2005年4月13日水曜日

サウンド・オブ・ミュージック

今から40年前の作品、いかがでしたか?

私は、それこそ20年振りくらいにこの作品を見たわけですが、これほどまでに感動出来る映画だったとは思ってもいませんでした。20年前の私と言えばまだ高校生。子供の立場で物事を見ていたわけで、今の私には想像も付かなかったほどに子供だったということです。

私は未婚で、もちろん子供もいませんが、少しは親の立場が分かってきたようです。

とあるシーンで涙していまいました。

そのシーンとは・・・

規律正しく、厳しいトラップ大佐が、部屋の奥から流れるように聞こえてきた子供たちの歌声に、誘われるように家の中に入っていき、そして心のままに歌うシーン。

歌の後の、家族の抱擁。

泣けました。まさか久しぶりに見た映画で、ここまで泣かされるとは思ってもいなかったわけで・・・

そして名作というのは、時が経っても名作である、と思い知らされました。

今回コラムを書く準備にこの作品を改めて見たのですが、当初、古い作品だから間延びして飽きるのでは?などと、勧めている立場としては考えては行けない事を心配していました。これは懺悔しなければなりません。

その心配は皆無。飽きるどころか、映像と、歌と、音楽に惹かれっぱなしで、あっという間の3時間でした。

DVDという存在も忘れてはなりません。DVD化するために様々な修復が施されているようですが、時を感じさせない理由はそこにもあるのかも知れません。


さて前回のコラムで、この作品を実話と紹介しました。実際にあった出来事のミュージカル化を経て、映画になったのですが、前回の定義からすると、これは実話と呼んではいけないのかもしれません。

実際の話からかなり脚色もされているでしょうし、何より、ミュージカル映画として造られたわけですから。

私は未読なのですが、原作本も出版されていて、もちろん日本語訳もされています。

もし読書がお好きなようでしたら、是非読んでみて下さい。

映画の中に多々、実際にあった出来事を折り込んであるようです。


ネタ切れ気味のハリウッドでは、リメイク花盛りです。

アメリカものではもの足りずに、最近では日本映画にも手を出しています。

それはそれで嬉しい事ですが、元の映画を知っている立場としては複雑なものもある、と言う事を映画製作者にも知って欲しいと思います。もちろん、それが前提で造られているとは思いますが、あくまでもオリジナルを大切にして欲しい、と、一映画ファンとしては願うばかりです。

その点この「サウンド・オブ・ミュージック」は心配の必要はないかも知れませんね。

この作品を越えるリメイクは、絶対に不可能でしょうし、第一、存在の大きさに誰も手をつけられないようですから。


実話の映画化が3作品続きましたが、いかがでしたでしょうか?

まだまだ他にも実話映画の素晴らしい作品があるのですが、それはその内紹介する事とします。


さて次回ですが、映画監督にこだわったコラムを書こうかと思います。

今回こだわる監督は、私のお気に入りの監督BEST3の内のひとり、本広克行監督です。

ご存じでしょうが、あの「踊る大捜査線」シリーズで有名です。

しかし私にはそれを上回る作品があるのです。

ひとつは以前コラムで紹介した「スペーストラベラーズ」。

もう一つは映画監督デビュー作品である「七月七日、晴れ。」。

そして私のお気に入り邦画Best3に入る傑作「サトラレ」です。

次回のコラムは「七月七日、晴れ。」を、そしてその次は「サトラレ」を書く予定です。

どちらも素晴らしい作品ですので、是非ご覧になってからこのコラムをお読み下さい。

前作品は版権の関係でビデオのみの発売、後作品はレンタル用としてはビデオ、販売用としてはDVDがリリースされています。近所のビデオ店を探してみて下さい。レンタルとしては基本在庫ですので、必ず見つかるでしょう。

見たあなたが感動して、同じ気持ちを共有できることを願って・・・


それでは、また。


1964年アメリカ映画 175分

製作・監督 ロバート・ワイズ

作曲    リチャード・ロジャース

作詞    オスカー・ハマースタイン

出演    ジュリー・アンドリュース クリストファー・ブラマー

2005年4月3日日曜日

パーフェクトストーム

「あの時こうしていたら」「あの時やめていたら」

人生にはそんな分岐点が幾つもあります。

この映画は、その分岐点を「後悔」ではなく、「やれるだけやっただろ」「だからこれでいいのさ」と思わせてくれる強さを持っています。

あなたは時々、過去を悔やんでいませんか?

「あの時こうしていれば、こんなに悔やむ事はなかったのに」と、今の苦悩を全て過去のせいにした事はありませんか?

そんな思いを持ってしまいがちな人には、是非この映画を見て頂きたいと思います。

そしてもし勇気づけられたら、この映画の製作に携わった全ての人々、そして「アンドレアゲイル号」の乗組員も救われるでしょう。


この映画は実話映画ではありますが、私にとっては一種の体感映画です。

最新の音響設備の整った映画館で初めて見た時に船酔いを覚えたほどと言えば、分かって頂けるでしょう。

そして今回改めてDVDで見直したのも、画面こそ普通サイズのTVですが、音響はドルビーデジタル。映画館での音響にかなり近い環境で見る事が出来ました。

やはり後半は、すざましさを体感出来ました。

このすざましさを演出しているのが、最新の音響と最新のCGです。

その両方なしには、この映画の完成は有り得なかったと言えるでしょう。

言い換えれば、この事件が起きた1991年直後に映画にしていたら、この迫力は作り出せなかったと言う事です。

まさに、「時代が生んだ体感映画」と呼べます。

さてここで監督にも触れなければなりません。

ウォルフガング・ペーターゼンと言えば、作る映画の殆どが代表作と言えるほどの監督です。

古くは「Uボート」「ネバーエンディング・ストーリー」。ハリウッド進出後には「アウトブレイク」「エアフォースワン」、最近では「トロイ」等、皆さんがご存じの作品ばかりです。

そして殆どの作品に言える事は、特殊効果を上手く見方に取り込んで、通常は体験し得ない現実を見せ、体感させてくれるという事です。

この「パーフェクトストーム」は、その代表とも言える仕上がりであると思います。

ただ不満も残ります。あまりにもリアルに嵐を体感させてしまったが為に、乗組員たちの友情やそれを支えた家族たちのドラマが霞んでしまった事。観る人によって評価が両極端に分かれるのは、そんなところに原因があるのでは、と私は思います。

でも、ここでもう一度思い出して欲しいのです。

最後までご覧頂ければ分かるのですが、「アンドレアゲイル号」の乗組員は、全て行方不明のまま。もちろん生きているはずはないでしょうから全員が死んでしまったと言えます。

だからこそ、この映画の大半は、「実話」であれ「事実」ではないのです。

原作者は、この物語を書くに当たってグロースターと言う街に長く滞在し、生前親好のあった人や、元乗組員等、綿密な商材をした上で書き上げています。だから推測ではありますが、殆どが「実際にこうしていたであろう」行動なのです。

映画ならではの特殊な演出などで実話を汚していない、言い換えれば「嵐のリアルさ」に全力を注ぎ、体感以外はあくまでも観る者の心に任せている、と言えるのです。


どうでしょうか?実話映画の奥深さを、前回今回のコラムで少し分かって頂けたでしょうか?

そして、もしこの映画で感動して頂ければ幸いです。

何よりこの映画は、「男のロマンと美学」を描いているのですから。


2作品実話映画が続きましたが、もう一本だけお付き合い下さい。

次回のコラムは、実話映画の代表作であり、ミュージカル映画の最高峰、そして映画史に残る名作、

「サウンド・オブ・ミュージック」です。

現在この作品はBEST HIT50と言うシリーズで発売され、¥999と言う低価格で買う事が出来ます。

ご覧になった事がない、と言う方はほとんど無いとは思いますが、購入して損のない名作ですので、是非3時間ほど時間を空けてご覧になって下さい。もし昔TVやビデオでご覧になった方も、DVDの画質の良さを改めて感じて、新たな感動を味わっていただけることでしょう。


それでは、また。


2000年アメリカ映画 130分

監督 ウォルフガング・ペーターゼン

原作 セバスチャン・ユンガー

音楽 ジェームズ・ホーナー

出演 ジョージ・クルーニー マーク・ウォールバーグ ダイアン・レイン

2005年4月2日土曜日

ロレンツォのオイル

今回のコラムは、ちょっと屁理屈のように感じられる箇所があるかも知れませんが、私なりに色々考えた結果なので、どうかご了承下さい。

何より、初めてこの映画を見た10年前よりも、遙かに感動の涙を流したのは事実ですから。

それには、ちょっとした特別な理由もあるのですが・・・


まず最初に説明しなければならないのは、この映画の核である難病、「ALD(副腎白質ジストロフィー)」の詳細ですが、あえてここでは語らずに進みたいと思います。より詳しく知る事で、映画に深みを与えてくれるはずですが、この作品の中ではある程度きちんと紹介されているので、もし映画を見て興味を覚えたなら、HPを探してみて下さい。「ALD」で日本語のHPを検索して頂ければ、すぐに辿り着けるはずです。


実話映画の多くは、独特な空気が感じられる傾向があります。

例えば、笑いの中にももの悲しさがあったり、感動の中にも深く考えさせられるものがあったり。

事実に基づく綿密な取材や検証を重ね、脚本を練り上げていく上で生まれた副産物のようなものとも言えますが、この副産物が、実話映画の良さを造り上げているひとつの要素でもある、と私は思います。

この映画では、「張り詰めた緊張感」と「愛の絆の強さ」がその副産物です。

そしてその副産物は、時折挟まれるショッキングな描写を、より心に訴えるものとして、観る者に感動を与えています。

観る者は、その副産物のおかげでロレンツォと家族の「悲惨なまで」の物語に引き込まれ、父と母と同じ気持ちで苦しみながら物語を追っていく事になります。

精神的に辛くなる映画のひとつではないでしょうか?

辛いという事は、観ている者が家族の苦しみにそれだけ共感して、引き込まれている証拠です。

しかしこの映画で描かれるのは、その一家族の苦しみだけではありません。

時折挟まれる、他のALD患者家族の描写。より強い悲しみと苦しみがここで生まれます。

家族会で親しくなり、後に長男を亡くした母もそうです。物語後半で次男も発症してしまうと言う事実は、観る者を更に辛くさせています。しかし、と同時に入り込み過ぎずある程度の客観的な視線へと引き戻してくれてもいるのです。

何事にも言える事だと思うのですが、「一度離れた立場で物事を見る」と新たな視線が開けてくるものではないでしょうか?

物語の3分の2は、寝る間も惜しんで息子のために尽くす両親の気持ちで、そして残りの3分の1は、その日々の苦労が他の家族への希望を与える事になると言う事実を。その希望と喜びを知る事によって、観る者がロレンツォの父母の偉大さに気づくのです。

話しが少し戻ってしまいますが、日に日に症状が悪化し衰弱していく息子を前に、父と母は、「自分たちの事は自分たちで」と独学で医学の勉強をします。この苦労は想像を遙かに超えるものでしょう。

映画の中でも充分すぎる位に描かれていますが、事実はこの程度のものではないはずです。

その苦労が「発病して3年以内に確実に死ぬ」という恐ろしい病気に、光を射したのです。

愛の強さは計り知れない、と思い知らされました。


さて、今回のコラム、言いたい事が伝わったかどうか、少し不安です。

時間が経って、もう一度見直した時に、もっと分かりやすく伝え得る事が出来るかも知れません。

が、今の私にはまだ、そこまでの人生経験がありませんし、何より子を持つ親の気持ちが理解出来ていません。

どうか、その点をご理解下さい。

そして、もしあなたがこの映画を見て、何かを感じたならば、是非MUSIC ROOMの掲示板に意見をお寄せ下さい。私には見えない事を、教えて頂ければ幸いです。


今回のコラムを書くに当たって、ネットで色々と調べて分かった事実がいくつか有ります。

ひとつは嬉しいニュース。

主人公であるロレンツォは、今現在も存命であり、今年27歳になります。アドレスは許可を得ていないので載せられませんが、あるHPに、黒人青年のオモウリに支えられながらプールに浮かぶ写真が掲載されています。

今はまだ、回復には至っていないようですが、いつの日かきっと、希望の光がさす事でしょう。そう信じたいと思います。

そしてもう一つは悲しいニュース。

ロレンツォの母であるミカエルさんが、2000年に癌で亡くなられた事。息子の回復した姿を信じて闘ってきたのに、その姿を見る事なく亡くなってしまった事を思うと、胸が痛みます。

ご冥福をお祈りしたいと思います。


いかがでしたか「ロレンツォのオイル」。

私には、無駄を全て省いて造られた、実話映画の最高傑作だと思えます。

ストーリー展開、クラシックのみの音楽、重要なシーンは長く、切りつめられるシーンは極力短くしよりインパクトを与える、実によく考え練り込まれて造られた作品であると言えるでしょう。

最後の最後に、禁じ手(何が禁じ手かは見た方にしか分からないでしょうが)を使っている事も、許されるほど、素晴らしい作品であります。

あなたにとって、どんな作品だったでしょうか?


さて、今月は実話映画を特集したいと思います。

次回は、ごく最近の作品「パーフェクトストーム」です。

この作品は今回の「ロレンツォのオイル」とは正反対の作品です。

何が正反対かは、次回述べたいと思いますが、実話映画の幅広さと奥深さを感じて頂けると信じております。


それでは、また!


1992年アメリカ映画 135分

製作・監督・脚本 ジョージ・ミラー

出演       ニック・ノルティ スーザン・サランドン ザック・オマーリー・グリーンバーグ

2005年3月2日水曜日

男はつらいよ 寅次郎 紅の花

この映画が作られた1995年、日本は未だかつて経験した事のない事件と、未曾有の災害に遭遇しました。

地下鉄サリン事件と、阪神大震災です。

10年経った今でも、テロとも呼べる事件の後遺症に苦しみ、地震で受けた心の傷に悩み続ける人が居ます。

この映画には、決して癒える事のないその苦しみを少しでも和らげる見えない「力」が感じられます。

さて、前回のコラムの最後で、「難しい事は抜きにして、笑って下さいね。」と書きましたが、ここで告白しなければなりません。

最初から最後まで笑おうと心に決めて見始めたのですが、主題歌の流れた直後から泣けてきてしまって、その誓いはいとも簡単に破られてしまいました。

渥美清さんが亡くなられてから、間もなく10年になります。

この「男はつらいよ」シリーズで、こぼれるような笑顔を見せてくれていた「寅さん」の新たなエピソードは、もう決してみる事が出来ない、そう思うと涙が溢れてきたのです。

私ぐらいの年になると、おじいさんやおばあさんが既に亡くなってしまった方も多いと思います。寅さんは、そんな私にとってもうひとりのおじいさんのようなものなのかも知れません。

・・・とは言うものの、私が寅さんを初めてスクリーンで観たのは、なんと遺作であるこの作品「寅次郎 紅の花」だったのです。

こんなに楽しくて、ちょっとほろ苦くて泣ける映画を、どうして今まで観なかったのだろうと悔やみました。

そして映画を観終えた後に、「次回作も絶対にスクリーンで!」と心に誓ったのでした。

しかし翌年の8月、渥美清さんは帰らぬ人となってしまい、そして寅さんは永遠に戻ってくる事のない旅に出てしまったのです。だから私の中では「永遠に結末を迎えられない映画」なのです。

でもそれは決して悲しい事ではありません。

あなたは、親しかった人が亡くなった事がありますか?

もしその人の死に目に会えず、そして葬式にも行けず、しばらく経ってから亡くなった事実を知った経験はありませんか?

私にはありますが、今でもその人は生きているのではないか?と錯覚してしまう事があるのです。

渥美清さんが亡くなったのは変えようもない事実ですが、結末を見せていない寅さんは、私の中では今も続いているのです。

きっと日本のどこかを旅しているんだ、と。


さて本編の紹介に入りましょう。

この映画はギネスブックも認めるシリーズ作品です。

しかしその記録は問題ではありません。

真の価値は、物語の奥底に秘められた「古き良き日本の姿」にあるのです。

例えばこんなシーン。

ふらりと旅から帰ってきた寅さんを囲んで、みんなで夕食後の団らんのひととき。

商売で語り慣れた寅さんは旅の思い出を面白おかしく話し、家族の心を惹きつけます。

何もかも忙しくなってしまった現代に、いつの間にか消えてしまった場面ではないでしょうか?

このシーンを観るたびに私は、今はこの世にいないおじいさんやおばあさんと共に夜食を食べながら色んな話を聞いた事を思い出します。

それからこんなシーンはどうでしょうか?

つまらない事から、身内であるおいちゃんやおばちゃん、隣の工場のタコ社長と取っ組み合いの喧嘩。

でも次に会う時には決して根に持つ事もなく、親しく語り合える。

素晴らしい絆だとは思いませんか?

喧嘩をするほど親しいという言い方もありますが、裏を返せば、喧嘩をしても壊れない絆を築くだけの付き合いが普段からあるという事なのです。

近所に住んでいる人の名前さえ知らない、そんな世の中になりつつある現代では、夢のような世界かも知れません。

だからこそ人は、この「男はつらいよ」に憧れ、笑い、涙するのでしょう。

「結末のない映画」になってしまいましたが、永遠に続きを観る事が出来ないのは、もっと辛い事かも知れません。

そんな私たちに出来る唯一の対処は、過去を振り返ってこの映画を見続ける事だと思うのです。

「あの頃はこんな時代だったな」とか「この場所にもう一度行ってみたいな」とか、そんな些細な事で構いません。そうする事によって、この映画の価値は素晴らしいものになるのです。

もちろん造られた時から素晴らしい映画であるのは事実です。しかし人々の心に永遠に残る事によって、最高の映画になると、私は思うのです。

「寅次郎 紅の花」はそれまでの作品と、ちょっと感じが違います。それは病気が進行して酷い体調にもかかわらずキャメラの前に立ち続けた渥美清さんがそう感じさせているのかも知れません。

しかし私はそれ以上に監督の「やさしさ」を感じるのです。

寅さんのマドンナ役は、浅丘ルリ子さん。男はつらいよでの出演は4回目となります。そして全て同じ役、準主役で登場します。どの作品でも、いいところまで行くのですが最後には別れてしまいます。

ひょっとしたら寅さんと結婚出来る唯一の存在だったのかも知れません。

ひょっとしたらこれが最後の作品になるかも知れない、監督の心の中でそう思っていたのかも知れません。

だからこそ、最後の作品のマドンナは浅丘ルリ子さん演じる「リリー」だったのではないのでしょうか?

一方で、寅さんの甥である満男の恋の行方も描かれています。

こちらの相手役は後藤久美子さん。この数年後、レーサーと結ばれて日本から離れてしまいました。

こちらの恋の行方もハッキリとした形にはなりませんでしたが、ひょっとすると渥美清さんが生きていたとしても満男と結婚するまでは描かれなかったかも知れませんね。

その両者の恋の行方を絡めて進む物語に、私は監督の「人としての温かさ」を感じるのです。

現に何度もこの「紅の花」を見ていると、寅や、リリーや、満男や、泉、それぞれの気持ちが痛いほど伝わってくるシーンが必ずあるのです。

そこで不覚にも涙を流してしまいます。

いや、「不覚にも」という表現は適切ではないですね。「寅さん」らしくありませんし。

定番で笑わせつつ、人情で涙する、そんなところに私は惚れています。そしてすっかり魅せられているのです。

それが「男はつらいよ」なのですから。


さて、3年ほど前にテレビ東京系で48作一挙放映という企画があり、約2年掛けて全ての作品を放映し終えましたので、久しぶりにご覧になった方も結構いらっしゃるのではないのでしょうか、そしてもしかしたら初めてそこで「寅さん」を知った方もいるのではないでしょうか?

久しぶりの方も、初めて観た方も、面白いと感じましたか?もしそう感じて頂けたなら、近所のレンタルビデオ店で構いませんので、他の作品にも目を通してみて下さい。

48作品の中に、きっとあなたの心に永遠に残る素晴らしい物語があるはずですよ。

ちなみに私は、渥美清さんが亡くなった直後、第1作目から順番に見始めて約3ヶ月かけて全作品を観終えました。もちろん、すっかりはまってしまって、中には10回近く観ている作品もあります。

お気に入りの作品についても書きたいのですが、それはいずれこのコラムでじっくりと。


最後に寅さんの豆知識を。

主要登場人物は全て同じ人が演じていると思われがちですが、実は違います。

例えばおいちゃん。下條正巳さんは3人目。森川信さん、松村達夫さんに継いで演じています。それぞれにそれぞれのおいちゃん像があり、どれも魅力的であります。

それから満男。吉岡秀隆さんは2代目。でもこちらはすっかり定番ですよね。出演当初小学生だった吉岡秀隆さんも今ではすっかり日本映画の顔。どこか頼りない雰囲気を見せながらも、日本人の良き姿を見事に演じています。

そうそう、忘れてはならないのは監督です。

全作品、山田洋次監督と思われがちですが、実は違うのです。

脚本に関しては全作品ですが、監督は46作品のみ。

3作目である「フーテンの寅」は森崎東監督。

4作目である「新・男はつらいよ」は小林俊一監督。

それを頭の隅に置いて観ると、ちょっと雰囲気が違う事に気づくでしょう。


今回はいつになく長くなってしまいました。

でもこれも「寅さん」に対する愛情の表れですので、動かご勘弁を。


さて次回ですが、最近のハリウッド映画の主流になりつつある「実話映画」の王道とも呼べる作品、

「ロレンツォのオイル」

をお贈りします。

映画自体はあまり有名ではありません。恐らくご覧になった方は少ないかと思います。

しかしその物語は、ここ最近もいくつかのTV番組で紹介された事もあるので、もしかしたら皆さんの心の隅に残っているかも知れませんね。

DVDは発売されましたが、期間限定出荷だったようで店頭在庫のみとなっています。レンタル店も大きな店でないと無いかも知れませんがレンタルビデオ・レンタルDVDともに過去に出荷されています。

非常に重たい内容ですが、きっと心洗われる秀作です。是非ご覧になって下さい。

それでは、また。


1995年日本映画 107分

原作・監督 山田洋次

音楽    山本直純 山本純ノ介

出演    渥美清 浅丘ルリ子 倍賞千恵子 吉岡秀隆 後藤久美子 下條正巳 三崎千恵子 夏木マリ

2005年2月15日火曜日

ディープ・インパクト

迫り来る地球の壊滅。

それは自身の死と、愛する人との永遠の別れを意味します。

もしその時が、あなたの生きている内に訪れたら、あなたは一体どんな行動をとるでしょうか?

・・・残り少ない貯金をはたいてやりたかった事を叶える。

・・・浴びるほど酒を飲み続けて、酔ったまま時を迎える。

・・・仕事を一切捨て、愛する人と一緒にその瞬間まで生き続ける。

どれも誰もが考え尽きそうな事です。

でも実際はこうなるであろう、と言う形をこの映画は示してくれています。

やりたかった事を叶えようにも、世界は混乱、秩序は崩壊。

浴びるほど酒を飲んでも、迫り来る死の恐怖に悪酔いするばかりで、虚しさに呑む事をやめるでしょう。

そして愛する人と一緒に居ようとしても、所詮は血の繋がりのない他人。信じていても、自分を生んでくれた家族を選ぶかも知れません。


いきなり重い書き出しになってしまいましたことをお詫びします。

この映画は、かなり似たシチュエーションで進む物語で同時期に公開されたアクション大作「アルマゲドン」とは違い、ドラマに重きを置いています。そのドラマも3つの家族と大統領を中心に描いています。2時間の中に4つの物語という事は、単純に計算しても30分しかないのですが、その短さを感じさせない見事な繋がりで見せてくれます。この辺りは、女性監督の繊細さと、編集の勝利ではないかと思います。

まずはミミ・レダー監督の紹介ですが、恐らく聞き慣れない方が多い事でしょう。でも実は大作ばかりを手掛けている一流監督であり、あのスピルバーグ監督のお気に入りでもあるのです。

監督を手掛けたのは映画としては3作品。

アクション大作「ピースメーカー」、SFドラマ「ディープ・インパクト」、そして社会派で重いテーマを含むドラマ「ペイ・フォワード 可能の王国」、どれも私のお気に入りです。

「ピースメーカー」は、奪われた核弾頭を追う物語ですが女性監督とは思えないほどダイナミックに、そしてしっかりとメッセージを込めて造られた秀作。この作品は映画監督デビュー作ですが、TV界で活躍しただけあってベテラン監督と比べても全く遜色がない仕上がりになっています。

そして「ペイ・フォワード」はひとつの思いつきを実行に移した少年の物語。その行動が世界を変えていくという単純なストーリー展開でありながら、その裏には現代の人間社会に根付く問題をしっかりと描き、こうあるべきではないか?と言うメッセージを込めています。

もし機会がありましたら、ぜひこの2作品はご覧になって頂きたいと思います。

さて、話を「ディープ・インパクト」に戻します。

私がこの映画を初めて観たのは、今はなくなってしまいましたが渋谷のとある大きな映画館でした。

その時に幾つものシーンに涙しながらも、疑問に思った事があるのです。

短く感じるのです。と言うよりは、むしろ物足りなさを感じたのです。

色々考えてみた結果、ひとつの結論に達しました。

世にある映画の幾つかは、本来監督が描こうとしたものとは違う形になる事があります。ハリウッド映画では特に、です。

アメリカで映画は芸術と言うよりは、商売の意味合いが強くなってしまいます。これは沢山のスポンサーや支える人々の多さを考えると仕方のない事でしょう。その為に、一度造られたものに大幅に手を加える事があるのです。ひょっとしたらこの作品は、そんな影響があったのでは?と考えたのです。

実際は映画関係者でない私に知る由はありませんが、恐らくそうだったのではないでしょうか?

一度ご覧になった方も、この点を意識しながらもう一度ご覧になってみてください。どこかおかしいところが、少なからず感じられるはずです。

この映画は私の中で洋画のBEST5に入る作品です。

上記の様な疑問を投げかけたのになぜ?と思われる事でしょう。でも私が映画に求める事は完璧や完成度ではないのです。

「いかに感じ、いかに共感し、いかに泣けるか」

その意味でこの映画は、「タイタニック」に迫るほど素晴らしい作品です。

「タイタニック」に関しては色々書きたい事があるので、いずれこのコラムで取り上げたいと思います。

彗星の発見者である少年の家族と恋人、両親が離婚しているニュースキャスター、そして彗星の破壊のために宇宙に送り込まれた人々と地球に残されたその家族。

迫り来る終末が、その家族たちに試練を与え、観ている者に感情の高ぶりを与えます。

そしてラスト近くで迎える永遠の別れ。それはどの家族にも平等に訪れるのです。

いつしかそれぞれの家族に感情移入し、いつしか涙を流す、私にとってこの映画はそんな体感をさせてくれる大切な作品であるのです。

十数回と観ているはずなのに、今回も泣いてしまいました。今までに泣かなかった意外な場所でもです。

やはり私の中では名作なんだな、とあらためて感じました。


今回は観ていない方にも観て頂きたいので、なるべくネタバレを避けました。なので観た方には物足りなさを感じさせてしまったかも知れませんが、どうかご了承下さい。


さて最後に、ここ数作品で触れたくても触れられなかった事を書きたいと思います。

それは映画音楽についてです。

この作品を担当したのは、ジェームス・ホーナー。

映画が好きで沢山観ているという人でもなければ、ご存じないかも知れません。

古いところでは「48時間」「コマンドー」。大作では「エイリアン2」「フィールド・オブ・ドリームス」「パトリオット・ゲーム」。そして最近では「ブレイブハート」「アポロ13」「タイタニック」「パーフェクト・ストーム」

どうですか?殆どが知っている作品でしょう?でもこれは手掛けた作品のごく一部。毎年、数本の映画音楽を手掛けているベテランです。そしてアクションでもドラマでも、歴史大作でも、何でもこなしています。

私の中では、と言うか、映画音楽を好きな人の中では、恐らく5本の指に入る大御所と呼んでも過言ではないかと思います。

「ディープ・インパクト」の中でもその才能を遺憾なく発揮しています。

時に緊迫感のある場面を、時に哀愁の漂う場面を、そして涙を誘う場面を、様々な楽器を使い分けて演出しているのです。

その中で、特に私のお薦めは物語の中盤。曲をメインにして台詞を除き、2つの家族と大統領のドラマを描き切っているシーン。

夕闇の戦場をバックに響く哀愁の漂うトランペットのような音色が、涙を誘います。

そこで私から、ひとつの提案です。

それは映画を観る際に音楽にこだわる事です。作曲者にこだわるのも良いですが、まずは映画を観る者の感情移入にどれだけ深く関わっているかを、感じてみて下さい。作曲者はそれからでも構わないと思います。

DVDと言う、最高の音質を楽しめる環境があるのですから、是非、音楽に浸って映画を楽しんでみて下さい。


さて、ここで先週のクイズの答です。

「コンタクト」に出演している日本人が、誰の息子であるかという問題でしたが、お分かりになった方はいらっしゃったでしょうか?

答は、コメディアンであり役者でもある大村昆さんです。先週予告した通り、若い方には分からなかったかも知れませんね。


次回はちょっと趣向を変えてみたいと思います。

お贈りするのはギネスブックも認める大作、「男はつらいよ」より最終作「寅次郎 紅の花」です。

そう、日本を代表する監督山田洋次さんの代表作であり、国民的俳優のひとり故渥美清さんの最後の主演でもある作品です。

難しい事は抜きにして、次回は笑って下さいね。


それでは、また。


2001年アメリカ映画 121分

監督 ミミ・レダー

音楽 ジェームス・ホーナー

出演 ティア・レオーニ イライジャ・ウッド ローバート・デュバル モーガン・フリーマン

2005年2月1日火曜日

コンタクト

この映画を哲学的と表現する人がいます。少なくない事も事実です。

でも私には、決して哲学的には見えません。

なぜなら、主人公が科学者であっても、その心を突き動かしているのは「夢」であり、その行動を支えているのは「情熱」だからです。

私にとって「夢」のある映画のひとつです。


物語の進行は至って地味でシンプルです。

2時間半もあるにも関わらず、主人公が宇宙からの信号をキャッチし、政府までも突き動かし、大きな困難を乗り越えて旅立ち帰ってくると、ごく簡単にまとめられます。

SF映画にありがちなストーリーの複雑さを取り除いた部分に、しっかりとした人間ドラマを描いています。

それは恋愛であったり、上下関係だったり、宗教と科学であったりします。

地球上の人間関係の縮図とでも言えるのではないでしょうか?

この映画のスケールの大きさと、内に秘めたメッセージを感じます。

しかしそれは同時に、観る人によって様々な解釈を生み、SF映画であるのに科学的ではなく、人間くささをも生み出します。そこに「哲学的」映画と言われる所以があるのかも知れない、と私は思います。

さて、一般的な表現に当てはめようとすれば、この映画の中に宇宙人は登場したとは言えません。

そして主人公が宇宙旅行を体験したとも言い難いのです。

科学的「証拠」が何一つ無いのですから。

なのに行ったと信じられるのは、そこにきっと夢があるからではないでしょうか?

夢と言っても色んな捉え方がありますが、漠然とした目標ではなく、なんと言って良いのか分かりませんがこんな事があったらいいな、と言うようなものだと思って下さい。

そう言う夢がない人には、この映画はきっと駄作に映るでしょう。

事実、私がレンタルビデオ店で勤めている時に、この作品を勧めても評価は真っ二つでした。

子供が今すぐ離れた場所まで飛んでいきたい、と考えても常識と知識を蓄えた人間なら「無理だ」と一蹴するに違いありません。

確かに、常識と知識に照らし合わせれば無理です。

しかしこれはどうでしょうか?

物語の中で主人公が熱意のあまりに暴走して言ってしまう事があります。

そう「ライト兄弟」です。

当時は、なんてバカげた事をしているんだと思われていたに違いありません。

でも「人が空を飛ぶ」という夢は実現し、百年経った今では誰もがごく身近に利用出来るまでに至っています。

科学的な事でありながらも、この大きな事実は「空を飛びたい」という漠然とした夢が、人の心と行動を突き動かし、実現させたのです。

そう、それが紛れもない事実なのです。

だとしたら、この映画で起こった事も、いつか叶う日が来るかも知れません。

いや、いつかきっと来るでしょう。

そうして人類は進歩してきたのですから。

私が生きている内に、地球外生物と会える日が来る事を祈って・・・


さて今回のコラムはいきなり熱く語ってしまったので、ここからはちょっと脱線したいと思います。

まずは映画のその後について。

実は何度か続編の企画が上がって、未だに実現されていないようなのです。

私個人としては、造って欲しくありません。

なぜなら、漠然とした夢を、ハッキリとした形に描かずに感動を与えてくれた作品の続編に何を求めるか?そこが恐いのです。

もっと具体的に地球外生物を描かなくてはならないでしょうし、更に大きな試練と人間社会を描かなければならないでしょう。

3時間弱に収めきれるでしょうか?

中途半端に妥協してまとめるなど、決して許されるものではないはずです。

そして何より、この映画の原作者カール・セーガン氏は、すでにこの世にいないのです。

原作者の意図したものが描けるわけはありません。

だから絶対に反対なのです。

次は物語に登場するSETIについてです。

SETIとはSearch for Extra-Terrestrial Intelligenceの略、地球外知的生命体の探査です。

物語の中では、資金難に追い込まれて頓挫しかけます。

実際にこの探査には莫大な資金が必要です。

しかし何とか、現実の世界では続いているのです。そればかりではありません。

取り込んだ膨大なデーターを解析するためにとてつもなく長い時間がかかるのですが、そこを人間の知恵で解決しようとしているのです。

実はここにインターネットが関わってきます。

データーを短く切り刻み、協力者のパソコンに転送、そこで普段は使われていない「パソコンの空き時間」を利用して解析をし、結果を送る仕組みを考え出したのです。

その結果、最新鋭のスーパーコンピューターでも百年以上かかるであろうデーターを効率良く解析しつつあります。

そしてその仕組みは、外なる世界だけにとどまりませんでした。

人間の身体の膨大な遺伝子情報を解析するためにも使われ始めているのです。

宗教や思想の違いで何かと対立していると思われがちな人間ですが、実際はこんな所でひとつにまとまっているのです。

どうです?素晴らしいとは思いませんか?

ちなみに私はSETI at homeと言うプロジェクトに参加しています。もちろん地球外生命体の探査です。

すでに600回近くのデーター解析を行っています。

難しいんじゃ?なんて思っていませんか?決してそんな事はありません。

ソフトウェアをダウンロードし、簡単な個人情報を登録、あとはスクリーンセイバーなり、自分で起動するなりして、解析作業をするだけです。終われば自動的に送信し、また新しいデーターを受け取って同じ作業を繰り返す、たったそれだけです。

あなたも地球外生命探しに協力しませんか?

詳しいアドレスは載せませんが、SETIで日本語のページを検索して頂ければきっとすぐに見つかるはずです。

沢山の人々の夢を叶えるために、あなたも動いてみませんか?

さて最後の脱線はクイズです。

以前コラムでガッツ石松さんの出演について触れた事を覚えていますか?

今回もそれに関連します。

この「コンタクト」にはある有名芸能人の息子さんが出演されています。

その有名芸能人は一体誰でしょうか?

答は次回のコラムにUPしたいと思います。

ひょっとすると若い世代には全く分からない答かも知れませんね(笑)


さて次回は、今回と似たジャンルに該当する作品「ディープインパクト」をお贈りしたいと思います。

地球が壊滅するかも知れないと分かった時、人間は一体どう生きるのか?

彗星の衝突と回避作戦というSF要素と、人間ドラマを上手くミックスした秀作です。

感動作に仕上がっていますので、ご覧になった事がない方は是非、お近くのレンタル店に足を運んで下さい。


それでは、また!


1997年アメリカ映画 150分

監督 ロバート・ゼメキス

原作 カール・セーガン

音楽 アラン・シルベストリ

出演 ジョディー・フォスター マシュー・マコノヒー ジョン・ハート ジェイムズ・ウッズ ディビッド・モース

2005年1月19日水曜日

長江

この映画に触れる前に、まず書かなければならない事があります。

それはこの映画でさだまさしさんが語る事と重なり、私にとっても重要な意味がある事なので、どうかお許し下さい。

亡くなった私の祖父は、戦中戦後と二度中国の地にいました。もちろん軍人としてです。

残念ながら判っているのはここまでで、そこでどのように暮らし、どこを歩き、何に苦悩し、何を得たのかを私に話すことなく祖父は亡くなってしまいました。

恐らくは・・・推測でしか言えないのが悲しいのですが、母でさえも中国での話は殆ど聞いた事がないという位なので、きっと辛く永い日々だった事でしょう。


さだまさしさんと言えば、誰もが思い浮かぶのはまず歌手としてでしょう。

そして最近では小説家としても有名です。その作品は映画化もされています。

しかし実は、役者として、そして監督として映画に携わった事が過去にあるのです。

この「長江」はその数少ない中のひとつです。

そして唯一のドキュメンタリー映画でもあります。

最近は劇場でドキュメンタリー映画など数年に一作あるかないかと言う位珍しくなってしまいました。

無料で観られるTV番組に押されているからでしょう。言い換えればわざわざ劇場で上映する必要が無くなった、そんな時代になったと言う事かと思います。

実際この映画も、悪い成績だったと聞きます。

しかし映像特典内で本人が語るようにこの作品の価値は、「時代が評価する」事だと私は思います。

日本のTV局や監督たちが手を出さなかった「中国」を膨大なフィルムに収めたその行動力は、もっと評価されるべきだと思います。


物語は、上海から始まります。

長江を上ってその源流を探す旅。

それだけの文章で表現出来るほどに単純な物語です。

しかしその中に秘められたメッセージは深いものがあります。

「さだまさし」という一個人のルーツや、日本とは比べものにならないほど長く深い歴史、それに忘れてはならない、日本が中国に対して侵した唯一の過ち「戦争」。

特に戦争に関しては、短いながらも重くのし掛かるシーンがあります。

戦争を知らない世代の私でさえ、深く傷つく「語り」。

それは私の祖父が中国に行っていたという事実を除いたとしても、きっと傷つく事でしょう。

さださんがポツリと漏らす、言葉にも深く大きな意味を感じます。

この文章を読んだあなたにも、ここは是非感じ、考えて頂きたいと思います。

なぜ、日本人はこんな過ちを犯したのか?と。


この作品のDVD映像特典の中で、本人がこう語っています。

監督として勉強する余裕はないので、次に映画に携わるとしたら「原作」「脚本」「音楽」を是非やってみたい、それが夢だと。

収録されてから僅か数年で、しかも原作・音楽として既に2本携わっています。

夢を追い続けるその姿勢に、私は励まされるばかりです。

そして次は、「脚本」で携わった映画が作られる事を信じて・・・


さて今回のコラムで是非言いたい事がひとつあります。

実はこの長江で撮影された膨大なフィルムは、後にNHKで数回にわたりドキュメンタリー番組として放送されたのです。

私がこの映画を知ったもの、その番組が切っ掛けです。

最近、NHKが政治家の圧力で番組を変更したと、問題になっています。

それが事実かどうかは、私が知る術はありませんし、知ったところで何も変わりません。

ただ、カットされた4分間がいったいどんな映像だったのか?それだけは知りたいところです。

噂で囁かれているような、戦争で被害を受けた人のインタビューだったのかどうか?

NHKが公表しない限り永遠に謎のままで終わってしまうかも知れません。

「嘘」と言い張るのなら、せめてそれを証明するために、カットされたとされる部分を公表して貰いたいものです。

国民からお金を徴収して運営しているのだから、それだけの責任はあるはずだ、と私は思います。


さだまさしさんが主演された映画に「翔べイカロスの翼」と言う名作があります。

残念ながら複雑な版権等の問題で、ビデオ化される事もなく、今は廃棄されるのを待つのみとなっています。

このコラムで触れる事はきっと無理かも知れないので、ここでほんの少し紹介したいと思います。

この映画は、実在したピエロの物語です。

写真を撮りながら日本をフラフラと歩いていた青年が出会ったサーカス。最初は写真の題材としてでした。

しかし団員たちとふれあい日々を過ごす内に、憧れていくのです。

そしてピエロになって、サーカスの一員として日本を旅するのですが・・・

ハナ肇さんや、奈良岡朋子さんなど、名優が脇を固めた名作なのですが、見る事が出来ないのが非常に残念な作品であります。小説本も現在は廃版で読む事すら出来ません。

いつか日の目を見て、復活する事を信じて。


さて、次回はジョディーフォスター主演「コンタクト」をお贈りしたいと思います。

SFでありながら、人間ドラマでもある、この作品、是非ご覧になってからコラムを読んで下さい。


それでは、また。


1981年日本映画 138分

監督・出演 さだまさし

総監修   市川崑

音楽    さだまさし 服部克久 渡辺俊幸

ナレーター 宮口精二