。

エンゾは、今まさに練習で潜ろうと構えている瞬間だと言うのに。

エンゾを止められるのはジャックしか居ないと知っている主催者は、ジャックをエンゾの元へと行かせます。

しかしエンゾを良く知るジャックは競技の中止を伝えても、潜っていくエンゾを止めようとしませんでした。

人一倍強いプライドとライバル心を持って、それを生きがいとするエンゾを止めることは絶対に出来ない、ジャックは痛い程そのことを良く知っていたからなのです。

争いたくなくても、エンゾに応える為に大会へ参加したし、記録も塗り替えたのです。

まさに男の友情、です。


沈み行くエンゾにオーバーラップする父の死。

不安は的中し、ジャックは水中へ。

溺れるエンゾを助け上げます。

虫の息のエンゾを救命しようとする人々を払いのけるジャックには、きっとエンゾの人生の終わりが見えていたのでしょう。

ジャックの目を見つめ、微かな声でエンゾは言います。

「俺を沈めてくれ」と。

言葉にはしなかったけれど、エンゾはジャックに近づきたいと、ずっと思っていたのでしょう。その超人的な能力は、自分には備わっていないと分かっていながらも・・・

そう、ただライバル心だけでで潜っていた訳ではなかったのです。

死に瀕する状態になって、初めて海の良さが分かったエンゾは、ジャックにこう伝えたかったのかも知れません。


「深い、深い海の、良さがやっと分かった。お前を越えることは出来なかったけれど、せめてお前の近くにいさせてくれ。」と。


では、エンゾの頼みを涙で断るジャックは、なぜ沈めにいったのでしょうか?


人付き合いの苦手なジャックが、唯一心を許した親友の「最後の」願いを叶える為。

綺麗な言葉で片づけたくはない友情物語ですが、きっとそうだったと思います。


エンゾを沈めた後、瀕死で助けれらたジャックはイルカの夢をみます。

物語序盤、突然襲ってくる父の死も知らずに、ジャックに人魚の話をする男の会話を覚えていますか?

ここでは語られませんが、恐らく、人魚の正体は、死に瀕した時、最後に見える愛する者の姿なのでしょう。

ジャックは一命を取り留めますが、その後も死の恐怖は襲ってきます。

ベットで出血し気絶していたジャックは、ジョアンナに助けられますが、それでも海へ行こうとします。

これ以上の潜水に待ち受けるのは「死」だけなのに・・・


きっと、ジョアンナとの愛に悩むジャックは、本当に愛する者が誰なのかを確かめる為に潜ったのでしょう。

そしてその結末は観ての通りですが、そんな男を許す女の深い深い愛はこういうものだと言いたかったのでしょう。


「私の愛をみてきて」と言う最後の台詞の意味が、この映画と出会って10年目で、やっと分かった気がします。


さて、リュック・ベッソン監督と言えばアクション大作のイメージが強いのですが、実はこの映画のように精細な心を描く作品もあるのです。

そして、私の中では、この作品がベッソン作品のNo.1です。

時が経っても、忘れ去られないベッソン作品は、きっとこの「グランブルー」だと断言出来ます。


今回のコラムは物語の進行に沿って、ネタバレと感想を含んでみましたが、いかがでしょう?

私はジャックのように変化をあまり望みませんが、やはり同じ様な文章ばかりでは皆さんにとって退屈になるかも知れませんしね。

これからも、皆さんを飽きさせないような企画を色々と考えていますので、どうぞお楽しみに!!


さて毎週更新のコラムは今回でいったん終了です。

次回は6月の第2週週末更新を予定しています。

それにはちょっと理由がありまして・・・

次回はあまりにも有名なスターウォーズシリーズより、クラシック3部作と呼ばれるエピソード4〜6を紹介したいと思います。合わせて7時間弱には、やはり時間が必要なのです。

当然コラムにネタバレは必須ですし、いつになく熱い内容にしたいので、まだご覧になっていない方も、過去にビデオで見たよと言う方も、是非是非レンタルDVD等でご覧になって下さい。

よろしくお願い致します。


それでは、また!


1988年フランス映画

監督    リュック・ベッソン

製作    パトリス・ルドゥ

原案・脚本 リュック・ベッソン

撮影    カルロ・ヴァリーニ

音楽    エリック・セラ

出演    ジャン・マルク・パール ジャン・レノ ロザンナ・アークェット 他

2006年5月21日日曜日

覚え書き

世の中には、日の目を見ずに消えていくものが多々あります。

人の才能などは、その最たるもの。

沢山の才能は、幼い頃には無限の可能性を秘めているのに、いつの間にか何らかの障害に妨げられて姿を消してしまう。

様々な出会いや運命がそうさせているのです。

一見、永遠に残ると思われる映画ですが、実はそうでない場合があります。

以前「長江」のコラムで触れた「翔べ、イカロスの翼」等は、その代表でしょう。

一本の映画を造るには沢山の人や企業の協力が必要です。スポンサーだけでなく、出演者や映像作成に関わる人等々。

映画が劇場公開された当初に上映終了後の目的が決まっている場合は、最初からその権利を盛り込んで契約したりするのですが、時代の変化と友に生まれる新たなメディアには対応し切れていないのがこれまでの現状のようです。

例えばビデオデッキの出現やCDの出現。音楽になってしまいますが、有名な話ではビートルズのCDでしょうか?発売寸前に、権利の問題がクリアになっていなかった事が明らかになり出荷されなかった幻の「アビィロード」があります。

でもこれはまだ良い方。

本来上映だけが目的で、その後一般の人々の手に渡るなど考えても居なかった過去の映画はビデオ出現以前には殆どがそうでした。

中には未だにビデオ化されていないものもあり、その中には名作も存在します。

石原裕次郎さんの一部の作品等もその一例かも知れませんね。

話が逸れてしまいましたが、前述の「翔べ、イカロスの翼」は、公式HPによると廃棄されるのを待つのみとか。一度もビデオ化されずにです。

実話に基づいた素晴らしい作品だけに、勿体なく思います。

ただ幸い、時々上映会が開かれているようですので、観られる機会があるというのは幸運かも知れません。

一体何が障害でビデオやDVD化されないのかは、視聴者である私たちには見えないのですが、複雑な権利関係である場合が多いと言うことだけは言えると思います。


さて、そんな理由で今現在手に入れることの出来ない作品の中から、私の特別にお気に入りの作品を紹介したいと思います。


まずは「ラストソング」

吉岡秀隆さんと、本木雅弘さん主演。監督は「優駿〜オラシオン〜」で有名な杉田成道さん。そちらのDVDが5年も前に発売されていることから、ここに権利関係が絡んでいることが伺えます。

物語は、一流のミュージシャンを夢見るアマチュアバンドが一人の青年と出会い、行動を共にすることで、メジャーデビューの夢をつかんで上り詰めていくという内容です。そこには紆余曲折があり、仲間との別れや恋、当初の夢とは違った方向へ進んでいかなければならない運命など、様々な障害が待ち受けています。

ビデオ化はされていたので、古くから営業しているレンタルビデオ店にはまだ在庫があるかも知れません。


次は私の最も好きな邦画BEST5に入る作品を2本紹介します。

ひとつ目は、前回のコラムで述べた「秋桜」です。

この映画の監督はすずきじゅんいちさん。「マリリンに逢いたい」の監督と言えば分かるでしょうか?

マリリン〜はDVD化されているので、この「秋桜」がビデオ化で終わっているのは納得がいきません。

しかも現在監督が行動の場としているアメリカでは、以前DVDが発売されていました(ただし日本国内で発売されたビデオに英語字幕を付けただけというお粗末なもの でも私は所有しています)。

レンタル用に始まり、その後低価格の販売用が発売されたのに、です。それだけの需要があったと言うことです。

それにこの映画は、ある意味画期的な作品でした。

映画を造る為の出資金を企業だけでなく、舞台となる町の商店や個人にも募り、青年会議所が中心となって呼び掛けた映画なのです。

その映画が造られる切っ掛けには、素晴らしいドラマがありました。

福島県安達郡本宮町では以前、子を持つ母親達が中心となり、子供達へのメッセージを込めた映画を造ったことがあります。その作品名は「こころの山脈(やまなみ)」。残念ながら私は未見ですが、故 山岡久乃

さんが主演されていたことからも、作品の質が高いことが伺えます。

「秋桜」は、その母親達に育てられた世代の子供達が、大人となり応える為に造った作品なのです。

物語はこうです。

故郷である本宮に戻ってきた主人公と、その母。親一人子一人とは思えない程笑顔の絶えない主人公には、実は重大な秘密が隠されています。

海外で暮らしている頃、事故で受けた輸血によって、エイズに感染しているのです。

母は、その重大な事実を隠さずに生きていこうとします。

しかし日本は閉鎖的。転入した高校では、理解無い人々からのいじめにも似た差別。幼なじみの親友の両親でさえ、避ける状況。

でも主人公は負けません。

それでも自分を貫き生きていくのです。

その勇敢な姿に胸を打たれた親友と、やがて絆を深めていくのですが・・・

いつか必ず観て頂きたい作品なので、紹介はここまでにしておきましょう。

「文部省選定」作品であることから、内容の良さが伺い知れるでしょう。

この作品は日本テレビが製作に関わっているので、ひょっとすると深夜に放映されるなどと言うこともあるかも知れません(関東圏では過去に2度程、放映されています)。


もう一つの作品は、なぜDVD化されないの?と思うかも知れません。

監督がある有名人だからです。

最近、期間限定復活を果たした米米クラブをご存じでしょうか?

そのボーカル、カールスモーキー石井こと石井竜也さんの作品、「河童」です。

初監督作品にもかかわらず、好成績な上、その芸術的センスと、映画への博識と愛情の込められた内容に、涙した人も多いのです。

物語は、「E.T.」に酷似していると言われます。

未知の生物である河童の子供と出会い、友情を深めていくのですが・・・確かにその通りでしょう。

しかし、日本人でなければ分からないわびさびを込めつつも、SFXには手を抜かず、音楽も素晴らしい。

物語やそれぞれのシーンが様々な映画に似ていると感じるのも、実は映画好きの監督ならではの愛情の表れなのです。

演技が多少大げさに感じるのは、ちゃんとラストを考えてのこと。多少笑いを取りつつも最後はきちんと涙で閉めるという、真面目な映画作りに私は、期待しました。

次々に作品が造られることを。

しかし2作目の「ACRI」を最後に、映画界からは消えてしまいました。

なぜかは分かりませんが、それ以降映画を手掛けていないのです。

故に、ビデオとLDが発売されたにとどまり、今現在はレンタル落ちのビデオが見つけられれば運が良いという状況。

昨年私は、運良く程度の良いレンタル落ちを見つけ購入、時々観ているのですが、観る度に思います。


石井竜也監督の新作が観たい!と。


私の知り合いにも、この映画がお気に入りという人が多数居ます。

どんな問題からDVDにならないかは分かりませんが、悔しくてなりません。

そんなネット上の声にされて、映画監督として復活されることを切に願います。

米米CLUBが復活したように・・・


今回のコラムはここまでです。

いずれこの「覚え書き」の続きを書きたいと思いますが、今はまだやめておきましょう。

次回は洋画編と言うことだけ、予告しておきます。


さて、次回のコラムは最新作が公開中、リュックベッソン監督の代表作「グランブルー」をお贈りします。

実は私は、リュックベッソン監督作品とは肌が合いません。その中で唯一、特別なのがこの「グランブルー」なのです。

海が舞台となるその内容は、非常に居心地良く感じます。

残念ながら、現在DVDは手に入らず(ネットで新品がほんの僅かだけ流通しているようです)、レンタルのみとなりますが、男のロマンの描かれた素晴らしい作品ですので、是非是非ご覧になって下さい。


それでは、また!

ニューシネマパラダイス

前回のコラムの最後で、大切なことを伝え忘れていました。

この映画の本当の良さを知る為には、二つのオリジナルを観る必要があるのです。

ただ残念ながら、限定セットや中古でしかお目にかかれない初版をレンタル店で探すことはなかなか難しいでしょうから、どうか完全オリジナル版を探して、もう一度観てください。

ひょっとすると、あなたが以前観たのは初版で、完全オリジナル版は初見かも知れませんし。

どちらのパッケージは殆ど一緒ですが、簡単に見分ける方法のひとつとして、時間の長さの違いがあります。

初版は123分。完全オリジナル版は175分。

その違いを目安に探してみてください。


この映画「ニューシネマパラダイス」には現在、3種類の映像が存在しています。

ひとつ目は1989年公開の初版。ふたつ目は、初版で描ききれなかった部分を追加した、完全オリジナル版。3つ目は、完全オリジナル版のフィルムの汚れや色あせをデジタルで修復、音声を5.1チャンネルにしたものです。

現在、DVDとして流通しているのは3つ目ですが、今回私が観たのはふたつ目である完全オリジナル版。

なので皆さんが目にするであろう3つ目とは、受ける印象が多少ばかり違うかも知れませんが、どうかお許し下さい。


世に流通する映画には、監督の意図していない意味が含まれることになったり、当時の技術的な問題でやむなくカットされてしまう場合が多々あります。

この映画は恐らく後者の問題で初版が作成されたと推測します。両方をご覧になった方は、既にお気づきと思いますが、この二つのオリジナルは、観終えた後の印象が大きく異なっています。どちらも映画として満足のいくものであるにもかかわらずに、です。技術と興行的な問題で編集された結果、前者のような新たな問題を生み出してしまったと言えるでしょう。

この映画が作成された当時は、世界的にレンタルビデオの全盛期。

まさに映画の中で描かれた「現代」と同じ状況です。

まだDVDという言葉が聞かれない時代の話なのです。

この頃の作品に、限りなく2時間に近い物語が非常に多いことは、ご存じでしょうか?

理由は、ビデオの普及に一端があります。

2時間を超えるテープは存在しましたが、何十回と繰り返し観ることを前提としたレンタルにはまだまだ耐久性の問題等がありました。2本組にすれば当然コストは上がりますし、片方のテープが壊れてしまってもその片方だけを買うわけにはいきません。

つまり、なるべく2時間に近い作品にする必要があったのです。

映画館での興行的な問題もありました。

2時間映画なら日に4回上映出来るのに、3時間映画だと1時間も余計にかかるのに日に3回しか出来ません。売り上げも約7〜8割。

シネコンもまだ存在しなく、それ程映画業界が好調というわけでもなかった時代、2〜3割の減収は、映画会社にとっても、上映劇場にとってもかなり大きい差であったと言えるでしょう。

故に、監督の意図している作品を自由に造れていたわけではないのです。

この流れはある映画とDVDの普及により代わって行きますが、それはいずれこのコラムで述べるとしましょう。

さて、肝心の映画へと話を戻しましょう。


トト少年は、母と妹の3人暮らし。

教会の仕事を手伝い、貧しいながらも生き生きとして少年時代を過ごしています。

その糧は「映画」でした。

夜、こっそりと行われる神父の検閲を、物陰から覗きつつ、映画の楽しさを覚えていく日々。

映写技師アルフレードとの出会いと友情は、そんな生活の中、ごくごく自然に育まれていきます。

そしてアルフレードは、戦争に行ったままの父が帰ってこないトトにとっては、もう一人の父でもあったのです。

やがて、突然訪れる映画館閉館の危機。

火事がアルフレードの視力を奪い、映画館を全焼させます。

しかしこの映画の中では、神は存在するのでしょう。くじ長者が、新たな映画館を建設、運営を請け負ってくれたのです。

ここからトト少年の本当の映画人生が始まります。

見よう見まねで覚えた映写技術で給料を貰い、貧しい家計を助けることが出来、その上、大好きな映画と共に過ごせる毎日。あっという間に時は過ぎ、やがてトトは、青年へと成長します。

この間にも、時代の変化は確実に訪れています。

少年時代のトトは、戦争という大人の都合で友を無くします。死ではなく、思想の違いから来る差別と引越。

少年にその意味は分かりません。

映画自体も時代の波をうけて様変わりしていきます。

神父の検閲を受けキスシーンのない映画が、経営者が代わったことによりオリジナルそのままを観られるように。そして、トトが青年になったのを見ているかのように、過激になる性描写。

観客も時の流れを生きています。

貧しい人々の集まる1階と、金持ちの集まる2階。戦争直後に、その差は歴然としていました。しかし映画館で芽生えた恋が、貧しい青年と金持ちの娘を結婚させたり、子供が生まれたり、2階から一方的にツバを吐いていた意地悪な男は、戦争が終わって裕福になった庶民からゴミを投げつけられ反撃されたりと。

時折挟まれる、ほんの僅かな映画館内の描写は、それだけで沢山のドラマを感じさせてくれるのです。

この辺りは、昨年公開された「Always三丁目の夕日」も近いものがあります。

あれだけ大ヒットした理由も、名作と呼ばれる「ニューシネマパラダイス」を観ると分かるでしょう。

郷愁が、ただのノスタルジーだけでは終わっていないのです。

昔へ回帰しながら、未来への糧を生んでいくのです。

映画の力は素晴らしいと感じさせます。

その「Always三丁目の夕日」は6月9日に発売となるので、近々このコラムで取り上げたいと思います。

さて青年になったトトは、他の青年達と同様、性に目覚め恋をします。

そしてここからが初版と完全オリジナル版の違いとなるのです。

初版では、恋は青年時代で終わり、現在のトトへと代わります。

しかし完全オリジナル版では、SEXとの衝撃的な出会いや、トトとエレナの恋をよりきめ細やかに描き、突然の別れの後、アルフレードの死から運命の再会へと導きます。

初版はトトとアルフレードの友情物語に重きを置いた郷愁映画。完全オリジナル版は友情物語の上に人生を左右する恋愛を絡め、再会後に再び訪れる別れが、ラストシーンをさらに良いものへと仕上げているのです。人生を描いた映画と言えるでしょう。


私にとって忘れられないシーンが、ラスト近くにあります。

自宅で、トトと母が二人だけ。穏やかな昼下がりです。何気ない会話は、どの家庭にもあるはずの風景を醸し出します。

母は突然家の鍵の話をしますが、トトは今まで知らなかった事実を知り、愛情の深さを知ります。

そして、離れていたからこそ分かる、愛情があることも知るのです。

アルフレードはトトの人生の師でもありました。

別れを選ぶべきと解いたアルフレードは間違っていなかったのです。これも離れていたからこそ分かる事実のひとつだったと言えるでしょう。

もちろん、別の人生がどうだったかは誰にも分かりませんし、エレナと結ばれていても二人で夢を追いかけていたかも知れません。

でもこの映画で、「もしも」の話はやめておきましょう。


ラストシーンはあまりにも有名です。

ただつなぎ合わせただけのフィルムを観ているだけなのに、誰もが涙する素晴らしいエンディングです。

そのエンディングは、アルフレードが解いた人生の意味を大きく物語っているからこそ、涙を流すのだと思います。

初版でも、そのシーンで涙を流すでしょうが、涙の意味が大きく違っているのです。

この映画の本当の良さは、2つのオリジナルを観ないと分からないと行ったのは、そんな理由からです。

もちろん途中で述べた通り、どちらかだけしか観ていなくとも充分に立派な作品です。

でも私はあえて言います。

この作品は是非、2つのオリジナルをご覧下さい。

そして、あなたが味わった恋の重さを、もう一度思い出してください。

それから、これだけは伝えさせて下さい。

「過去の良い思い出だけを心につなぎ止めて、それを心の糧に前へ進め」と。

アルフレードの言いたかったことは、きっとそうだと思います。


さて、今回のコラムはいかがでしたか?

私がこのコラムコーナーを担当した直後は、面白いけれども隠れた作品を紹介するのがメインでした。

本当に好きな作品は、小出しに紹介しようと。

でも今月とある出来事が起こり、少しだけ考えが変わりました。


好き映画は永遠ではない。いのちと同じ。


その時の感情に左右され、変わるものである。

アルフレードの解く人生の意味にも似ています。

だからこそ、新たな作品に出会う前に、紹介するべきではないか、と。

これからも時々、心に残る映画の上位作品を紹介していきたいと思います。

ただ、残念なお知らせもあります。

マニアックな故、既に廃盤であったり、DVD化されていない作品があるのです。

次回のコラムは、その作品がDVD化されずに終わって世の中から消えない内に紹介する「覚え書き」としたいと思います。

ちょっと短めのコラムですが、このまま続けてどうぞ!


1989年イタリア映画 175分

監督・脚本  ジュゼッペ・トルナトーレ

製作     フランコ・クリスタルティ

撮影     ブラスコ・ジュラート

美術     アンドレア・クリザンティ

編集     マリオ・モッラ

音楽     エンニオ・モリコーネ

出演     フィリップ・ノワレ ジャック・ベラン サルバトーレ・カシオ マルコ・レオナルディ ブリジット・フォッセー レオポルド・トリエステ プペッラ・マッジョ

2006年5月13日土曜日

極私的ロケ地の旅

今年の春は、冬同様寒いですね。晴れ間も少なく、お出かけに最適な季節が勿体なく感じます。


さて今回はロケ地の旅についてのコラムです。

今まで以上にプライベートな内容ですが、私という人間を形成する「映画」との関わりだと思って、どうかお許し下さい。


映画好きな人たちは、いつからか憧れの映画のロケ地を訪れるようになりました。

その数は今や観光業界を動かす程に増え、それに関連して各都道府県や市町村も、フィルムコミッションに積極的になってきました。

フィルムコミッションはまた別の機会に述べるとして、映画のロケ地は「旅」のひとつの選択肢にまで発展したのです。


私の生まれ故郷は、千葉県銚子市。

三方を水に囲まれ、皆さんの中には漁港の町というイメージが強いことでしょう。

実際に町の観光を支えているひとつは漁港に関するものであり、それに付随してその他の観光施設に人が集まっていると言えます。

しかしその流れに新たな波が加わる転機が訪れます。

とあるドラマの舞台として使われたのです。

「澪つくし」

沢口靖子さん主演で、NHK朝の連続テレビ小説。半年間に渡る放送で、銚子市はロケ地のひとつとして脚光を浴びることとなります。

この流れは、人口減少に悩む町の起爆剤のひとつとなりました。

それまで寂れた雰囲気しか漂わなかった銚子電鉄の車両は綺麗な色で塗り直され、夏場は窓を取り払った展望車両が現在でも運行されています。

その転機以降、銚子市は観光に力を入れるようになったと言っても過言ではないでしょう。

一度は閉鎖された展望館を、新たに「地球の丸く見える丘展望館」として建て直したり、漁港の増設に伴い隣接した敷地にタワーを建設、観光みやげなどを一手に集めた「ウォッセ21」を併設など、様々な施設が造られました。

老朽化した駅舎を建て替え、駅前通は「海の街」を訪れる人に、より味わって貰う為の工夫をこらすなど、町作りにも大きな影響を与えています。

今現在銚子市は、東京に近く天候も良い地の利を生かして、「銚子フィルムコミッション」を立ち上げて、積極的にTVや映画のロケを誘致しています。

それ程までに、ロケが行われるというのは大きな影響があると言うことです。

前回のコラムで取り上げた「さびしんぼう」の舞台である尾道に憧れていたひとつの理由は、故郷がどこか似ていると言うことも関係しているかも知れません。


さて私が、ロケ地を初めて訪れたのは、ちょうど1990年代に切り替わる頃。

知り合いと共に、バイクで房総半島一周をしている時でした。

そう「偶然」なのです。

千葉県館山市の国道を走っていたのですが、駅前の渋滞を避ける為に別の道へ抜けたことが切っ掛けとなりました。

そのロケ地には現在別の建物が建ち、当時の面影は川縁と川に架かる橋くらいですが、今でもそこを訪れるたびにその時の衝撃と感動が甦ります。

作品名は「ぼくらの七日間戦争」。少年達が立てこもった廃工場として登場し、劇中そのままの迷彩色で塗られた外観。元はボーリング場だったそうです。

それからというもの、房総に行く時は必ずその横を通っていましたが、私がバイクからしばらく離れた時期に取り壊されてしまったようです。

残念ながら写真を撮っていないのでお見せすることは出来ませんが、映画を観て頂ければどのような建物かは分かりますので、お時間のある時にでも是非ご覧下さい。今から18年前の作品です。


先程「バイクからしばらく離れた」とありますが、この時期私はバイク以外のことに一生懸命でした。

そしてしばらくの間、「ロケ地を訪れる快感」を忘れていたのです。

でも、いつかは尾道へ!と心の中では思い続けていました。

やがてレンタルビデオ店で働くこととなり、いつしか店長へ。休みの間も映画三昧の日々。

それが2002年、突然終止符を打つことになります。

やめたことに伴う不安や悩みから解放されるひとつの選択肢として、「バイクで旅をすること」を思い出すのです。

初めはただ、風を感じ無になるのが目的でした。

いつしかその目的には理由がつき、大好きな映画のロケ地を探そうとなったわけです。

残念ながら最初に探そうと思った場所は見つからず。

その年の秋、念願だった尾道行きを本気で検討し始めます。

2泊3日でも強行軍となる尾道は、仕事をしていない今でなければ無理だろう、そう思ってのことでした。

残念ながら、出発前日台風に見舞われ、実現には至りませんでした。


やがて私は仕事をしないまま年を越します。

1月が終わる頃、別の映画のロケ地をふと思い出し、突然に訪れることとなります。

その映画は「秋桜」。私の中では邦画BEST5に入る傑作ですが、残念ながら知名度は低く現在ビデオは入手不可能となっています。

この映画が撮影されたのは福島県安達郡本宮町。

全く名前を知られていない町ですが、実は何処よりも早く映画と地元住人の関わりを大切にした町なのです。

「秋桜」と言う映画は、その完成型とでも言えるでしょう。

冬だった為に車で訪れたのですが、次々に現れる「観たことのある場所」に興奮したこと今でも思い出します。

そしてその帰り道、映画「はつ恋」でストーリー展開の重要な要となる「願いの桜」(劇中での名前)を見つけました。この桜は、私のもう一つの旅「桜の旅」の原点とも言えるのですが、この旅については「きまぐれ写真館」をご覧になって下さい。

一度の旅でうけた沢山の衝撃。これが私の「ロケ地の旅」の原点です。


それ以降は特に好きな映画のロケ地を探し、歩きました。

好きだった人と一緒に行くと誓っていた場所、郡上八幡もその一つ。

以前コラムで3回に渡って取り上げた「サトラレ」の主なロケ地です。

この旅は感慨深いものとなりました。

劇中ラストシーンで見せた満開の桜。それに涙した方も多いと思います。

あいにくの大雨でしたが、満開の桜は私に大きな感動と勇気を与えてくれました。


その年の暮れ、それまでの行き詰まった人生を変えるべく、西日本最南端の旅に出て憧れの尾道をついに訪れることになるのですが、実はこの旅でもう一つのロケ地を、しかも偶然に発見することとなりました。

残念ながら映画は未見ですが、あの名曲の映画化「なごり雪」です。古びた駅舎が印象的でバイクを停めたのですが、実はその駅のホームが、ロケに使われたのです。

もう一つの偶然、「さびしんぼう」の大林監督の映画だったと言うことも、運命と感じられて仕方がありません。

この旅の詳細に関しては、詳しくは「ひたすら3800キロ」をご覧下さい。

その後は「桜の旅」に集中し「ロケ地の旅」は無かったのですが、2004年「交渉人真下正義」のエキストラに参加してからは再びロケ地への血が騒ぎ始めました。

今年の私の旅は充実したものが続いています。

以前あれだけ探して見つからなかった「河童」のロケ地、「交渉人真下正義」でのかなりマニアックなロケ地、そして2005〜6年を代表する邦画「Always3丁目の夕日」のロケ地等々。

いつしか効率良く探せるようにもなっていました。

それはひとえにネットでの情報収集のおかげです。

マニアックなロケ地も、先述した各地のフィルムコミッション公式HPを探せばヒントが見つかります。

そのヒントを元に、さらにネットで検索を重ねると、意外にも簡単にロケ地が見つかるものなのです。

有名な映画であればある程、簡単だと言えるでしょう。


どうです?あなたの「旅」の選択肢として、ロケ地を訪れるというのは?

「旅」で無くてもいいかも知れません。

実は知らないだけで、地元で撮影されている作品も多いはずですから。

まずはそこから感動を味わってください。きっとそれからでも遅くはないです。


ちなみに私が現在住んでいる鹿嶋近郊では、鹿嶋開発が行われた頃から沢山の映画が撮影に訪れています。

「さらば愛しき大地」、石原プロの映画数本、「シャコタンブギ」、オリジナルビデオですが「プロミスリング」、最近では「夜のピクニック」等々。

同じく銚子でも撮影が多々行われています。

TVのサスペンスものでの断崖絶壁シーンなどは、ひとつの定番とも言えるかも知れませんね。

以前コラムで取り上げた「ジュブナイル」もそうですし、同じ山崎貴監督の「リターナー」でも飯岡灯台や波崎地区の風車など、数えだしたらきりがありません。


どうです?探してみたい気になりませんか?


さてここしばらく邦画が続いていたので、次回のコラムは久し振りに洋画をお届けしようかと思います。

出会って以来愛し続けている映画であり、名画を選ぶと必ず上位にその名を見せる、

「ニューシネマパラダイス」

をお贈り致します。

完全版を元にコラムを薦めますが、その以前に上映・発売された版との違いなども述べていきたいと思います。

いつになく”熱く””長い”コラムになるかも知れませんが、それも愛情の表れとお許し下さいませ。


それでは、また!

2006年5月8日月曜日

ランボー

映画俳優というと、あなたは最初に何を連想しますか?

演技をする仕事ですよね。演技ををすることだけに生涯を捧げる俳優も数多くいます。職業軍人にひっかけて職業俳優とでも呼びましょうか。

でもいつからか、洋画邦画を問わず、俳優が新たな分野に進出する事も多くなっています。小説を書いたり、店を経営したり、政治に進出したり。

俳優を廃業し、意気揚々と始めてみたものの畑違いで苦労する事も多く、結局役者に後戻りというパターンも見受けられます。

しかし役者としてそこまでの地位に上り詰めた「実力」と「魅力」と「天性」があるのは事実で、新たな分野で成功する人も多いのです。これは役者に限った事ではないですが、ある程度の地位まで上り詰めた人は、やはり何か輝くものを持っているのでしょうね。

畑違いではなくとも、その職業から発展して、成功した人もいます。

最近では、トム・クルーズがそうでしょう。

映画を造る側に立ち、製作だけでなく自ら映画化の権利を買い付け、様々な作品を世に送り出しています。

「ミッション・インポッシブル」シリーズ、「マイノリティ・リポート」、「宇宙戦争」等々。

これだけ目立った活躍は彼が最初だと思われがちですが、実は違います。

この「ランボー」シリーズの主演、「シルベスター・スタローン」もその一人です。

彼の出世作は誰もが知っている「ロッキー」シリーズですね。この映画はスタローンが書き上げた脚本が認められ、当時殆ど無名だった彼を一気にスターダムへのし上げた作品でもあります。

この「ランボー」も脚本に携わっています。

それ以外にも、脚本を書いた作品や、製作した作品、仕舞いには歌まで歌ってしまった(笑)作品もありますので、気になる方は是非探してみて下さい。

「ランボー」の原作はデヴィッド・マレルの「一人だけの軍隊」と言う小説です。

現在発売されている「ランボー」のDVDには原作者のコメンタリーがあるので、是非ご覧下さい。

ランボーの名前の由来や、原作との違い、スターウォーズとの共通点(!)、ラストシーンの秘密等々。

1時間半が短く感じる程沢山の裏話が聞けますよ。


私が小説と出会ったのは、映画を観た直後。

20年以上読んでいないのですが、その小説の内容に映画以上に衝撃を受け、今でも一部を鮮明に覚えています。

映画劇中では、ランボーは人を殺していません。(正確に言うと間接的に一人死んでいますが)

血生臭い残忍なシーンの連続に麻痺して気付かない人も多いかも知れませんが、そうなのです。

原作者コメンタリーではあるシーンで4人死んでいる設定となっていますが、見る立場からすれば死んでいるかどうか判らないので、私はそう解釈します。

ところが小説はどうでしょう。タイトル通り、一人で戦争を仕掛け(性格には仕掛けられたのですが・・・)、多くの命が失われています。

そして、これから書く内容が決定的に映画と違うのですが、最後にティーズル保安官はランボーに殺され、そのランボーもトラウトマン大佐に殺されるのです。

小説は主人公の視点で描かれているのですが、その最後が実に衝撃的で、それまでの死闘を冷静沈着でしかも淡々とした視点で描いていた表現と相まって、主人公は死ぬのですが、胸を打つのです。

このコラムを書くと決めた当初、原作との違いを強調した内容にするつもりでいました。

しかしいざ映画を見始めた時、それは極力省こうとすぐさま決めました。

そう今回、DVDをコメンタリーから見たのです。

原作者コメンタリーを聞けば判る事が多いので、あえて省かせて頂きますが、これだけは言わなければなりません。

この映画の「成功」と「悲劇」は、全てラストに集約されています。

「成功」はランボーが大佐に全てをぶちまける時。それまでは寡黙で殆ど喋りさえもしなかったランボーの、重すぎる程の過去の悲しみが、全てここで伝わってきます。実際にこのシーンのおかげで、ベトナム帰りの兵隊を家族に持つ人々から、感謝されたそうです。(詳しくはコメンタリーをお聞き下さい)

それまでは、ランボーのように「余所者」や「厄介者」としてしか思われなかった人々に、救いの手を差し伸べたわけです。

最近は変わってきましたが、アメリカのアクション映画と言えば当時、一般には好戦的で裏の悲劇をあまり語ろうとしませんでした。でもこの映画「ランボー」は、アクション映画ながら、それを打ち破ったのです。

それもたった数分の台詞で。

初めてこの映画を観た私には衝撃的でした。何せ、当時中学生でしたから。

戦争を知らない世代である私が、戦争を知っている親や祖父祖母たちからでなく、映画から知らされ、しかもあまりにも残忍な内容。

この頃からでしょうか。それまではメカや兵器にこだわって、プラモデルを作ったりしていたのですが、この作品を観てから、徐々にその世界からは離れていったように思います。

実はこの作品を観たのは、この「極私的感涙映画評」の最初のコラム「アウトサイダー」とほぼ同時期。

「アウトサイダー」と共に、私の人生の方向を変えた大切な作品であるのです。

話が少し逸れてしまいましたね。

もう一方の「悲劇」を語らなければなりません。

それは、原作と違うラストシーンです。

ランボーが死んでこそ、この作品の真意が伝わったはずなのです。

実際に、この映画にはもう一つのエンディングがあったそうです。詳しくはコメンタリーで述べられていますが、観客と製作者達は、このラストシーンを選んだという事です。

そしてその余波は、続編という形になって表れます。

戦う事を避けたがっていたはずのランボーが、今もベトナムに残る同僚を助ける為とか、大佐を助ける為だとか、理由を付けてこれでもかという程、戦わされるのです。

多くの血が流れ、多くの死がそこにあります。

生き延びてしまったが為に、再び悲劇の戦場へ戻らなければならなかったのです。

原作を知るものとしては、やはり最後は死ぬべきだったのではないか?と今でも思います。

そしてこの過ちの縮図が、今もアメリカで繰り返されている事に、胸を痛めます。

まもなく9月11日が訪れます。

一般市民の多くはテロという惨劇の中に、真の悲劇の意味を知ったのですが、911テロ以降もアメリカ政府上層部は攻める事をやめません。

手を変え、形を変え、様々な戦いに携わっています。

戦争が景気を支え、人間を発展させているというのは事実かも知れません。

でもそろそろ、その破壊と消費だけの段階を、終わらせなければならないのではないでしょうか?

そして、先日映画館で観た映画のふたつの予告に、その兆しを感じる事が出来ました。

ひとつは「ユナイテッド93」。

911テロで唯一、目標に到達出来なかった機体の中で繰り広げられたであろう物語を描いた作品。

遺族全てに同意を得、台詞ひとつにも嘘がない、ほぼドキュメンタリーに近いフィクション。

そしてもうひとつは「ワールド・トレード・センター」。

テロの標的にされ突然命の危険にさらされた多くの人々を救う為、活躍した消防隊の話。

あの崩れ去った残骸の中から、奇跡の生還を果たした人の実話です。

どちらの予告も、観ていて涙が溢れました。おそらく多くの方が、予告を観て何かを感じ取ったはずです。

そう、実際に起きたその悲劇を、私たちは嫌という程知っているからです。

あなたは、911テロのドキュメンタリーを、観た事がありますか?

新米消防士の密着取材中、その悲劇に出会し、命の危険も顧みずにビルが崩れ去るまでの一部始終を事細かに収めたテープを元に、造られた作品です。

そのドキュメンタリーを観ていた為、緊張感漂う異様なまでの光景を知っていたからかもしれませんが、どちらの作品も、平和の真の意味を考えさせてくれる大変素晴らしい作品に思えます。

そして、悲劇を経験した国からこのような作品が生まれた事に、大きな意味があるのだ、と私は思います。


派手なアクションに目が眩んでいるかもしれませんが、「ランボー」は立派な反戦映画です。

そう思ってみると、より深みの増す、素晴らしい映画に見えるでしょう。


最後にひとつ、劇中の大事な台詞を思い出して下さい。

洞窟内のランボーと、大佐が無線交信しているシーン(チャプター19「無線の呼び掛け」)でのランボーの台詞です。

「they drew first blood.」

この台詞のラストにある、映画と原作のタイトルにもなった「First Blood」とは、


先に仕掛ける。


そんな意味があるのだそうです。

子供達の痴話喧嘩と同じで、まさに、どちらが先に仕掛けたか?と言う事でしょう。

でも悲劇が始まってからでは、そんな事はどうでも良くなってしまいます。

それだけは、忘れないで下さい。


さて、アクション映画のスッキリしたコラムを期待していた方には、ちょっとした裏切りに思える程、重いコラムになってしまいましたね。

その償いもかねて、次回はヒューマンコメディと例えられるような作品をお贈りしたいと思います。

「ダンボドロップ大作戦」

です。

ちなみにこの作品もベトナム戦争を描いていますが、実に心温まる物語です。

そしてさらに、実話(何処までが実話であるかという問題はありますが)である事に驚かされます。

レンタルで探すのは難しいかもしれませんが、この作品は現在税込み1500円という低価格で発売されていますので、興味のある方は是非是非購入してご覧下さいませ。


それでは、また!


1982年アメリカ映画 94分

監督    テッド・コチェフ

製作    バズ・フェイトシャンズ

脚本    マイケル・コゾル

      ウィリアム・サックハイム

      シルヴェスター・スタローン

製作総指揮 マリオ・カサール

      アンドリュー・ヴァイナ

原作    デヴィッド・マレル

音楽    ジェリー・ゴールドスミス

撮影監督  アンドリュー・ラズロ

出演    シルヴェスター・スタローン ブライアン・デネビー リチャード・クレンナ 他

2006年5月7日日曜日

さびしんぼう

今回は久々に約束通りの更新が出来てホッとしています。

桜の旅も無事終わり、これでやっと専念出来るという状態です。


この映画の監督は大林宣彦さん。邦画ファンなら誰もが、その作品を一度は目にした事があるはずです。

「さびしんぼう」は大林監督を有名にさせた旧尾道3部作の最後の作品。私のお気に入り邦画BEST5に入る作品でもあります。

「転校生」の奇抜なアイディアとストーリー展開、「時を掛ける少女」のミステリアス、そして「さびしんぼう」の純愛、3部作を簡単に紹介するとこんな感じでしょうか?

劇場公開は1985年4月13日。その言葉自体今ではすっかり懐かしい響きになってしまいましたが、同時上映に松田聖子主演「カリブ・愛のシンフォニー」。歴史を感じますね。20年以上も昔の映画です。

私はこの「さびしんぼう」のDVDを所有していて約2年半振りに観たのですが、高校生当時に感じなかった恋の痛みが今となってひしひしと伝わり、時折涙ぐみながらの鑑賞となりました。


今回のコラムはストーリーを紹介しながら解説しつつ、ロケ地を訪れた思い出を語りたいと思います。


それでは、スタートです。


オープニングは画面いっぱいに映し出される言葉で始まります。

と同時に始まる音楽とナレーション。

その内容は主人公ヒロキ自身の紹介とこれからのストーリー展開に必要ないくつかの点を無駄なく詰め込んでいるのですが、長さはなんと4分半。DVDのカウンターを気にしなければ1分と感じないでしょう。それはきっと音楽と映像とナレーションの絶妙な噛み合わせの賜物です。

この映画は、最後までこの関係が絶妙です。メインテーマとも呼べるショパンの「別れの曲」を様々なアレンジに変え主人公の心の抑揚を見事に表現しつつ、シーンの変わり目にさり気なく、そして短く挟まれるナレーション、この三つの関係が見事なまでに上手くいっているのです。

台詞に関しては、演技が大げさに感じる部分が前半に多いのですが、これも無駄のない台詞を使いつつ後半の胸がキュンとする恋愛感情を引き出す為の仕掛けと言えます。

以前「サトラレ」のコラムで紹介した「笑わせて泣かせる」手法に似ているとも言えます。

オープニング直後の切なさを感じるナレーションから一転、仲良し3人組のいたずらっぷりが少しずつ笑いを誘い始めます。

ヒロキは親友を引き連れ、お寺である家の本堂の掃除を手伝わせます。もちろんそれには裏があり、ヒロキはそこで小遣いを稼ぎカメラ購入代金の借金を、残りを親友の為のスキヤキ材料購入に充てています。

もちろん家で食べるわけにはいかないので、ある場所へ進入するわけです。

お寺に住んでいるのはヒロキの両親と、ヒロキ、そしておばあちゃん。

おばあちゃんを演じるのは今は亡き浦辺粂子さん。

昨年なくなられた原ひさ子と共に邦画界の「おばあちゃん」的存在でした。

この映画の、シーンとシーンのつなぎ目に違和感を感じさせず、尚かつ気持ちを切り替えて次に挑める心構えを優しく引き出してくれるひとつの要因として、時折挟まれる浦辺さんの演技が挙げられると思います。

演技かどうか分からない程に自然で、ほんの一言に感じるおとぼけさ。

素晴らしい人を亡くしてしまったなと、今でも感じます。この味が出せるおばあちゃんは、今は居ないと言っても過言ではないでしょう。

ふざけながら掃除をしている3人組に悲劇が襲いかかるのですが、それは3人にとっては決して悲劇ではなく、「しまった」程度の出来事でした。しかしこれが、(白塗りの)さびしんぼうがこの世に舞い降りてくる切っ掛けとなるのです。

ここから先は、目まぐるしく物語が展開していきます。理科室でのスキヤキが見つかってしまいバツとしての校長室掃除。ふざけながら掃除しつつ「タヌキのキンタマ」を校長の飼うオウムへ教え帰宅。寺の下にある三叉路で偶然あこがれのさびしんぼう、百合子(この時点でまだ名前は知りませんが)とすれ違い、家の中では(白塗りの)さびしんぼうと出会う。

やがてPTA会長と校長の怒りと、母親の失笑を買い、自宅謹慎となってしまいます。

この映画で特に印象的なロケ地のひとつに、小坊主姿のヒロキが友達と待ち合わせたがあります。

尾道は20年経った今でもロケマップを無料で配っているのですが、そこにこのロケ地のヒントが隠されています。そう、隠されているだけなのです。具体的な町名や番地は一切記載が無く、ロケ地の名前とモノクロのイラストと道路のみが描かれています。

DVDの特典映像で監督が語っていますが、迷って探しながら尾道を知って欲しいという希望が込められているのだそうです。

そして訪れた人は、見事にそれにはまってしまい、虜になってしまいます。

以前書いた旅日記「ひたすら3800キロ」の8・9日目にも書いた事なのですが、単に映画の魅力だけでなく、街並みの魅力、そして街に住む人々の温かい心が大きく作用しているのです。

尾道の登場する映画でお気に入りがあるのでしたら、一度行かれる事をオススメします。それには時間が必要ですが、丸2日掛ければ、地元の人の助けもありマップのロケ地は全て探せるはずです(正確には一箇所は見つからないのですが・・・)

自宅謹慎を破った二人が向かったのはもう一人の友達の家。彼の家は商店街のど真ん中。

もちろんバレないはずなど無く、運悪くPTA会長と出会し、騒ぎは最高潮。音楽までも巻き込んで、おふざけモードは全開です。

と、ここで冒頭に述べた手法のひとつが、効果音をも駆使して、忘れられないシーンを作り出します。

あこがれのさびしんぼう、百合子が偶然通りかかるのです。

急に聞こえなくなる回りのざわめき。その中に徐々に消えていく友の声。偶然の衝撃を、ピアノの響きと共に見事に表現しています。このシーンは特に気に入っています。

追いかけるヒロキは堤防伝いに走り、百合子が渡船に乗る事を確認します。彼女は尾道の高校に通っていたのですが、隣町に住んでいたのです。その事実がここで分かります。

ここで登場する福本渡船は、現在も同じ船で運航しています。本当に短い距離なのですが、向島に架かる橋までは距離があり、今でも庶民の足として成り立っているようですね。ちなみに「男たちのYAMATO」で使われたロケセットは、この福本渡船の向島側の船着き場から近い場所にあるそうです。

今尾道では、このロケセットはある大きな波紋を起こしています。

「ロケセットは映画の中でこそ生きるもの」そう考える大林監督が異議を唱えているのです。公開されている間は尾道とは絶縁だ、と講演会等で訴え、終わるまで尾道に帰らないとの事です。

そう言われてみれば私が巡った、大林監督の尾道でのロケ地には立て看板など一切ありません。古き良きものを大切にしている心の表れであると同時に、先程の監督の言葉が痛い程良く判る気がします。

恐らくGWで公開は終了するでしょうから、今後の監督の動向が気になるところですね。

さて、(白塗りの)さびしんぼうはとうとう家族の前にも姿を現し、騒動が大きくなっていきます。もちろん家族以外をも巻き込み初めての大騒動。浦辺粂子さんのカルタ取りシーンとの組み合わせは絶妙で、ここで笑いは最高潮になります。

冬休みも終わり、学校に行ったヒロキを興味本位のからかっている眼差しで見る同級生達。ヒロキの同級生達は母が気がおかしくなったと思い、家を訪れさらに大騒ぎ。投げたゴキブリと共に再び表れる(白塗りの)さびしんぼう。

いよいよ収拾がつかなくなってしまいます。

ふと寂しくなるヒロキ。

(白塗りの)さびしんぼうを裏の墓地へ呼び出し、もう出てくるなというシーンも忘れられません。

実はこの時さびしんぼうが座っていた場所は現在、映画を撮影されたカメラマンが眠る場所でもあります。その事実を知らずに、現地を訪れた私は何やら複雑な気持ちになったと同時に、そこから見える尾道の景色の素晴らしさに心を打たれました。


ここから先は、もうストーリー紹介は必要ないですね。

恐らくこの映画は30歳代以上の殆どが観ているはずですから。


物語後半は緩やかで甘く切ない展開になります。

一気に悲しみが押し寄せるのではなく、徐々に徐々に切なさに包まれた悲しみが生まれてくるのです。

「別れの曲」の見事なアレンジと、オリジナルの旋律が観ている者の心を音楽のように操っていきます。

今回は、今までになく切なくなった後半ですが、初めて気付いた事も多々ありました。

父との風呂のシーンで、監督が何を言いたかったのか?

それから登校前のヒロキと掃除中の母が出会う階段のシーン。一瞬見せる母の「恋する乙女」の様な表情。

そして最後の最後にほんの僅かだけ描かれる未来。

劇場公開から20年以上経った今この瞬間、尾道でこの場面が存在しているのかと考えると、時の流れを感じると共に、あの頃と代わらない恋心、いやあの時以上に強くなった恋心に、胸が痛くなりました。


そう、この映画はまさに、私の「恋心の原点」だったのです。

観終えた今、気付きました。


あなたの心の中には、こんな素晴らしい感情を呼び覚ましてくれる映画はありますか?

そしてその映画を大切にしていますか?

もし愛している映画であるなら、一度ロケ地を訪れてみてください。

きっと、今まで以上に愛情が湧いてくるでしょうから。


さて今回のコラムに関連して、次回は「極私的ロケ地の旅」をお贈りします。

私が訪れたロケ地と、その映画にまつわる話を交え、紹介していきたいと思います。


それでは、また!


1985年日本映画 110分

監督     大林宣彦

音楽     宮崎尚志

脚本     剣持亘

       内藤忠司

       大林宣彦

原作     山中恒 「なんだかへんて子」

撮影監督   阪本善尚

美術デザイン 藤谷和夫

音響デザイン 林昌平

出演     富田靖子 尾美としのり 藤田弓子 小林稔侍 秋川リサ 入江若葉 佐藤允 浦辺粂子 根岸季衣 樹木希林 小林聡美