2007年3月31日土曜日

甦える大地

「何を文頭に持ってこようか?」

非常に悩んだ作品でした。特に後半の展開には考えさせられるものがあり、ストーリーまで含めたネタバレにして、思ったことを全て書き記そうかとも考えたのですが、やはり何時の日か皆様の目にこの作品が触れる機会があることを望んでいるので、やはりネタバレは避けようかと思います。

とは言うものの、全くストーリーに触れないと何も説明出来ないので、ある程度のネタバレは、どうかお許しくださいませ。


まずはこの映画のあらすじを。

「工業団地と農業団地の共存する大規模開発」「利権なき開発」

開発担当の職員植松(石原裕次郎)は、若い茨城県知事岩下の掲げた理念に共感し、不毛の大地と言われた茨城県鹿島地区に世界最大の掘り込み港建設へ向けて奔走の毎日。

建設省の野田(三國廉太郎)を巻き込み、国からの予算獲得へとこぎ着ける。

しかし一見簡単に思われた住民説得も、「開発反対」と「利権」を巡る駆け引きに振り回され思うように運ばない。

港建設成功に欠かせない試験堤防は無事完成したが、そこへ台風が迫りくる。

この堤防が壊れてしまえば、計画は白紙同然。

吹きすさぶ嵐の中、県知事岩下と、職員植松の脳裏には、ある人物の逸話が霞んでいた。

それは、この地を洪水から救おうとして失敗し、歴史の中に消えて行ったある武士。

果たして岩下と植松の熱意は天に届くのか?


この作品を語る上で避けられない要素は3つあります。

ひとつは、鹿嶋と言う土地のこと。

もうひとつは、開発後に移って来た私たちの目から見た、映画のその後はどうなのか。

そして3つめは、日本を代表する名俳優、今は亡き石原裕次郎さんのこと。

それぞれに触れた上で、地域を再生する為に今の私たちがどう考えるべきなのか?をまとめたいと思います。

少し長くなるかもしれませんが、どうかお付合いくださいませ。


まずは鹿嶋と言う土地についてです。

劇中でも触れているのですが、鹿嶋と言う土地は、遥か昔には文化の発信地でありました。

鹿嶋神宮と言う、日本でも最古と呼べる程の歴史ある神宮の存在があった為です。

奈良の鹿は有名ですが、その鹿が元々は鹿嶋の鹿であると言うのは、意外と知られていない事実(今は巡り巡って奈良地方由来の鹿が神宮内に居ます)。

武道の神様としても有名で、道場等の掛け軸にもその名が記されていることからも、どれほど影響力があったのかを推察出来るでしょう。

今も残り、盛大に行われる鹿嶋の祭りも、その歴史を語る証人です。

春に行われる祭頭祭は、海を越え日本へ攻め入ろうとする国に立ち向かう為の防人を九州等へ送り出したことが起源と言う説もあります。

神宮の本殿や拝殿も、徳川家が建立させる等、幕府の中央との関係も深かった訳です。

それほどまでに長い歴史を持つ土地でありながら、神宮の森を越えるとその南には果てしない砂丘が広がり、長らく不毛の土地とされてきました。

鹿嶋市の地名で「国末」と言う名がありますが、まさにその名の通り「人の住める国はここまで」と言うようなものでした。

与えられた自然と神の恵みを生かし日々を暮らしていく、日本古来の生き方を鹿島開発前まで続けていた場所だった訳です。

東京から100キロも離れていない場所でありながら、雄大な自然が残っていたのです。

そして、その自然の脅威は恐ろしいものでした。

最近、再び鹿嶋の脅威が取り上げられているのを、皆さんはご存知でしょうか?

そう、タンカーの相次ぐ座礁です。

鹿嶋の海は、古くから交通の難所であり、その名を鹿島と言う程だったのです。

劇中に登場する話のように、嵐がくれば何もかも無くなってしまう程、海の力は計り知れなかったのです。

しかしこの地域では、水の脅威は海だけではありません。川の氾濫も住民を悩ませていました。北浦や霞ヶ浦の様な大きな湖がその源であれば、防ぐことは難しいのは簡単に理解出来ます。しかし、住民たちはその自然を受け入れ、壊れたらまた造り直す、その繰り返しを重ねることによって、この地に済み続けて来たのです。

自然の脅威を受け入れ、共存していたと言えるでしょう。

先ほどのタンカーの座礁が示すように、それは今も変わりません。

しかし人間は、その自然を技術である程度カバー出来るようになりました。

そして、鹿嶋地域の真価が発揮されることとなったのです。

当時世界最大の掘り込み港を囲む工業地帯は幅約10キロ、長さは約20キロにもなります。今では空き地もない程に埋め尽くされていることからも、鹿嶋と言う土地がいかに地理的に優れた場所だったかが証明されていると言えるでしょう。

鹿嶋市に隣接する神栖町(現在は波崎町と合併して神栖市)役場の給与は、全国でも最高レベルでした。

東京にほど近いと言う土地が企業を引き寄せ、企業が工場と住民を連れ、工場が税を生み納める、そんな図式が、日本でも最も成功した例と言えるのではないでしょうか。

工業地帯が完成し、やがて鉄道が開通し、高速道路がすぐ近くまで繋がったことによって、鹿嶋地域の進化は加速していきます。

今では、都心に近い工業地帯として欠かせない存在にまでなったのです。


その成功に反しているかのような、この映画の後半。

ラスト10分は悲しい結末です。

港は完成し、鹿嶋開発は成功しました。が、主人公である植松(石原裕次郎)が当初掲げた目標とはかけ離れた現実が、植松の胸を痛めます。

開発から40年近く立った現在はどうでしょうか?農家を営む方々は開発前と比べて明らかに減りました。それは事実です。

しかし劇中後半に登場した農業の改革も成功しているのです。土地を改良し堤防を築き、今は立派な水田等が川縁に広がっています。

工業用水の確保の為に造られた水門が、結果として川の氾濫を抑える役割も果たし、私が覚えている限り川からの氾濫や洪水はありません。

農業と工業、双方が共存する街は、バランスこそ違えど、成功しているのです。

劇中の印象的な台詞のひとつに、

「ひとつの地域開発の正当な評価って言うのは、20年、いや30年先でなければ下されるもんじゃないんだ。」

と言う言葉があります。建設省の野田(三國廉太郎)が、後悔の念に駆られている植松に発した言葉です。

鹿嶋地域では、多くの人が金を生む為に農業を捨て商売に走りました。その中で成功を収め、町でも有数の企業になったところも数多く存在します。

その反面、消えていった商売も数多く、私が高校に進学するまでに友達の中でも商売を諦めて工業地帯に勤めることとなった人を沢山見ています。

しかし、そういう運命を辿った人々も、決して開発を否定しないのです。

長い時間をかけて、開発の評価が下される。まさに、その通り。

住民の多くがそう考えると言うことから、この開発は成功だったと言えるのではないでしょうか。

そして私もその恩恵を受けている1人と言えるのかもしれません。

鹿嶋開発の成功が無ければ、きっと先祖たちが辿った土地の束縛から離れられず農業の道へと進んでいたかもしれません。

貧しいながらも本当に自分のしたいことが出来る環境、その土台が鹿嶋開発だったからです。


この映画の主役、植松を演じたのは日本を代表する名優「石原裕次郎」。

主演する映画を観たことがなくても、名前を知らない人はいないでしょう。

日本映画界が繁栄を極めた時代から衰退していく過程を肌で感じながら、映画に身を捧げた「英雄」です。

しかしながらその生涯には数多くの壁が立ちはだかっていました。その壁を乗り越える姿が、日本人に希望を与えたとも言えるのです。だから「英雄」なのです。

この映画は「ソフト化されない」と言う悲劇が目を引いていますが、実は悲劇はその前に起こっていました。

「黒部の太陽」は同じくソフト化されていない作品でありますが、こちらは名作として知られています。映画の内容は劇場公開時にまだ幼かった私には分かりませんが、世界最大の難工事と言われるひとつの大きな計画に立ち向かう男たちの姿が感動と共感を生んだ、とされています。

この映画は、映画配給会社間の協定の為に、製作が危ぶまれた時期がありました。

当時は監督や俳優の引き抜き等を禁じる為にそのような協定が結ばれていて、それが「壁」を越えようとしていた大物スターたちの行く手を阻んだのです。結局、それを乗り越えた石原裕次郎さんや三船敏郎さんが「映画の成功」と言う栄光を手にすることとなるのですが・・・

その後の邦画界の衰退は、皆様ご存知の通り。

「造りたい映画を、造りたい仲間たちと共に、完成させる」そんな理想が成り立たない時代となっていったのです。

そう「甦える大地」の悲劇の根本は、映画界の斜陽にもあるのです。

この映画が公開された年、石原裕次郎さんは結核を患い長期療養を強いられます。そしてその後、活躍の場をTVへと移して行きます。

映画からTVへと移りつつあった時代が決定的になってしまった、そんな時代に生まれてしまった訳です。

しかし、それは本当に悲劇だったのでしょうか?

もう少し遅ければ、映画界の衰退により映画にはならなかったでしょう。もう少し早かったら、協定に阻まれやはり映画にはならなかったでしょう。

印象に残らない時代に生まれたことが悲劇としても、この世に生まれ出た事は、幸福ではないのでしょうか?

劇場公開から35年を経た今でも、私の心にこれだけ響いてくる映画なのです。

今、この映画に残る悲劇は、「ソフト化されない」と言う事につきる、と私は訴えたいです。


さて知人を通じて観せていただいたこの「甦える大地」は、残念ながら映画のフィルムをそのまま取り込んだ形のようで、お世辞ながらも「良い画質」「良い音質」ではありませんでした。

その上、フィルムが切り替わる部分も、数秒間途切れていると言う代物です。

なんとかこの映画を、せめて私の住む地区の方へ観ていただける方法はないのでしょうか?

「黒部の太陽」の様に脚光を浴びていれば上映会も夢ではありません。残念ながらこの映画には、時代の流れもあり華がありません。悲しいとも言える結末もその一員かもしれません。

しかし本当に方法はないのでしょうか?


実はあるのです。


石原裕次郎さんの十七回忌に上映された事が有名ですが、実はもうひとつ例外があったのです。それはつい最近の事です。

「黒部の太陽」製作の際に映画関係者の多くが滞在した長野県大町市で、市民の呼びかけに応じる形での上映会が2000年に実施されていたのです。

そうなんです。

呼びかけ、その願いが本物なら、石原裕次郎さんの意志を継ぐ人々が、熱い情熱と共にきっと答えてくれるはずなのです。

今、私の友人は、その方向に向かって動き出そうとしています。

微力ではありますが、私もその手伝いを出来ないか?とこのコラムを書いた次第です。

以前にも書きましたが、私はかつてレンタルビデオと言う商売に携わっていました。

その時に、何度もこの作品の名を耳にしているくらい、地元では観たがっている人が多いのです。

その事実を、私は真摯に受け止め、友人に協力して行きたいと思います。


最後になりますが、ひとつだけ付け加えます。

「よみがえるだいち」を漢字変換すると「甦る大地」となりますが、この映画の表記は「甦える大地」が正解です。

もし検索エンジンで探される場合、「甦る大地」では引っかからないので、ここで記す事によって探し物への手伝いをさせていただきたいと思います。


さて、地域再生への鍵は、今回ここに記す事をやめておきたいと思います。

次週「フラガール」を書き終えた後、両作品から得たものとして、私の考えをコラムに残そうかと思います。

ひょっとすると、「フラガール」のコラムは前回紹介とあわせた2週では終わらないかもしれませんが、どうか気長にお付合いくださいませ。


それでは、また!



映画データ


1971年日本映画 約100分


製作  石原裕次郎 大工原隆親 小林正彦

監督  中村登

原作  「砂の十字架」木本正次

脚本  猪又憲吾

音楽  武満徹

協力  鶴谷商事株式会社 鶴谷産業株式会社

出演  石原裕次郎 岡田英次 三國廉太郎 司葉子 志村喬 北林谷栄 寺尾聡 他

1 件のコメント:

  1. 初めまして。かなり前の記事へのコメ失礼します。甦える大地の映画、今年8月の神栖市市政施行10周年記念イベントで上映されるそうですね。もうご存知かもしれませんがお節介でお知らせしたくて。
    私自身も鹿行在住ですが当日は都合悪く、見に行けないので大変残念です。

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