・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。
どうでしたか、この映画?
日本のロボットアニメとはひと味違う出来だったとは思いませんか?
もちろん日本のロボットアニメは素晴らしいと思いますが、この映画にはジャパニメーションとは違うアメリカらしさがしっかりと息づいていて、それでいて内に秘めた感情を大切にしている、愛情のこもった作品だと、私は思うのです。
例えば、決して格好良くはない「ジャイアント」
ひょろひょろな足とおなか、ウルトラマンのようにシンプルな顔立ちで、決して怖くは感じさせないデザイン。しかし物語の後半では武器として目覚め、様相を一気に変えるだけでなく、一見頼りない程のデザインが、実は武器として合理的である事を伺わせています。
そんな合理的な一面を覗かせるデザインでありながら、もう一方では、人間に安心を感じさせてもいます。
ジャイアントの表情は少ないパーツとは思えない程、多用で、怒りや喜び、迷いや苛立ちをしっかりと表現しています。
この映画では、ロボットが「ただのロボット」ではないのです。
最後まで分からない「ジャイアント」の正体ですが、これも映画製作者の愛情の現れでは無いでしょうか?
侵略者なのか、迷い込んだ兵器なのか、それとも独特な進化を遂げた宇宙人なのか。
結局明かされません。
そう、大切なのはこの物語が、少年に助けられたロボットが人間の感情を学んで、少年と共に成長して行く物語なのですから。
物語は1957年のアメリカの片田舎が舞台。
時代はまさに、冷戦のまっただ中。
平和が国民を覆い尽くしているように見える社会の裏で、実は同胞たちが平気に裏切りを行っていた悲しい時代です。
その考え方は、戦前を知っている政府のエージェントのやり方にも反映されています。
物語中盤で、主人公のホーガス少年を尋問するシーンを思い出して下さい。
実際に、こうして子供まで尋問したかどうかは定かではありませんが、「赤狩り」と称した罪も無い人々に因縁をつけて吊るし上げる行為が行われていた時代です。信憑性を感じさせてしまいます。
そして一方のホーガス少年は、戦争を知らない世代の代表として描かれています。
例えば、ジャイアントが兵器としての一端を臭わせ始めたシーン。
ホーガス少年はこう言います。
「事故だよ、彼は友達だ」
生き死にが蔓延していた時代を知らない少年らしい言葉とも言えるのではないでしょうか?
そのお人好しとも思える言葉の原因のひとつとして、嘘を教え込まれてる事が挙げられます。
核攻撃の脅威を描きながら、落ち着いて机の下に潜れば安全と映画での教育を受けて、他国の脅威だけを大げさに植え込み、本当の脅威は「核を持っている事実」と言う事から視点をそらしています。
日本人ならその当時既に核の脅威を知っていたのでそんな嘘にはだまされませんが、「攻撃」を受けた事が無い人々に取っては、政府の宣伝こそが真実と疑わなかったのは明らかです。なぜなら、「敵は全て悪」なのですから。
敵が存在する厳しい世界で生き抜くには、嘘は必要なのかもしれません。しかし、自分に正直である事がもっと大事、とこの映画は訴えているのではないでしょうか?
それは悲しいラストシーン(正確にはオチがあるのですが・・・)で、見ている人に痛い程伝わります。
武器であるジャイアントが、少年と交流を深めている間に学んだ「死の悲しみ」を繰り返さない為に、己の意思で核爆弾へと向かって行くシーンです。
このシーンは、何度観ても涙があふれます。
ミサイルに向かって行く、まさにその瞬間のジャイアントの表情は、どの名役者にも勝る程の表情です。
敢えて言葉に例えるなら、「ボク、ジュウジャナイ。ボク、ニンゲン。」でしょうか。
人間でさえも難しい「自己犠牲」を、子供から学んだ純粋な心を持ったロボットが実践するその姿には、何ものにも代え難い感動を覚えます。
さて、今回私は、この映画を観ながらふと気づいた事があります。
それは世界的大ヒット作との共通点が多い事です。
世の中に映画と呼べるものは星の数程あります。そして残念ながら、似通った作品も多々あるのも事実です。
しかし、それを「真似」とくくるだけで良いのでしょうか?
例えば、少年とジャイアントの出会いのシーン。
暗闇にひとりぼっちの少年は謎の物体の正体をつかむ為に、恐る恐る闇の中を歩いて行きます。
それから、このシーン。
謎の物体にもう一度出会いたいが為に、少年の取った行動は、至って簡単。
食べ物で罠を仕掛けるのです。
それから、これはどうでしょう?
言葉を知らないジャイアントが片言の英語を覚えながら少年と交流を深めて行き、別れの言葉は、たった数個の単語だけなのに、感動を誘う。
まさに「E.T.」そのままなのです。
でもよく考えてみて下さい。
映画としては似通っていますが、この行動は常に日常生活に潜んでいる行動では無いでしょうか?
小さい頃、暗闇に恐怖を抱きながらもその中へ身を投じたのはなぜでしょう。
鳥や犬、猫を捕まえる為に餌を置いたりしたの記憶はないですか?
家族とはぐれた時、もう会えないと思っていた両親に逢えた時に、長い言葉を発するでしょうか?
そう、そのどれもが、当たり前の行動なのです。
子供たちが感動する映画に必要なのは、嘘ではなく、日常に潜む行動なのでは無いでしょうか?
と同時に、大人が子供時代を振り返り涙する理由も、ここにあるのです。
大まかな筋は別として、細かなシーンや設定が似通うと言うのは、必ずしも真似事ではないとこが分かっていただけるかと思います。
必要だから似てしまうのです。
この映画のもうひとつ素晴らしい点を上げるとするならば、立派な映画として成り立つ要素のひとつ「音楽」が、決して手を抜かずにしっかりと作られ、的を射た使い方をしている点です。
恐怖を盛り上げるシーンでは心を震わせる激しい旋律を、驚きや笑いを演出し、そして感情の無いはずのロボットに感情移入させてしまう「心」を表現した音楽。
この映画を感動的に仕上げた、陰の主役とも言えるのではないでしょうか?
どうです?たまにはアニメを観るのもいいとは思いませんか?
「漫画」だから、と敬遠するのは損ですよ。
それを言ってしまったら、映画だって平らな長方形に写る「嘘」になってしまいますから。
これからも時々、アニメを紹介して行きたいと思います。
どうか、「またかよ」なんて思わずにお付合いください。
さて次回は、現在
太平洋戦争を描いた作品が公開中の、クリント・イーストウッド監督主演の「ファイヤーフォックス」をお贈りします。
現在を生きる私たちから観ると、今回の「アイアン・ジャイアント」と同じく過去の出来事を描いた作品になりますが、この映画が公開された当時はまさに冷戦が続いていた時代であり、ちょっとややこしいですが当時はまさに「今を」描いていた訳です。
過去を描くのと、今を描く違いが現れていて、作品の善し悪しとはまた違った意味で楽しめる作品でもあります。
それでは、また!
1999年アメリカ映画 87分
製作総指揮 ピート・タウンゼント
製作 アリソン・アーバーテ
監督・原案 ブラッド・バード
原作 テッド・ヒューズ「アイアン・マン」
声の出演 ジェニファー・アニストン ハリー・コニックJr ヴィン・ディーゼル イーライ・マリエンタール 他
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