2007年9月9日日曜日

河童〜KAPPA〜(ネタバレ編)

みなさま、お久しぶりです。そして、毎度のことながら更新が遅れてしまったこと、申し訳ございません。

例年、8月末から9月にかけては、知り合いが多数関わっている祭りのビデオ撮影をしている為に、私の休日はそちらに関わってしまい、なかなか長い時間を取ることが出来ません。

分かっていながらもなんとか時間を取って更新を・・・と考えていたのですが、私が特に愛する映画の紹介は思った以上にこだわってしまい時間がかかってしまいました。

直前に作品を観直して一気に書き上げる、そのスタイルも崩せないので、こんなに時間がかかってしまいました。

しかしビデオ撮影は無事終了。これから編集作業に入るのですが、これは時間をかけて取り組めるので、今回からは定期的に更新出来そうです。


さて、前回追加情報としてこの作品がとうとうDVD化されることを書きました。

一部のサイトでは予約受付も始まり発売日も価格も決定した模様です。愛する作品が、こうしてみなさまの目に触れる日が近づいたことを、心より嬉しく思っています。

まだ未見の方は、レンタル店でビデオを探しても恐らく在庫を持っている店はかなり少ないと思われますので、今回のネタバレ編は12月5日発売予定のDVDを手にしてからお読みくださいませ。

そして既にご覧になっている方はこのコラムで内容を思い出し、再会出来る年末に、涙するシーンを思い出しつつ、備えて下さい。


では、ストーリー紹介です。


物語はとある写真展から始まります。

世界的に有名な報道写真家の鈴森雄太(以下、雄太)の個展が15年ぶりに日本で開かれます。

世界各国の紛争によって引き起こされる人間の悲劇を撮り続けた集大成である個展。集まる人々と報道陣。

静かな雰囲気の中、主役である雄太がスポットライトに照らされ登場します。

しかしその雰囲気をぶちこわす、わざとらしく響き渡るたった1人の拍手。

拍手の主は戸田勇(以下、勇)。長年離れて暮らしている雄太の息子だったのです。

捨てられた怒りをぶつける勇。事情を把握出来ていない関係者は勇を取り押さえようとしますが、それをなだめる雄太。

と、突然、雄太は苦しみだし倒れてしまいます。

運ばれた病院の病室で、雄太は勇に奇妙なことを言うのです。

「俺は子供の頃な、そこで河童を見たんだ。」

差し出したなぞの球体が、二人を過去へ誘い時は昭和28年へ・・・


少年時代の雄太は、父の故郷であるのに父と共に東京から引っ越してきた為に馴染めずいじめられていました。

父の名は鈴森勇吉(以下、勇吉)。村でただ1人の警察官。親しみを込めて駐在さんと呼ばれていますが、やはりよそ者扱い。それでも頑張る父の姿に、雄太は素直になれません。

二人と共に住むのは勇吉の父、喜助。男ばかりの3人暮らしの為、勇吉は家事を全て行っているので、まわりからのあだ名は女駐在。雄太はそれが気に食わないのです。

でも喜助はなだめます。雄太もじいちゃんである喜助が大好きなので、しぶしぶ従っています。

そんな喜助の話は、雄太も興味津々。特に村にある天神沼の話は。その沼には河童さまがいて村を護ってくれているのだとか。

いじめられている雄太にも、たった1人の親友がいます。克次は村の有力者の息子。

どこへ行くにも2人は一緒ですが、やはりいじめは影を落とします。肝心な時に、克次は助けてくれないのです。それでも2人は親友です。

ある日、村に映画がやってきました。妖怪の映画です。怖がりながらも2人は河童に興味を魅かれて、日が暮れるまで絵を描いていました。喜助の言葉に慌てる克次に雄太はバットを差し出します。

喜助は「守り神だから悪さはしない」と言うのですが、妖怪映画で怖いと思い込んだ克次は、それを自転車に差し込んで帰って行ったのです。

これが悲劇の始まりとも知らずに・・・


物語の紹介はここで終わりますが、これ以降は要所要所を紹介するので、観られた方は恐らく思い出していただけると思います。


この作品「河童」は、私が好む映画の要素を満たしています。

一つは笑いと涙の共存。

以前いくつかの映画で紹介してきたので詳細は省きますが、私はこの手法が泣ける映画での重要な点だと思っています。

親子の絆を描く物語なので主役が直接笑わせる方法はとっていませんが、物語中盤まではちょこちょこっと笑わせてくれています。

例えば坂上二郎演じる村長のしぐさ。天神沼の土手を自転車で走るシーンでの鼻歌や、沼に落ちた時のリアクションは、さすがコメディアンです。

他にも、映画鑑賞中のカップルの仕草等。小ネタ的に登場しています。

二つは音楽とのシンクロ。これはミュージシャンであるカールスモーキー石井と、芸術家である石井竜也の両方を併せ持つからこそ成せる技です。

そのこだわりは随所に溢れていています。

中でも私が特に好きなのは、喜助の亡くなるシーン。そして勇吉が雄太を助ける為に天神沼へ向けてただひたすら走り続けるシーンです。

喜助の亡くなるシーンに使われているのは「ひだまり」と言う楽曲。主題歌「手紙」のシングルにカップリングとして歌詞をつけて収録されていますが、この曲はファンの間でも名曲とされています。

私もこの曲が大好きで「手紙」よりもこちらの方が好きです。それは何度観ても涙するこのシーンが好きだからです。

勇吉が走るシーンには、長い楽曲が使用されています。曲名はズバリそのまま「勇吉、走る」なんと16分弱もあります。普段映画を観る時に音楽にこだわって聞く人は少ないと思われますが、この曲の使い方はとある映画に似ています。

以前紹介したことがありますが、「E.T.」のラストシーンでの曲の使用方法です。

E.T.」では、画面上で起こる出来事と音楽がぴったりとシンクロし、観る者に緊張感を与えています。そして抑揚もつけて、更なる緊張を誘っています。

物語自体も「E.T.」に似ていると言われますが、それは何気なく聴いている音楽の影響もあってのことでしょう。それだけ、映画での音楽とは重要な存在なのです。


音楽のこだわりは映画の隅々まで行き届いていて素晴らしいのですが、それを上回る程に素晴らしいのが、カメラワークへのこだわりです。

ここでは代表的な3つの事象を紹介します。

まずは、空間を意識した構図。

オープニングでの個展の重苦しい空気は、天井から始まり全体を写すカメラの流れが一役買っています。モノクロに近い色使いも、その俯瞰構図を引き立てています。

それから、喜助の死後に事件が続きいらだっている勇吉が、酔いに任せて雄太を叱りつけた後のシーン。

ふて寝をする勇吉から離れるように遠ざかり家の上に広がる夜空を写す流れは、勇吉の孤独と後悔を感じさせます。

次は、光と影へのこだわり。

その前に一つ触れなければなりません。それはこの映画の最大の難点です。

パンフレットに書かれているのですが、当時の技術での暗闇の表現に問題があったのです。

映画館で観る分には分かるとしても、ビデオ化された時にきちんと見えるのか?と言う問題です。

石井竜也監督は「映画館で観る人をまず重要視して下さい」と答えたそうです。

映画への並々ならぬ愛情と共に、あくまでもイメージをそのまま届けようとすることへのこだわりが感じられます。

その結果は、いくつものシーンに繁栄しています。

クマ狩りに出かけるシーン。右手に見える薮を、その後ろからの強烈な光によって引き立て、通り過ぎる村民や勇吉の心情を描き出しています。

天神沼の家事のシーンでは、燃え盛る炎に浮かび上がる芦原の影と雄太の影が、雄太の心細さを描き出しています。

そしてこれは私の最も好きなシーンですが、老人に「村を助けてやってくれ」と言われ縄を解かれた後勇吉が、駆け下りる階段のシーンです。

祭りならではの幻想的な炎の使い方が、村人のいなくなった異様な光景と相まって、勇吉の覚悟を描き出しています。

他にも随所にその光と影へのこだわりが散りばめられていますので、是非DVDを手に入れた際には確認してみて下さい。

そして最後は心情を表すカメラアングルです。

途中に何度か、緩やかに斜めになっているシーンがあったのを覚えているでしょうか?

克次が帰ってこないことを勇吉と話した後の母親のアップ。

天神沼でガキ大将にはり倒された雄太のアップ。

取り壊される家に居座る老人を、無心で写真に収める雄太。

河童し洞爆破に胸躍らせ天神沼に集まった村民たちの遠景。

そして、40年後の再会でのTENと雄太のアップ。

それぞれに、不安や期待、使命感や感動などの心の揺らぎを表現しています。

一見不自然井思われる斜めのカメラアングルにも、こうして意味を込めているのです。

石井竜也監督が、どれだけ沢山の映画を見て、どれだけ多大な影響を受け、どれだけ学んできたのかが、この3つでお分かりいただけるかと思います。


さてこの映画に登場する河童は妖怪ではありません。恐らくは宇宙からやって来た異星人と言う設定でしょう。

波紋のような特殊な能力で、人と交流したりする程の高度な技術を持っています。

しかしその生き様は、約束をきちんと守る義理堅さだけでなく、命を守る為に今手近にあるものだけで装置を作ってしまう等、現代のエコロジーに通じるものがあり、人間よりも遥かに優れた生物であることを物語っています。

悲しいことに人間とはおろかな生き物で、未知の生物には動物の本能以上の恐怖を抱きます。

そうして分かり合う道を閉ざしているのです。

雄太がバットを渡したことも、そんな恐怖心の現れ。

そのバットがTENの母親を傷つけ死へと追いやり、村を襲う奇怪な事件の発端となっているのです。

雄太は、幼少期にその愚かさを学んだからこそ、人間への戒めとして世界で起こる悲劇を人間に見せつける為、写真に収めていたのではないでしょうか?

悲劇を繰り返しては行けない、それを人間に分かってもらう、ただそれだけの為に。


話は逸れますが、個展会場で最初に写る天井は波紋をイメージしています。

最初はTENたちが使う特殊な能力の波紋かと思っていたのですが、どうやら違うようです。

ラストシーンで再会する河童し洞の天井と同じなのです。

恐らく雄太は自身の最後と再会を予感し、幼少期の記憶をたどってその原点である河童し洞をイメージしたのです。

覚悟の現れであるデザインだったのです。


人間の狂気を使命として描き続けた雄太ですが、息子である勇とは長年疎遠でした。

突然の日本への帰郷は、なぜだったのでしょう?

それはこの映画のもうひとつの主題である「約束」に関係してくるのです。

「また会いにくるからな。約束だ。約束だぞ。」そう言い残してTENと別れた雄太は、その約束を果たす為に、命の危険を顧みず故郷の北川村に戻ってきたのですが、そこにはもう一つの意味があるです。

「大切なことを大切な人に言えなかった・・・ごめんね」

この台詞は、雄太からTENに発せられた言葉。

人生を左右する程の大きな事件、河童の秘密を喜助や勇吉に言いそびれたことと重ねているのは当然のことなのですが、実は勇へも関係しているのです。

突然の別れと長い別離には意味があってのこと。それを勇へ伝えたかったのです。

そして、死を持ってまでしても果たさねばならない約束の重さを、勇は理解しTENと雄太と永遠の別れを迎えるのです。


この映画は、感動だけでなく一つの警鐘を鳴らしています。


「旧きを大切にする日本人の心が失われつつある」


老いた母を無理矢理連れ出し破壊される家のシーン。原ひさ子さんの曲がった背中が印象的でした。

河童を見つけたと大騒ぎして、伝統である祭りさえおろそかにしてしまう村民。

そして殉職警官の碑さえ、開発の名の下に壊してしまう。

心があればそんなことは出来ないはずなのに、悲しいかな現代の人間は分かっていながらも欲や誘惑に負けてしまいます。

日本人が、日本人である理由を自ら奪っている、そう訴えているのです。


その警鐘を現実にしない為には何が必要でしょうか?

人が人と触れあうこと。

相手を思いやること。

何があっても約束は守ること。

そのどれもが大切です。

この映画は、親子の絆を描きつつ、「日本人とはどうあるべきなのか?」

そう訴えているのではないでしょうか?


どのように感じるかは、全てはあなた次第です。

しかし、この映画があなたの心に「大切なもの」を残してくれるでしょう。

私はそう信じて疑いません。


さて、今回のコラム、いかがだったでしょうか?

ここ1ヶ月ですが、私のコラムへ「河童」を検索して訪ねてくる人が増えています。

石井竜也監督のDVD化の発表によって、心の片隅に眠っていた感動が甦った方が多いのでしょう。

あと3ヶ月弱の我慢です。

再びあなたの心に、感動の波紋が広がる日を、心待ちにして下さい。


次回は以前の予告の通り。すずきじゅんいち監督作品「秋桜」をお贈り致します。

入手が困難な作品ですので、「紹介編」と「ネタバレ編」の2回に分けたいと思います。


ではまた来週。

それでは、また!



映画データ


1994年日本映画 118分


監督              石井竜也

エグゼクティブ・プロデューサー 岡本朝生

プロデュース          河井真也

脚本              末谷真澄

撮影              長谷川元吉

美術              部谷京子

音楽              金子隆博

照明              森谷清彦

録音              中村淳

編集              富田功

SFXスーパーバイザー      秋山貴彦

SFXCGI プロデューサー    杉村真之

クリーチャーデザイン      石井竜也

出演              陣内孝則 船越圭佑 原田龍二 今福将雄 坂上二郎 苅谷俊介 木の葉のこ ジェームス小野田 浜村純 大河内浩 車だん吉 原ひさ子 南野陽子 中村雅俊(友情出演) 藤竜也 他

2 件のコメント:

  1. 昔、映画館に見に行きました。米米のファンだったので…ただ、アートにたけていらっしゃるのは、わかっていましたが、期待半分、失望半分の気持ちで見に行った記憶があります。しかし、見て涙が止まらない…ラスト部分だけが違和感を残した記憶があるものの、物凄く良かった記憶があって、改めて懐かしさもあって見て見ました。
    やはり、良かった!!人間味溢れる世界観と、正しく『旧きをしって~』の警鐘。当時は、ここまで理解せず泣いてたようにおもいますが、今必要とされている日本人の精神があるのではないでしょうか…

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  2. ここ数年、全く更新していないのに、お越しくださいまして、ありがとうございます。私も実はラストシーンがしっくりこないのですが、当時のVFXを考えると他に選択肢はなかったのかもしれませんね。
    嬉しいことにDVDが発売され、当時よりも遥かに綺麗な映像を見ることが出来たので、改めてこの作品の良さが見直されているようですね。

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