2006年12月24日日曜日

バウンティフルへの旅

様々な人々の苦労のもと、せっかく世に生まれながら、消えて行くのみのものが沢山あります。

それは過疎の村の家であったり、乗客が少なくなって廃線になった鉄道。

人間がもの作りを始めてから、作られたものの大多数は圧倒的に消えて行き、そして豊かになった今現在でも、何処の国にも必ず存在しています。

それは大きな物体のみならず、映画等の文化的なものにも言えることです。

以前のコラムで何度かお話しした、映画からビデオと言う媒体に変化しながらも様々な制約に縛られ、DVDにはなれない作品が多々あります。

この作品は、その中でも特殊な存在。

アメリカでは既にDVD化されているにもかかわらず、日本では発売当時のビデオが中古で出回る程度。それもかなり古いの商品の為、ほとんど市場には残っていないのが現状です。

メジャー系の映画でないことと、国内での配給会社との絡みがそうさせているのかもしれませんが、DVDと言う形で再び世間に出回って欲しい名作だけに、残念でなりません。


さて、ネタバレしない為にも、短く物語をご紹介致しましょう。

アメリカが戦争に参戦した1940年代のヒューストン。

都会の狭い部屋に暮らすのは、後何年人生が残っているか分からない老女のワッツ。そしてその息子夫婦の3人。

しかしここでの生活は、狭い部屋だけでなく、常に息苦しかった。息子の嫁ジェシーとの諍いが耐えないのだ。今で言う、嫁姑問題に悩まされる毎日。

いつか、もう一度生まれ育った故郷へ戻る。耐えながらもそう誓い続けていたワッツは、ついに息子夫婦の目をかいくぐり、故郷へ向かうのであった。

鉄道からバスへと変わる時代、過疎化に悩む村、戦争での辛い別れ、その全てが、旅するワッツに現実として降り掛かり、彼女を一喜一憂させるのだった。

果たして彼女は、無事に故郷にたどり着けるのだろうか?


異色のロードムービーと言える内容です。

舞台が60年以上前のアメリカであるにも関わらず、そこに潜む問題は現在の日本にそのまま置き換えられます。

過疎化し消えて行く村、浪費社会に生きる若い世代と質素に生きる年寄りとの溝、世代によって違う故郷に対する思い等々。映画としての完成度の高さのみならず、現代に於いても学ぶことの多い作品です。


私がこの作品を好きな理由は、主役ワッツを演じるジェラルディン・ペイジの素晴らしい演技。実際にその演技は世に認められこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞されています。

そしてその芝居は「演技」と呼ぶよりは、主役になり切って、感情のままに表現していると言える程自然なのです。

要所要所で彼女を支える役者の演技もまた素晴らしい。

嫁ジェシーの嫌味な行動、旅を共にしバスで語り合う女性との情景を想像出来る程の熱い会話、役目を果たしつつも情に訴えかけられワッツに手を添える保安官。

決して多くはない登場人物全て(たった1行程の台詞しかない役柄まで!)にきちんとした役割があり、その言葉と行動が観る者に意味を与え、しかしその誰もが目立つこと無く、しっかりと彼女の「心の表現」を支えているのです。

私がこの映画に出会って以降はほとんど見ることもなく、でも心に残るものがあって、いつか再会したいと願っていたのですが、先日ついに再会を果たしました。

このコラムを書くにあたって再び映画を観ることとなったのですが、淡々と進んでいく一見退屈に思える物語はより深いものに変わっていました。いや変わったのは私の方ですね。

20年の間に死別した人、生きてはいるけど逢えない人、心にだけとどめておきたい人、そんな全ての人々との出会いと別れが、私に「涙」と言う感動をプレゼントしてくれました。

この映画の主人公ワッツと同じように、遥か昔の記憶を胸に秘めつつ、現代に生きる。そして私を支えてくれる一部は、過去にある、と言うことに気づかせてくれました。


そして偶然にも、ワッツと同じ20年ぶりの再会だったのです。


数回見ただけの映画なのに、記憶のままのワッツの泣き顔、困惑顔、そして笑顔。

今も生きていると信じて疑いたくない、自然体。

しかし残念なことに、そのワッツを演じたジェラルディン・ペイジの演技は、もう見ることが出来ません。

この映画が公開された2年後、帰らぬ人となったのです。

しかし彼女は生きています。

ワッツの記憶に残る「バウンティフル」の想い出のように、彼女の笑顔は今でも私の心に生きているのです。20年経っても記憶に残っていたその笑顔は、きっとこの後、作品が媒体から消えてしまってもきっと残り続けることでしょう。


そんな素晴らしい作品に出会い、再会出来る幸せに、再び巡り会えることを信じて・・・


さて次回は今年最後の更新となります。

何か締めくくりの作品を・・・と思ったのですが、ちょっと趣向を変えてみましょう。


「今年映画館で観た映画の紹介と採点」です。


ここで良かったと評価した作品は、いずれコラムで紹介することとなりますが、その前にあなたに時間があれば是非ご覧になって下さい。そして何度か観た後に私のコラムを読むと、また違った感動を味わえるかもしれませんよ。


それでは、また!


1985年アメリカ映画 108分

監督 ピーター・マスターソン

脚本 ホートン・フート

撮影 フレッド・マーティー

美術 ニール・スパイサック

音楽 J.A.Cレッドフォード

出演 ジェラルディン・ペイジ ジョン・ハード カーリン・グリン レベッカ・デ・モネイ ケヴィン・クーニー リチャード・ブラッドフォード

2006年12月17日日曜日

ウィズダム 夢のかけら

あなたは、エミリオ・エステベスを知っていますか?

と、問いかけると、前回のコラムを読まれた方には怒られそうですね。

そう、マーチン・シーンの息子であり、チャーリー・シーンの兄でもあります。まさに役者一家です。

そのような環境で育ったのだから、役者の道へ進んだのは当然と言えるでしょう。

デビューは1982年、マッド・ディロン主演の「テックス」。それからたった4年で、初めて監督を手がけるまでに至ります。

今回の「ウィズダム 夢のかけら」はその初監督作品です。

あらためて観ると荒削りな箇所は沢山ありますが、当時の映画と比べても遜色は無く、むしろ映画に対する熱意が伝わってくる秀作と言える作品です。

幼い頃から、父親の現場で観て学んで来ただけの事はあるのでしょう。

映画の内容は至って簡単。高校卒業後、たった1度の犯罪を犯した主人公が、一生懸命に働こうとしているのに、社会は過ちを見逃さない。学も知識も、資格もあるのに。

そして、一生懸命に働いているのにある日突然職や家を奪われてしまう人々が溢れかえるアメリカ。そんな不公平な世の中に、「金を奪わない強盗」として反旗を翻す。

何処かで聞いたような、何処にでもあるような、当たり前の物語です。映画の題材としては、今は使われないであろうほど、使い古された題材です。

しかし、この映画の真の魅力は、主役の2人にあるのです。

初めて監督を手がける事になったエミリオ・エステベス。そしてその恋人役であり、当時私生活でも恋仲であったデミ・ムーア。

2人の熱演が、初監督と言う技術的な未熟さの残るこの映画を、1本の作品として存在させていると言っても良いでしょう。

特に2人の掛け合いが多いこの映画では、私生活の恋と映画の恋がオーバーラップしているのか、演技を越える魅力を感じます。デミ・ムーアの涙は、「ゴースト ニューヨークの幻」に勝るとも劣りません。

そしてエミリオ・エステベスの冷めた目。この映画のテーマを、人間として示しているほどの存在感が、そこにあります。

さて、エミリオ・エステベスは現在に至るまでに30近い映画に出演しています。主演をつとめる事もしばしばありました。

その中には、脚本や監督を手がけたものもあります。

そして自らの映画資金を稼ぐ為に、予定に無い続編に出演した事もあります。

少ない監督作品ではありますが、着実に描きたいものへと向かっているのです。

そんな彼の最新作は「ボビー」

アメリカではまだ公開後間もなく、映画の評判はあまり聞こえてきませんが、「アカデミー賞」ノミネートも夢ではないと言われる程の映画と言われています。

出演者も豪華で、ジム・カヴィーゼル、アンソニー・ホプキンス、シャロン・ストーン、ヘレン・ハント、イライジャ・ウッド、ローレンス・フィッシュバーン、クリスチャン・スレーター、リンジー・ローハン、アシュトン・カッチャー等々。かつての恋人、デミ・ムーアの姿もそこにあります。

その名だたる出演陣に、映画俳優としての人望だけでなく監督として優れていると言う事も分かるでしょう。

日本ではあまり日の目を見ない役者ではありますが、これでやっと、日本人も認める監督&役者になれるかと思うと嬉しくてたまりません。

「アウトサイダー」で初めて出会い、「BAD」で惚れて、「ウィズダム」でぞっこんに。

その後「張り込み」ではコミカルな演技をこなし、「ヤングガン」ではビリーザ・キッドをシャープに演じ、「飛べないアヒル」シリーズでは演技の幅も広がり、短いながらも「ミッション・インポッシブル」に出演した時は、「やっと時代がついて来たか!」と喜んだものです。

残念ながらその後日本では活躍する姿はほとんど見られず、やきもきしていたのです。そんな私に、今回の大作映画は、心底嬉しい知らせです。

そして胸を張って、みなさんに紹介出来る事に、喜びも増しています。

だた残念な事に、役者としての日本での知名度が低い為、DVD化されている作品はそれほど多くはありません。

今回の「ウィズダム 夢のかけら」もそうです。ただ、この作品に関しては、アメリカでもDVD化されていない為、仕方の無い事かもしれませんが・・・


さて今回のコラムで、なぜこの作品を書く事になったのか?好きな俳優であると言う他に、もうひとつ理由があります。

それは今私が、ちょっとばかりハマっている出来事と関係しているのです。

それは・・・

中古ビデオを探す事、なのです。

映画市場は今、ビデオからDVDへと完全に入れ替わっています。それは販売作品だけでなく、レンタル作品にも言える事です。そして役目を終えたレンタル作品は、捨て値同然で売られているのが実情です。

しかしながら、以前何度かコラム内で紹介した通り、DVD化されていない作品が多々あるのです。

このコラムで紹介したものだけでも、「7月7日、晴れ」「河童」「ラストソング」「秋桜 コスモス」など、邦画だけでもかなりあります。

もちろん、これは洋画に関しても言える事で、紹介したくとも出来ない作品がかなりあるのです。

そんな「もう一度観たい」作品を、ついこの間偶然にも3つも見つけてしまったのです。

コラムを読んだみなさんが、その作品を必ず見られるかどうかは保証出来ませんが、少なくとも「探す事」が切っ掛けで「懐かしい作品に不意に出会うかもしれない」と言う私が感じた偶然をプレゼントする事が出来るかもしれません。

それが今回のコラムの切っ掛けなのです。

次回は、その時に見つけたもうひとつの作品「バウンティフルへの旅」をお贈りします。

こちらの作品はアメリカではDVD化されているのですが、日本では未だにされていません。それだけでなく、ビデオ自体も最初のリリース以降、発売もされていないようです。

素晴らしい演技に出会える秀作だと言うのに、残念な限りです。

今回と同じように、極力ネタバレを抑えて紹介して行きたいと思います。


それでは、また!


1986年アメリカ映画 110分

製作総指揮 ロバート・E・ワイズ

製作    バーナード・ウィリアムス

監督・脚本 エミリオ・エステベス

撮影    アダム・グリーンバーグ

編集    マイケル・カーン

音楽    ダニー・エルフマン

出演    エミリオ・エステベス デミ・ムーア トム・スケリット ベロニカ・カートライト ウィリアム・アレン・ヤング 他

2006年12月10日日曜日

恐怖のメロディ

前回のコラムでの最後の行とかぶるのですが、本来このコラムはkiyohikoのお気に入り映画を紹介するのが趣旨です。

なので今回は、その趣旨から外れる事をお断りしておきます。


さて、まずはなぜこの「恐怖のメロディ」を書く事になったかをお話ししなければなりませんね。

私の古い友人にSTONEと言う男がいます。もちろん本名ではありません。

彼との出会いや、再会、そして彼の型破りな人生の一部等を派手に紹介したのですが、それはこのコラムから外れてしまうのでやめておきましょう。外れない程度、紹介させて下さい。

彼は今現在、趣味でバンドを持っています。地元では知られた存在でもあります。

私がこのコラムを書くに到ったのは、そんな彼のおかげです。

「以前勤めていたレンタルビデオ店での経験を生かして俺のHPにコーナーを持ってくれないか?」

この言葉が切っ掛けでした。

当時の私は私生活で色々とあり、当初は断っていました。それでも諦めずに、彼は何度も声をかけてくれていたのです。今思えば、何があったのかを察し立ち直る切っ掛けを与えてくれたのかもしれません。

そしてこのコラムは、2004年の8月にスタートとなる訳です。

しかし、その前に彼は私との間に別の「切っ掛け」を持っているのです。

私は、彼に影響を与えた等とちっとも思っていなかったのですが、彼はどうやら違うようです。少なくとも私に出会っていなかったら歩んでいなかった、そう思っているようです。

それは彼の音楽人生についてです。

私たちが再会した頃、彼はある夢を持っていたのですが、ある程度まで近づいたその夢に挫折していました。

そんな時、彼に希望を与えてくれたのが音楽だったのです。

何が切っ掛けだったのかはもう覚えていないのですが、当時私に付合っていた女性がある楽団に所属していて、その縁で彼は少しずつその音楽に熱中していったのでした。

私も彼も、その楽団に関わる事で様々な経験を積みました。

彼と奥さんとの出会いもそうです。

残念ながら、今では私も彼もその楽団と関わりはありませんが、今の人生の一部になっていたのは間違いないでしょう。

だから私は思うのです。彼は、私を大切な友人と思ってくれていると。

さてそんな彼は当時、根っからの映画好きでした。

当時の印象から語ると、アクション映画好みだったと記憶しています。

スタローンの作品は片っ端から観ていた気がします。

そして彼のもうひとつのお気に入り俳優が、今回のコラムの主人公「クリント・イーストウッド」なのです。

当時の私は、あまり作品を観ていなかったせいか、イーストウッドと言う俳優をアクション映画のくくりでしか見ていませんでした。

ヒット作を見る限り、「ダーティーハリー」シリーズや、西部劇でのガンマン等。

今でこそ様々な作品に挑戦していてその才能を知る限りですが、残念ながら当時の私はちょっとした偏見を持っていたようです。

なので今回の「恐怖のメロディ」は未見でした。

もしかしたら観ていて忘れているだけかも?と思い観ましたが、やはり未見に間違いありませんでした。

そして観終えた後、ちょっとした後悔を覚えました。

この映画に出会う時間を間違えたな、と。

この映画は1971年の作品。私はまだ3歳。もちろん映画館と言う存在も知りませんでした。

いずれこのコラムで語る予定なのですが、私が映画館で初めて映画を観るのは幼稚園の年長時代。

その時期でもありませんでした。初めて観る映画がこれだったら、それはそれで衝撃的でしょうが、少なくとも彼と再会した時期にこの作品に出会いたかったな、と思ったのです。

35年前の作品ですから、古さは否めません。脚本や、色使い、編集、音楽の使い方、等など。

しかし、俳優の初監督作品には思えない程、洗練されているのです。

小道具の使い方や、ほんの数曲ながら観る者に印象を深く与える音楽の使い方、そしてヒッチコック作品を思わせるシンプルながらも効果的な見せ方等。

フィルムの色調や服装、そしてイーストウッドの若さを観る限り古さは否めないのですが、題材は今でも通じるストーカーものであり、リメイクしても新鮮に映る作品なのです。

もっとも既にそこに目を付けた映画人は沢山いるようで、リメイクとも思える程似ている「危険な情事」(実際に「恐怖のメロディ」が下敷きになっているようなコメントがメイキングに収録されています)や「ミザリー」など、大ヒットした作品が既に存在しているのですが・・・

そしてこの映画で私がさらに驚いたのは、当時の映画の基本に忠実ながらも実験的な試みもされている事です。

今でこそ当たり前に使われている、歌詞付きの歌をバックにイメージビデオのようなシーンを造ったりしています。もちろん、ただ単にイメージビデオにしている訳ではなく主人公と恋人の背景を無言で描き、後のシーンとの区切りになっているのです。

事実、私は説明的な前半にちょっと眠気を覚えたのですが、先程述べたシーンとジャズ祭のシーンがカンフル剤の役割を果たし、後半では吸い込まれるように見入っていました。

ここでジャズ祭のシーンにも触れなければなりませんね。

ジャズ祭のシーンと、人通り溢れる街中での会話シーンに、当時の空気がしっかりと感じられます。

なぜだろう?と思ったのですがメイキングを見て納得しました。

ジャズ祭のシーンは、実際に行われている祭りに潜入して撮影が行われたそうです。写っている人々はそれが映画である事を知らないでいるのです。恐らく町中のシーンもそうでしょう。

当然の事ですが、そこに写る人々が自然であり、タイムスリップしたかのように感じさせてくれるのです。

35年後の私がこう感じるのですから、当時の人も似たような感覚に教われたのでしょう。

「似た」と言うと語弊がありますが、それはきっとこの映画の現実度に影響を与えていると思われます。

ストーカーと言う言葉が存在しない当時に、その存在を知らしめ、その恐怖を知らしめる効果があったのだ、と私は思うのです。

今でこそ、この手の恐怖には慣れていて簡単には驚きませんが、当時の人にしてみれば、それは衝撃的だったに違いありません。言葉で伝えても、理解せず己の思うままに人を愛するのですから。

愛される側が迷惑がっていれば、これほど嫌な気分になる事はありません。その上、狂気が徐々に増して、最後は異常としか言いようが無い存在にまでなってしまうのですから。

なので、現在の切り口でリメイクしたこの映画を見てみたいと言う気にもなったのですが、それはどうやらないようです。

詳しくは特典映像で、監督自身の口で語られています。ご覧になって下さい。


ここまで書くと、私が結構この映画を楽しんだなと思われる方が多いでしょう。

でも実は、違います。そしてそれが自分のせいであると、後悔もしています。

未見の作品であるのに、筋が読めてしまったのです。

それには理由がありまして・・・先に特典映像を見てしまった事です。

驚く事に、メイキングだけで1時間近くの映像が収録されています。そしてその中で、物語の軸にそって裏話が語られていくのです。当然の事ながら、そのシーンを交えて・・・

失敗でした。明らかに失敗でした。

衝撃的なシーンも、ほとんどネタバレしてしまったのです。

でもこれもひとつの勉強ですね。

次からは、未見の作品は本編から見る事とします。


さて前回今回と古めの作品をお贈り致しましたが、もうしばらく古い作品でお付合いください。

次回とその次は、今私のハマっている事が絡んできます。

そして、みなさんの目にはなかなかお目にかかれない作品について語る事となります。

何にハマっているかは次回のお楽しみとして、作品名は紹介しましょう。

次回は、エミリオ・エステベス主演であり監督の「ウィズダム 夢のかけら」です。

作品名はおろか、主演の俳優を知らない方に、ちょっとだけまめ知識を。

エミリオ・エステベスはあの名優マーチン・シーンの息子であり、1980〜90年代の映画で大活躍したチャーリー・シーンの兄でもあります。

実際に親子競演や兄弟での競演作品も多々あります。

その彼は現在、「ボビー」と言う次回作で豪華俳優陣を相手に監督をしています。もちろん本人も出演しています。

そして「ウィズダム 夢のかけら」はその原点とも言える作品なのです。

これ以上語ると次回のネタが無くなってしまうので、今回はここまでにしておきましょうか。

その次にお贈りするのは「バウンティフルへの旅」です。いわゆるロードムービーのくくりで考えて良いかと思います。

これについては、そのコラムまでお待ちください。

どうしてもと言う方は、ネット上で作品等については調べがつくとは思いますが、残念ながら国内ではDVD化されていません。

私も、極力ネタバレしないように書きますので、どうかそれまでお待ちくださいませ。


それでは、また!


1971年アメリカ映画 102分

製作 ロバート・デイリー

監督 クリント・イーストウッド

脚本 ジョー・ヘイムズ/ディーン・リズナー

出演 クリント・イーストウッド ジェシカ・ウォルター ドナ・ミルズ ジョン・ラーチ ジャック・ギン アイリーン・ハーヴィー ジェームズ・マッキーチン クラリス・テイラー

2006年12月3日日曜日

ファイヤーフォックス

1982年と言えば、印象的で多種多様な映画の残る年です。

以前のコラムで紹介した「E.T.」「ランボー」や、アカデミー賞受賞の「炎のランナー」(製作国公開は1981年)など、偏らないジャンルでの傑作が多数輩出されました。

「E.T.」はSFでありながら感動ドラマ。「ランボー」はアクションの名を借りた社会派作品。「炎のランナー」は20世紀初頭に実在した人間ををもとに描いたドラマであるにも関わらず、それまでのオーケストラを多用した映画音楽とは違うシンセサイザーによる印象的なタイトル曲。

などなど、実験的ではないが新しい形に取り組んだ作品が数多く作られています。

この「ファイヤーフォックス」も、その中のひとつに数えても良い作品でしょう。

その理由は、物語の構成にあります。

前半は主人公がソビエトに潜入して、最新鋭機を奪取するまでを描いたスパイ映画的展開。

後半はその最新鋭機で敵地をかいくぐりながら、アメリカへ帰還させるアクション的な展開。

一見、相性の悪そうな組み合わせを描き切っているのです。

映画のタイトルにもなった通称「ファイヤーフォックス」ミグ31は実在しない機体なので、当然実機など存在しません。実物大はハリボテで空を飛ぶ事は出来ませんし、空中戦などのシーンではミニチュアが使われているのは、画像を見るからにも明らかです。

当時のVFX技術は「スターウォーズ」などが生み出した進化によって以前とは比べ物にならない程見応えのあるものでしたが、それは実在しないものを作るからリアルに見えるのであって、地球上の風景等とミニチュアの合成は、まだまだ技術的に難しい状況でした。

この映画で特殊効果を担当したのは「スターウォーズ」と同じ人であるにも関わらず、今その映像を見ると様々な違和感があるのは致し方ない事でしょう。

例えば、空中戦の最中に両機が見せる横方向の不自然な動き。

例えば、氷原の上を飛ぶ機体の色合いが違っている。

など、映画を見慣れていない人が見ても不自然と感じるレベルであります。

しかしそこに敢えて取り組み、緊張感のある空中戦を作り出した行動は賞賛に値します。

そしてこの時のVFXの苦労が、後のイーストウッド監督作品「スペースカウボーイ」にも反映されているのでしょう。

個人的に好きな作品なので、いつかこちらのコラムも書きたいとは思っています。

さて脱線してしまったので、元に戻します。

これから書く内容は、私が今回見直して初めて感じた事なので正しいと言えるかどうかは分かりませんが、

私なりに考えた事なので、どうか書く事をお許しください。

前もってお断りしますが、決して批判ではありません。

この映画が製作されて24年が経ちますが、その間に進化していった映画から感じ学んだ事なので、今リメイクが作られるとしたら、こうすると面白いのではと解釈して下さい。

私が特に気になったのは、前半と後半での見せ方の違いです。

前半はスパイ&サスペンス色が強いせいなのでしょうか、事象の説明に言葉を多用しています。

限りのある時間で説明するには致し方ないのでしょうが、これは工夫次第で見せる説明に代えられるはずです。

後半の空中戦とのバランスを考えると、「語る」のではなく「見せる」べきなのです。

空中戦を「語る」事では表現出来ませんよね?もし出来たとしても、その迫力は無いに等しくなってしまうでしょう。

私が感じたのはこの1点だけでしたが、あなたは他に何か感じた事はありましたか?

ここをこうしたら、この映画はもっと良くなるなんて考えると、また違った楽しみに出会えるかもしれませんよ。


同じ年に公開された「ブルーサンダー」と言う映画をご存知でしょうか?

簡単に紹介すると・・・

1984年のロサンゼルスオリンピックの為に開発された新型ヘリコプターと、その陰に潜む陰謀を描いた物語です。もちろん戦争映画ではないのですが、こちらも変わった組み合わせの映画と言えるのです。

新型ヘリコプター「ブルーサンダー」は、今で言うところのテロ等の暴動を鎮圧させる為の装備が満載された「兵器」なのです。現在を見越したような、市街地と兵器と言う組み合わせもさることながら、ヘリコプターでの空中戦も登場するなど、観る者を飽きさせない工夫がされています。

そしてこの映画で最も私が素晴らしいと感じたのは、実在しない機体ながら実在するヘリコプターを改造し、さも新型兵器のように造り上げた事です。

実際に飛ばす事が出来る為リアリティーは抜群ですし、ラスト近くの空中戦も迫力満点です。

これが「ファイヤーフォックス」には足りなかった点と言えるのではないでしょうか?

しかしその為に見えなくなってしまった事もあります。

それについては、みなさんに映画を観ていただいて判断するとしましょう。

なにせ、私ももう10年くらい「ブルーサンダー」を観ていませんので。

ちなみにDVDはリリースされています。


さてこの映画でのサスペンス色は、イーストウッド監督によって見事に描かれています。

例えば、視覚的に過去の傷を描いたオープニング。

例えば、主人公の緊張を色で表現した、緊迫感溢れるシャワーシーン等々。

ここまでに10本近くの作品で監督を務められただけの事はあります。

そして監督は、現在もその製作意欲が衰える事はありません。

今現在公開されている「父親たちの星条旗」と「硫黄島の手紙」はその究極とも言えるかもしれません。

いままで一方的な視点で描かれる事が多かった戦争映画を、それぞれの視点で描く事によって大きな意味を生み出す実験的な作品と、私は捉えています。

果たして欧米の人は、日本の視点から戦争を見てどう感じるのでしょうか?

非常に気になる事ではありますが、それはいずれ聞こえてくるでしょう。

出来ればその前に、私もアメリカの視点での戦争を知りたいと思います。


さて、来週は我が親友STONEオススメのイーストウッド監督作品「恐怖のメロディ」をお贈りしたいと思います。

私のコラムの趣旨からはちょっと外れるのですが、未見の作品を初めて観て感じたことを素直に書き記したいと思います。


それでは、また!


1982年アメリカ映画 124分

製作総指揮 フリッツ・メインズ

監督・製作 クリント・イーストウッド

原作    クレイグ・トーマス

音楽    モーリス・ジャール

出演    クリント・イーストウッド フレディー・ジョーンズ デヴィッド・ハフマン ウォーレン・クラーク 他

2006年11月19日日曜日

アイアンジャイアント

・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。


どうでしたか、この映画?

日本のロボットアニメとはひと味違う出来だったとは思いませんか?

もちろん日本のロボットアニメは素晴らしいと思いますが、この映画にはジャパニメーションとは違うアメリカらしさがしっかりと息づいていて、それでいて内に秘めた感情を大切にしている、愛情のこもった作品だと、私は思うのです。

例えば、決して格好良くはない「ジャイアント」

ひょろひょろな足とおなか、ウルトラマンのようにシンプルな顔立ちで、決して怖くは感じさせないデザイン。しかし物語の後半では武器として目覚め、様相を一気に変えるだけでなく、一見頼りない程のデザインが、実は武器として合理的である事を伺わせています。

そんな合理的な一面を覗かせるデザインでありながら、もう一方では、人間に安心を感じさせてもいます。

ジャイアントの表情は少ないパーツとは思えない程、多用で、怒りや喜び、迷いや苛立ちをしっかりと表現しています。

この映画では、ロボットが「ただのロボット」ではないのです。

最後まで分からない「ジャイアント」の正体ですが、これも映画製作者の愛情の現れでは無いでしょうか?

侵略者なのか、迷い込んだ兵器なのか、それとも独特な進化を遂げた宇宙人なのか。

結局明かされません。

そう、大切なのはこの物語が、少年に助けられたロボットが人間の感情を学んで、少年と共に成長して行く物語なのですから。


物語は1957年のアメリカの片田舎が舞台。

時代はまさに、冷戦のまっただ中。

平和が国民を覆い尽くしているように見える社会の裏で、実は同胞たちが平気に裏切りを行っていた悲しい時代です。

その考え方は、戦前を知っている政府のエージェントのやり方にも反映されています。

物語中盤で、主人公のホーガス少年を尋問するシーンを思い出して下さい。

実際に、こうして子供まで尋問したかどうかは定かではありませんが、「赤狩り」と称した罪も無い人々に因縁をつけて吊るし上げる行為が行われていた時代です。信憑性を感じさせてしまいます。

そして一方のホーガス少年は、戦争を知らない世代の代表として描かれています。

例えば、ジャイアントが兵器としての一端を臭わせ始めたシーン。

ホーガス少年はこう言います。

「事故だよ、彼は友達だ」

生き死にが蔓延していた時代を知らない少年らしい言葉とも言えるのではないでしょうか?

そのお人好しとも思える言葉の原因のひとつとして、嘘を教え込まれてる事が挙げられます。

核攻撃の脅威を描きながら、落ち着いて机の下に潜れば安全と映画での教育を受けて、他国の脅威だけを大げさに植え込み、本当の脅威は「核を持っている事実」と言う事から視点をそらしています。

日本人ならその当時既に核の脅威を知っていたのでそんな嘘にはだまされませんが、「攻撃」を受けた事が無い人々に取っては、政府の宣伝こそが真実と疑わなかったのは明らかです。なぜなら、「敵は全て悪」なのですから。

敵が存在する厳しい世界で生き抜くには、嘘は必要なのかもしれません。しかし、自分に正直である事がもっと大事、とこの映画は訴えているのではないでしょうか?

それは悲しいラストシーン(正確にはオチがあるのですが・・・)で、見ている人に痛い程伝わります。

武器であるジャイアントが、少年と交流を深めている間に学んだ「死の悲しみ」を繰り返さない為に、己の意思で核爆弾へと向かって行くシーンです。

このシーンは、何度観ても涙があふれます。

ミサイルに向かって行く、まさにその瞬間のジャイアントの表情は、どの名役者にも勝る程の表情です。

敢えて言葉に例えるなら、「ボク、ジュウジャナイ。ボク、ニンゲン。」でしょうか。

人間でさえも難しい「自己犠牲」を、子供から学んだ純粋な心を持ったロボットが実践するその姿には、何ものにも代え難い感動を覚えます。


さて、今回私は、この映画を観ながらふと気づいた事があります。

それは世界的大ヒット作との共通点が多い事です。

世の中に映画と呼べるものは星の数程あります。そして残念ながら、似通った作品も多々あるのも事実です。

しかし、それを「真似」とくくるだけで良いのでしょうか?

例えば、少年とジャイアントの出会いのシーン。

暗闇にひとりぼっちの少年は謎の物体の正体をつかむ為に、恐る恐る闇の中を歩いて行きます。

それから、このシーン。

謎の物体にもう一度出会いたいが為に、少年の取った行動は、至って簡単。

食べ物で罠を仕掛けるのです。

それから、これはどうでしょう?

言葉を知らないジャイアントが片言の英語を覚えながら少年と交流を深めて行き、別れの言葉は、たった数個の単語だけなのに、感動を誘う。

まさに「E.T.」そのままなのです。

でもよく考えてみて下さい。

映画としては似通っていますが、この行動は常に日常生活に潜んでいる行動では無いでしょうか?

小さい頃、暗闇に恐怖を抱きながらもその中へ身を投じたのはなぜでしょう。

鳥や犬、猫を捕まえる為に餌を置いたりしたの記憶はないですか?

家族とはぐれた時、もう会えないと思っていた両親に逢えた時に、長い言葉を発するでしょうか?

そう、そのどれもが、当たり前の行動なのです。

子供たちが感動する映画に必要なのは、嘘ではなく、日常に潜む行動なのでは無いでしょうか?

と同時に、大人が子供時代を振り返り涙する理由も、ここにあるのです。

大まかな筋は別として、細かなシーンや設定が似通うと言うのは、必ずしも真似事ではないとこが分かっていただけるかと思います。

必要だから似てしまうのです。


この映画のもうひとつ素晴らしい点を上げるとするならば、立派な映画として成り立つ要素のひとつ「音楽」が、決して手を抜かずにしっかりと作られ、的を射た使い方をしている点です。

恐怖を盛り上げるシーンでは心を震わせる激しい旋律を、驚きや笑いを演出し、そして感情の無いはずのロボットに感情移入させてしまう「心」を表現した音楽。

この映画を感動的に仕上げた、陰の主役とも言えるのではないでしょうか?


どうです?たまにはアニメを観るのもいいとは思いませんか?

「漫画」だから、と敬遠するのは損ですよ。

それを言ってしまったら、映画だって平らな長方形に写る「嘘」になってしまいますから。


これからも時々、アニメを紹介して行きたいと思います。

どうか、「またかよ」なんて思わずにお付合いください。


さて次回は、現在

太平洋戦争を描いた作品が公開中の、クリント・イーストウッド監督主演の「ファイヤーフォックス」をお贈りします。

現在を生きる私たちから観ると、今回の「アイアン・ジャイアント」と同じく過去の出来事を描いた作品になりますが、この映画が公開された当時はまさに冷戦が続いていた時代であり、ちょっとややこしいですが当時はまさに「今を」描いていた訳です。

過去を描くのと、今を描く違いが現れていて、作品の善し悪しとはまた違った意味で楽しめる作品でもあります。


それでは、また!


1999年アメリカ映画 87分

製作総指揮 ピート・タウンゼント

製作    アリソン・アーバーテ

監督・原案 ブラッド・バード

原作    テッド・ヒューズ「アイアン・マン」

声の出演  ジェニファー・アニストン ハリー・コニックJr ヴィン・ディーゼル イーライ・マリエンタール 他

2006年11月12日日曜日

ペイ・フォワード

・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。


この映画は、良い意味でアメリカ的な内容であり、でも今のアメリカに足りないものを描いています。

良い意味とは、内容に何処か楽観的に感じられる節があること。

楽観的と言う表現が適切ではないかもしれませんが、物語の中のエピソードを表面上だけであまり深く描いていません。

物語が成り立つ上での小さな出来事は別としても、大事なエピソードにもそれを感じられます。

物語が長過ぎないように削った結果かもしれませんが、浅いエピソードの積み重ねがこの映画を支えています。

例えば、麻薬中毒になりかけのホームレスの話。

少年が助け更生しかかったけれど、結局またクスリに溺れてしまいます。

そして忘れれかけていた頃に再び登場しますが、死のうとしている女性を見つけた時に、突然再び改心します。

その心が女性を助ける訳ですが、クスリに溺れるに至るホームレスに何があったのかは描かれていません。

主役ではないから必要ないと言われればそれまでの事なのかもしれませんが、少年に勇気を持たせる切っ掛けになった出来事なのに、もっと深く描く必要があるのでは?と思います。

それから、母親と祖母の間にあった過去。物語の中で触れられるのは終盤に差し掛かってから。しかも会話だけでしか描かれていません。短い会話の中だけなのに、それはそれは酷い過去のように感じ取れます。

酷い過去を、息子との約束を守ると言う為だけに振り切れるのでしょうか?答えは限りなくNOに近いでしょう。どれだけ愛情が深くても、憎しみはそれ以上である場合がほとんどなのです。

まわりから見てなぜ仲直りできない?と思える程くだらない事でも、その根底にあるのは長い間につもってしまった憎しみだったりします。

そんな下らない事、切り捨てちまえよ!他人ならその一言で解決できると思うでしょう。

でも実際はそうではありません。みなさんにも良くお分かりの事でしょう。

しかし、この映画の主人公は少年ならではの視点(言い換えれば世間知らず)で先生の過去と、母親の過ちについて、なんとかしようと努力しています。

学校の課題で思いついた事、だったからかもしれません。

でもそこに到るには、少年の心に何かつもるものがあった訳です。

話がそれてしまいましたが、浅いエピソードを描くには理由があるのでは、と私は思います。

今の私たちは、常に全体を見て生きているのではないでしょうか?

知らなくても良い情報まで簡単に手に出来て、しかもその情報はすぐに知る事が出来、物事の結果もすぐに分かってしまう。

今の時代、貧しい国でなければ何でも手に入る世の中なのです。

だから常に全体を見て動いている。エコロジーを考える人を例にすれば、よくわかるでしょう。

地球が大変な事になっているから、少しでも地球の負担を減らそうとしているではないでしょうか。

これがもし、自然環境破壊とか資源枯渇を知らなかったらどうでしょう?

恐らくほとんどの人は気にしないと思います。

与えられたものを、当たり前に消費したり、受け入れたりするはずです。

つまり何が言いたいのかと言うと、こう言う事です。

物事は全て、個々の出来事の何らかのつながりで成り立っています。私たちは全体を見ているつもりで、実はその個々に振り回され生きているのです。もちろん個々を見る事は大事です。でも決して的確な目で見ているとは言えないのも実情です。

浅く広く見る事が出来ないが為に、振り回されてしまう。浅く広く物事を見れば、細かな、そしてケチな理由に振り回されなくなるはず。

小さなエピソードの積み重ねで大きな意味を描くと言う映画のひとつの手法と、人間世界を絡めながら描いていると、私には思えるのです。

そしてもっと大事な事は、悲観的にならないこと。

悲観的ではないから楽観的とは限りませんが、悲観的でなければ悪い出来事も「良い」と思える切っ掛けをくれるはずです。

例えば、あなたが事故にあったとします。

あなたの乗っている愛車が廃車になるほどメチャメチャに壊れ、あなたも怪我をします。

どう思うでしょうか?

嫌な目にあった、とか、この後色々な処理があって面倒だ、とか、そう、誰もが思うのはついていなかった、等と考えるでしょう。

でもこう考えたらどうでしょうか?

これ以上ひどい怪我をしなくて良かった、とか、生きているからこそ出来るんだ、とか、究極は、死ななくて良かった、と。

どうです?同じ出来事、しかも悲劇的な内容も、考え方次第で明日への糧になり得るのです。

物語の小さな個々のエピソードは、どれも楽観的と取れます。新車のジャガーを差し出した男も、診察の順番を力づくで譲ろうとした彼も、その彼が警察に追われてるのを助けた祖母も、どれも浅いエピソードであるが故に、そんなことあるのだろうか?と思える程に楽観的な内容です。

でも決して下らないのではないのです。

困っている人からすれば、理由等関係ない訳だし、楽観的な理由だとしても善意は善意なのです。

自分に取ってはつまらない出来事や行動でも、それを必要としている人は必ず居るのです。


人間は細かい事にこだわり過ぎ、知りすぎたが為に世界を狭くしているのではないでしょうか?

今のアメリカに足りないのは、そこだと私は思います。

困っている人に、下らない小さな事でも手を差し伸べると言う行動が、世界の平和を守る為と言う理由より、遥かに優れているのです。

いや、優れているはずなのです。

私は、そう信じたいと思います。


少年の些細な行動は、静かに世界を動かして行きます。

もちろん少年も、そして「Pay it forward」に関わった全ての人たちもそんな事は気にしていなかったでしょう。

でも、些細な事でも、小さな積み重ねでも、それが確実に何かを変えて行く切っ掛けになりうるのです。

淡々と進む物語ですが、その奥に秘めた理由は、単純であり、とてつもなく大きなものです。

しかし、その単純な事を、今の私たちはしているでしょうか?

いや、していなくとも、する努力をしているでしょうか?


もう一度胸に手を当てて考えてみて下さい。

そして、今のあなたに出来る事を、もう一度見つめ直して下さい。


この映画のラストは衝撃的であり、感動的です。

果たして少年の死は必要だったのでしょうか?

私は声を大にして、Yesと言います。

死んで可哀想と思う方が多いでしょうが、それは違います。

少年は、死ぬかもしれないと結果を考えたのではなく、今すぐにするべき事を選択したのです。

今を悔やまない為に、そして大切な友達の為に、無我夢中に戦ったのです。

そしてその些細とも思える理由が、世界を動かす事になるとは、全く思わずに・・・


ラストシーンで、群衆が抱えるいくつもの小さなロウソクは、胸に残る名シーンです。

死後放送されたインタビューで、願いが叶わない理由を少年はこう語っています。

「遅すぎる。もうロウソクを吹き消したから。」

この言葉に、少年は大きな意味を秘めた訳ではありません。

でもこの言葉と、少年が死んでしまったと言う事実に、多くの人は心を動かされるのです。

少年は死んでも、願いは生きている。生き続けさせなければならない。

その象徴が、ロウソクの炎であり、永遠に絶やさなければ、いつまでも願いは叶い続けるはずなのです。

そんな意味があると思いながら、是非もう一度この映画をご覧ください。

ラストシーンの涙が、今まで以上に美しく流れる事でしょう。


さて、感動ものが続きましたが、もう1作お付合いください。

次回は、これまで50作近く書いてきた中で、ひとつも扱ってこなかったジャンルです。

それは「アニメ」です。

ただ紹介するのもつまらないので、ここはkiyohiko流に、良い映画だけどあまり知られていない作品を扱おうかと思います。

次回作は「アイアンジャイアント」です。

アニメなんて子供向けだろ?なんて思わずに是非見て下さい。

後悔しない作品ですから。


それでは、また!


2000年アメリカ映画 124分

監督 ミミ・レダー

脚本 レスリー・ディクソン

音楽 トーマス・ニューマン

出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント ケビン・スペイシー ヘレン・ハント 他

2006年11月4日土曜日

ショーシャンクの空に

・・・今回はネタバレ注意・・・映画本編をご覧になってからお読みください。


まずは、一ヶ月も更新できなかった事をお許しください。

例年この時期、知り合いの参加する祭りのビデオ撮影と編集で忙しくなるのですが、今年は別の知り合いにもビデオ撮影と編集を頼まれ、その両方に手間取ってしまい、ここまで時間がかかってしまったのです。

長らくこちらを留守にしてしまい、申し訳ありませんでした。

そのビデオもほとんど完成しましたので、これからは毎週末こちらに専念出来ます。

遅れてしまったお詫びもかねて今週から年末まで、毎週更新を目指します。

どうぞよろしくお願い致します。


さて、密室系映画のオススメ、最後を飾るのはスティーブン・キング原作の「ショーシャンクの空に」です。

前回までのコラムで密室のあり方をいくつか紹介しましたが、今回はその究極とも言える形です。

物語の舞台が「刑務所」だからです。

そこは常に監視され、常に鬱積したものが渦巻いて、希望のない悪の巣窟でもあります。

罪を犯したものが償う為に閉じ込められる場所でありながら、すぐに出られるものもいれば一生出る事の出来ないものもいて、一見公平に見える服役囚にも世の中と同じようにバラツキや差別があります。

当然ながら、監視する側の人間にも悪に染まるものがいます。

「刑務所」と言うのは、多種多様の人生がそこに見え隠れし、人間ドラマを描くには好材料です。日本でも刑務所を題材にした映画やドラマが多数存在する事からも分かると思います。

しかし、この映画は他の刑務所映画とは明らかに違う点があります。

まずは主人公が「無実」である事です。

もっとも「無実」は途中から分かること。それまでは、犯人かもしれないと言う匂いを感じさせつつ物語が進んでいるのは、ご覧になった皆様にはお分かりでしょう。この事実がただの感動ドラマでは終わらない所以でもあります。

もうひとつは「希望を抱くな」と言う台詞を使いながらも物語が主人公の努力で数々の救いを生み出していると言うこと。

当初は仲間さえもいなかった主人公が、元銀行員の知識と知恵を生かし切っ掛けを作り、次第に打ち解け合い、刑務所ではあり得なかった出来事を次々と実現させて行きます。

映画と言う尺の中でいとも簡単に実現しているようですが、実際には何年もかかっている訳で、我慢と苦労の連続である事を忘れてはなりません。

たびたび暴行に遭っても、ひたすら我慢し、時を待つ。

図書館の本を増やすにも、毎週の努力の積み重ね。

所長の会計へ就く事も、それまでの刑務官への奉仕で得た信頼の賜物。

すべては、努力と苦労の上で成り立っているのです。

そう「希望」は、努力と苦労をしない人の上ではただの夢物語であり、主人公のように耐え忍び努力をする人間には、いつか成し遂げる事の出来る現実であるのです。

私は既に何度もこの映画を見てきましたが、あるシーンでいつも感じる事があります。

それは、所長が主人公に磨かせた靴を箱から取り出そうとする瞬間、サイレンの音が署内に鳴り響くシーンです。

この瞬間「すべては報われた!」そう思うのです。

なぜそう思うのかは、ここまで読まれた方はもうお分かりですよね?

主人公が与えた数々の「救い」が、己にかえってきた時の喜びです。

世の宗教もそうですが、何事にも見返りを求めてはいけません。それは欲と言う災いを連れてきます。

真犯人がいると言う事実を知った主人公は、一度その欲で失敗をしています。

今まで尽くしてきた所長なら自分を助けてくれるだろう、と言う欲です。

では主人公は全くの無欲だったのでしょうか?

私はそうは思いません。人間ですから、多少の見返りと計算はしていたでしょう。

でも生きる為、生き延びるために必死にあらゆる手を尽くしてきたのです。

最初にこの映画を見た時にはラスト30分の脱獄シーンが大逆転劇であり、その印象に映画の意味を見失っていました。

でも2度目からは、違いました。

どれだけ絶望の縁にいても、常に誰かのためになる事を続けなければならない。

もちろん見返りは期待するな。

でも信じる心があれば、いつか報われるはずだから。

そう感じるようになったのです。

人の死や裏切り、自殺等を描きながらも、この映画は純粋です。

映画を観た人すべてを、そんな気持ちにさせるほどの魅力の詰まった作品なのです。


最後にこれだけを付け加えさせて下さい。

私はいかなる宗教にも属していません。

でも霊や神様が居るかと言われたら、居るかもしれない、と答えるでしょう。

玉虫色だな・・・と言われるかもしれませんが、そうではありません。

大事なのは、そこに存在するのか?では無く、信じる気持ちだと思うのです。

私はこの映画でその大切さを学びました。

みなさんはどう感じましたか?


さて、まだまだ紹介したい作品はたくさんあるのですが、密室系映画の紹介はここで一度終わりにします。

次週は、「信じる気持ち」の大切さを訴えた作品、


「ペイ・フォワード」


をお贈りしたいと思います。

今回の「ショーシャンクの空に」で感動された方には、同様の感動を与えてくれる作品です。

未見の方はぜひ、ご覧ください。


それでは、また!


1994年アメリカ映画 142分

監督 フランク・ダラボン

脚本 フランク・ダラボン

音楽 トーマス・ニューマン

原作 スティーブン・キング

出演 ティム・ロビンス モーガン・フリーマン クランシー・ブラウン 他