2009年5月22日金曜日

太陽を盗んだ男

5月も終わりが近づき、だいぶ暑くなってきましたがみなさまはいかがお過ごしでしょうか?

私の住む鹿嶋は太平洋沿いの立地と言うのもあり、気温程の暑さを感じさせず、過ごしやすく感じます。

今年の夏はどうなるんでしょう。暑すぎも問題ですが、寒いのも良くありません。って人間のわがままで贅沢を言っちゃあ、いけませんね(笑)


さて今回お贈りするのは「太陽を盗んだ男」1979年の作品です。

メガホンを取るのは長谷川和彦監督。この映画を含めて、たった2作品しか映画監督をしていないと言う、異色の経歴の持ち主です。

主人公を演じるのは、当時歌やドラマで日本中を席巻した沢田研二さん。この作品でも、その魅力を存分に発揮しています。

そしてもう一人の主役である警部を演じるのは菅原文太さん。「仁義なき戦い」での圧倒的な存在感をこの作品でも発揮しています。

まずは、映画をご覧になったことの無い方の為、簡単にあらすじを紹介をしましょう。


城戸(沢田研二)はどこか冴えない中学校教師。

いつものように満員電車に揺られながらの通勤。教師であるにもかかわらず遅刻するなど無気力で、その緊張感のなさから生徒にはあまり相手にされないダメ人間。あだ名は「ふうせんガム」。

しかし彼には、生徒はおろか、誰も知らない秘密があった。

それは核爆弾を製造すること。その為、原子力発電所を襲う計画を立て、毎日のように身体を鍛え出勤前に偵察をしていたのだった。

いつものように生徒たちに教え帰宅する城戸だが、家に帰れば着実に計画を進めていた。

台所のテーブルに整然と並ぶ実験道具と、散らかった部屋。その壁には手書きの原子力発電所見取り図。

唯一の癒しである近所のネコと戯れるとき以外は、私生活さえない程、核爆弾製造計画のために没頭していた。

やがて彼は、老人に扮し交番の警官から拳銃を奪うことに成功。後は原子力発電所に乗り込み、プルトニウムを奪還するだけ。

そんな城戸に大きな転機が訪れる。それは修学旅行の帰り道、皇居で起こった。

戦争で心に病を追った老人が城戸たちの乗るバスをジャックしたのだ!

機関銃と手榴弾を胸に抱え、天皇に会わせろと要求する老人。その要求をのむふりをして車内に乗り込む警部、山下。老人を説得し生徒の解放に成功するが、戦争を生き抜いた老人も愚かではなかった。

男子生徒を人間の盾とし、皇居へと乗り込もうと歩き始めるのだった。

皇居前に集結する沢山の警官と機動隊。果たして城戸と生徒の運命は?そして身を挺して犯人確保に挑んだ山下の運命は?


戦争に負け2つの核爆弾を打ち込まれた世界唯一の被爆国日本で、この映画の登場はセンセーショナルでした。

核を持たないと宣言している国で、一市民が核爆弾を製造し日本を相手に無謀な戦いを挑むと言う内容。

タブーとも言える領域に踏み込んだ映画と言えます。

しかし観客の反応は、それを感じさせない程に好意的なものでした。公開当時、映画雑誌の読者選出第1位を取るなど、画期的と言える映画として迎え入れられたのです。

やがて時が経ち、2006年。長らく目にすることの無かったこの作品が、DVD化されました。


実は私、この映画が公開された当時は観ていません。危険な香り漂うその内容は、当時小学生の私には手の届かないものでした。しかしながらコマーシャルは何度か目にした記憶があり、ずっと気になっていたのです。

それが、ある日ネットで調べ物をしていてDVDが発売されているのを知り、購入するに至ったのです。

2008年7月のことでした。

それから何度となくこのDVDを観ていますが、その魅力は30年経った今でも色褪せること無く、むしろ混沌とした今の時代背景が30年前に重なり、より魅力を発揮しているようにさえ思えてなりません。

今でも映画雑誌の読者や映画関係者が選ぶベスト作品に何度も選出されるのは、ダテではありません。

もしご覧になったことが無いのでしたら、レンタルでもかまわないので是非ご覧になっていただきたいと思います。そしてその目で、この作品を判断していただけたら幸いです。


さてここから先は、既にこの作品をご覧になったみなさまの為に、ネタバレを含んだ紹介をしていきたいと思います。

ですのでまだご覧になっていない方は、是非ご覧になるまでこの先は読まないようにお願いいたします。

それでも読みたいと言う方に、無理は言いません。内容を知ってしまっても、失うことのない程魅力的な映画なので問題ないとは思いますが、それでもやはり、知らない方が本来の楽しさを味わえますからね(笑)


いきなりですが、この映画の魅力は何でしょう?


私は、リアルと虚構の境界線がだんだんと麻痺し、その世界にのめり込んでしまう所にあると思います。

核爆弾を個人が造ることは、おそらく今の科学でも無理だと思います。

原材料の入手や、精製、放射線など、いくつもの問題があるからです。

だから個人が核爆弾を造ると言うのは「虚構」になります。

でもこの映画はまず最初に、科学の知識を持つ中学校教師を主人公にすることによって、観客に「ひょっとして?」と思わせることに成功しているのです。しかもその主人公を演じるのは、当時知らない人が居ない程に有名だった沢田研二さん。日本レコード大賞を受賞したり、「8時だョ!全員集合」に何度も出演されるなど、すっかりお茶の間に浸透している人が演じることによって、よりリアルに磨きをかけています。

そしてそれを迎え撃つ警部は、菅原文太さん。任侠映画やアクション映画に主演し日本中に知れ渡っていた俳優です。その存在感故に、実際にやくざと思っていた人が居た程です(この当時そう言う勘違いは多々ありましたが)。

この2人の存在が、あり得ない内容に「リアル」と言う魔法をかけているのです。

それだけではありません。

中学生を人質に取った老人は、戦争の痛みを引きずる世代。公開当時、終結から30年以上が過ぎたとは言え、戦争を経験したことがない世代の人間にとっても身内に必ず居たであろう世代の人間です。

だからこの老人の行動は、決して嘘では片付けられないと言えるでしょう。実際、この頃東京の駅前などでは戦争で身体を失った人々が軍服を着てまだ街頭活動をしていたりしますし、私も何度か目にしたことがあります。

それから物語中盤から登場するラジオ番組も、リアルに磨きをかけています。

テレビが全盛期とは言え、ラジオを聞いている人の存在も圧倒的で、私たちには生活の一部でした。

あなたは電波の向こうから、自分の送ったはがきが読まれたりした記憶はありませんか?

そのドキドキは、素晴らしいものでしたよね?

だから、核爆弾を持ってしまった男がラジオを味方につけ日本中を巻き込むと言うのも説得力があります。

こうして普段私たちが何気なく接していたものを、うまく味方に付けたのがこの映画の魅力を引立てた要因と言っても過言ではないでしょう。


過激な内容だけが騒がれているように思えるこの映画ですが、実はビジュアル的にも見所が満載です。

例えば、城戸が原子力発電所に乗り込むシーン。

ただその過程を描くのではなく、時々ストップモーションにしたり、ミュージカルのような動きで城戸を追う無機質な職員や、ゲーム感覚で脱出していく過程(インベーダーのピコピコ音など)など、本来なら良心の痛みを伴うシーンをポップに見せ、その痛みを取ることに成功しています。

核爆弾製造の様子もそうです。団地の一室、いつもの生活の空間に、見慣れない機材の数々。絶対にあり得ないであろう製造過程を、当時はやっていた音楽をバックに絡ませ、ガイガーカウンターをマイク代わりに歌うなど、さながらミュージカルのようです。

他にもあります。

オープニングは、その代表でしょう。

昇る朝日に照らされる、城戸と原子力発電所。そこに現れるタイトル「太陽を盗んだ男」

白い文字が黄色から赤へと変色していく様は、まるで核反応をシンプルに表しているようです。

バックに流れる井上堯之さんの音楽も、カッコいいことこの上ありません。

それと同じようなシーンは他にもあります。私が一番素晴らしいと思ったのは、国会議事堂のシーンです。とは言っても、城戸が女装して乗り込むシーンではありません。その前に数秒だけ映る、朝日をバックにした国会議事堂のシルエットです。

核反応を起こす太陽と城戸の持つ原爆をだぶらせてイメージし、国会議事堂の上に昇ろうとする様は、これから起こる国をも揺るがす事件を象徴しています。ここでもやはり、井上堯之さんの音楽がうまく引立てていますね。


さて主人公の城戸は、なんとか核爆弾を造ることに成功する訳ですが、その目的は殺人ではありません。

ネコにガスをかけ一見残酷に思える行動ですが、そのネコは後のシーンで再び登場しますし、同じくガスをかけられた警官も、後の新聞を見る限りでは眠らされただけのようです。原子力発電所のシーンでは、職員が燃やされたり飛ばされたりしていますが、これも医療施設が整っているはずである原子力発電所だから出来る訳であって、城戸は人を殺そうなどとは思っていなかったはずなのです。

つまりプルトニウムを奪ったけれど、その行動は愉快犯だった訳です。

しかしその城戸に、皇居以来2度目の転機が訪れます。

それは、ネコの死です。

自分の不注意から、ネコを殺してしまうのです。直接ではありませんが、自分の造ったモノで死に至らしめてしまった訳ですから、殺したも同然でしょう。

転機だったことは、学校での行動からも読み取れます。生徒が観ている目の前で、ターザンの真似事をしていましたよね?この行動は、それまで押さえつけていた何かが壊れてしまった象徴でしょう。


核爆弾を持った城戸に待ち受ける運命は「死」です。たとえ爆発しなくても、それまでに大量に浴びてしまった放射線の影響は、死に至るものだったはずです。

しかし、その放射能を浴びていない2人の死を忘れてはいけません。

ひとりはDJの沢井。「核爆弾を持ったら何をしたい?」と言う問いかけから巻き込まれ、物語終盤では城戸の逃走を手助けします。しかし、その目的を達する前に、山下の銃弾に倒れ命を落としてしまいます。

それからもうひとりは、核を奪い返そうと必死で奮闘する山下警部。最後は城戸を巻き込んで壮絶な死を迎えます。

2人とも城戸に関わったがために命を落としました。

ではこの死は何を意味してるのでしょうか?

ちょっと考えてみました。そしてひとつの答えを見つけました。


それは国家間の争いに例えられるんじゃないかと。


現在核兵器を所有している国は、残念ながらこの作品が公開された当時より増えています。

そしてその核を所有するほとんどの国では、未だに軍事行動で死者が出ています。もちろん核を持っていない国でも死者は出ていますが、本来核兵器は使う為でなく抑止の為に存在するはず。

なのに、結局は戦争に近い行為が行われ、命が奪われているのです。

核兵器を造れる高度な技術と経済力を持っていても、愚かな行為で奪われる命を救えない。

その力を別の方向に向ければ争いは防げるはずなのに、核兵器を所有してしまったが為になされない。

なんて無益なんでしょう・・・

核兵器に関わったが為に死人が出てしまうと言う悪循環。城戸に関わったが為に命を落とす2人。

自らを9番と呼んだ城戸と、後に発する「一体何がしたいんだ?」と言う台詞から、それを読み取れる気がします。


そう言う視点で見ると、非常に重いメッセージを放っている社会派作品と思われがちですが、そうではありません。前述のような意味も含まれているはずですが、やはりこれは娯楽作品です。

物語終盤の、メーデーでの群衆シーンや、息をもつかせぬデパートでの攻防。そしてカーチェイスに、ヘリを使った必死のアクション。

どれを取っても、未だに見応えのあるシーンです。

それは、観客を魅了することに心血を注いでいるからこそ出来たシーンである訳で、観客を本気で楽しませる「心意気」を感じさせます。

社会派作品には、そこまで必要とは思えません。しかしながら、その影にはしっかりとメッセージが込められている。だからこそ後世まで語り継がれる映画になれたのではないでしょうか?


この映画が公開されてから、間もなく30年が経とうとしています。

そして残念ながら、長谷川和彦監督はこの後、映画を撮っていません。

監督は現在63歳。引退にはまだ早すぎます。

ぜひとも、新しい作品を見てみたいものです。

昨今好調な邦画ですから、「太陽を盗んだ男」が公開された後の冬の時代と比べれば撮りやすい環境になっているのは明らかです。撮影に協力するフィルムコミッションの存在も、それを後押ししてくれるでしょう。

未だに人気があるこの作品を生んだ長谷川監督の最新作を望んでいる人は、決して少なくないはずですから。


さてここから先は、ちょっとした願いを込めて書き進んでみたいと思います。

この映画が撮られた1979年は、第2次オイルショックのまっただ中。日々の生活に追われ、夢を忘れてしまう程深刻な影響が私たちの生活を襲っていました。

そして今、第3次オイルショック後の世界的恐慌に見舞われ、人々の生活はまさに30年前と同じ様相を呈しています。日々を生き抜くのに疲れ果て、夢を描くことが困難な世の中になりつつあると言えます。

そんな時代だからこそ、長谷川和彦監督の破天荒とも言える映画を、観客は求めているのではないでしょうか?

リメイクである必要はないですが、私はやはり同じ題材を元にした映画を観てみたいと感じます。

その作品で城戸を主人公にするのは無理があります。映画のラストでは生きていますが、放射線の影響ですぐに死んでしまったと推測出来るからです。余談ですが、ラストは核爆発をイメージさせますが、私は爆発していないと思っています。加えて城戸を犯人として特定出来ずに時効を迎えていると。

ネコを大切にしたように、城戸は人を殺すような人間ではないはずですし、沢井と山下以外は城戸の顔を見ていません。そして何より、大量生産の時代に物証から割り出すのは難しいでしょう。だから城戸は人知れず死んでしまったのではないかと思うのです。

核爆弾を造った後は、家もきれいに片付けていたのですから、城戸が行方不明になっても誰も疑わないでしょう(学校で核兵器の講義をしたことは不安要素ではありますがラジオで話題になっていたから疑われずに済むかもしれません)

でも放射性物質を一般家庭に持ち込んだのですから、近隣の家庭には少なからず影響はあった訳で、そこに着目して物語を膨らませたら、面白い作品が造れるのではないかと思うのです。

「悪くないのに巻き込まれてしまった市民の暴走」

放射能汚染のせいとは思いもせずに、余命幾ばくもない自分の最後の悪あがき。

幼い頃耳にしたラジオの「核爆弾騒ぎ」にヒントを得て、一人黙々と核兵器を造り、国を相手に戦いを挑む。

どうです?なんだか面白そうな作品がとれそうな気がしませんか?

もし問題があるとすれば、やはりその題材でしょう。

地下鉄サリン事件で多くの被害が出た日本はもとより、911テロで多くの死者が出たアメリカも、この題材に敏感に反応するのは目に見えています。おそらく1979年よりも、激しい拒絶反応が起こるでしょう。

でも、だからこそ、そう言う映画が必要だと、私は思うのです。

そして一娯楽作品としてだけでなく、核を持たないと宣言している日本だからこそ出来るメッセージを発信出来るはずなのです。


映画製作者のみなさま!誰か長谷川和彦監督を迎えて映画を撮ってくれませんか?


今回は特に好きな作品の為、いつもよりも熱く、長くなってしまいましたが、そろそろ終わりにしたいと思います。本当はもっと書きたいことがあるのですが、それはまたいつか。


さて次回は5月29日より公開の「スタートレック」にちなんで、過去のスタートレック作品をまとめて紹介したいと思います。


それでは、また!

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