いかがでしたか?この映画。
単なるSF戦争物の娯楽映画として捉えると、非常に良くできて面白い作品として観られると思います。
現に日本国内での興行収入は約11億円。「タイタニック」の大ヒットに湧き、ほぼ同時期に「エイリアン4」が上映されていたことを考慮しても、健闘した部類に入ります。
しかし私は、この作品を面白いと思いながらも、心の奥底では否定しています。
その理由を語る上で重要なのは、原作の存在。
「宇宙の戦士」
本国アメリカでは1959年に刊行、日本国内ではハヤカワ文庫から現在も発売されている400ページ強の小説。
軍に所属した経験がないものは、正式な市民権を与えられない未来の地球。戦争という大きな過ちを繰り返した上で地球人類が選んだ道は、人種や性別の差別はないが、社会主義が勝利し世界を統一した世界。
主人公リコは、参政権などを持つ市民より格下の一般市民である両親の反対を押し切り志願。様々な戦闘と修羅場をくぐり抜け成長していく過程を、主人公の視点から描いた異色青春もの。
戦争肯定の作品と思われがちですが事実は違うところにあると私は思います。
「戦わなければ平和は守れない」のです。人を傷つけたり、血を流さなければ、襲い来る敵の恐怖をはね除けることは無理なのです。
映画でも共通していることですが、戦いという行動でしか示さない相手は全て敵であり、戦いに勝利しなければ平和は守れないし、死を意味しています。
このテーマは小説が書かれた当時だけでなく、人類が知恵を持った時から今現在に至るまで人間を苦しめている大きな問題とも言えます。
この小説を私が初めて読んだのは中学生の時。
戦闘時の孤独の激しさや心の高ぶり、残酷な描写、異性物との戦いはショッキングであり、この小説が訴えようとしていた事柄よりもそちらが優っていたのは事実です。と書きながらも、今現在もこの小説の主題は私には判りません。相変わらず「争うことを避けている」からです。
問題を大きくしない為なら自己犠牲も仕方ない、そんな考えが私を支配していると言えるかも知れません。
ただ、そうは考えながらも、許せないために闘志が込み上げてくることも多々あります。
今の私は、そのバランスの上で成り立っているようです。
書かれてから約50年経った今の世界も、同じバランスの上で成り立っています。
そして「それ」は、常に非常に危うい状態にあるとも言えます。
世界の平和を守っていると思われがちのアメリカも、別の側の視点に立てば敵です。
アメリカがイラクに侵攻してから(世界的には平和の為に戦ったとされていますが、第3者の視点で見れば侵攻が妥当だと思えるのでこの表記になったことをお許し下さい)、今もまだイラクから争いが絶えないのは根本にある問題が解決されていないからでしょう。
その根本の問題とは?
文化や宗教の違い?
それだけではない気がします。
利権の為にテロという言い訳を付けた戦いだから?
それがこの戦争の隠れた大義に思えるのですが、それだけでもないようです。
根本的な問題は、理解し合っていない、理解しようとしない事にあるのでは?と私は思います。
ただこれも、綺麗事かも知れません。
でも今の私は、例えそれが綺麗事でも信じようと思います。
そう、全ては相手を信じなければ始まらないのですから。
さてこの映画「スターシップ・トゥルーパーズ」は、タイトルを始め登場人物、描かれる物語など、原作にかなり忠実に描かれています。特に台詞などは意識してそのまま使用している箇所が多いようです。
主人公リコの恩師であり、後の小隊長であるラズチャックを演じるマイケル・アイアンサイドは、まさに原作イメージ通りの配役であるでしょう。
ここまで書くと、原作に忠実な映画化と思えます。
しかし原作を知るものとしては、見逃せない大切な「もの」が足りないのです。
そのせいで、映画と小説は全くの別物となり、小説を愛する人間にとっては映画が侮辱しているとも思わせてしまうのです。
「パワードスーツ」
人間が機械の鎧を着ることで、単身で戦車部隊をも破壊できるという兵器の名称。
映画の主人公リコが歩兵という設定であるのも、この武器の存在が大きいのです。
話が少し逸れますが、日本でこの小説が刊行されたのは1977年。その際に「スタジオぬえ」の描く挿絵が使用されたのですが、ここで描かれたパワードスーツが今も日本アニメ界に大きな影響を与えています。
この絵こそが、今も派生作品が次々と生み出される、あの「機動戦士ガンダム」のモビルスーツの原点なのです。
私が小説に興味を示し読む切っ掛けとなったのも、実はガンダムの存在でした。
このパワードスーツに包まれた人間の孤独感と恐怖心が小説の重みを増し、戦うことの意味を考えさせる大きな存在になっているから、なのです。
この映画は、その存在を否定していると、私には思えます。
映像化が技術的に無理だったのでは?と思う方も多いでしょうが、それは違います。
巨大なハサミを武器に持つあのバグの映像を見たら判るでしょう。
数百という大群を、さもそこにいるかのように見事に描いているではありませんか。
宇宙での艦隊の雄姿はどうでしょう?
あの巨大な宇宙船を、無数の艦隊で描き、その重量感で緊張をも感じさせられるのです。
人型の兵器が、造れないわけがありません。
では、なぜ描かれなかったのでしょうか?
残念ながら私には判りませんし、知る術もありません。
ただ、そのキーワードは監督にある気がして止みません。
ポール・バーホーベン
主な作品は全て大ヒットして、それこそハリウッドには欠かせない監督とも言えるでしょう。
「ロボ・コップ」「トータル・リコール」「氷の微笑」「ショーガール」
どれも衝撃的な内容で、その当時物議を醸し出したものばかりです。
娯楽を追求しながらも、その影に潜む問題をより鮮明に打ち出し、観る者へと伝えようとする社会派の監督と言えるのではないでしょうか?
原作である小説が書かれた当時アメリカは、冷戦の真っ只中。そして時代はベトナム戦争へと向かいつつありました。
この映画が造られたのは1997年。その企画自体がスタートしたは1991年(パンフレットに記載)。
まさに湾岸戦争が始まったその時だったのです。
弱者を責める国を各国と連合して守るのは正義と言えるでしょう。
しかし正義に名の下に戦争をしたとしても、それは許されるものではありません。
では冷戦はどうだったでしょうか?
ベトナム戦争はどうだったでしょうか?
結局、末端であればある程多くの悲劇と憎しみを生み、負の遺産しか残らなかったとは言えないでしょうか?
オランダ人である監督は、自らもナチスドイツに支配された国に育つ経験があり、その痛みは良く判っているのです。
小説を読んだものにとって、この映画は一見すると原作のテーマと世界観を台無しにした作品に思われるかも知れません。
でも果たしてそうでしょうか?
それだけで片づけていいのでしょうか?
いつでも戦いに走る世界に、「本当にそれでいいのか?」と訴えるその姿勢は、小説にも映画にも共通しているように思うのですが・・・
この判断は、映画を観、小説を読んだその方だけに託したいと思います。
私もこのコラムを書きながら、もう一度読み返そうと引っ張り出してきました。
本はすっかり赤茶けてしまいましたが、その内容は今現在も決して色褪せていないはずです。
多忙な中、何ヶ月かかるか判りませんが、じっくりと読んでみようかと思います。
さて、次回のコラムは前回の予告通り、「ALWAYS 三丁目の夕日」をお贈りします。
映画の内容にも踏み込んで紹介したいので、是非是非ご覧になってからお読み下さい。
現在、絶賛発売中&大好評レンタル中です。
未見の方、買っても損のない映画ですよ!!
それでは、また!
1997年 アメリカ映画128分
監督 ポール・バーホーベン
製作 アラン・マーシャル
脚本 エド・ニューマイヤー
音楽 バジル・ポールドゥリス
出演 キャスパー・ヴァン・ディーン デニース・リチャーズ ディナ・メイヤー マイケル・アイアンサイド 他
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