2010年12月21日火曜日

夕日町三丁目を探して その二

いよいよエキストラを動員した大掛かりな撮影日です。私は少しの残業後、すぐに愛車に乗って現場へ向かいました。気分はこの上なく良かったことを覚えています。念願だった撮影がいよいよ見られるのですから。

しかしそこに行くまでにトラブルがあっては気分も落ち込むというもの。だから慎重な運転を心掛けました。そしてその慎重な運転が、貴重な偶然に巡り合わせてくれたのです。

それはロケ現場から1キロほど離れた、とある十字路を右折した時のこと。私の後ろに対向車線から左折してきた東京方面ナンバーのマイクロバスが続きました。
私は何の気にも留めることなくそのまま現場へと向かったのですが、そのバスはずっと私の後ろを走り、なんと直接ロケ場所に入って行き、そして数人が降りてきたのです。マイクロバスに数人と、通常のスタッフの方とは明らかに違う待遇です。

そうです。おそらくそのバスにはプロデューサーの方々、そしてひょっとしたら山崎貴監督も乗っていたのかもしれません。確かめる術はありませんが、きっとそうだったと信じています。

のっけからの偶然に私は興奮しました。

その興奮をかみしめながら、ロケ現場が見渡せる場所への移動です。
樹木の垣根に覆われた先ほどの場所とは違い、そこから見える風景は昨日までとは全く違うものでした。

「ALWAYS 三丁目の夕日」で見なれたクラシックカーの数々が、ブルーバックの横に整然と並んで待機していたのです。その姿を見ただけで、私の気分はどんどんと高まります。

しばらくは放心状態のまま、その風景を目に焼き付けていました。

しかし3月とはいえ、まだまだ十分な寒さ。
それにそんなに早朝から撮影が行われるわけはなく、そこから2時間程は寒さとの戦いでした。
寒いからと言って車内に居ては、ロケ現場の動きは見えません。かと言って温かい飲み物ばかり飲んでいてはトイレが近くなり、その場から離れる機会が増えてしまいます。なのでその両方を適度に切り替えながらの長い待ち時間でした。


やがて少しではありますが、暖かさが感じられる時間になった頃です。

壁にもたれかかって休んでいた私の耳にバラバラバラと突然、爆音が飛び込んできます。あわてて立ち上がりロケ現場を見渡すのですが、姿が見えません。音だけ静かな冬空のもと、響いているのです。
もしやと思い、先ほど私が走ってきた道路を注視すると、彼方に驚きの光景がありました。

そこに居たのは黄色いボンネットバス。
ゆっくり、堂々と自走してきたのです。
そしてそのバスがロケ現場に入ったとたん、場の空気が一気に昭和へと変わりました。

あの空気はきっと、一生忘れないでしょう。それほど、目にも、耳にも強烈でした。ロケから間もなく4年が経つ今でも、ハッキリとその光景を思い出します。


そこからは待つことが全く苦でありませんでした。それは僅かながら上がり始めた気温のせいだけではなく、もうひとつの私の決心から来る頭の中の、考えの堂々巡りから来るものでした。


それは「差し入れを渡す」と言うことです。

前日の夕方、悩みに悩んだ挙句選んだものを持参してのロケ現場だったのです。
そして渡すという行為がいよいよ現実味を帯びてきて、どうやって渡せばいいだろうか?とか、何をしゃべったらいいのだろうか?と私の心は落ち着かなくなっていたのです。

そんなことを何度も考えていると、時間などあっという間です。

やがてすこしづつスタッフが増え、クラシックカーの持ち主と思われる人が集まり始め、とうとうエキストラを乗せたバスがやってきます。
エキストラの方々はすぐに、控室代わりななっていた隣の建物に消えてゆき、また静寂が戻りました。

これからエキストラの方々の服装や髪形の準備が始まると言うことは、撮影までまだ時間があると言うことを意味します。しかし私はもう満足でした。たとえ撮影が見られなくても、これだけの空気を肌で感じ、目に焼き付けたのですから。
昼まで待って撮影が始まらなくても、それでもいい、と思うようになりました。


それからどれほど待ったでしょうか?

待機していたクラシックカーや、ボンネットバス、バイクなどがブルーバックスクリーンの前に並び始めます。
やがてそれぞれがゆっくりと動き始め、行ったり来たりを繰り返します。
それぞれが同じ動きを繰り返し、戻っては繰り返しと、入念なリハーサルが始まりました。

ロケ現場にはアスファルトと、歩道のコンクリーと、ブルーバックと、自動車しかありませんでしたが、もう私の眼には、おぼろげな銀座の街並みに見えていました。


三輪トラック、スバル360、名を知らないクラシックカー、そしてサイドカーに大きな荷物を乗せた古いバイク。
どれも年代物なのに、頑張って走っています。なんのトラブルもなく・・・と思ったら、どうもバイクが調子悪いようで、ときどきエンストしてはエンジンをかけて、を繰り返していました。これはご愛嬌ですね(笑)


やがてすべての動きが止まりました。


さあ、いよいよ撮影開始だ!

そう思って身を乗り出したのですが・・・なんとエキストラも、運転手たちも、テントに向かって歩き始めてしまったのです。
そうです、時計を覗けばすでにお昼。
昼食休憩です。
そして私がここに居られるのももうリミット。

残念ながら撮影本番を観ることは叶いませんでした。

でももう十分満足です。これだけの空気を肌で感じ、そして貴重な体験が出来たのですから・・・あと私に残された仕事は差し入れを渡すだけ。そして帰るだけです。


しかしここでも大きな偶然が待っていたのです。

それは差し入れを持ってロケ現場の前で若いスタッフの方を待って声をかけた時のこと。

「○○さんは、今日はいらっしゃっていますか?」

○○さんとはブログを更新していたスタッフの方の名前ですがここでは伏せておきます。もし何かの形で、ご迷惑がかかると行けませんので。でも、当時ブログを覗いていた方はご存知でしょうね(笑)

その問いに、やさしく答えてくれる若いスタッフ。

居るとのことに、ホッとした私。

ブログにコメントを書き込んでいる者ですと事情を話し、渡してもらおうと差し入れを差し出しました。
しかし次の瞬間、スタッフが驚きの言葉を発したのです。

「今、呼んできますから待っていてください。」

私は撮影の邪魔になってはいけないと思い「渡していただければいいですから」と答えたのですが「休憩中ですから大丈夫ですよ」と告げ、奥へと消えてしまったのでした。


これは全く予想もしていませんでした。もちろん心臓はバクバクです。

ほんの1分程の待ち時間が、どれだけ長く感じたことか・・・


そして、白いダウンジャケットを着たその方が私の前に現れたのです。

長い時間が過ぎたような気がしました。
しかし実際はほんの5分程。
話した内容は今でも覚えています。
でもここには書くべきではないでしょう。
とにかく最高の体験をしたのでした。
丁寧にお辞儀をして別れると、その方は気さくな笑顔で見送ってくれました。

私は、使命を果たした高揚感と、これまで見たことのない規模の撮影を間近に見られた満足感で、最高の気分のまま、その場を離れたのです。


後日、この日には堀北真希さんと、その同級生役の森林永理奈さん、中浜奈美子さんが撮影に参加したことを知りました。
今思えば、徹夜(昼夜逆転生活なので表現がおかしいですが 笑)してでも観ておけばよかったな、と、ちょっと後悔しています。


翌13日も僅かな期待を抱き現場に行きますが、テントが畳まれたままで人の気配もありません。
その日の夜、ブログで準備日だったことを知りました。
しかし翌日は難解な撮影をするとの予告が・・・
もちろん私は、仕事後に向かいました。


おとといの待ち時間に慣れた私にはもう、数時間が苦ではありませんでした。
待っていれば良いことがあると分かっていたからです。

そしてそのブログでの予告は、予期していなかった展開を見せたのです。


既にそこに座ってから数時間が経っていました。
ボウっと現場を見ていると、一台の立派な外車が入ってきました。

そこから降りてきたのは背の高い女性。しかも付き人らしい人が傘を差し、日焼けしないように気を使っているようです。
これは間違いなく、主役級の女優と言うことです。しかし少しばかり距離が離れていたので、誰だかはわかりませんでした。ただ、明らかにオーラが違って見えた気がしました。

やがてその女優は控室に消えて行きました。


それからどのくらい待ったでしょうか?

現場が急に慌ただしくなります。スタッフや、クラシックカーの運転手、みんなが慌ただしく動き、スタンバイを始めています。


そう、いよいよです。


傘を差す付き人と一緒に女優が現れ、ブルーバックのスクリーン横に移動し、(おそらく)監督と打ち合わせを始めたようです。その様に見えました。

そして私は確信したのです。


そう、その女優は、小雪さんでした。


やがて撮影が始まります。

ブルーバックの前を自動車が通り過ぎ、その合間を縫って小雪さんがスクリーンに向かって歩いて行きます。
すこし動きを変ながら、何度も何度も繰り返していました。

何をしているのか?何のシーンなのか?全く見当がつきませんでしたが、劇場でこのシーンを見て、驚かされたのです。


映画後半で、ヒロミが特急に乗るために東京駅に向かい道を横切るシーン。
その撮影だったのです。ブルーバックは、東京駅に置き換わっていました。

時間にして、それは経った数秒のシーン。

それだけの為に、入念なリハーサルをし、撮影していたのです。
これには感動しました。映画撮影現場の真剣さと緻密さを垣間見た気がしました。

そしてその日も興奮のうちに帰宅しました。


それから数日間、何度か現場に行ったのですがブルーバックスクリーンは縮小し、歩道のコンクリーは取り払われ、撮影が行われる気配もありませんでした。

もうこの場所も終わりなんだな・・・

なんだかしみじみしてしまいました。

嵐が去って行ったあとのような寂しさ。


でも、それで終わりではなかったのです。


3月22日、再びクラシックカーが集結したのです。

もちろんロケ現場を観に行ったのですが、残念ながら時間の制約で撮影を見ることはできませんでした。しかしその帰り道、貴重な経験をしたのです。

当時ブログをご覧になっていた方はご存知かもしれませんが、私は帰り道でモーリスマイナーと言う名前のクラシックカーとすれ違ったのです。

その存在感は、明らかに他のものとは違いました。
すれ違いのほんの数秒間、重厚感に圧倒されたのを今でも思い出します。


そして奇跡はそれだけでは終わりませんでした。


それは20日のブログに掲載された、夕焼けをバックに物思いにふける監督の写真を見たときのこと。

何となく見覚えのある風景と手すりにピンと来ました。


そうそこは、私がロケ現場を探した時に偶然辿りついた湖の畔の公園だったのです。


あの時には、何もなかったのに・・・

しかもここでの撮影は、貴重な機材を使った日本橋のシーン。
いつの間に大掛かりなセットが組まれたのだろう、と不思議な気分になりました。


もちろん私はすぐに行動を起こしました。
夜勤明けにまたしても向かいます。


あいにくの曇り空ながら、現場は慌ただしく動いていました。日本橋のセットが人の背丈ほどの足場の上に組まれていたのです。それだけではありません。川へと降りる階段のセットも並んでいました。

しかし残念ながら、駐車場を占拠して行われる撮影だったため、駐車できるスペースがなく、その日は諦めることとなりました。


日本橋と言えば、続編のテーマとも言えるエピソード。当初は実際の日本橋を使うことが検討されていたようですが、諸事情でこの場所での撮影となったようです。

そして日本橋のシーンは、映画の中盤とラストを飾る重要なシーン。


後日知ったのですが、ここではたったの3日間に、吉岡秀隆さんや小雪さん、須賀健太さん、薬師丸ひろ子さんや上川隆也さん、そして小清水一輝さん、小池彩夢さん、とそうそうたるメンバーが入れ替わりで訪れ、撮影が行われていたのです。


翌日、その場所を訪れてみると・・・どうやら撮影休止のようで、セットの管理をする人が数人だけ車内に待機していました。

私は一人、真っ青な空の下、ゆっくりと日本橋を眺めることが叶ったのです。


もう撮影を見られなくても満足でした。

これだけたくさんの現場に出くわし、クラシックカーや女優、そして日本橋のロケセットまで見ることが出来たのですから・・・


その公園は、数日後に訪れた時にはもう日本橋の跡形もありませんでした。

またいつもの公園に戻っていたのです。


やがて最初の現場も、使用期限を迎える前にすべての機材が取り払われてしまいました。
そう、ここでの撮影は、完全に終わったのでした。

でも寂しさはありませんでした。

私の胸は、満足感でいっぱいでした。


それからの私は、公開が待ち遠しくて仕方ありませんでした。
これほど愛着の湧いた映画も、初めてのことです。

やがて時は経ち、冬になり、11月3日の公開日を迎えました。
残念ながら公開初日は休めず、初日舞台挨拶を見ることはできませんでしたが、後日大ヒット御礼舞台挨拶が行われ、そちらで貴重なお土産をいただきました。
そのお土産は今でも大切に取っておいてあります。

そしてそのお土産には今も、私の一つの願いがかけられています。


それは「もし3作目となる続編が公開されたら、これで酒を飲む。」と言うことです。


そう、お土産と言うのは、その舞台挨拶で行われた乾杯に用意された升だったのです。

「祝 大ヒット! ALWAYS 続・三丁目の夕日」と焼印の押された升。
おそらくこれを持っているのはその場に居合わせた1000人程ではないでしょうか?
その貴重な升で酒を飲みたいのです。


どうでしょう?


私はあると信じています。
願い続ければ、きっと叶うはずですから。


思えば、技術的な制約やロケの制約など、様々な困難を乗り越えて造られた映画ですから、もう不可能なんてないでしょう。


そして、いずれ答えはわかるでしょう。




最後になりましたが、なぜ今までこの事実を封印してきたのか?その理由を述べたいと思います。

それは、地元での撮影に迷惑をかけたくない、その思いからだったのです。

ロケ撮影は、製作側と、場所を提供する側の信頼関係で成り立っています。
それはもちろん、互いの利益を損ねない関係と言うことです。

製作側は借りた場所に対して責任を持ち、原状回復で返す。
場所を提供する側は、事前に情報を漏らさず撮影に対する安全を提供する。

その関係が重要なのです。

だから、事前にロケ情報が漏れたりして撮影に大きな支障が起これば、信頼は失われ、その場所での撮影は二度とないかもしれません。

だから私はこの事実を書くタイミングをはかっていたのですが、いつしか時を逸してしまい、今に至ったのです。



最後ですが、もしあなたの身近にフィルムコミッションがあって、もしも撮影が行われ、その場に運良く居合わせたら、決して邪魔にならないよう心がけてください。

撮影場所への侵入や、俳優へサインを求めるなど、決してしないようお願いします。

撮影期間中に、その様子をブログに書くなどはもっての外です。

今はネットで、簡単に情報が手に入ります。
情報はあっという間に伝わり、撮影現場がパニックになることも予想されます。
そうなったら、その場所での撮影は二度とないでしょう。


一人がルールを無視すれば、モラルが崩壊するのは簡単なこと。
そうならない為のあなたの行動が、その地域の為になるのです。


撮影から4年近く経ちましたが私はあえて今回、ロケ現場の市町村、具体的な地名等は伏せました。
それはもちろん、先ほど書いたことを守るためです。

その地域と、製作側の良い関係を保ってほしいとの願いからなのです。

実際、その場所は「ALWAYS 続・三丁目の夕日」以降、いくつかの作品のロケが行われました。これは信頼関係の賜物と言えるでしょう。

今回ここに書いた撮影場所に行ってみたいと思われた方、どうかその点をご理解ください。



さて今回はこれでお終いです。
色々と書くことがあって長くなってしまいましたが、これでも書くのを控えた部分がいくつかあります。
たった3週間強の出来事でしたが、それだけ濃い日々だったのです。


あなたの身近でも、このような奇跡が起きますように・・・

それでは、また!

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