2006年11月12日日曜日

ペイ・フォワード

・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。


この映画は、良い意味でアメリカ的な内容であり、でも今のアメリカに足りないものを描いています。

良い意味とは、内容に何処か楽観的に感じられる節があること。

楽観的と言う表現が適切ではないかもしれませんが、物語の中のエピソードを表面上だけであまり深く描いていません。

物語が成り立つ上での小さな出来事は別としても、大事なエピソードにもそれを感じられます。

物語が長過ぎないように削った結果かもしれませんが、浅いエピソードの積み重ねがこの映画を支えています。

例えば、麻薬中毒になりかけのホームレスの話。

少年が助け更生しかかったけれど、結局またクスリに溺れてしまいます。

そして忘れれかけていた頃に再び登場しますが、死のうとしている女性を見つけた時に、突然再び改心します。

その心が女性を助ける訳ですが、クスリに溺れるに至るホームレスに何があったのかは描かれていません。

主役ではないから必要ないと言われればそれまでの事なのかもしれませんが、少年に勇気を持たせる切っ掛けになった出来事なのに、もっと深く描く必要があるのでは?と思います。

それから、母親と祖母の間にあった過去。物語の中で触れられるのは終盤に差し掛かってから。しかも会話だけでしか描かれていません。短い会話の中だけなのに、それはそれは酷い過去のように感じ取れます。

酷い過去を、息子との約束を守ると言う為だけに振り切れるのでしょうか?答えは限りなくNOに近いでしょう。どれだけ愛情が深くても、憎しみはそれ以上である場合がほとんどなのです。

まわりから見てなぜ仲直りできない?と思える程くだらない事でも、その根底にあるのは長い間につもってしまった憎しみだったりします。

そんな下らない事、切り捨てちまえよ!他人ならその一言で解決できると思うでしょう。

でも実際はそうではありません。みなさんにも良くお分かりの事でしょう。

しかし、この映画の主人公は少年ならではの視点(言い換えれば世間知らず)で先生の過去と、母親の過ちについて、なんとかしようと努力しています。

学校の課題で思いついた事、だったからかもしれません。

でもそこに到るには、少年の心に何かつもるものがあった訳です。

話がそれてしまいましたが、浅いエピソードを描くには理由があるのでは、と私は思います。

今の私たちは、常に全体を見て生きているのではないでしょうか?

知らなくても良い情報まで簡単に手に出来て、しかもその情報はすぐに知る事が出来、物事の結果もすぐに分かってしまう。

今の時代、貧しい国でなければ何でも手に入る世の中なのです。

だから常に全体を見て動いている。エコロジーを考える人を例にすれば、よくわかるでしょう。

地球が大変な事になっているから、少しでも地球の負担を減らそうとしているではないでしょうか。

これがもし、自然環境破壊とか資源枯渇を知らなかったらどうでしょう?

恐らくほとんどの人は気にしないと思います。

与えられたものを、当たり前に消費したり、受け入れたりするはずです。

つまり何が言いたいのかと言うと、こう言う事です。

物事は全て、個々の出来事の何らかのつながりで成り立っています。私たちは全体を見ているつもりで、実はその個々に振り回され生きているのです。もちろん個々を見る事は大事です。でも決して的確な目で見ているとは言えないのも実情です。

浅く広く見る事が出来ないが為に、振り回されてしまう。浅く広く物事を見れば、細かな、そしてケチな理由に振り回されなくなるはず。

小さなエピソードの積み重ねで大きな意味を描くと言う映画のひとつの手法と、人間世界を絡めながら描いていると、私には思えるのです。

そしてもっと大事な事は、悲観的にならないこと。

悲観的ではないから楽観的とは限りませんが、悲観的でなければ悪い出来事も「良い」と思える切っ掛けをくれるはずです。

例えば、あなたが事故にあったとします。

あなたの乗っている愛車が廃車になるほどメチャメチャに壊れ、あなたも怪我をします。

どう思うでしょうか?

嫌な目にあった、とか、この後色々な処理があって面倒だ、とか、そう、誰もが思うのはついていなかった、等と考えるでしょう。

でもこう考えたらどうでしょうか?

これ以上ひどい怪我をしなくて良かった、とか、生きているからこそ出来るんだ、とか、究極は、死ななくて良かった、と。

どうです?同じ出来事、しかも悲劇的な内容も、考え方次第で明日への糧になり得るのです。

物語の小さな個々のエピソードは、どれも楽観的と取れます。新車のジャガーを差し出した男も、診察の順番を力づくで譲ろうとした彼も、その彼が警察に追われてるのを助けた祖母も、どれも浅いエピソードであるが故に、そんなことあるのだろうか?と思える程に楽観的な内容です。

でも決して下らないのではないのです。

困っている人からすれば、理由等関係ない訳だし、楽観的な理由だとしても善意は善意なのです。

自分に取ってはつまらない出来事や行動でも、それを必要としている人は必ず居るのです。


人間は細かい事にこだわり過ぎ、知りすぎたが為に世界を狭くしているのではないでしょうか?

今のアメリカに足りないのは、そこだと私は思います。

困っている人に、下らない小さな事でも手を差し伸べると言う行動が、世界の平和を守る為と言う理由より、遥かに優れているのです。

いや、優れているはずなのです。

私は、そう信じたいと思います。


少年の些細な行動は、静かに世界を動かして行きます。

もちろん少年も、そして「Pay it forward」に関わった全ての人たちもそんな事は気にしていなかったでしょう。

でも、些細な事でも、小さな積み重ねでも、それが確実に何かを変えて行く切っ掛けになりうるのです。

淡々と進む物語ですが、その奥に秘めた理由は、単純であり、とてつもなく大きなものです。

しかし、その単純な事を、今の私たちはしているでしょうか?

いや、していなくとも、する努力をしているでしょうか?


もう一度胸に手を当てて考えてみて下さい。

そして、今のあなたに出来る事を、もう一度見つめ直して下さい。


この映画のラストは衝撃的であり、感動的です。

果たして少年の死は必要だったのでしょうか?

私は声を大にして、Yesと言います。

死んで可哀想と思う方が多いでしょうが、それは違います。

少年は、死ぬかもしれないと結果を考えたのではなく、今すぐにするべき事を選択したのです。

今を悔やまない為に、そして大切な友達の為に、無我夢中に戦ったのです。

そしてその些細とも思える理由が、世界を動かす事になるとは、全く思わずに・・・


ラストシーンで、群衆が抱えるいくつもの小さなロウソクは、胸に残る名シーンです。

死後放送されたインタビューで、願いが叶わない理由を少年はこう語っています。

「遅すぎる。もうロウソクを吹き消したから。」

この言葉に、少年は大きな意味を秘めた訳ではありません。

でもこの言葉と、少年が死んでしまったと言う事実に、多くの人は心を動かされるのです。

少年は死んでも、願いは生きている。生き続けさせなければならない。

その象徴が、ロウソクの炎であり、永遠に絶やさなければ、いつまでも願いは叶い続けるはずなのです。

そんな意味があると思いながら、是非もう一度この映画をご覧ください。

ラストシーンの涙が、今まで以上に美しく流れる事でしょう。


さて、感動ものが続きましたが、もう1作お付合いください。

次回は、これまで50作近く書いてきた中で、ひとつも扱ってこなかったジャンルです。

それは「アニメ」です。

ただ紹介するのもつまらないので、ここはkiyohiko流に、良い映画だけどあまり知られていない作品を扱おうかと思います。

次回作は「アイアンジャイアント」です。

アニメなんて子供向けだろ?なんて思わずに是非見て下さい。

後悔しない作品ですから。


それでは、また!


2000年アメリカ映画 124分

監督 ミミ・レダー

脚本 レスリー・ディクソン

音楽 トーマス・ニューマン

出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント ケビン・スペイシー ヘレン・ハント 他

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