2009年9月29日火曜日

秋桜〜コスモス〜(情報編)

昨晩(正確には今日未明)、かなり久しぶりに「秋桜~コスモス~」が日本テレビで放映されました。

深夜にも関わらず、相当数(放送時間中で400近く)のアクセスがこちらのホームページにあり、驚いている次第です。

そこで急遽、情報の少ないこの作品について、幾つか記して行こうかと思います。

まずは録画し忘れて、でもこの作品を欲しいと思った方の為に、販売についてです。

残念ながら国内ではビデオのみの流通です。今日現在、発売元ではまだ僅かながら在庫を持っているようですので、こちらをご覧下さい。


http://www.vap-shop.jp/shop/ProductDetail.do?pid=VPVT-64439(VAP通販サイト)


それから、すずきじゅんいち監督が現在仕事の拠点として活躍されているアメリカではDVDが発売されています。ただ残念ながらビデオテープを元にDVD化したようで、画質はビデオ版並み、かつ英語字幕が表示されたままになります。あまりお薦め出来ませんが、日本国内で発売されていない現状を考えると長期保存にはこちらが適しているかと思われます。


http://www.amazon.com/Remembering-Cosmos-Flower-Mari-Natsuki/dp/1892649438/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=dvd&qid=1254168266&sr=1-1(AMAZONアメリカサイト)


そしてこの作品を造るにあたって主導的な役割を果たした「もとみや青年会議所」のホームページはこちらです。


http://www.motomiya-jc.jp/


今回、放送をリアルタイムで観ていたのですが、公開されて12年経った今でも、いつも同じ場面で涙します。改めてこの映画の凄さを感じている次第です。


この作品についての私の感想等は、以下のリンク先をご覧下さい。


秋桜~コスモス~ 紹介編

秋桜~コスモス~ ネタバレ編


さて余談になりますが、この映画にはある有名人が出演しています。

その方は役者としても活躍されていますが、どちらかと言うとお笑いにシフトを置いているようです。

あえて名前は記しませんが、どうしても気になると言う方はこちらをご覧下さいませ。

きっとビックリすると思いますよ。



映画データ


1997年日本映画 103分


企画   社団法人もとみや青年会議所

製作   映画「秋桜」製作委員会

     フィルムヴォイス

     日本テレビ放送網

     もとみや青年会議所

     オフォス・マインド

     フォーラム運営委員会

     バップ

監督   すずきじゅんいち

原作   すずきじゅんいち

脚本   すずきじゅんいち

     小杉哲大

撮影監督 田中一成

撮影   奈良一彦

照明   安河内央之

録音   久保田幸雄

美術   稲垣尚夫

音楽   佐村河内守

編集   掛須秀一

助監督  永岡久明

医事監修 山口剛

出演   小田茜 松下恵 夏木マリ 宍戸開 石井愃一 藤田敏八 川内民夫 榊原るみ 宍戸錠 山岡久乃 他

2009年7月5日日曜日

富士山頂

日本で一番愛され、日本で一番有名な俳優は?と聴かれたら、あなたは誰の名前を挙げますか?

おそらく一番多い答えが「石原裕次郎」でしょう。
リアルタイムで彼の映画を観ていない私でさえそう答えるほどに偉大で、日本の映画史と日本人の生き様に多大な影響を与えた存在と言っても過言ではないはずです。
昨日7月4日と、今日7月5日、テレビ朝日系列では石原裕次郎さんの23回忌法要と言うことで、大々的に特集が組まれました。
そしてその一環として、これまでビデオ化もDVD化もされていない幻の作品が放映されました。
(地上波初放送と銘打っていましたが、後に初ではないことが判明したようでテレビ朝日の特集ページには訂正が載っていました)

その作品の名は「富士山頂」

それまでの映画界の常識を打ち破り、撮りたい映画を撮るため造られたと言える「黒部の太陽」。
大ヒットしたその作品に次いで造られた作品です。
私はこの作品が公開された当時、まだ幼かったので作品のことは全く知りませんでした。
正直に言うと、この作品の存在を知ったのもつい最近のことです。
夕べの特集で触れられていましたが「黒部の太陽」に次いで、この作品も日本国内で年間の1位をとった作品なのだとか。
ではなぜ、それほどまでに有名な作品を、私は知らなかったのでしょう?
それは、おそらく私だけではないと思います。
なぜなら、私たち以降の世代は「石原裕次郎」と言えばTVでしか見ていないからなのです。
「太陽にほえろ」や「大都会」「西武警察」などのイメージしかないのです。
以前「甦える大地」をお贈りした際に触れませんでしたが、地元で撮影された作品にも関わらず、その存在は私が20歳を超えるまで知りませんでした。
なぜなら、その作品を観る機会が全く無かったからなのです。私よりも若干年上の住民は公開当時とそれ以降、観る機会があったようなのですが、残念ながらビデオ化されていない為、私たち以降の世代にとっては地元であるにも関わらず幻の作品だったのです。
幸いなことに、私が「甦える大地」を取り上げた後、かしま青年会議所の有志により一昨年の10月14日に上映会が実施されました。
残念ながら私は行けませんでしたが、撮影を担当された金宇満司さんや主人公のモデルとなった国会議員の野呂田芳成先生の貴重な講演も交え、遠方から石原裕次郎ファンが駆けつけるほど盛況だったと聞きました。
こうして観る機会が与えられるだけでも、私たち地元は、実は恵まれた環境なのかも知れません。
それほどまでに、映画俳優「石原裕次郎」の後期作品は幻なのです。

さてご覧になっていない方の為に、簡単にあらすじを紹介したいと思います。

三菱電機社員の梅原(石原裕次郎)は上司の命令で、あるプロジェクトに携わろうとしていた。
それは日本一過酷な環境の富士山頂に、日本全土をカバーする気象レーダーを設置すること。
その計画を推し進めていたのは気象庁で働く葛木(芦田伸介)。主計局の役人を何とか説得し、予算を取付けるがそこには大きな問題が経ちはだかっていた。
まず莫大な量の資材をいかにして運ぶかと言うこと。馬と人手での運搬には限界がある。登山道の問題で自動車での運搬は不可能。
次に問題なのは、建設に適した気象条件が年に2ヶ月も無いこと。冬場はもちろん無理だが、雪が無くならなければ建設は出来ない。しかも山に慣れない人間が登ればたちまち高山病に襲われ、その苦しみは計り知れない。人間の忍耐も試される場所なのだ。
そして一番の問題は期限が区切られていると言うことだった。
その期限は2年。不可能に近いと言っても過言ではない、悪条件の数々。
それでも梅原は諦めなかった。
まずは建設に適した場所であるかどうかを調べる為の、地質調査の為の登山。
大成建設社員伊石(山崎努)や、それまで馬での荷物運搬を生業としていた朝吉(勝新太郎)を巻き込み、日本史に残る大仕事が、今まさに始まろうとしていた・・・

さてご覧になった皆様、いかがでしたか?
そのスケールの大きさは、例えようが無いほど素晴らしかったですよね。
豪華な顔ぶれもさることながら、石原裕次郎さんを始め、既に亡くなられた俳優の多さに時の流れを感じずにはいられませんでした。
まだ公害の影響が少ない青く透き通る美しい空や、まだ開発がされていない富士山麓の映像も素晴らしいですが、音楽も忘れてはなりません。
オーケストラで演奏された壮大な音楽と、冬の富士山の映像が相まって、自然の雄大さを見事に表現しているオープニングのスタッフロールは、現在の映画では決して真似の出来ない素晴らしさです。
「甦える大地」にも共通して言えることですが、忘れられないほどに美しい景色と、その当時の映画音楽が、ある種の何とも言えない感動を味合わせてくれています。
この作品で印象的だったのはドーム運搬決行日、朝の風景。富士山頂で、雲の隙間から漏れる朝日を複雑な表情で見つめる勝新太郎さんの心情と相まって、言い知れぬ達成感を私たち観客に味合わせてくれます。
「甦える大地」でもある役者が出演するシーンが印象的なのですが、それに関しては今は触れないでおきましょう。未見の方には秘密にしておいた方が良いかもしれませんからね。
さて初見の私の感想ですが、映画作りに命を懸ける石原裕次郎さんの生き様を感じずにはいられない素晴らしい内容でした。
「黒部の太陽」以降の作品に共通している「戦後の日本を支え復興した男たちの生き様と熱意」が、男、石原裕次郎の生き様にだぶって見えたのは、決して私だけではないでしょう。
この作品の素晴らしさは、それだけではありません。環境問題が取りざたされている昨今、あれだけの規模の撮影を実際に富士山することは、現在では不可能でしょう。
そう言う意味でも、歴史的に価値のある作品です。それだけに、簡単に観られない現状は残念と言えます。
では、なぜDVD化しないのでしょうか?
確かに「映画は映画館で」と言う裕次郎さんの意思は尊重するべきだと思います。
しかしもし裕次郎さんが今も生きていて、DVDやブルーレイの画質の良さや、液晶テレビの美しさ、そして映画館を凌駕するほどのホームシアターの音響、その全てを裕次郎さんが体感していたら、どう思うでしょうか?
もしもの話は適切ではないかもしれませんが、きっと多くのファンに作品を観てもらおうと思ったに違いありません。
何より忘れてはならないのは、裕次郎さんが亡くなって23年。その間に沢山のファンが寿命を迎え、いつか・・・と夢見ながら観ることが叶わず旅立っているのです。
個人の意志が尊重される為に、ファンの心が犠牲になっても良いのでしょうか?
私は、違うと思います。
ファンを第一に思う人なら、己のこだわりでなく、まずはファンのことを考えるはずです。
・・・いや、ここまでにしておきましょう。私が何を言おうと、決定するのは石原プロモーションなのですから。
ただ、これだけは言えます。今回放送された「富士山頂」は大切に保管されていたフィルムとは言え、細かいノイズが目立っていました。特に後半は明らかに分かるほどに。
アナログは、そのままでは劣化していくだけなのです。いくら大切にしていても、です。
ならばどうすれば良いのでしょう?
海外では一般的な、デジタル化による修復が最有力です。その為には莫大な資金が必要です。
こう考えたらどうでしょう?
後世にこの素晴らしい作品群を残す為、デジタルで修復をし、その資金の為にDVDやブルーレイを販売するのです。
それをする為に残された時間は、決して短くないはずです。
観たいと欲するファンの命には、限りがあるのですから。
するべき次期は今、そう言っても過言ではないと思います。
一般人である私が、だいぶ生意気なことを言っているように思われるでしょうが、私も作品の舞台となった地元に暮らす一住人、その声であることを忘れないで下さい。

さて、通常、映画をTV放映する際はCM前とあけに、放映している番組名や作品名が画面端に表示されます。
ご覧になった方は気づかれたかと思いますが、今回の「富士山頂」ではそれがありませんでした。
なぜでしょう?
おそらく、それは「映画は映画館で」と言う石原裕次郎さんの意思に、少しでも近づける為だったのだと思います。
CMはスポンサーの都合上入れない訳にはいきませんから、せめて本編放送中は映画館に近い環境にしたかったのでしょう。
「映画は映画館で」と言う故人の意思と、多くのファンの為に行ったTV放映。
一見、矛盾するこのふたつを、上手く取持って叶ったのが、今回のこのイベントです。
そう言う意味では、裕次郎さんの意思と、ファンの熱意が歩み寄った貴重な瞬間だったと言えます。
そんな素晴らしい時間を共有出来たことを、一映画ファンとして光栄に思わずにはいられない、そんな2日間でした。

さて次回は、もうひとつの幻の作品「甦える大地」のあらすじを書き記したいと思います。
そのあらすじを記したホームページはほぼ皆無に等しいので、もしDVD化されなかった場合の語り部は誰かがするべきです。
余計なお世話と思いつつ、私がその一翼を担えれば幸いです。

それでは、また!!



1970年日本映画 107分(テレビ朝日放映時)


製作  石原裕次郎 二橋進悟 久保圭之介
協力  三菱電機株式会社 三菱重工業株式会社 大成建設株式会社
    朝日ヘリコプター株式会社 気象庁
監督  村野鐵太郎
原作  新田次郎
脚本  国弘威雄
撮影  金宇満司
照明  椎葉昇
録音  紅谷愃一
美術  横尾嘉良
編集  渡辺士郎
助監督 近藤治夫
音楽  黛敏郎 肥後一郎
出演  石原裕次郎 芦田伸介 山崎努 勝新太郎 渡哲也
    宇野重吉 東野英二郎 星由里子 市原悦子 中谷一郎 田中邦衛 他

2009年6月30日火曜日

バウンス ko GALS

なんとかギリギリ6月中に更新です(笑)と言っても、これを読まれる方は7月だと思いますが・・・


まずは最初に訂正です。

以前予告で記したタイトルを「バウンス KO GALS」と表記していましたが、正確には「バウンス ko GALS」です。なぜ一部だけ小文字なのかは不明なのですが、そう表記するには理由があるはずなので、ここに訂正させていただきます。

それから前回「なるべくネタバレにならないように」と書いたのですが、この作品の魅力を語る上で物語の核心に触れないのは難しいので、今回のコラムは前半にあらすじ、後半はネタバレを含みつつこの作品の良さを語って行きたいと思います。


ではまず、あらすじを紹介しましょう。


あなたは、たった18時間で一生ものの友情って生まれると思いますか?


答えは"YES"です。

そしてこの一文が、作品の全てを表しています。


高校の体育館になぜかチャイナ服とミリタリージャケットを羽織った女子高生の姿。彼女の名前はRaku-chan(佐藤康恵)。彼女は友達に援助交際を紹介はするが、決して「売り」には手を出さない。そして友達への気前の良さが魅力。

新幹線の車内で地図とパスポートを眺める女子高生Lisa(岡元夕紀子)。留学先のニューヨークでの資金を少しでも増やそうと、駅で降り渋谷の街中を歩く。東京には不慣れな様子が、歩く姿や仕草に見て取れる。

Maru(矢沢心)は親友のRaku-chanとショッピング。そこで「売り」の待ち合わせの男と会う。堕胎したばかりだから手伝ってとRaku-chanを誘うが、上手くかわされてしまう。

しがないスカウトマンSap(村上淳)は109前で仲間と止め処ない話をしているが、ひときわ輝く女子高生を見つける。彼女はさっきのLisaだった。Sapはしつこくアタックをかけるも、ガードの固さに撃沈。

ホテルに入ったMaruは早速「売り」を始めようとするが相手が悪かった。彼はデートクラブも手掛けるやり手のやくざ(役所広司)だったのだ。儲けるつもりが逆に脅され、金ばかりか、身分証明書と携帯電話までも取り上げられてしまう。

Sapを振り切ったLisaは裏路地の一角にある店へと入って行く。そこはブルセラショップ。

留学の為にと、それまで縁のなかった世界に足を踏み入れるLisaだったが、店主(桃井かおり)とのやりとりからなんとかお金を手に入れることに成功。しかし欲が湧いてしまった。

Maruは親友のJonko(佐藤仁美)に泣きついていた。Jonkoは自分の経験から、不浄な大人を決して信用せず、一見小生意気だが芯の通った女子高生。

困った仲間は放っておけず、親友の窮地を救う為、単身そのやくざを探しあて身分証明書と携帯電話を取り返しに乗り込んで行く。

再びLisaを見つけたSap。さらに稼ごうとビデオ撮影現場へと向かうLisaを、こっそりと追いかける。

まったく繋がりのないLisa、Raku-chan、Jonkoだったが、運命に吸い寄せられるように惹かれ絡まり合うのだった・・・


序盤の紹介だけなのにどうしてこれだけ長いあらすじになってしまったのかと言うと、実はこの作品、何人もの物語が少しずつそれぞれに絡み合って、最後に「爽やかな感動」と言う化学反応を起こすのです。

一見するとドキュメンタリーのような女子高生の会話(演技に見えないくらいに自然な、集団の会話)や、まるでゲリラ撮影のような(人であふれかえる渋谷の街中で役者に演技をさせることによって、役者以外の人間にさも演技が事実のように見せてその反応を収録してしまう)街中でのシーン、チョットした裏路地に入ると人気のなくなる東京を途中途中に何度も登場させる(公園、ブルセラショップの裏路地、夜のガード下、神社の階段)等、ひとつの物語をじっくりと見せるのではなく、細切れにそれぞれを描き、直球ではなくまるで俯瞰で物事を見ているような感覚から感情移入をさせているのです。

ただ観ていると全くそれを感じさせない、不思議な映画です。これは原田眞人監督の力量なんでしょうね。

見せ方や物語の組み立てだけではありません。演技に関しても素晴らしいものがあります。

主人公3人以外のそれぞれの登場人物は、出演時間こそ短いのですが演技派の役者とその人物の背景をしっかりと見せる作り込みなんです。

いくつかあげると・・・

SapとLisaの会話(27分あたり)。

バブル以前とその後の厳しい世の中、両方を知るSapの台詞「ダテに俺、渋谷で生きてる訳じゃないもん」や「若い頃、勉強とオナニーしかしてないから、遊び方知らないんだよ。なんだよ、ブタブタの親父になってからよ!」「あいつら敵じゃん!!」は短いながらもSapの経験の深さと歪みをしっかりと表現しています。

他にも、やくざとJonkoの会話(38分あたり)。

商売の決着を付けようとしていたやくざに、日本が狂い始めた本質を女子高生の直感で語り、やくざに時代の流れを痛感させてしまうシーンは、この映画の中でも秀逸だと思います。

脚本を読んだ訳ではないのですが、おそらくしっかりとしたリサーチの上で組み上げられた設定なんでしょう。事実、脚本を手掛ける原田眞人監督は、実話や、実際に起こった出来事を元にした映画で、その手腕を発揮しています。

「金融腐食列島 呪縛」(バブル崩壊後の金融業界の内情を暴いた問題作)

「突入せよ!あさま山荘事件」(言わずと知れたTV生中継された篭城事件)

「クライマーズ・ハイ」(日航ジャンボ機墜落事件を取材する記者たちの葛藤を描いた異色作)

この3作品は原田眞人監督の代表作と言っても過言ではないと思います。

余談ですが他にもSF、アクション、ホラー、推理小説の映画化、果てはアイドル映画まで、幅広く手掛けられています。

ひょっとしたら原田眞人監督の作品とは知らずに、ご覧になっているかもしれませんよ。

それから、これを外すわけにはいきません。

Lisaと名誉教授の会話(65分あたり)。

従軍慰安婦の問題を女子高生との会話の中で描くなんて、なかなか考えつかないことだと思います。

戦犯になってしまった為にアメリカへ戻れない名誉教授は罪であるはずの過去を簡単に喋り、その罪の意識のなさに憤慨するLisaの構図。

狂ってしまった日本の常識と言うか、崩れてしまった日本の節操を、上手く表現していると思います。

この名誉教授を演じるのは「河童」で心優しいおじいさんを演じた今福将雄。演技の幅の広さが光っています。

他にも2つほど、「う~ん」と唸ってしまった台詞があるのですが、それは書かないでおきましょう。

実際にこの作品を目にした時に、あなた自身で感じて下さい。


さてこの作品を見ていると、あることを感じさせてくれます。

それは懐かしさのようで、遠い昔を観ているような錯覚です。

たった12年前なのに、なくしてしまったもの(人情味のあるやくざや、人々の純朴さ)。

消えてしまったもの(ポケベル、街中にあふれる公衆電話、ブルセラショップ)。

そして変わらないはずなのに、懐かしさを感じてしまうもの(友情)。

なぜなのでしょうね?

それはきっと、この時代にしか描けなかったものをこの時代に描き、その時代を知る私たちだからこそ知り得る「リアル」なんだと思うのです。

そして大して変化していないはずの日常が、人間の価値観を含め劇的に変化している現れだと思うのです。

物語は架空だから私たち観客が直接経験した訳ではないのですが、不思議と虚構ではなくなるのです。

本当に、うまく時代を描いた作品なんだな、と改めて感じました。

事実、今でこそこの作品を知っている人は少ないのですが、当時は高評価の作品でした。

「第71回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画第6位」と言う実績が、物語っています。

そして、この作品を知る人にとっては、いつまでも心に残る作品なんです。

ネット上で評価を観ていただければ、ご覧になっていない方でも分かると思います。


そうそう、最後に忘れてはいけない大事な感想を。

Lisa、Raku-chan、Jonko。この3人を演じた女優たちの瑞々しい演技がなければ、これほどまでに後味の良い映画にはならなかったでしょうね。

私には、何度観ても泣ける、貴重な貴重な作品です。


短い紹介でしたが、この作品の魅力、上手く伝わったでしょうか?

もし中古ビデオ店等で作品を見つけることが出来、あなたと同じ感動を分かち合えたら幸いです。


さて次回はちょっと変わった企画でお贈りしたいと思います。

今年はあの大スター、石原裕次郎さんの二十三回忌です。

そしてその一環として、幻の作品がTVで放映されます。

ネットで調べたところ過去に一度だけBSで放送された記述を見かけましたが、ビデオもDVDも発売されていないので、幻の作品に偽りはないでしょう。


その作品の名は「富士山頂」


ことし2夜に分けて放送されたTVドラマの元である映画「黒部の太陽」や、以前お贈りした映画「甦える大地」と同じく、戦後の日本を支えた人間の熱意を描いた貴重な作品です。


放送は7月4日夜9時。

これを逃すと次の放送はいつになるか分かりませんから、是非ご覧になって下さい。

私は今回初めて観るのですが、リアルタイムでの石原裕次郎さんを知らない世代の視点で、あれこれ感想を書き記していと思います。

その次にお贈りする作品は・・・以前書かなかった「甦える大地」のあらすじ完全版を、いつか放送されることを願って書こうかと思います。


それでは、また!



1997年日本映画 109分


プロデューサー 鈴木正勝

監督・脚本   原田眞人

撮影監督    阪本善尚

照明      高野和男

録音      中村淳

美術      丸山裕司

音響効果    柴崎憲治

記録      坂本希代子

助監督     竹下昌男

音楽      川崎真弘

編集      阿部浩英

出演      佐藤仁美 佐藤康恵 岡元夕紀子 村上淳 矢沢心 万央里

        海藤れん 遊人 池田裕成 清川均 小堺一機 塩屋俊

        今福将雄 ミッキー・カーチス 桃井かおり 役所広司 他

2009年6月23日火曜日

ブラッド・イン ブラッド・アウト

6月も3分の2を過ぎたと言うのに、ここ鹿嶋はまだ涼しく、曇天を除けばまるで5月初旬のような陽気です。今年もそれほど暑くない夏になるのかなと思ったりしているのですが、全国的に見るとそうでもないんですね。


さて今回お贈りするのは、心奮わされる映画「ブラッド・イン ブラッド・アウト」です。

監督は「愛と青春の旅立ち」「カリブの熱い夜」「ディアボロス」「レイ」等、ジャンルにとらわれない傑作を世に送り出したテイラー・ハックフォード。

公開されたのは1993年。縄張り争いや、刑務所での乱闘・殺人、麻薬がらみのシーンがあるにも関わらず、意外にもディズニー系列配給作品です。

兄弟同然に育った3人の男の、12年に渡り絡み合う絆を描いた物語は、観る者の心を掴んで放しません。

前回簡単に触れたのですが、この作品は日本国内では一度だけDVD化されましたが、現在は廃盤となり新品の入手はほぼ不可能となっています。しかしビデオやDVDでのレンタルは在庫を有する店舗があるので、そちらを利用して、是非ともご覧いただきたい作品です。

ネットでの評価を見ていただければ分かりますが、かなりの高評価で隠れた名作とも言える作品でもあります。


まずはご覧になっていない方の為に、簡単なあらすじを・・・


保護観察処分中、喧嘩をして逃げ出してきた青年ミクロ。

彼は、生まれ故郷のロサンゼルス東部へと戻ってきた。多くのメキシコ系アメリカ人と色とりどりのアートに囲まれたその街に住む母親を頼って来たのだ。だが母は親戚の家にミクロを預けるのだった。

その親戚の家には、兄弟同然に育ったパコがいた。

クルスはパコと共に、父に請求書を届ける為、勤務先の自動車修理工場へ行く。

そこには、やはり兄弟同然に育ったクルスが働いていた。彼は絵の才能に長けていて、その上手さはロサンゼルス一と言っても良い程。

パコは、客から預かっている自動車にミクロ、クルスと共に乗り込み、ドライブに出かけた。

町並みが見える小高い岡の上で語り合う3人。いつも変わらず、街を見つめる松の大木が風に揺れる。

そこへ突然やって来たのは2人の警官。治安の悪いこの地区へ見回りに来たのだった。

パコは焦っていた。彼は保護観察中の身。バレてしまえば、刑務所に収監されてしまう。

ここの警官たちは、肌の色で人間を見る。それを知っているパコはひたすら大人しく振る舞おうと勤めるが、警官は疑いのまなざし。

しかし機転を利かせたクルスのおかげで、なんとかその場から解放されたのだ。


この街には2つの対立するグループが存在した。ひとつはパコとクルスの属するヴァトス。

もう一方は、協定を破り縄張りを荒らすプントス。小競り合いは絶えなかった。

2人と本当の兄弟に成りたがるミクロは、縄張りを荒らすプントスを一人で襲撃し、認められる。彼には、そこまでして認められたい理由があった。

それは、ミクロとクルスと親戚であるにも関わらず、彼の肌は白く、瞳が青かったからだ。

肌の色は、知らないうちに彼のコンプレックスでもあったのだ。


芸術の成績優秀なクルスは終業式に大学への奨学金を得て、家族は鼻高々だった。それはミクロもパコも同じで、その日のパーティーは彼を慕う人々で賑わっていた。

そんな中、クルスは目当ての女性を連れ、夜の街へ繰り出す。

しかしそこで不幸な出来事が・・・そしてその出来事が3人の人生を、修復出来ない程に大きく狂わせるのだった・・・


この作品は12年の出来事を描く為、3時間もあります。紹介したあらすじはだいたい30分程でしょうか。

しかしその長さを微塵も感じさせず、引き込んで行く力があります。回りくどい説明はせずに、常に人間関係をストレートに、そしてその心情を端的に描き切っています。そこがこの作品の最大の魅力でもあるのです。

特筆すべきは3人の生き様。ミクロは肌の違いを克服すべく血を流すことに手を染め、パコは自信のなかった自分を見つめ直す為に海兵隊へ、そしてクルスはその才能を持ち成功への道を突き進んで行くにもかかわらず、身体と心に負った傷を紛らすため麻薬にのめり込んで行きます。

3人それぞれが抱えるプレッシャーに抗う為に選んだ道がやがて互いに深い溝を造って行くと言うその様が、繊細に、かつ大胆に描かれているのです。

ラスト1時間は、観る者に涙さえ流させる程に熱い展開が待ち構えています。


私がこの作品を初めて観たのは、ビデオ発売数ヶ月前。その内容に心動かされ、当時勤めていたレンタル店では仕入れを決めました。そして音楽も気に入り、サウンドトラック盤も購入したのです。

この音楽を書いたのは、ビル・コンティ。映画好きの人にはあまりにも有名な作曲家です。

代表作は「ロッキー」シリーズや「ライトスタッフ」等。監督同様、ジャンルに捕われず様々なジャンルの音楽を紡ぎだしていますが、今回の音楽はまさにラテン系。

しかし音楽の使われ方はしつこくなく、感情の起伏の激しいシーンだけを彩るように緩急をつけていて、決して物語を支配してしまわないのです。ともすれば作品のイメージを変えてしまう程の情熱的なメロディーを、上手く操っているのです。

そのメロディーは、抗えない運命に翻弄される3人の人生のように、時に華やかに、時に悲しく、そして情熱的です。残念ながらサウンドトラック盤に収録されているのはそのスコアの一部ですが、それだけでも聞く価値のある作品だと、私は思います(もちろん映画を気に入っているのが前提ですが・・・)。輸入盤は今でも手に入るので、映画が気に入ったら是非聴いてみて下さい。


さて、ここから先は内容に深く関わるので、まだご覧に成っていない方は、是非ご覧になってからお読みください。


この映画には沢山の人物が登場します。特に刑務所内では覚えきれない程の役者が出演していますが、それだけではありません。実際の服役囚たちが多数出演し、その殺伐とした空気をよりリアルに感じさせることに成功しています。

役者と言えば、刑事になったパコの同僚は、ある有名な映画で印象的な脇役を演じた俳優が演じています。

ちょっと痩せているので分かりづらいかもしれませんが、声を覚えていればきっと分かると思いますよ。

ヒントは「糞まみれ」です(笑)是非是非探してみて下さい。

この映画は内容も素晴らしいのですが、そう言った脇役の役者陣にも恵まれた作品と言えるでしょう。

最近のハリウッド映画で個性的な脇役を演じる役者が、多数出演しているので、探すのも面白いかもしれませんね。


痛みを逃れる為に麻薬に手を染めたクルスは、坂を転げ落ちるように破滅へと向かっていきます。

それを決定づけたのは、幼い弟の死でした。クルスの過ちが、本人ではなく弟を殺してしまうのです。

もう元には戻れない、決定的な事件でした。

親子の縁は切れ、兄弟の絆は壊れ、クルスは身を隠すように消え、益々麻薬に溺れてしまうのでした。

その心の傷がどれだけ深かったのか、それを思うと胸が痛くなります。

しかし、それ以上に苦しんだのはクルスの兄、パコです。

麻薬で身内を失う悲しみを決して誰にも体験させまいと刑事の道を選びますが、本人の苦しみは決して癒えることがありません。そればかりか麻薬に携わった為、人生を狂わせてしまう人々を観るたびに、心の傷は深くえぐられて行きます。おそらくそれは、クルスの痛みを手に取るように感じていたからなのでしょう。


作品の半分近くを占める刑務所内の出来事は、人種差別を感じさせない日本で育った私たち「日本人」には衝撃的と言える内容です。

ミクロが故郷で感じていた人種差別は、結局刑務所内も同じ。塀に囲まれているにも関わらず、その内部はまるで地球の縮図です。

白人たちの組織、黒人たちの組織、ミクロの属する中南米系の組織オンダ、そして女の代わりに求められるがまま己を売る男たち。そしてそれを支配する特権階級とも言える刑務官。それぞれは、対立しつつも共存共栄の道を歩んでいました。

その中でミクロは人生の厳しさと生きる術を学び、認められる為、塀の外と同じように手を血で染めてしまうのです。

その名は「血の証明(ブラッド・イン ブラッド・アウト 血のつながりを得る為に、血を流す)」

しかしオンダの長は、麻薬に手を出さないミクロの心の清らかさを信じ「仮釈放をだまし取るんだ」と諭します。己を認めてくれたオンダの長を信頼するミクロは、その言葉を信じ学校の卒業資格を取り、長い苦労の末、やがて仮釈放が認められます。

人種の違いを克服したかに見えたミクロですが、世の中は「前科」と言う言葉に激しい差別で当たってきます。真っ当に生きようとするのに、それをいとも簡単に阻んでしまうのです。

結局ミクロはその差別と、組織のつながりの為に、また刑務所へと逆戻りしてしまいます。

私が忘れられないのは、パコとミクロの悲しい再会シーン。兄弟のように育ったのに、刑事と強盗と言う相容れない立場に立ってしまい、しかもミクロの片足を奪ってしまいます。

兄のように親しんだパコに裏切られたと感じたミクロは、心が激しく深い溝の中へと落ちて行きます。

血の証明はエスカレートし、血で血を洗い、他の刑務所までも巻き込む事件へと発展してしまうのです。それだけではありません。争いを治める為に戦うことしかないと信じて疑わないミクロは、パコの言葉に従うように見せかけ、その裏ではオンダだけを信じ他の組織を次々とだまし討ちにしていくのです。

それはミクロの限りなく澄んだ青い目が、完全な悪に染まった瞬間でした。

その後に迎えるこの映画で一番のバイオレンスな部分であるはずの暴動シーンは、痛みに麻痺してしまったミクロの心を思うとやりきれない程悲しくてたまりません。

和平の道を選んでくれたと信じていたパコは、ミクロの裏切りに怒りをあらわにします。しかしミクロは、そんなパコの心の痛みさえ、見えなくなってしまったのです。それどころか刑事であるパコを組織に迎え入れようと提案をするのです。正義を信じるパコは、痛感しました。もう昔には戻れない、と。

ラスト5分、麻薬から抜け出すことの出来たクルスは、ミクロの裏切りに傷ついたパコをある場所へと連れて行きます。

そこにあったのは、あの日のままの3人が今も生きる壁画。

2人はその絵の前で涙ながらに、心に残る罪の意識と傷を吐き出し合い、やっと昔のような絆を取り戻すのです。もう後戻りの出来ないミクロを残して・・・


今回、約10年ぶりに「ブラッド・イン ブラッド・アウト」を観たのですが、ある奇跡に恵まれました。

実は私の手元には、当時メーカーから戴いた沢山のサンプルビデオが残っています。しかし長い年月の間に、ほとんどのテープはカビが生え、すでに観ることが出来なくなっています。

「ブラッド・イン ブラッド・アウト」を観る為にどこかのレンタル会員になるしかないのかなぁ・・・と覚悟していたのですが、探してみるとなんと奇跡的にカビずに残っていたではないですか!まるで私が探すのを待っていたかのように・・・他のテープはほとんどダメになっていたので、これはまさに奇跡としか言いようがありません。ひょっとすると、もう一度この作品を観る運命だったのかも知れません。

そして改めて、この作品の良さを痛感したのでした。

でも出来ることならTVサイズのビデオではなく、ワイドスクリーンサイズのDVDを皆様には観ていただきたいと思います。私自身も、そのサイズでもう一度観て、さらに良さを発見したいと思っているのですが・・・こればかりはメーカーの決断を期待するしかないですね。


さて次回も予告通りに「バウンス KO GALS」をお贈りしたいと思います。

こちらの作品は、レンタルの入手も難しいので、なるべくネタバレにならないよう、紹介したいと思います。


それでは、また!



1993年アメリカ作品  180分


製作総指揮     ジミー・サンティアゴ・パカ ストラットン・レオポルド

製作        テイラー・ハックフォード ジュリー・ガーシュイン

監督        テイラー・ハックフォード

ストーリー     ロス・トーマス

脚本        ジミー・サンティアゴ・パカ ジェレミー・アイアコーン フロイド・マトラックス

オリジナル・スコア ビル・コンティ

出演        ダミアン・チャパ ベンジャミン・ブラッド ジェシー・ボレゴ ビクター・リバース デルロイ・リンド トム・トーレス カルロス・カラスコ テディ・ウィルソン レイモンド・クルウズ ヴァレンテ・ロドリゲス ラニー・フラハティ ビリー・ボブ・ソーントン ジェフリー・リヴァス 他

2009年6月2日火曜日

スター・トレック(2009)

久しぶりに、興奮するSF映画に出会った。


これが「スター・トレック」を観終えた後の感想です。

本当に凄い映画でした。

どうやら新作が撮られているらしい、と言う噂を聞いた時からずっと楽しみに待ち続けていて、その期待はかなり大きくなっていたのですが、それをいとも簡単に凌駕する程の面白さでした。

そう言う意味でも、久しぶりに凄い映画に出たったな、と思わずにはいられませんでした。


今回はネタバレしないように「紹介編」としてお贈りしようかと思ったのですが、どうやら内容に触れずにはいられないようなので、前半は紹介、後半はネタバレとして書き進めたいと思います。


まずは簡単なあらすじです。


時は西暦2233年。連邦の宇宙船「USSケルビン」は未知の巨大宇宙船の攻撃を受ける。

艦長はその相手との交渉の為敵船へと乗り込むが、交渉するまでもなく抹殺。

艦長亡き後、引き継いだのはジョージ・カーク。

一方的に不利な状況から、彼は撤退を判断。乗組員は小型シャトルに次々と乗り込むが、カークは自動航行装置が故障したUSSケルビンに一人残り、敵への体当たりを敢行した。僅か13分だけの艦長であった・・・

そして、その最中にシャトル内で生まれたのがジョージの息子、ジェームズ・タイベリアス・カーク。後に数々の伝説を作った男だ。


時は経ち、カークは少年になっていた。

知り合いのビンテージカーを勝手に乗り回す等、自暴自棄な生活は父親のぬくもりを知らなかった為だろうか。


一方、地球と同盟関係であるバルカン星では、その血に悩む少年がいた。

彼の名はスポック。後にカークと共に数々の困難を乗り越えた、もうひとりの伝説。

彼は純粋なバルカン人ではなかった。母が地球人だったからだ。

その血の為に同級生たちからはからかわれ、怒りを露にしないバルカン人とは違い、感情に任せて殴り掛かるのであった。

しかし彼はバルカン人として生きることを選ぶ・・・


やがて二人は運命に導かれるように出会うこととなる。

惑星連邦宇宙艦隊の士官スポックと、士官候補生のカーク。論理的行動を重んずるスポックにとって、感情を露にし、掟破りの行動をするカークは厄介な存在だった。

テストで不正を行ったカークと、そのテストを造ったスポックの議論がアカデミー内で白熱する中、バルカン星からの救難信号を受け、候補生たちは士官たちと共にバルカン星へ向こうこととなった。

その中の一隻、新造艦「USSエンタープライズ」。謹慎の為、参加することが出来ないカークを救ったのは友人のマッコイ。彼の機転で、カークも乗り込むことが出来たのだ。

その救難信号を不審に思ったカークは、司令室へと一目散に走って行く。

「これは、罠だ!」


果たしてカークたちの運命は?そして父の命を奪った巨大宇宙船の正体とは?


実は私、オープニングの約15分でうかつにも涙がこぼれてしまいました。

「これから起こる数々の冒険は、こんな悲劇から始まったのか・・・」と思うと、ポロポロと涙がこぼれてきたんです。そしてふと感じました。

「スター・トレック」シリーズは、もうSFの枠を超えている、と。

私たちが目指すべき、夢のある未来の姿を描いた「希望のドラマ」なんだと。

それでいて、今回の「スター・トレック」は今までのシリーズにはなかった超弩級のアクションをふんだんに取り入れ、息をもつかせぬ展開を次々に用意しています。

126分の上映時間中、とにかく一切飽きさせないんです。体感は90分くらい、と言える程に濃縮されています。

オリジナルを知っていないと面白くないのでは?と言う疑問を持たれる方も多いと思いますが、その心配は全くないと言っても良いでしょう。何の知識がなくても、分かりやすく、しっかりと、丁寧に描かれているので、存分に楽しめるはずです。

それでいて、過去のシリーズを知っている人へのサービスも忘れず、そこここにオマージュや笑いが散りばめられているので、ファンにとっても何度観ても楽しい作品に仕上がっています。

ここで色々書くよりも、詳しくは観ていただくのが一番なのですが、とにかくこの迫力は映画館で味わうべきものだと、私は思います。


さて、ここから先はネタバレを含めた紹介編となりますので、まだご覧になっていない方は是非映画館でご覧になってからもう一度お越し下さいませ。


ご覧になったみなさま、この「スター・トレック」どこが気に入りました?

私にはいくつもあって簡単には言い表せないんです。友人には「とにかく観てくれ!」としか言えなかったりしています。

それほど魅力が詰まっていたと思いませんか?

オリジナルに似ている役者陣も文句なし。タイムトラベルを取り入れた物語の展開も文句なし。宇宙船から制服やフェイザーに至るまでアイテムのディテールも文句なし。上映時間も、過去作品への敬意も文句なし。

全く良いことばかりで、粗を探すのが難しいくらいでしたよね。

唯一気になっていたオリジナルとの接点も、未来から来たスポックを使うことによって見事に繋ぎ、ネロの攻撃による歴史の改変で生まれた「もうひとつの歴史の流れ」と言う概念をうまく活用し、今後の新しい展開も無理なく描けるようになっています。

どうやら続編の製作も決まったようですね。是非とも同じキャストとスタッフで造って欲しいと願います。

それに、出来ればTVシリーズも観てみたいですね。でもあれだけ沢山のVFXを観ると、TVの予算では納まらないのは間違いないようなので、ないのかな・・・


さてさて私が感じた魅力全てを書くのはあまりにも時間がかかるので、ここではいくつかを取り上げたいと思います。

今までのシリーズでは、派手なアクションはありませんでした。そこが魅力だった、と言う方もいらっしゃるようですが、今回の作品はそれを打ち破ることから始まったのでは?と思える程に、アクションへの気合いが感じられ、空回りすることなく緊張感の連続で観客を魅了してくれます。

それだけでなく、今までのシリーズにはなかった要素もいくつか描かれていたことに気づきました。

まずは宇宙のスケールの大きさを、ワンシーン観ただけで体感させること。

例えば、カークが初めて宇宙ステーション(艦隊基地)に乗り込むシーンでは、カークたちの視点でUSSエンタープライズが映し出されますが、良く見てみるとわざと見切れていることに気づきます。艦首と艦尾が映っていないんです。カメラが流れることで大きさを表現しがちな過去作品ではあまり観ない表現方法だけど、でも観客が何気なく大きさを理解してしまう自然な描き方です。

他にも、USSエンタープライズの艦内にもこだわりがありました。

この手のSF映画と言えば、何もかも近未来的に描こうとしてどこか違和感を感じさせることがあるのですが、それにも挑戦しています。

ブリッジや医務室などの居住空間と、エンジンルームやシャトルなどの格納庫のギャップがそうです。

ブリッジなどは近未来的な空間として描きつつ、エンジンルームや機関室(パンフレットによると一部はバドワイザーの工場で撮影されたそうです なるほど笑)は鉄骨やパイプラインが剥き出しで今現在私たちの身近にある工場や船などのそれに似ています。USSケルビンのシャトルでもコクピットとの境にビニールカーテンが使われているなど、私たちが生きる21世紀からの歴史の流れをそこに見いだすことが出来るので、違和感を取り払うことに成功しているように思えるのです。

他にも「上下のない宇宙」を、宇宙船や破壊された破片などの対象物を縦横無尽に見せることで体感させてくれています。

表現へのこだわりは、見せ方だけにとどまりません。

オープニングのでUSSケルビンの戦闘シーンにそれが見受けられます。

掘削船ナラーダからの攻撃で被弾し、USSケルビンの乗組員が宇宙空間へ放り出されるシーンを覚えていますか?

あのシーンは、船内での派手な爆音が波が引くように消え、無音になっていきます。

本来なら爆音もしないはずの宇宙空間を、観客の迫力や体感を考え音をつけてしまうそれまでのこれまでの描かれ方とは、ちょっと違っていますよね。

徐々に音が消えることによって、「あ、宇宙って死の空間なんだ。」と気づかせてくれます。


そうそう、これを忘れちゃいけないですよね。

笑いについてです。

これまでのシリーズにもスポックやデータなどを使った笑いの要素が含まれていたんですが、今回はさらにスケールアップしていました。

過去作品を知らない人がどこまで笑えるかは分からないのですが、エンタープライズのメインクルーそれぞれにちょっとずつ笑いを含ませてあり、アクションに次ぐアクションで息がつけない状況に「箸休め」を行っています。

私はその中でも、マッコイのシーンとチェコフのシーンがお気に入りです。

マッコイが宇宙へ行くのを嫌がるシーンを観て、真っ先に映画第1作で転送を嫌がっているシーンを思い出しました。「変わってないなぁ」と思うと自然と笑みがこぼれてしまいましたね。

チェコフについてはいくつかあるのですが、ロシアなまりがキツくて音声認識がされないところはツボでした。

多分、2度3度観てもこのシーンは笑ってしまいそうです。


さて他にも語りたいことが沢山あるのですが、それはDVD発売時に再度「ネタバレ編」としてお贈りしようかと思いますので、それまでの間しばしお待ちくださいませ。


次回は予告通り「ブラッド・イン ブラッド・アウト」をお贈りしたいと思います。

それでは、また!



映画データ


2009年アメリカ作品 126分


製作総指揮 ブライアン・パーク ジェフリー・チャーノフ ロベルト・オーチー アレックス・カーツマン

製作    J.J.エイブラムス デイモン・リンデロフ

監督    J.J.エイブラムス

脚本    ロベルト・オーチー アレックス・カーツマン

撮影    ダン・ミンデル

編集    マリアン・ブランドン メアリー・ジョー・マーキー

衣装    マイケル・カプラン

音楽    マイケル・ジアッキノ

出演    クリス・パイン ザッカリー・クイント レナード・ニモイ エリック・バナ ブルース・グリーンウッド カール・アーバン ゾーイ・サルダナ サイモン・ベック ジョン・チョウ アントン・イェルデン ベン・クロス ウィノナ・ライダー 他

2009年5月27日水曜日

6月の予告

みなさま、こんにちは。

前回の最後に次回予告を書けなかったので、ここで6月分の予告として書き記したいと思います。

以前のコラムで国内でDVD化されていない作品をいくつか取り上げたのですが、今回はその延長線上とでも言う扱いの作品を取り上げたいと思います。


それは「DVD化されたのに廃盤で手に入らない作品」です。

そう言った境遇に置かれている作品は多々あるのですが、6月に私がお贈りするのはその中でも特にお気に入りの2作品です。


ひとつは原田眞人監督の「バウンス KO GALS」と言う作品です。

今はすっかり死後になってしまったコギャルと言う言葉ですが、この作品が造られたのは1997年。

コギャルと言うと「軽さ」を感じる方が多いかもしれませんが、良い意味でそれを裏切ってくれる、心に残る映画となっています。

観ていただきたいのですが、運が良ければレンタル店でビデオ在庫があるかもしれない位に稀にしかお目にかかれない作品なので、こちらはネタバレをしないように気をつけて書いて行こうかと思います。


もうひとつはテイラー・ハックフォード監督の「ブラッド・イン ブラッド・アウト」と言う作品です。

1993年の公開当時、日本でも劇場公開されているのですが、それほど話題に上らなかった「隠れた名作」です。

1970年代のロサンゼルス東部を舞台に、固い結束で育った兄弟同然の3人の若者がそれぞれの運命に翻弄され苦悩する姿を描いています。

こちらの作品はレンタル店もに出回っているようですが、もしお近くの店舗になければネットでのレンタルで扱っている所がありますので、探してみて下さい。

3時間に渡る作品ですが、長さを感じさせない素晴らしい映画ですので、是非ご覧いただきたいと思います。


それから最新作「スター・トレック」も観に行きたいと思いますので、紹介編としてお贈りしたいと思います。


それでは、また!

2009年5月23日土曜日

スタートレック シリーズあれこれ

宇宙を舞台にした映画は数多くありますが、その中でも特別な存在であるシリーズが2つあります。

共に共通するのは、その壮大な物語の存在が「語り継がれる伝説」に等しいこと。

そのひとつとは、映画としては完結してしまった「スターウォーズ」

善と悪の戦いに親子の運命を絡め、壮大な物語を紡ぎだしています。この作品を生み出したジョージルーカスは黒澤明監督とも親交があり、「スターウォーズ」は「隠し砦の三悪人」にヒントを得て作られたとも言われています。

そしてもうひとつは、1960年代に大ヒットしたTVシリーズ「宇宙大作戦」(原題STARTREK)を復活させた映画「スタートレック」(1979)です。

こちらは壮大な冒険物語。人類が未踏の宇宙を探査・開拓して行く話で、戦いはありますが善悪の戦いではなく異星人同士の戦いとなり、人間が種族間で争うのと似ていると言えるかもしれません。

このふたつ全く関係ないように見えますが、実はそうでもないのです。

そのヒントは公開された年にあります。

「スターウォーズ」で一番最初のエピソード4「新たなる希望」(公開時は副題なし)は1977年(日本では翌年)公開。一方の「スタートレック」は1979年(日本では翌年)公開。

それまでのSF映画とはスケールの違う大ヒットを記録した「スターウォーズ」に触発されて映画化されたと言う訳です。

「スタートレック」映画版はその後5作品作られました。

しかし物語はそこで終わりません。映画のヒットにより、その後の世界を舞台にした「新スタートレック」がTVシリーズとして製作されます。このシリーズはなんと7年間も続き、さらにその前後の世界もTVシリーズ化されるなど、アメリカでは18年に渡ってTV放映され続けました。

もちろんそれだけの大ヒットですから、「新スタートレック」も映画化されています。こちらは4本製作されました。その内2作品は、副長を演じたジョナサン・フレイクスが監督を務め、彼の監督としての力量を発揮させる切っ掛けを作ったとも言えます。(後に「サンダーバード」を実写映画化)

「スタートレック」シリーズ6作品は「宇宙大作戦」の出演者がそのまま登場し、「新スタートレック」4作品もTVシリーズと同じ出演者で造られていますが、間もなく日本でも公開になる「スタートレック」(2009)はそれまでのキャラクターを若手俳優が演じ、新たな物語として造られています。でもシリーズに含まれるのではなく、リメイクでもなく、新たなる創造「リ・イマジネーション」と言う位置づけに属することとなります。

今回の新作「スタートレック」(2009)の評価はアメリカでは絶大で、その結果が興行収入にも現れています。そして日本では、既にいくつかの試写会が行われていて、かなりの人気を博しているようです。

ここで心配なのが、オリジナルを知る人がどんな反応を示すか?なのですが、ネットでの批評を観ると意外にも知らない人も知る人も好評のようです。

幼い頃にTVの再放送で何度か観た「宇宙大作戦」、それから「スタートレック」(1979)、地上波で深夜放送していた「新スタートレック」(残念ながら全てが放送された訳ではないので中途半端にしか見ていませんが・・・)、そして「新スタートレック」の映画版と、全てではないものの観ている私にとって、今回の新作「スタートレック」(2009)は、製作されると言うニュースを耳にしてからずっと期待が膨らんでいるのですが、そのような人でも満足している内容なのだそうです。

否が応にも期待が膨らみます。ちなみに私のパソコンのデスクトップは3ヶ月程前から、アメリカ版の公式HPからダウンロードした壁紙が表示されています。


そんなスタートレックシリーズを語る上で欠かせないのはオリジナルである「宇宙大作戦」ですが、これに関してはネット上にいくつもあるファンのHPや公式HPを見ていただくとして、ここでは映画シリーズのいくつかを紹介して行きたいと思います。

まずは映画を語る前に、スタートレックを全く知らない人の為に簡単な紹介をしましょう。


時は23世紀。

科学技術は格段に進歩し、遠くはなれた場所へ人間などを移動可能とさせた転送装置や、光速以上の移動が可能な宇宙船のワープ航法などが発明、実用化されていた。もちろん戦闘兵器の技術も格段に進歩し、一瞬にして物質を消滅させることが可能なフェイザー(戦艦などの大型から人間が使用する小型の銃まで多種)や、光子魚雷なども使われるようになっていた。

地球上から飢えや争いをなくすことに成功した人類は、その持て余す力を飽くなき探究心へと向け、宇宙へと向かい、多くの生命体と惑星連邦を形成し、地球は繁栄を極めていた。

しかし宇宙では依然争いがあり、惑星連邦に敵対する戦闘種族クリンゴン人(後に平和協定が締結)や暴力的なロミュラン人などとはしばし戦闘が行われていた。


スタートレックシリーズには、個性的なクルーが登場します。

耳のとんがったスポックは何事も論理的に考えるバルカン人。熱血漢のカーク艦長との掛け合いはそれだけ見ていても面白いです。他にも偏屈もののドクターマッコイも人気のあるキャラクターのひとりです。

「新スタートレック」ではカークのような役割のライカー副長や、カウンセラーのトロイ、スポックのような役割を果たすアンドロイドのデータ、クリンゴン人でありながらエンタープライズの乗組員であるウォーフなど、魅力的なキャラクターが沢山登場し物語を盛り上げてくれます。

人間の魅力が発揮されているのも、このシリーズの大きな特徴です。

もうひとつの魅力と言えば、様々な夢のような道具の数々でしょう。

先ほど紹介した転送装置や、実態のようにそこに表示されるホログラム(これはただ表示されるだけでなくコンピュータと連動し人間のように喋ったりします)、さらには惑星さえ造り出してしまったりします(映画版第2・3作参照)。

その夢のような道具たちは、私たちがドラえもんに熱中したように観ている人々を魅了して行きます。

やがて、観て育った世代の大人たちが続く物語を作ったりしながら、このシリーズはアメリカでひとつの歴史のように存在しているのです。

面白い所では、スペースシャトルの試験機。その名前「エンタープライズ」は多くのスタートレックファンによる熱意が通じ、名付けられました。

以前紹介したTV「ヒーローズ」では、日本人のヒロがいつもバルカン人の挨拶をまねたり、ヒロの父親を演じるジョージ・タケイはスタートレックでヒカル・スルーと言う名のメインの乗組員を演じていますし、シーズン2では同じくメインの乗組員ウフーラを演じたニシェル・ニコルズなども重要な役柄で登場します。

日本ではそこまで有名とは言えないスタートレックシリーズですが熱心なファンは数多く居ますし、今回の新作「スタートレック」(2009)は、過去の作品に新たなファンを呼び込む切っ掛けとなりそうです。


続いて映画版第1作「スタートレック」を紹介しましょう。

惜しまれつつ「宇宙大作戦」が終了してからちょうど10年後、この作品は公開されました。

「宇宙大作戦」では5年の調査飛行が物語の核となりましたが、今回は未知の脅威に襲われるかもしれない地球を救うための任務を帯びて、謎の超巨大物体へ挑むと言うものです。

136分の上映時間は、大きく2つのパートに別れています。

ひとつは物語の前半、新たに改修された宇宙船エンタープライズ出航までを描きます。

もうひとつは惑星系を飲み込む程の超巨大物体を探査し、地球への脅威を避けるための必死の行動を描いています。

スタートレックを知らない人には、前半部分はちょっと長く感じるかもしれませんが、ここで描かれる雄大さがスタートレックの魅力のひとつでもあるので、是非注目していただきたい部分でもあります。

後半は、謎を解きながらその核心に迫って行く過程がSF映画の枠を超え、でもSFでなければ描くことのできないスケールで観客を魅了します。

さて続いて紹介するのはTV「新スタートレック」の映画版第1弾「ジェネレーションズ」です。

この映画の魅力はなんと言っても「新スタートレック」の初映画化でありますが、その物語には粋な計らいが隠されています。

それはエンタープライズの新・旧艦長の競演です。

「宇宙大作戦」と「新スタートレック」は登場人物こそ違いますが、その世界感は受け継がれていて、同じ歴史の線上に位置する物語なのです。

映画はまず、エンタープライズの進水式から始まります。これまでの戦いで何度となく破壊され、新しい船として復活したエンタープライズですが、初航海でいきなり重大な局面に出くわします。

ゲストとして呼ばれていたかつての船長カーク大佐は、SOS信号を発した船の救助を敢行、無事救出を果たしたものの、爆発に巻き込まれ行方不明となってしまいました。

時は経ち、24世紀。

ピカード艦長率いるエンタープライズDは、地球からの命令で救難信号を発している宇宙基地へ到着。

その基地内では乗組員たちが謎の死を遂げていました。唯一の生存者ソランを救出したのですが、それはこれから始まる惑星を巻き込むほどの悲劇の序章だったです・・・

先ほど紹介した「スタートレック」は、当時まだ実用には堪えうる程ではなかったCGを実験的に取り入れていましたが、TV「新スタートレック」では宇宙船や戦闘シーンなどで積極的に取り入れ、今作でも効果的に使われています。比べてみるとCGと特殊撮影の進歩の具合が見て取れて、面白いと思います。

さて最後に紹介するのは「新スタートレック」の映画版2作目「ファーストコンタクト」です。

この作品を語る上で欠かすことの出来ない存在が「新スタートレック」での最大の敵ボーグです。

簡単に説明すると全てがひとつの意思で動く機械と同化した生命体で、人間等もその一部に取り込んでしまうと言う恐ろしい敵なのです。

TVシリーズ中に一度、ピカード艦長は同化された経験を持ち身体の中にはまだその記憶が残っているようで、今作品では物語を進める上で大きな役割を果たします。

物語は、ついにボーグが地球へ侵攻する所から始まります。新造されたエンタープライズEは、なぜかそのボーグを止めるのではなく隙を狙ってくるであろうロミュラン人への警戒に当たらされます。

その理由はもちろん、ピカード艦長が過去にボーグに取り込まれたことが原因でした。

しかし戦闘に当たった他の艦隊はことごとく撃破、エンタープライズEは自身の判断で地球へ向かい、戦闘となります。

かつての経験を生かしボーグの破壊に成功するピカードでしたが、苦戦むなしくその一部が時間をさかのぼり歴史を変えてしまったのでした・・・

目のまでボーグの星と化してしまった地球を救うには、侵略を阻止するしかありません。

時空のゆがみの中、追いかけて辿り着いたのは第3次世界大戦で荒んだ地球。

ピカード艦長たちはボーグの撃破に成功するも、大変な歴史への干渉に出くわしてしまったのです。

それは2063年4月。人類が初めて他の種族との遭遇を果たす日の前日だったのです。ボーグはそのロケットが飛び立とうとする基地を攻撃していたのです。このままでは人類が未踏の宇宙へ飛び出すことは愚か、自分たちの帰るべき場所さえ失ってしまいます。

果たしてピカード艦長たちは歴史を歪ませることなく、人類にとって記念すべき「ファーストコンタクト」の日を迎えることが出来るのでしょうか?

そして忍び寄るボーグの生き残りたちを抹殺出来るのでしょうか?


かい摘んで紹介してきましたが、このシリーズの奥深さを語るにはまだまだ足りません。

でもこのコラムが、あなたが見始める切っ掛けとなれば幸いです。

観るまでもないけど気になる・・・と言う方は、ウィキペディアなどを調べてみると面白いかもしれません。その項目の多さから、どれだけ多くのファンが居るかが創造できます。


さて次回は何にしようか悩んでいます。

もし早めに観ることが出来るなら「スタートレック」(2009)を紹介したいと思いますが、まだ今の所未定です。

ですので詳細はいずれこちらでご報告したいと思います。


それでは、また!


2009年5月22日金曜日

太陽を盗んだ男

5月も終わりが近づき、だいぶ暑くなってきましたがみなさまはいかがお過ごしでしょうか?

私の住む鹿嶋は太平洋沿いの立地と言うのもあり、気温程の暑さを感じさせず、過ごしやすく感じます。

今年の夏はどうなるんでしょう。暑すぎも問題ですが、寒いのも良くありません。って人間のわがままで贅沢を言っちゃあ、いけませんね(笑)


さて今回お贈りするのは「太陽を盗んだ男」1979年の作品です。

メガホンを取るのは長谷川和彦監督。この映画を含めて、たった2作品しか映画監督をしていないと言う、異色の経歴の持ち主です。

主人公を演じるのは、当時歌やドラマで日本中を席巻した沢田研二さん。この作品でも、その魅力を存分に発揮しています。

そしてもう一人の主役である警部を演じるのは菅原文太さん。「仁義なき戦い」での圧倒的な存在感をこの作品でも発揮しています。

まずは、映画をご覧になったことの無い方の為、簡単にあらすじを紹介をしましょう。


城戸(沢田研二)はどこか冴えない中学校教師。

いつものように満員電車に揺られながらの通勤。教師であるにもかかわらず遅刻するなど無気力で、その緊張感のなさから生徒にはあまり相手にされないダメ人間。あだ名は「ふうせんガム」。

しかし彼には、生徒はおろか、誰も知らない秘密があった。

それは核爆弾を製造すること。その為、原子力発電所を襲う計画を立て、毎日のように身体を鍛え出勤前に偵察をしていたのだった。

いつものように生徒たちに教え帰宅する城戸だが、家に帰れば着実に計画を進めていた。

台所のテーブルに整然と並ぶ実験道具と、散らかった部屋。その壁には手書きの原子力発電所見取り図。

唯一の癒しである近所のネコと戯れるとき以外は、私生活さえない程、核爆弾製造計画のために没頭していた。

やがて彼は、老人に扮し交番の警官から拳銃を奪うことに成功。後は原子力発電所に乗り込み、プルトニウムを奪還するだけ。

そんな城戸に大きな転機が訪れる。それは修学旅行の帰り道、皇居で起こった。

戦争で心に病を追った老人が城戸たちの乗るバスをジャックしたのだ!

機関銃と手榴弾を胸に抱え、天皇に会わせろと要求する老人。その要求をのむふりをして車内に乗り込む警部、山下。老人を説得し生徒の解放に成功するが、戦争を生き抜いた老人も愚かではなかった。

男子生徒を人間の盾とし、皇居へと乗り込もうと歩き始めるのだった。

皇居前に集結する沢山の警官と機動隊。果たして城戸と生徒の運命は?そして身を挺して犯人確保に挑んだ山下の運命は?


戦争に負け2つの核爆弾を打ち込まれた世界唯一の被爆国日本で、この映画の登場はセンセーショナルでした。

核を持たないと宣言している国で、一市民が核爆弾を製造し日本を相手に無謀な戦いを挑むと言う内容。

タブーとも言える領域に踏み込んだ映画と言えます。

しかし観客の反応は、それを感じさせない程に好意的なものでした。公開当時、映画雑誌の読者選出第1位を取るなど、画期的と言える映画として迎え入れられたのです。

やがて時が経ち、2006年。長らく目にすることの無かったこの作品が、DVD化されました。


実は私、この映画が公開された当時は観ていません。危険な香り漂うその内容は、当時小学生の私には手の届かないものでした。しかしながらコマーシャルは何度か目にした記憶があり、ずっと気になっていたのです。

それが、ある日ネットで調べ物をしていてDVDが発売されているのを知り、購入するに至ったのです。

2008年7月のことでした。

それから何度となくこのDVDを観ていますが、その魅力は30年経った今でも色褪せること無く、むしろ混沌とした今の時代背景が30年前に重なり、より魅力を発揮しているようにさえ思えてなりません。

今でも映画雑誌の読者や映画関係者が選ぶベスト作品に何度も選出されるのは、ダテではありません。

もしご覧になったことが無いのでしたら、レンタルでもかまわないので是非ご覧になっていただきたいと思います。そしてその目で、この作品を判断していただけたら幸いです。


さてここから先は、既にこの作品をご覧になったみなさまの為に、ネタバレを含んだ紹介をしていきたいと思います。

ですのでまだご覧になっていない方は、是非ご覧になるまでこの先は読まないようにお願いいたします。

それでも読みたいと言う方に、無理は言いません。内容を知ってしまっても、失うことのない程魅力的な映画なので問題ないとは思いますが、それでもやはり、知らない方が本来の楽しさを味わえますからね(笑)


いきなりですが、この映画の魅力は何でしょう?


私は、リアルと虚構の境界線がだんだんと麻痺し、その世界にのめり込んでしまう所にあると思います。

核爆弾を個人が造ることは、おそらく今の科学でも無理だと思います。

原材料の入手や、精製、放射線など、いくつもの問題があるからです。

だから個人が核爆弾を造ると言うのは「虚構」になります。

でもこの映画はまず最初に、科学の知識を持つ中学校教師を主人公にすることによって、観客に「ひょっとして?」と思わせることに成功しているのです。しかもその主人公を演じるのは、当時知らない人が居ない程に有名だった沢田研二さん。日本レコード大賞を受賞したり、「8時だョ!全員集合」に何度も出演されるなど、すっかりお茶の間に浸透している人が演じることによって、よりリアルに磨きをかけています。

そしてそれを迎え撃つ警部は、菅原文太さん。任侠映画やアクション映画に主演し日本中に知れ渡っていた俳優です。その存在感故に、実際にやくざと思っていた人が居た程です(この当時そう言う勘違いは多々ありましたが)。

この2人の存在が、あり得ない内容に「リアル」と言う魔法をかけているのです。

それだけではありません。

中学生を人質に取った老人は、戦争の痛みを引きずる世代。公開当時、終結から30年以上が過ぎたとは言え、戦争を経験したことがない世代の人間にとっても身内に必ず居たであろう世代の人間です。

だからこの老人の行動は、決して嘘では片付けられないと言えるでしょう。実際、この頃東京の駅前などでは戦争で身体を失った人々が軍服を着てまだ街頭活動をしていたりしますし、私も何度か目にしたことがあります。

それから物語中盤から登場するラジオ番組も、リアルに磨きをかけています。

テレビが全盛期とは言え、ラジオを聞いている人の存在も圧倒的で、私たちには生活の一部でした。

あなたは電波の向こうから、自分の送ったはがきが読まれたりした記憶はありませんか?

そのドキドキは、素晴らしいものでしたよね?

だから、核爆弾を持ってしまった男がラジオを味方につけ日本中を巻き込むと言うのも説得力があります。

こうして普段私たちが何気なく接していたものを、うまく味方に付けたのがこの映画の魅力を引立てた要因と言っても過言ではないでしょう。


過激な内容だけが騒がれているように思えるこの映画ですが、実はビジュアル的にも見所が満載です。

例えば、城戸が原子力発電所に乗り込むシーン。

ただその過程を描くのではなく、時々ストップモーションにしたり、ミュージカルのような動きで城戸を追う無機質な職員や、ゲーム感覚で脱出していく過程(インベーダーのピコピコ音など)など、本来なら良心の痛みを伴うシーンをポップに見せ、その痛みを取ることに成功しています。

核爆弾製造の様子もそうです。団地の一室、いつもの生活の空間に、見慣れない機材の数々。絶対にあり得ないであろう製造過程を、当時はやっていた音楽をバックに絡ませ、ガイガーカウンターをマイク代わりに歌うなど、さながらミュージカルのようです。

他にもあります。

オープニングは、その代表でしょう。

昇る朝日に照らされる、城戸と原子力発電所。そこに現れるタイトル「太陽を盗んだ男」

白い文字が黄色から赤へと変色していく様は、まるで核反応をシンプルに表しているようです。

バックに流れる井上堯之さんの音楽も、カッコいいことこの上ありません。

それと同じようなシーンは他にもあります。私が一番素晴らしいと思ったのは、国会議事堂のシーンです。とは言っても、城戸が女装して乗り込むシーンではありません。その前に数秒だけ映る、朝日をバックにした国会議事堂のシルエットです。

核反応を起こす太陽と城戸の持つ原爆をだぶらせてイメージし、国会議事堂の上に昇ろうとする様は、これから起こる国をも揺るがす事件を象徴しています。ここでもやはり、井上堯之さんの音楽がうまく引立てていますね。


さて主人公の城戸は、なんとか核爆弾を造ることに成功する訳ですが、その目的は殺人ではありません。

ネコにガスをかけ一見残酷に思える行動ですが、そのネコは後のシーンで再び登場しますし、同じくガスをかけられた警官も、後の新聞を見る限りでは眠らされただけのようです。原子力発電所のシーンでは、職員が燃やされたり飛ばされたりしていますが、これも医療施設が整っているはずである原子力発電所だから出来る訳であって、城戸は人を殺そうなどとは思っていなかったはずなのです。

つまりプルトニウムを奪ったけれど、その行動は愉快犯だった訳です。

しかしその城戸に、皇居以来2度目の転機が訪れます。

それは、ネコの死です。

自分の不注意から、ネコを殺してしまうのです。直接ではありませんが、自分の造ったモノで死に至らしめてしまった訳ですから、殺したも同然でしょう。

転機だったことは、学校での行動からも読み取れます。生徒が観ている目の前で、ターザンの真似事をしていましたよね?この行動は、それまで押さえつけていた何かが壊れてしまった象徴でしょう。


核爆弾を持った城戸に待ち受ける運命は「死」です。たとえ爆発しなくても、それまでに大量に浴びてしまった放射線の影響は、死に至るものだったはずです。

しかし、その放射能を浴びていない2人の死を忘れてはいけません。

ひとりはDJの沢井。「核爆弾を持ったら何をしたい?」と言う問いかけから巻き込まれ、物語終盤では城戸の逃走を手助けします。しかし、その目的を達する前に、山下の銃弾に倒れ命を落としてしまいます。

それからもうひとりは、核を奪い返そうと必死で奮闘する山下警部。最後は城戸を巻き込んで壮絶な死を迎えます。

2人とも城戸に関わったがために命を落としました。

ではこの死は何を意味してるのでしょうか?

ちょっと考えてみました。そしてひとつの答えを見つけました。


それは国家間の争いに例えられるんじゃないかと。


現在核兵器を所有している国は、残念ながらこの作品が公開された当時より増えています。

そしてその核を所有するほとんどの国では、未だに軍事行動で死者が出ています。もちろん核を持っていない国でも死者は出ていますが、本来核兵器は使う為でなく抑止の為に存在するはず。

なのに、結局は戦争に近い行為が行われ、命が奪われているのです。

核兵器を造れる高度な技術と経済力を持っていても、愚かな行為で奪われる命を救えない。

その力を別の方向に向ければ争いは防げるはずなのに、核兵器を所有してしまったが為になされない。

なんて無益なんでしょう・・・

核兵器に関わったが為に死人が出てしまうと言う悪循環。城戸に関わったが為に命を落とす2人。

自らを9番と呼んだ城戸と、後に発する「一体何がしたいんだ?」と言う台詞から、それを読み取れる気がします。


そう言う視点で見ると、非常に重いメッセージを放っている社会派作品と思われがちですが、そうではありません。前述のような意味も含まれているはずですが、やはりこれは娯楽作品です。

物語終盤の、メーデーでの群衆シーンや、息をもつかせぬデパートでの攻防。そしてカーチェイスに、ヘリを使った必死のアクション。

どれを取っても、未だに見応えのあるシーンです。

それは、観客を魅了することに心血を注いでいるからこそ出来たシーンである訳で、観客を本気で楽しませる「心意気」を感じさせます。

社会派作品には、そこまで必要とは思えません。しかしながら、その影にはしっかりとメッセージが込められている。だからこそ後世まで語り継がれる映画になれたのではないでしょうか?


この映画が公開されてから、間もなく30年が経とうとしています。

そして残念ながら、長谷川和彦監督はこの後、映画を撮っていません。

監督は現在63歳。引退にはまだ早すぎます。

ぜひとも、新しい作品を見てみたいものです。

昨今好調な邦画ですから、「太陽を盗んだ男」が公開された後の冬の時代と比べれば撮りやすい環境になっているのは明らかです。撮影に協力するフィルムコミッションの存在も、それを後押ししてくれるでしょう。

未だに人気があるこの作品を生んだ長谷川監督の最新作を望んでいる人は、決して少なくないはずですから。


さてここから先は、ちょっとした願いを込めて書き進んでみたいと思います。

この映画が撮られた1979年は、第2次オイルショックのまっただ中。日々の生活に追われ、夢を忘れてしまう程深刻な影響が私たちの生活を襲っていました。

そして今、第3次オイルショック後の世界的恐慌に見舞われ、人々の生活はまさに30年前と同じ様相を呈しています。日々を生き抜くのに疲れ果て、夢を描くことが困難な世の中になりつつあると言えます。

そんな時代だからこそ、長谷川和彦監督の破天荒とも言える映画を、観客は求めているのではないでしょうか?

リメイクである必要はないですが、私はやはり同じ題材を元にした映画を観てみたいと感じます。

その作品で城戸を主人公にするのは無理があります。映画のラストでは生きていますが、放射線の影響ですぐに死んでしまったと推測出来るからです。余談ですが、ラストは核爆発をイメージさせますが、私は爆発していないと思っています。加えて城戸を犯人として特定出来ずに時効を迎えていると。

ネコを大切にしたように、城戸は人を殺すような人間ではないはずですし、沢井と山下以外は城戸の顔を見ていません。そして何より、大量生産の時代に物証から割り出すのは難しいでしょう。だから城戸は人知れず死んでしまったのではないかと思うのです。

核爆弾を造った後は、家もきれいに片付けていたのですから、城戸が行方不明になっても誰も疑わないでしょう(学校で核兵器の講義をしたことは不安要素ではありますがラジオで話題になっていたから疑われずに済むかもしれません)

でも放射性物質を一般家庭に持ち込んだのですから、近隣の家庭には少なからず影響はあった訳で、そこに着目して物語を膨らませたら、面白い作品が造れるのではないかと思うのです。

「悪くないのに巻き込まれてしまった市民の暴走」

放射能汚染のせいとは思いもせずに、余命幾ばくもない自分の最後の悪あがき。

幼い頃耳にしたラジオの「核爆弾騒ぎ」にヒントを得て、一人黙々と核兵器を造り、国を相手に戦いを挑む。

どうです?なんだか面白そうな作品がとれそうな気がしませんか?

もし問題があるとすれば、やはりその題材でしょう。

地下鉄サリン事件で多くの被害が出た日本はもとより、911テロで多くの死者が出たアメリカも、この題材に敏感に反応するのは目に見えています。おそらく1979年よりも、激しい拒絶反応が起こるでしょう。

でも、だからこそ、そう言う映画が必要だと、私は思うのです。

そして一娯楽作品としてだけでなく、核を持たないと宣言している日本だからこそ出来るメッセージを発信出来るはずなのです。


映画製作者のみなさま!誰か長谷川和彦監督を迎えて映画を撮ってくれませんか?


今回は特に好きな作品の為、いつもよりも熱く、長くなってしまいましたが、そろそろ終わりにしたいと思います。本当はもっと書きたいことがあるのですが、それはまたいつか。


さて次回は5月29日より公開の「スタートレック」にちなんで、過去のスタートレック作品をまとめて紹介したいと思います。


それでは、また!

2009年5月1日金曜日

レ・ミゼラブル 輝く光の中で

今回のコラムはなかなか手に入りにくい作品と言う特性上、2部構成で挑みたいと思います。

まずはこの作品をご覧になったことが無い方の為、作品の紹介と簡単なあらすじを。

次に、ご覧になった方の為にネタバレをしつつ、この映画の良さを引き出しと行こうかと思います。


ではまずは、未見の方の為の第1部を・・・


映画には多くの場合原作が存在します。そして多かれ少なかれ、原作とは違う登場人物や展開がなされ、オリジナルの要素を含んできます。

しかし今回お贈りする「レ・ミゼラブル 輝く光の中で」(以下、オリジナルと区別する為「輝く光の中で」と記載)は、それとは違うアプローチで造られた作品です。

物語の元となるのは有名な文学作品「レ・ミゼラブル」

何度も映画化や舞台化がなされ、日本ではアニメ化もされ多くの人々に感動を与え続けた作品です。

最近ではリーアム・ニーソン主演で1998年に映画化されています。

「レ・ミゼラブル」では激動の19世紀フランスが舞台でしたが、「輝く光の中で」は、そのほぼ100年後の20世紀初頭から世界大戦後までの約50年を描いています。

しかしながら、物語の進行はオリジナルを踏襲し、歴史の違いをうまく取り込みつつ見せているので、「レ・ミゼラブル」を知らない人だけでなく、知っている人にも受け入れられるよう造られています。

実は私は、映画で「レ・ミゼラブル」を観たことはあるのですが、原作は読んだことはありません。

なのでここから先は、前者の立場でコラムを書いて行くことをお許しくださいませ。


物語は「レ・ミゼラブル」の主人公であるジャン・バル・ジャンの悲しげな表情から始まります。

何かを後悔し、叫びながら懺悔を乞うような表情がしばらく続きます。

場面は代わり、19世紀の終焉と20世紀の幕開けを祝う舞踏会。貴族たちが華やかな衣装に身を包み、集っています。

その会場へ、慌てた様子の男が入り込んできます。彼の名はアンリ・フォルタン。ある貴族の運転手を務めていました。

貴族は、アンリの言葉で舞踏会を去ることを決めます。なぜなら彼は偽物の貴族だからなのです。

帰路の途中、山間の道路でアンリの運転する自動車はパンクし、そこでこともあろうに突然主は拳銃自殺を図り、運悪くアンリに殺害の容疑がかけられてしまいます。

しかしながら文盲のアンリは裁判で一方的に負け、投獄されます。

それでも愛する妻と子供に会うことを信じ頑張るアンリなのですが・・・


物語の紹介は、ここまでにしておきましょう。

ずいぶん語ったんじゃないか?とご心配のみなさま、どうかご安心ください。

175分ある作品の、冒頭15分だけのあらすじです。


この作品は日本ではあまり知名度がないようで、発売当時置いているレンタル店もそれほど多くなかったと記憶しています。

当時レンタル店で店長をしていた私は、発売前にサンプルを手に入れその内容に心揺さぶられ、すぐに入荷を決めましたが、残念ながら商業的には厳しい結果でした。

今現在、流通しているのはほとんどがレンタル上がりの商品で、長いテープを使用している都合上、程度もあまり良くないのが現状です。現に私が入手した中古も、途中に数カ所傷がありました。

海外ではどうかと言うと、本国フランスではDVDが4年前にリリースされ今現在も入手可能のようです。

アメリカでも入手出来るようですが、リージョンコードが日本とは違うので観られません。いずれにしても日本国内のDVDプレーヤーでは再生出来ないので(パソコンやリージョンフリーのプレーヤー等を使用すれば観る方法もありますがこちらは自己責任で)、どうしても観たい場合は、やはり中古ビデオしか手がないようです。

海外での発売時期を考えると、この先日本国内でDVDが発売される可能性は低いと思われますので、もし興味を持った方がいらっしゃいましたら、アマゾンのマーケットプレイスなどを利用して手に入れることをお勧めします。おそらく金額的には安いと思われますので。

しかし今回、この調べものをしていて驚きました。

アメリカのアマゾンで、かなり高い評価を得ているんですね。なぜ、これほどの名作を日本が放っておくのか不思議でなりません。

ちなみに発売当初のビデオと廉価版は、フランス作品であるにも関わらずワーナーからでした。発売されない理由は、そこにもあるのかもしれません。


さて、作品紹介はここまでにして、これから先はご覧になった方と共に感動を分かち合うネタバレ編にしましょう。

まだご覧になっていない方は、ここからは読まないことをお勧めします。

感動が半減してしまいます。

是非、入手してご覧になってください。決して損の無い作品ですから。


では、ネタバレ編です。


あなたはこの作品のどこが気に入りましたか?


私は、親子二代に渡る長い年月を描き、なおかつ歴史上の事件を織り交ぜているにもかかわらず、決して本質であるドラマがかすんでいないこと。むしろ、歴史上の事件と相まって、大きな感動を生み出していることです。

それはビデオのパッケージからも読み取れます。

裏面に記載されているあらすじには、息子であるアンリの物語しか書かれていません。

なぜでしょう?

メーカー側としては、ビデオを手に取った人に対してその物語を売り込みたかったからではないでしょうか?

それだけ感動的な部分であると言えると思うのです。

特に第2次世界大戦に入ってからの展開は、凄まじいものがあります。

ユダヤ人である為に、国を追われるように逃げ出す家族と、それに巻き込まれてしまったアンリ。

この4人の物語が交互に展開され、長編映画ではありがちなダレてしまう後半部分を、前半よりも短い時間の感覚で観させてくれています。

 生き延びる為、親元から離れ寄宿学校へ入った娘。

 ナチスの娼婦として囚われの身になったジマン婦人。

 瀕死の重傷を負いながらも、親切な農夫に助けられ、でも金と一方通行の愛に阻まれ世界から隔離されてしまったジマン。

 そんな3人を守ろうと、どんな責め苦にも負けずに耐え、生き抜く為に盗みまで働くアンリ。

戦争と言う残虐行為を生き抜こうとする人間の勇気が、言葉にするとたった4行の展開の中に、全て託されています。

それ故に、ノルマンディー上陸作戦と絡むことによって大きな感動を生むのです。

ただ残念なことに、日本で発売されたビデオはトリミングされ、TVサイズに変更されています。

もしオリジナルのシネマスコープサイズだったら、更なる感動を生んでくれたと思うのですが・・・こればかりはDVDかブルーレイで発売されるのを願うばかりです。


私がもうひとつ気に入ったのは、どんな逆境にもくじけず自分を信じるアンリの生き様です。

義理を忘れず、たとえ自分が不利になろうとも信じる正義を貫くその姿勢は、簡単に真似の出来るものではありません。

そして、文盲であってもそれを不幸と思わず、常に前向きに生きる姿には、この作品と出会って12年経った今でも勇気をもらいます。

今回のコラムを書く為約10年ぶりに見たのですが、改めて作品の奥深さを感じラスト15分は涙しました。当時、泣いた記憶が無かったので、私もそれだけ歳を重ねたと言うことでしょうか・・・

そして、以前観た時には気づかなかった発見が、いくつかありました。

その中でも特に大切だと思ったことがあります。

それは、この作品がビクトル・ユーゴーへのオマージュであるとともに、映画と言う発明へのオマージュでもあると言うこと。

それに気づいたのは、物語序盤での貴族とアンリの会話からです。

「子供はいくつになるんだ?」との貴族の問いに、

「5歳です、映画と同じ」と言う答えを返します。

このシーンは世紀越えの舞踏会後なので、数えるとアンリの子供(後のアンリ)は1894~5年生まれと言うことになります。

そのアンリが生まれた年には、エジソンの発明に大いなる影響を受けたリュミエール兄弟が商業映画を完成させ上映を始めています。

母とともにノルマンディーの酒場で働いていたアンリの息子が目にし、衝撃を受けるのは映画でした。

物語の終盤が近づき、仲間と一緒に入ったのも映画館でした。

そして共に上映作品は、「レ・ミゼラブル」を題材にした作品であったのです。

一見すると、作者に対しての敬意を払っているだけに思えますが、実はそうでもないようです。

物語がたどる約50年の月日の中で、「レ・ミゼラブル」と言う本だけを絡めて行けば済むはずの内容に、なぜ映画を絡めたのでしょう?そしてなぜ、アンリはその年に生まれた設定なのでしょう?

その秘密は、この作品が造られた年にあります。


1995年。


つまり、リミュエール兄弟が映画を発明した年から数えてちょうど100年目だったのです。

これを単なる偶然ととらえてしまってはいけないと思います。

初めて映画を観たアンリ少年のあのまなざしは、文字を読めるようになって本を読んでいる50年後のアンリと、何ら変わらないのです。

つまり、本を読み想像力を膨らませるのと同じ感動を、映画は与えてくれると言うことを表現したかったんだと思います。


この「レ・ミゼラブル 輝く光の中で」では、他にももっと語りたい要素があるのですが、今回はここまでとしましょう。

全て話してしまっては、改めて観直そうとされている方々の感動を半減させかねませんから・・・


この続きは、ひょっとしたら発売されるかもしれないDVDに運命を託しましょうか。


さて次回は、予告通り「太陽を盗んだ男」をお贈りいたします。

こちらの作品はDVDが発売されていますので、みなさまもご覧になる機会があるかもしれませんね。

なるべく早いうちに更新したいと思いますので、それまで作品をご覧になるなどしてお待ちくださいませ。


それでは、また!



映画データ


1995年フランス映画 175分


製作・監督・脚本 クロード・ルルーシュ

美術       ジャック・ブノワール

音楽       フランシス・レイ ミシェル・ルグラン

出演       ジャン=ポール・ベルモント ミシェル・ブシュナー アレサンドラ・マルティンス 他