2006年11月19日日曜日

アイアンジャイアント

・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。


どうでしたか、この映画?

日本のロボットアニメとはひと味違う出来だったとは思いませんか?

もちろん日本のロボットアニメは素晴らしいと思いますが、この映画にはジャパニメーションとは違うアメリカらしさがしっかりと息づいていて、それでいて内に秘めた感情を大切にしている、愛情のこもった作品だと、私は思うのです。

例えば、決して格好良くはない「ジャイアント」

ひょろひょろな足とおなか、ウルトラマンのようにシンプルな顔立ちで、決して怖くは感じさせないデザイン。しかし物語の後半では武器として目覚め、様相を一気に変えるだけでなく、一見頼りない程のデザインが、実は武器として合理的である事を伺わせています。

そんな合理的な一面を覗かせるデザインでありながら、もう一方では、人間に安心を感じさせてもいます。

ジャイアントの表情は少ないパーツとは思えない程、多用で、怒りや喜び、迷いや苛立ちをしっかりと表現しています。

この映画では、ロボットが「ただのロボット」ではないのです。

最後まで分からない「ジャイアント」の正体ですが、これも映画製作者の愛情の現れでは無いでしょうか?

侵略者なのか、迷い込んだ兵器なのか、それとも独特な進化を遂げた宇宙人なのか。

結局明かされません。

そう、大切なのはこの物語が、少年に助けられたロボットが人間の感情を学んで、少年と共に成長して行く物語なのですから。


物語は1957年のアメリカの片田舎が舞台。

時代はまさに、冷戦のまっただ中。

平和が国民を覆い尽くしているように見える社会の裏で、実は同胞たちが平気に裏切りを行っていた悲しい時代です。

その考え方は、戦前を知っている政府のエージェントのやり方にも反映されています。

物語中盤で、主人公のホーガス少年を尋問するシーンを思い出して下さい。

実際に、こうして子供まで尋問したかどうかは定かではありませんが、「赤狩り」と称した罪も無い人々に因縁をつけて吊るし上げる行為が行われていた時代です。信憑性を感じさせてしまいます。

そして一方のホーガス少年は、戦争を知らない世代の代表として描かれています。

例えば、ジャイアントが兵器としての一端を臭わせ始めたシーン。

ホーガス少年はこう言います。

「事故だよ、彼は友達だ」

生き死にが蔓延していた時代を知らない少年らしい言葉とも言えるのではないでしょうか?

そのお人好しとも思える言葉の原因のひとつとして、嘘を教え込まれてる事が挙げられます。

核攻撃の脅威を描きながら、落ち着いて机の下に潜れば安全と映画での教育を受けて、他国の脅威だけを大げさに植え込み、本当の脅威は「核を持っている事実」と言う事から視点をそらしています。

日本人ならその当時既に核の脅威を知っていたのでそんな嘘にはだまされませんが、「攻撃」を受けた事が無い人々に取っては、政府の宣伝こそが真実と疑わなかったのは明らかです。なぜなら、「敵は全て悪」なのですから。

敵が存在する厳しい世界で生き抜くには、嘘は必要なのかもしれません。しかし、自分に正直である事がもっと大事、とこの映画は訴えているのではないでしょうか?

それは悲しいラストシーン(正確にはオチがあるのですが・・・)で、見ている人に痛い程伝わります。

武器であるジャイアントが、少年と交流を深めている間に学んだ「死の悲しみ」を繰り返さない為に、己の意思で核爆弾へと向かって行くシーンです。

このシーンは、何度観ても涙があふれます。

ミサイルに向かって行く、まさにその瞬間のジャイアントの表情は、どの名役者にも勝る程の表情です。

敢えて言葉に例えるなら、「ボク、ジュウジャナイ。ボク、ニンゲン。」でしょうか。

人間でさえも難しい「自己犠牲」を、子供から学んだ純粋な心を持ったロボットが実践するその姿には、何ものにも代え難い感動を覚えます。


さて、今回私は、この映画を観ながらふと気づいた事があります。

それは世界的大ヒット作との共通点が多い事です。

世の中に映画と呼べるものは星の数程あります。そして残念ながら、似通った作品も多々あるのも事実です。

しかし、それを「真似」とくくるだけで良いのでしょうか?

例えば、少年とジャイアントの出会いのシーン。

暗闇にひとりぼっちの少年は謎の物体の正体をつかむ為に、恐る恐る闇の中を歩いて行きます。

それから、このシーン。

謎の物体にもう一度出会いたいが為に、少年の取った行動は、至って簡単。

食べ物で罠を仕掛けるのです。

それから、これはどうでしょう?

言葉を知らないジャイアントが片言の英語を覚えながら少年と交流を深めて行き、別れの言葉は、たった数個の単語だけなのに、感動を誘う。

まさに「E.T.」そのままなのです。

でもよく考えてみて下さい。

映画としては似通っていますが、この行動は常に日常生活に潜んでいる行動では無いでしょうか?

小さい頃、暗闇に恐怖を抱きながらもその中へ身を投じたのはなぜでしょう。

鳥や犬、猫を捕まえる為に餌を置いたりしたの記憶はないですか?

家族とはぐれた時、もう会えないと思っていた両親に逢えた時に、長い言葉を発するでしょうか?

そう、そのどれもが、当たり前の行動なのです。

子供たちが感動する映画に必要なのは、嘘ではなく、日常に潜む行動なのでは無いでしょうか?

と同時に、大人が子供時代を振り返り涙する理由も、ここにあるのです。

大まかな筋は別として、細かなシーンや設定が似通うと言うのは、必ずしも真似事ではないとこが分かっていただけるかと思います。

必要だから似てしまうのです。


この映画のもうひとつ素晴らしい点を上げるとするならば、立派な映画として成り立つ要素のひとつ「音楽」が、決して手を抜かずにしっかりと作られ、的を射た使い方をしている点です。

恐怖を盛り上げるシーンでは心を震わせる激しい旋律を、驚きや笑いを演出し、そして感情の無いはずのロボットに感情移入させてしまう「心」を表現した音楽。

この映画を感動的に仕上げた、陰の主役とも言えるのではないでしょうか?


どうです?たまにはアニメを観るのもいいとは思いませんか?

「漫画」だから、と敬遠するのは損ですよ。

それを言ってしまったら、映画だって平らな長方形に写る「嘘」になってしまいますから。


これからも時々、アニメを紹介して行きたいと思います。

どうか、「またかよ」なんて思わずにお付合いください。


さて次回は、現在

太平洋戦争を描いた作品が公開中の、クリント・イーストウッド監督主演の「ファイヤーフォックス」をお贈りします。

現在を生きる私たちから観ると、今回の「アイアン・ジャイアント」と同じく過去の出来事を描いた作品になりますが、この映画が公開された当時はまさに冷戦が続いていた時代であり、ちょっとややこしいですが当時はまさに「今を」描いていた訳です。

過去を描くのと、今を描く違いが現れていて、作品の善し悪しとはまた違った意味で楽しめる作品でもあります。


それでは、また!


1999年アメリカ映画 87分

製作総指揮 ピート・タウンゼント

製作    アリソン・アーバーテ

監督・原案 ブラッド・バード

原作    テッド・ヒューズ「アイアン・マン」

声の出演  ジェニファー・アニストン ハリー・コニックJr ヴィン・ディーゼル イーライ・マリエンタール 他

2006年11月12日日曜日

ペイ・フォワード

・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。


この映画は、良い意味でアメリカ的な内容であり、でも今のアメリカに足りないものを描いています。

良い意味とは、内容に何処か楽観的に感じられる節があること。

楽観的と言う表現が適切ではないかもしれませんが、物語の中のエピソードを表面上だけであまり深く描いていません。

物語が成り立つ上での小さな出来事は別としても、大事なエピソードにもそれを感じられます。

物語が長過ぎないように削った結果かもしれませんが、浅いエピソードの積み重ねがこの映画を支えています。

例えば、麻薬中毒になりかけのホームレスの話。

少年が助け更生しかかったけれど、結局またクスリに溺れてしまいます。

そして忘れれかけていた頃に再び登場しますが、死のうとしている女性を見つけた時に、突然再び改心します。

その心が女性を助ける訳ですが、クスリに溺れるに至るホームレスに何があったのかは描かれていません。

主役ではないから必要ないと言われればそれまでの事なのかもしれませんが、少年に勇気を持たせる切っ掛けになった出来事なのに、もっと深く描く必要があるのでは?と思います。

それから、母親と祖母の間にあった過去。物語の中で触れられるのは終盤に差し掛かってから。しかも会話だけでしか描かれていません。短い会話の中だけなのに、それはそれは酷い過去のように感じ取れます。

酷い過去を、息子との約束を守ると言う為だけに振り切れるのでしょうか?答えは限りなくNOに近いでしょう。どれだけ愛情が深くても、憎しみはそれ以上である場合がほとんどなのです。

まわりから見てなぜ仲直りできない?と思える程くだらない事でも、その根底にあるのは長い間につもってしまった憎しみだったりします。

そんな下らない事、切り捨てちまえよ!他人ならその一言で解決できると思うでしょう。

でも実際はそうではありません。みなさんにも良くお分かりの事でしょう。

しかし、この映画の主人公は少年ならではの視点(言い換えれば世間知らず)で先生の過去と、母親の過ちについて、なんとかしようと努力しています。

学校の課題で思いついた事、だったからかもしれません。

でもそこに到るには、少年の心に何かつもるものがあった訳です。

話がそれてしまいましたが、浅いエピソードを描くには理由があるのでは、と私は思います。

今の私たちは、常に全体を見て生きているのではないでしょうか?

知らなくても良い情報まで簡単に手に出来て、しかもその情報はすぐに知る事が出来、物事の結果もすぐに分かってしまう。

今の時代、貧しい国でなければ何でも手に入る世の中なのです。

だから常に全体を見て動いている。エコロジーを考える人を例にすれば、よくわかるでしょう。

地球が大変な事になっているから、少しでも地球の負担を減らそうとしているではないでしょうか。

これがもし、自然環境破壊とか資源枯渇を知らなかったらどうでしょう?

恐らくほとんどの人は気にしないと思います。

与えられたものを、当たり前に消費したり、受け入れたりするはずです。

つまり何が言いたいのかと言うと、こう言う事です。

物事は全て、個々の出来事の何らかのつながりで成り立っています。私たちは全体を見ているつもりで、実はその個々に振り回され生きているのです。もちろん個々を見る事は大事です。でも決して的確な目で見ているとは言えないのも実情です。

浅く広く見る事が出来ないが為に、振り回されてしまう。浅く広く物事を見れば、細かな、そしてケチな理由に振り回されなくなるはず。

小さなエピソードの積み重ねで大きな意味を描くと言う映画のひとつの手法と、人間世界を絡めながら描いていると、私には思えるのです。

そしてもっと大事な事は、悲観的にならないこと。

悲観的ではないから楽観的とは限りませんが、悲観的でなければ悪い出来事も「良い」と思える切っ掛けをくれるはずです。

例えば、あなたが事故にあったとします。

あなたの乗っている愛車が廃車になるほどメチャメチャに壊れ、あなたも怪我をします。

どう思うでしょうか?

嫌な目にあった、とか、この後色々な処理があって面倒だ、とか、そう、誰もが思うのはついていなかった、等と考えるでしょう。

でもこう考えたらどうでしょうか?

これ以上ひどい怪我をしなくて良かった、とか、生きているからこそ出来るんだ、とか、究極は、死ななくて良かった、と。

どうです?同じ出来事、しかも悲劇的な内容も、考え方次第で明日への糧になり得るのです。

物語の小さな個々のエピソードは、どれも楽観的と取れます。新車のジャガーを差し出した男も、診察の順番を力づくで譲ろうとした彼も、その彼が警察に追われてるのを助けた祖母も、どれも浅いエピソードであるが故に、そんなことあるのだろうか?と思える程に楽観的な内容です。

でも決して下らないのではないのです。

困っている人からすれば、理由等関係ない訳だし、楽観的な理由だとしても善意は善意なのです。

自分に取ってはつまらない出来事や行動でも、それを必要としている人は必ず居るのです。


人間は細かい事にこだわり過ぎ、知りすぎたが為に世界を狭くしているのではないでしょうか?

今のアメリカに足りないのは、そこだと私は思います。

困っている人に、下らない小さな事でも手を差し伸べると言う行動が、世界の平和を守る為と言う理由より、遥かに優れているのです。

いや、優れているはずなのです。

私は、そう信じたいと思います。


少年の些細な行動は、静かに世界を動かして行きます。

もちろん少年も、そして「Pay it forward」に関わった全ての人たちもそんな事は気にしていなかったでしょう。

でも、些細な事でも、小さな積み重ねでも、それが確実に何かを変えて行く切っ掛けになりうるのです。

淡々と進む物語ですが、その奥に秘めた理由は、単純であり、とてつもなく大きなものです。

しかし、その単純な事を、今の私たちはしているでしょうか?

いや、していなくとも、する努力をしているでしょうか?


もう一度胸に手を当てて考えてみて下さい。

そして、今のあなたに出来る事を、もう一度見つめ直して下さい。


この映画のラストは衝撃的であり、感動的です。

果たして少年の死は必要だったのでしょうか?

私は声を大にして、Yesと言います。

死んで可哀想と思う方が多いでしょうが、それは違います。

少年は、死ぬかもしれないと結果を考えたのではなく、今すぐにするべき事を選択したのです。

今を悔やまない為に、そして大切な友達の為に、無我夢中に戦ったのです。

そしてその些細とも思える理由が、世界を動かす事になるとは、全く思わずに・・・


ラストシーンで、群衆が抱えるいくつもの小さなロウソクは、胸に残る名シーンです。

死後放送されたインタビューで、願いが叶わない理由を少年はこう語っています。

「遅すぎる。もうロウソクを吹き消したから。」

この言葉に、少年は大きな意味を秘めた訳ではありません。

でもこの言葉と、少年が死んでしまったと言う事実に、多くの人は心を動かされるのです。

少年は死んでも、願いは生きている。生き続けさせなければならない。

その象徴が、ロウソクの炎であり、永遠に絶やさなければ、いつまでも願いは叶い続けるはずなのです。

そんな意味があると思いながら、是非もう一度この映画をご覧ください。

ラストシーンの涙が、今まで以上に美しく流れる事でしょう。


さて、感動ものが続きましたが、もう1作お付合いください。

次回は、これまで50作近く書いてきた中で、ひとつも扱ってこなかったジャンルです。

それは「アニメ」です。

ただ紹介するのもつまらないので、ここはkiyohiko流に、良い映画だけどあまり知られていない作品を扱おうかと思います。

次回作は「アイアンジャイアント」です。

アニメなんて子供向けだろ?なんて思わずに是非見て下さい。

後悔しない作品ですから。


それでは、また!


2000年アメリカ映画 124分

監督 ミミ・レダー

脚本 レスリー・ディクソン

音楽 トーマス・ニューマン

出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント ケビン・スペイシー ヘレン・ハント 他

2006年11月4日土曜日

ショーシャンクの空に

・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。


まずは、一ヶ月も更新できなかった事をお許しください。

例年この時期、知り合いの参加する祭りのビデオ撮影と編集で忙しくなるのですが、今年は別の知り合いにもビデオ撮影と編集を頼まれ、その両方に手間取ってしまい、ここまで時間がかかってしまったのです。

長らくこちらを留守にしてしまい、申し訳ありませんでした。

そのビデオもほとんど完成しましたので、これからは毎週末こちらに専念出来ます。

遅れてしまったお詫びもかねて今週から年末まで、毎週更新を目指します。

どうぞよろしくお願い致します。


さて、密室系映画のオススメ、最後を飾るのはスティーブン・キング原作の「ショーシャンクの空に」です。

前回までのコラムで密室のあり方をいくつか紹介しましたが、今回はその究極とも言える形です。

物語の舞台が「刑務所」だからです。

そこは常に監視され、常に鬱積したものが渦巻いて、希望のない悪の巣窟でもあります。

罪を犯したものが償う為に閉じ込められる場所でありながら、すぐに出られるものもいれば一生出る事の出来ないものもいて、一見公平に見える服役囚にも世の中と同じようにバラツキや差別があります。

当然ながら、監視する側の人間にも悪に染まるものがいます。

「刑務所」と言うのは、多種多様の人生がそこに見え隠れし、人間ドラマを描くには好材料です。日本でも刑務所を題材にした映画やドラマが多数存在する事からも分かると思います。

しかし、この映画は他の刑務所映画とは明らかに違う点があります。

まずは主人公が「無実」である事です。

もっとも「無実」は途中から分かること。それまでは、犯人かもしれないと言う匂いを感じさせつつ物語が進んでいるのは、ご覧になった皆様にはお分かりでしょう。この事実がただの感動ドラマでは終わらない所以でもあります。

もうひとつは「希望を抱くな」と言う台詞を使いながらも物語が主人公の努力で数々の救いを生み出していると言うこと。

当初は仲間さえもいなかった主人公が、元銀行員の知識と知恵を生かし切っ掛けを作り、次第に打ち解け合い、刑務所ではあり得なかった出来事を次々と実現させて行きます。

映画と言う尺の中でいとも簡単に実現しているようですが、実際には何年もかかっている訳で、我慢と苦労の連続である事を忘れてはなりません。

たびたび暴行に遭っても、ひたすら我慢し、時を待つ。

図書館の本を増やすにも、毎週の努力の積み重ね。

所長の会計へ就く事も、それまでの刑務官への奉仕で得た信頼の賜物。

すべては、努力と苦労の上で成り立っているのです。

そう「希望」は、努力と苦労をしない人の上ではただの夢物語であり、主人公のように耐え忍び努力をする人間には、いつか成し遂げる事の出来る現実であるのです。

私は既に何度もこの映画を見てきましたが、あるシーンでいつも感じる事があります。

それは、所長が主人公に磨かせた靴を箱から取り出そうとする瞬間、サイレンの音が署内に鳴り響くシーンです。

この瞬間「すべては報われた!」そう思うのです。

なぜそう思うのかは、ここまで読まれた方はもうお分かりですよね?

主人公が与えた数々の「救い」が、己にかえってきた時の喜びです。

世の宗教もそうですが、何事にも見返りを求めてはいけません。それは欲と言う災いを連れてきます。

真犯人がいると言う事実を知った主人公は、一度その欲で失敗をしています。

今まで尽くしてきた所長なら自分を助けてくれるだろう、と言う欲です。

では主人公は全くの無欲だったのでしょうか?

私はそうは思いません。人間ですから、多少の見返りと計算はしていたでしょう。

でも生きる為、生き延びるために必死にあらゆる手を尽くしてきたのです。

最初にこの映画を見た時にはラスト30分の脱獄シーンが大逆転劇であり、その印象に映画の意味を見失っていました。

でも2度目からは、違いました。

どれだけ絶望の縁にいても、常に誰かのためになる事を続けなければならない。

もちろん見返りは期待するな。

でも信じる心があれば、いつか報われるはずだから。

そう感じるようになったのです。

人の死や裏切り、自殺等を描きながらも、この映画は純粋です。

映画を観た人すべてを、そんな気持ちにさせるほどの魅力の詰まった作品なのです。


最後にこれだけを付け加えさせて下さい。

私はいかなる宗教にも属していません。

でも霊や神様が居るかと言われたら、居るかもしれない、と答えるでしょう。

玉虫色だな・・・と言われるかもしれませんが、そうではありません。

大事なのは、そこに存在するのか?では無く、信じる気持ちだと思うのです。

私はこの映画でその大切さを学びました。

みなさんはどう感じましたか?


さて、まだまだ紹介したい作品はたくさんあるのですが、密室系映画の紹介はここで一度終わりにします。

次週は、「信じる気持ち」の大切さを訴えた作品、


「ペイ・フォワード」


をお贈りしたいと思います。

今回の「ショーシャンクの空に」で感動された方には、同様の感動を与えてくれる作品です。

未見の方はぜひ、ご覧ください。


それでは、また!


1994年アメリカ映画 142分

監督 フランク・ダラボン

脚本 フランク・ダラボン

音楽 トーマス・ニューマン

原作 スティーブン・キング

出演 ティム・ロビンス モーガン・フリーマン クランシー・ブラウン 他