前回の記事から日が浅いのですが、今回はどうしても今書きたいことがあるので、お贈りすることとなりました。そして長い文章となる予定ですので、2回に分けてお届けいたします。
「その二」はしばらく開けての投稿となるとは思いますが、それまでの間、この文章を読んで想像をしてください。そして私が感じた空気を味わっていただければ嬉しい限りです。
それでは・・・
先日、このブログを整理していてふと気付いたことがあります。
それは私の好きな作品、山崎貴監督の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」に触れていないこと。
実はある理由があって封印していたんです。正確に言うと、ある理由で書くタイミングを失ってしまっていたのですが、今日はその理由をここで明かし、いつもとはちょっと違った切り口で語って行きたいと思います。
みなさまは映画を観て感動し、そのロケ地を探し、行ったことはありますか?
このブログを長く読んでいただいている方はすでにご存じかと思いますが、私は何度かネットで情報を調べ行ったことがあります。
この醍醐味は行った人にしか分かりませんが(そもそも余程好きでないと行きませんが 笑)、そこで味わえるのはあくまで「ここで映画が撮影された」という空気と「シーンを思い返すこと」だけです。その場所に役者はおろか大道具も小道具もありません。あくまでも目に飛び込んできた実際の風景と映画のシーンを、頭の中で混ぜ合わせて想像することだけなんです。
その映画が大好きな人にはそれだけでも十分満足で、よりその場所と映画に愛着がわくのです。
でも、それに満足できなくなったら?
やはり実際の撮影現場を見るに限るでしょう。
しかしそうそう簡単に撮影現場を見つけることはできません。なぜなら撮影が行われるのは通常、映画の情報が製作発表記者会見などで公になる前、しかもほとんどのシーンを東京などの撮影所だけで済ませてしまう場合さえあります。
その場合、私たち一般人は撮影所に入れないので、現場を見ることは実質不可能です。
ただそんな私たちにも僅かなチャンスがあります。
それはロケ撮影が行われる場合です。昔と違いオールロケーション作品と言うのは色々な制約があるようでほとんど見られませんが、それでもイメージに合った現場があればロケが行われることは多いのです。しかもここ10年でフィルムコミッションと言うものが発展し、日本各地の自治体などが映画やテレビ撮影の手助けをすることが増えました。昔と比べ、ロケがしやすい環境になったわけです。
つまり以前よりはロケ現場を知るチャンスが増えたのです。
ただ撮影自体は極秘に行われることが多いので、映画のエンドロールで知ることはできても、事前に知ることはかなり難しいと言えます。
もしも運良く近くでロケが行われ、しかも数日に渡っていれば、情報が入ってくることがあるかもしれません。
これはなかなか確率の低いことですが、それでも全くないことではありません。
あなたの近隣市町村に、ひょっとしたらフィルムコミッションはありませんか?
もしあれば他の地域よりも撮影隊を受け入れる体制が整っているので、確率は高くなります。過去に大作が撮影されれば、実績があるので確率も上がります。
そして行われる撮影が大規模ならば、エキストラを地元から募集することもあるのです。そうなれば、あなたの目や耳に事前に情報が入ってくる可能性も高くなります。
実は「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、そのフィルムコミッションのエキストラ募集で事前にロケ情報を知ることが出来たのです。
いくつかの偶然が重なったとはいえ、これは思ってもいないチャンスでした。
私は以前、レンタルビデオの仕入れで「ジュブナイル」と言う作品と出合い、山崎貴監督の存在を知りました。そして同時に、その映画が私の生まれ故郷とその隣町で撮影されたことも知ったのです。既に劇場公開後1年近くたっていたので、もちろん撮影現場に居合わせることは不可能でした。
しかしこの事をいとこに話すと「撮影見に行ったよ」と言うではありませんか!
これは悔しかったです。またとないチャンスを逃したのですから。そうそう簡単に出くわすことはないので、悔やんでも悔やみきれませんでした。
そしてあろうことに、この失敗をもう一度繰り返してしまったのです。
それは山崎貴監督の2作目。「リターナー」が発売された時のこと。
なんとこの作品も「ジュブナイル」でロケの行われたすぐ近くの場所と、今私の住む町の隣町で、少しながらロケが行われたのです。
事前に知ることはできなくとも、少なくとも映画館で観たかったと後悔しました。
「山崎貴監督の2作目は劇場で観る」そう決めていたのに、この作品が公開された頃私はある理由で映画を観に行くことから遠ざかっていました。それを悔やんだのです。
だから山崎貴監督の3作目が製作に入ったと聞いた時には「絶対映画館で観る」と心に誓い、それを実行しました。そして以後、山崎貴監督作品はすべて映画館で観ています。
その3作目があの有名な「ALWAYS 三丁目の夕日」です。
私はチケットを取り、初日舞台挨拶を観に行きました。あの時の一体感は今でも忘れません。暖かい空気に包まれた劇場でした。
この作品のオープンセットは群馬県にある個人所有の飛行場跡に建設されました。その情報は後から知ったのですが、この場所も探しあて、後に2度行きました。
今現在は別の建物が建ち面影さえありません。その場所を2度と見ることが出来なくなってしまったのです。
ロケ地巡りのだいご味はこんなところにもあります。
さて話は逸れてしまいましたが、その後4作目が「ALWAYS 続・三丁目の夕日」に決まったのを知り待ち遠しい日々が続いたのです。もちろん完成を待って、の期待ですが。
しかし、そんな私に大きな偶然が舞い込んできたのです。
それは2007年の2月の終わり。何気なく覗くようにしていた茨城県のフィルムコミッションのページ。
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」のエキストラ募集の文字が飛び込み、しかも場所は私の住む町の隣。
期日は3月12日。撮影内容は「銀座の街」でエキストラは通行者役。
その頃の私は夜勤だったのでエキストラ参加は無理でしたが、せめて撮影現場を見てみたいとの思いを募らせました。
しかしエキストラに参加しない人間に場所を知る手だてはありません。つまり自分の足で探すしかないのです。
それから毎日、夜勤明けにロケ場所探しの日々が続きました。
ヒントになるのは映画の撮影状況を知らせるブログに載った写真のみ。
その写真から得られるヒントは皆無に等しいのです。当然ですよね。撮影現場を分かるように公表してしまったら、撮影に支障が出ますから。
それに必ずしもその写真の現場が隣町とは限りません。これは大きな賭けでした。
しかし私にはやるしかありません。
動かなければ、探さなければ、見つかる可能性はゼロですから・・・
迷わず探すことを決め、すぐに行動を起こしました。
写真で唯一ヒントになるのは特撮用ブルーバックの後ろに移る高圧線。それだけ。
「なんだ、簡単じゃないか」と思った方も多いでしょう。でもそうじゃないんです。私の住む町は関東地方でも有数の臨海工業地帯。そこには当然発電所もあり、そこからあちこちへと給電されているのです。高圧線はそれこそ海のある東以外、あちこちへと張り巡らされているわけです。
つまり沢山のルートをしらみつぶしにあたるしかなかったのです。
夜勤明け、ある程度空が明るくなるのを待って、高圧線巡りの日々が続きました。
その時の私の推測はこうです。
「音や人などで撮影に支障がないよう、森の中にある大きな空き地でロケが行われているのでは?」
これに沿って探し始めました。隣町は南部の平地と、北部の森林地帯とに分かれていたので、主に北部を探すことにしました。
高圧線に近い道路を、それこそしらみつぶしに走り、近くに道がなければ遠回りしてその先へ向かう日々です。
気付けば境を越え、町を出てしまうこともしばしば。ある時などは、森を縦断し、さらに隣の町へ抜けてしまい、湖の畔の公園に出てしまったことも。
数日かけてすべての高圧線を巡ったのですが、一向に見つかる気配がありませんでした。
ロケ日も近いし、諦めるしかない。
そう思ったある日のこと・・・いや3月6日です。忘れもしません。
噂が広がって迷惑をかけてはいけないと人には聞かなかったのですが、思い切って作品名を伏せ、隣町に住む知人に「映画を撮っているらしいんですが噂を聞きませんでした?」と聞いたのです。
撮影に迷惑をかけられないから、聞くのもこの人だけかな・・・とあきらめムードでした。
しかし、しかし、ここで大きな偶然が起きたのです!
知人は「あの場所かなぁ?」と口にしたのです。
「役場の人が、映画の撮影で使えなくなるからよろしくお願いします。って尋ねてきましたよ。」と教えてくれたのです。もちろん撮影前なので作品名は伏せられたままですが、同じ時期に2つの作品が撮影しにくることはあり得ません。間違いありませんでした。
そして場所を聞いて耳を疑ったのです。
なんとそこは森の中ではなく、町のど真ん中。北部ばかり探していた私の推測は見事に外れていたのです。見つかるわけがないはずです。
さっそく翌日行こうと思ったのですがあいにくの雨あがり。その日は諦め、翌日の夜勤明けにその場所へ行きました。
そして見つけたのです。
目の前には雨除けのためか、沢山のビニールに覆われた、横50mはあろうかと思われる巨大なブルーバックスクリーン。
それに大きな足場の上に組まれたデッキのようなセット。
ブログの写真と、目の前の写真がリンクした瞬間でした。
何かが込み上げてくるのが分かりました。もちろん感動以外の何物でもありません。
まだ夜明け間もない寒空の下、ひとりしみじみとその場に立ち尽くすのでした。
後に映画パンフレットとDVD特典の小冊子を見て知るのですが、大きな足場のセットは羽田空港の送迎デッキで、前日に吉岡秀隆さんと小日向文世さん、そして小木茂光さんが撮影に訪れていたのです。
それからその場所へ通う毎日が続きます。
仕事に支障がないよう、そこに居るのは昼までと決め、毎日通い詰めました。
しかし残念なことに撮影に出くわすことはなく、12日を迎えるのでした。
「その二」へつづく・・・
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