2007年2月11日日曜日

日本沈没(1973年版)

2週間ぶりのご無沙汰です。

まず、次回予告とタイトルが違う事をお詫びいたします。

その理由は以下で説明いたしますので、どうかご了承下さい。

実は前回のコラムで、次回予告に書けなかった部分があるのです。

それは探せるかどうか判らなかったので触れませんでしたが、オリジナルとリメイクを比べた上でコラムを書きたい、と言う内容でした。

探せるかどうか判らない、と言うのは理由があります。

まずオリジナルである1973年度版の「日本沈没」はDVDとして発売されていますが、販売用のみ。邦画独特の高い値段設定のため、フリーターである私には容易には手が出ません。ビデオはレンタル用として流通していますが、レンタルビデオが普及し始めた当初のラインナップで、現在でも所有しているレンタル店が圧倒的に少ないのです。

しかし偶然にも、親しい友人がオリジナル版のDVDを所有していたので無事見られることが出来ました。

そして、幼い頃に観た記憶があったのですが、どうやら私が観たのは1974年度のTV版だったと言うことも判明しました。

そして観終えた後、オリジナルの素晴らしさを実感し、急ではありますがオリジナルを見て感じたことをコラムに書く必要があると判断し、今回のコラムで取り上げる作品を替えた次第です。

オリジナルとリメイク、両方を取り上げるには文章が長くなってしまう、それも理由のひとつであるとこも付け加えておきましょう。(携帯電話でご覧になる方のためにも)


オープニングでは、億という時をかけて変化していく地球の異様なモノクロ風景が、打楽器と管楽器による重い音楽にまとわりつくように流れ、後に起こる大災害を予感させます。

タイトルバックは繁栄を極める日本の現状から始まります。

その背後にも静かながらインパクトの強い音楽。人で溢れかえる街並みや海岸を写しつつ、そのイメージを盛り立てるジャズのような音楽に切り替わります。

そうオリジナルは、リメイクのように突然パニックシーンからは始まりません。

その理由を考えてみたのですが、ここに過去と現在の日本映画の違いがあることに気付きました。

あなたが最近の映画に感じることは、なんでしょう?

音響の進化により、常に臨場感があるかのような音が、映像を盛り上げてくれます。

特に映画館やDVDでの鑑賞時には、その音響の恩恵を受けていると言えるでしょう。

しかし一方で、音響が災いをもたらしているとも言える、と私は思うのです。

映像を観ることにより掻き立てられる想像力が、音響に邪魔されると言えば判りやすいでしょうか?

最近、観終えた後の印象が「凄かったね」で終わってしまう映画が多い気はしませんか?

映画に迫力を求め、遊園地のように体感することが目的の人には、それも良いでしょう。

しかし娯楽作品であっても、その映画がそこにある意味が伝わらなければ、映画としては優秀とは言えません。

「静と動」という言葉がありますが、過去の日本映画にはこの「静と動」が生かされていました。

オリジナルの「日本沈没」では、まさにその「静と動」が生きているのです。

オリジナルとリメイク、映画本編にもその違いが表れています。

「静」から始まるオリジナルと、「動」から始まるリメイク。

沈没そして流浪という「静」で終わるオリジナルと、復活という「動」で終わるリメイク。

全体を通じてでも言えます。

苦悩という「静」に重点を置くオリジナルと、日本を救おうと行動する政府や博士に重きを置く「動」。

簡潔に表現すると、こんな感じです。いかがでしょうか?

オリジナルで物語の軸は管理する側である総理の苦悩と、現場のトップである博士の苦悩を絡めて進みます。パニックシーンは、リメイクと比べ圧倒的に少ないのです。

苦悩が「静」、パニックシーンと小野寺と阿部のドラマが「動」。

「静」に重きを置き、「静」の中で発せられる言葉のひとつひとつに観るものの想像力が作用し、より深いものになっている、と言えば判りやすいでしょう。爆発や災難という事象は、あくまでも脇役。想像力の補助的存在です。

オリジナルはパニック映画でありながら、その中に「観るものが大いに感じ考えさせられるメッセージ」と言う深い意味を含んでいるのです。

かといって、私はリメイク版を否定しません。

と言いながらもリメイク版を観た当初、何か違和感を感じていました。

手放しで「良い映画」とは言えなかったのです。

今でも旨く表現できませんが、オリジナルを観た今、その違和感は多少スッキリした気がします。

そしてリメイクが何を目差そうとしたのか、何を表現しようとしたのか、なぜ人間の苦悩ではなく「愛」がメインになっているのか、が見えてきました。

オリジナル公開時の日本は、団塊の世代が現役で日本を引っ張ってきた時代。

目差す物は努力があれば何とかなる、そんな夢がありました。

夢があるが故に、悲壮的な現実に直面すると底知れない苦悩も生まれる。

しかし苦悩を乗り越えつつも、夢という未来を見出していた、そんな時代なのではないでしょうか?

一方、リメイク公開時である現代の日本は、バブルの悪夢がようやく終わりそうな予感。

努力があってもどうにもならない、そんな経験を日本人全てが経験した時代を経ているのです。

リメイク版では、阿部の家族と近隣住民の生きる姿が印象的です。ここにリメイクの大きな意味が隠れていると私は思うのです。

「生きていれば何とかなる」阿部の家族を観ていて、そう励まされた方も多いと思います。

そう、現代の日本では「苦悩を乗り越える」のではなく、「苦悩を飲み込む」のです。

そうしてバブル崩壊後の日本を生きてきたのです。

リメイクはそんな日本の現在を描こうとしていたのではないでしょうか?

ではなぜ、「愛」を主題に置いたのでしょうか?

マーケティングなどを含めて現実的な話をすると、映画を観る客層での女性の比率が上がっている、という理由が一番大きいでしょう。

女性受けしない映画は大ヒットしない、最近の映画にはその傾向が強いと思われます。

しかしそれだけで、主題を「愛」にしたのでしょうか?

私は違うと思います。


その理由は・・・


両作品を観て、皆さんに判断していただくこととしましょう。


最後にこのオリジナルで私の忘れられないシーンを2つ。

母の葬儀後、町を彷徨う小野寺の苦悩。言いたくても言えない、その辛さは計り知れないでしょう。

そして、「日本民族の将来」について謎の老人から発せられた衝撃的な言葉に反応した、総理の涙で潤んだ目。計り知れない苦悩を含んでいます。

この2つのシーンで、涙が溢れた、と付け加えさせてください。


価格は高いながらも、買ってみたい気になる「日本映画」の代表作、と言えるかもしれません。

少なくとも私は、そう思いました。

皆さんはいかがでしょうか?

過去にご覧になっていても、今改めて見返すと当時とは違った印象や感動があるかもしれませんよ。


さて、次回はリメイク版の「日本沈没」をお贈りいたします。

「映画の意味」といった深い部分は今回のコラムで述べたので、次回は映画の内容紹介を中心に進めたいと思います。


それでは、また!



映画データ


1973年日本映画 140分

製作 田中友幸 田中収   

監督 森谷司郎

原作 小松左京

脚本 橋本忍

撮影 村井博 木村大作

編集 池田美千子

音楽 佐藤勝

出演 小林桂樹 丹波哲郎 島田正吾 藤岡弘 いしだあゆみ 他

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